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68 ロベリアの秘術

「ここは……?」

「どうやら無事に邸の中には潜り込めた様だな」


 埃っぽい室内は、あの時私が寝かされていた部屋とはまた違う部屋の様だった。窓から外を見れば、此処からかなり距離はあるものの、門の近くで死者と攻防している皆の姿が見える。


「扉の外にも気配はないから、この周辺に敵意がある者はいない様だね」


 部屋の中と、扉付近に気を配っていたヴィー兄様の言葉を聞き、少しだけホッとする。最悪、死者がいっぱいいる部屋にいきなり放り込まれる可能性もあっただけに、それが無かった事には安堵した。


 窓から地上を見た感じでは、ここは三階部分なのだろうか。月明かりで見た室内は経年劣化でやや荒れた印象ではあるものの、私物の様な物が見当たらない所を見ると客間だったのかもしれない。


 ただ、この部屋に来てからというもの、外で感じたよりも明らかに嫌な気配が増していた。エズ村で感じたものよりも、もっとずっと濁った様などろどろとした嫌な感覚だ。やはりこの邸の何処かに、霊石だった物はあるに違いない。ぞくりとするような悪寒を感じ、思わず眉を顰める。


「やっぱりこの邸の中で正解みたいですね……今までのどれよりも嫌な感じがします」

「あぁ。妙な魔術の気配がそこかしこにあるな。外に居るあの死者の群れにされた者達の遺骨が、点在していた事を思えば当然なんだが」


 魔術の気配を辿れるアリスさんも、辺りを見渡すその表情は厳しいものだった。


「私には魔術の気配は解らないけれど、とにかくその気配の大元を探してみるしかないようだね」


 私達は顔を見合わせて頷き合うと、まずはヴィー兄様が音を立てない様、慎重に扉を少しだけ開けて周囲を窺う。暫し確認してから、彼は一旦その扉を閉めた。


「廊下は何の物音もしないね。気味が悪いくらいに静かなものだよ」

「とりあえず先頭がヴィーで殿(しんがり)は俺だ。エマを間に挟む形で、何かあれば俺達が盾になるぞ」

「了解したよ。エマも、私達から離れない様に気をつけて」

「解りました……!」


 私が頷くのを見て、ヴィー兄様は少しだけ微笑むと、その表情を真剣なものへと切り替えた。静かに扉を開け、廊下に滑り出るその後に続けば、確かに廊下はしんと静まり返り、聞こえるのは私達の衣擦れの音くらいだ。


 嫌な感じはこの階に充満している様だったが、右の方がその感じが強い様に感じる。私が手振りで右を示すと、ヴィー兄様はこくりと頷き廊下を右へと進み始めた。


 周囲を警戒しながら、慎重に歩を進めていくのだが、進めば進むほど嫌な気配がどんどん増して息苦しいくらいだ。途中に分かれ道もあったのだが、その度に気配が濃い方へと進んでいく。


 そうしてどれくらい進んだだろうか。辿り着いたのは他とは明らかに造りが違う、重厚な扉の前だった。此処が他と比べて明らかに嫌な気配が強い。この扉の先に何かがあるのは確実だろう。もしかしたらあの人もいるのかもしれない。


 重苦しい空気の中、ヴィー兄様がその扉に手を掛ける。扉はギィィと軋んだ音を立てて開き、その瞬間ぶわりと黒い靄の様なものが隙間から勢いよく漏れ出してきた。


 咄嗟にアリスさんが見えない壁の様な物を展開させた様で、靄は私達に直接触れる事はなく周囲に拡がっていく。悪意が具現化したようなそれに、思わず目を瞑ってしまうのだが、目を閉じていても気配で解る。この中には確かに、魔術で穢された霊石の――それも一際大きな気配が感じられた。


 靄の勢いが落ち着き、少し視界が開けた所で、この部屋が主寝室であろう事に気付く。恐らくはアリスさんの祖父母である公爵夫妻の部屋だろう。その輝きは今は失われているが、調度品はどれも素晴らしい物だったに違いない。


 そうして視線を部屋の奥にある天蓋付きの大きな寝台へと移した所で、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑み、口元を押さえる。こみあげる吐気を必死に抑えていれば、そんな私の視界を塞ぐ様にアリスさんのローブに包まれていた。


「……お前はそれ以上見なくていい」

「っぅ……で、も……ど……して……あんな、惨い……」


 触れる彼の体温は温かいのに、脳裏に焼き付いた光景が頭から離れず、どんどん体が冷えていく様な感覚に陥る。忘れてしまいたいのに、あの光景がどうしても浮かんできてしまう。


 それは数年が経っているとは思えない程、生々しい男女の遺体だった。遺体に刺さったままの剣も、寝台を赤く染める血飛沫の跡も色褪せる事なく、まるで殺されたその瞬間、そのままで時を止めた様な光景だったのだ。


『それまで殺しまではした事がなかったが、一度してしまえば呆気なかった。それが人に代わるだけで、魔物の討伐と何ら変わりはしないのだとな。それに厳しかった母上の絶望したあの表情。あれにはぞくりとしたな。……あぁ、私が見たかった表情はこれだったのだと知れたのだから、母上には感謝している』


 不意にあの人が言っていた言葉が甦る。


 きっと、彼等が公爵夫妻なのだろう。女性の遺体の表情は深い絶望の色を湛えたままだったのだから。


 恐らく遺体が腐らない様にする魔術を掛けて、更に何らかの魔術でそのままの状態を維持させているとしか思えないその光景は、あの人の歪んだ思いを表しているとしか思えなかった。凶器をそのままにしている辺りが尚惨い。


 死した瞬間の絶望を切り取られたままの公爵夫妻の遺体は、それだけでこの邸に満ちた負の力の根源となりうるものだろう。恐らくあそこにこそ、死者を操る呪物と化した霊石がある筈なのだ。


 私はぎゅうとアリスさんの服を握り締めたまま、何度も呼吸を整える。気持ちの整理はまだつかないものの、私だけが出来る事をしなくてはと意を決した時だった。


 彼が私を抱き寄せる腕に力を込めたかと思った次の瞬間、空気を切り裂く様な音が驚く程近くで霧散したのだ。慌てて包まれていたローブから顔を出せば、見上げるアリスさんの視線は真っ直ぐ一点を睨みつけていた。その表情はこれまでの中で見た事がない程、憤っているのがよく解る。


「勝手に我が邸に足を踏み入れただけでなく、私の聖域にまで無断で来るとは随分と偉くなったものだな」


 ざらりとした聞き覚えのある低い声に、思わず身を固くする。声がした方を恐る恐る向けば、そこには予想通り、アリスさんによく似ているけれど、酷薄な笑みを浮かべたバティスト・ジギタリスその人の姿があった。


 よく見れば彼の後ろ、寝台横の壁にはいつの間にかぽっかりと通路が開いているのが見える。先程までそんなものは無かった筈だから、隠し通路だろうか。


 彼はアリスさんに向けていた視線を私の方へと向けるのだが、その笑顔とは裏腹に瞳に揺れる狂気は恐ろしく、背中を冷たいものが滑り落ちる様だった。


 その視線を遮る様に、私の前に剣を構えたヴィー兄様が立ち塞がり、私の肩を掴むアリスさんの力は強まる。じりじりとした緊張感の中、突然あの人は声をあげて笑い出したのだ。何が起きているのかと、私はびくりと肩を震わせる。


「っふ……はははははは!王宮魔術師長の地位に、伝説の大聖女様。その上友にも恵まれ、魔術の才もある。私とお前はこれ程似ているというに、私が持っていないものをお前は全て持っているというのは可笑しな話だろう?お前が持っているもの全て、お前の目の前で壊したらどれ程愉快だろうかと、幾度も幾度も夢に見たぞ」


 それはとても愉しげな声音だというのに、ゾッとする程冷たいものだった。






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