66 変わっていく世界
「エマちゃん、久しぶりだねぇ。まずは無事に戻ってきてくれて安心したよ」
呼び出された宰相の執務室で、マリユスさんはそう言って満面の笑みを浮かべていた。フェスティバルの日以来だから確かに久しぶりではあるのだが、やけに笑顔なのが胡散臭い。
つい警戒してしまう私と同じ気持ちなのか、アリスさんも彼に胡乱気な視線を向けていた。
「なんだその笑顔は。またお前は何を企んでいる?」
「アリスティドは本当に俺に対して信頼が無いよねぇ。そりゃエマちゃんは長年争っていた国同士に和平を結ばせた立役者なんだから、労うのは当然でしょ」
わざとらしく大きな溜息を漏らした彼は、私の方へと真っ直ぐ視線を向ける。その表情は真剣なものへと変わっており、どうしたのかと思えば、彼はそのまま私に対して深々と頭を下げたので驚いて声をあげてしまう。
「えっ!?急にどうしたんですか!?」
「本来なら、大聖女様である君を敵に奪われる事態などあってはならなかった。まずは謝罪させてもらうよ。本当に申し訳なかったね」
「いえっ!あれは本当に想定外でしたし、私も王都の街中でそこまで危険があるだなんて考えてませんでしたから……」
いつも不遜な彼に頭を下げられるのは妙に落ち着かず、私は慌てて首を横に振る。そもそも、ミミだけを連れて王宮から出た私にもかなり非があるのだから。
「そういえば、この件でミミが責任を取らされるとかないですよね?私が悪いんですし……」
「本人から聞いていないの?この件に関しては、既にミリアムちゃん本人から退団の意思表明があって、先日騎士団を辞めているんだよねぇ」
「えっ……」
別邸に戻った日には、無事に戻った事を泣いて喜んでくれたミミ。その後だって今まで通りだったけれど、騎士団を辞めただなんて一言も言ってなかった。フェスティバルの夜に私だけの騎士になりたいと言ってくれてはいたけれど、こんな責任を取る様な形で辞める事は無かった筈なのに。
こんな大事な事を話してもらえなかった事にもなんだか落ち込んでしまい、しゅんと項垂れる。そんな私を気遣う様に、アリスさんの手が私の肩に触れた。
「そうやってお前が気に病むのが解っていたから言えなかったのだろう。今は侯爵家でメイド兼護衛として雇われているとヴィーから聞いたぞ」
「そう、だったんですね……」
「君が拐われた時に現場に居た騎士はミリアムちゃんだけだったからねぇ。誰かが責任は取らなくてはならなかったんだよ。今後は国としても、君に影を数人つけるから、侯爵家別邸の外に出る時には常に誰かがついていると思っておいて」
「解りました……」
少し窮屈に思うだろうけどとマリユスさんは苦笑を漏らしていたけれど、安全には変えられないだろう。要するに、別邸には常に誰かがいるし、邸の外に出れば誰かしらが護衛してくれているという事で、殆ど一人になる時間はないという事だ。
まるで王族の様な護衛体制だけれども、それだけ大聖女というのは重い立場なのだろう。リアトリス帝国でアルテュールさんも同じ様な事を言っていたから。
あの時拐われなければこんな大袈裟な事にはならなかったのかもしれないけれど、でも拐われたからこそラファエル陛下もグエノレさんも助けられたし、和平も成り立ったのだから良し悪しだろう。
「あ……そういえば、私が拐われた時にエレオノールさんも一緒だったんですけど、彼女はどうなりました?聖教会から逃げていた所だったみたいなんですけど……彼女は無事ですか?」
「あぁ、それなら問題ないよ。彼女は無事だし、今や彼女は聖教会のトップだからねぇ」
「へ?」
一体どういう事だろうかと思った所で、執務室の扉がノックされた。
「丁度いい所で来たようだねぇ。入ってきて構わないよ」
マリユスさんが許可を出してから一呼吸置き、静かに扉は開かれる。それはいかにも聖女然とした白地に金の刺繍が施されたローブを纏ったエレオノールさんだった。彼女は綺麗な礼をとった後、真っ先に私の方を見たかと思えば、その翡翠の瞳からはぽろぽろと雫が溢れ出す。
「だ、大聖女様……!ご無事で本当に安堵致しました……!」
「エレオノールさん!?大丈夫ですか!?」
「はい、大聖女様に救って頂いた身ですから、何の問題もございません。本当に、またお目にかかれて嬉しいです……!」
私が気遣えば、余計に涙が溢れるのはどうした事かとおろおろするのだが、アリスさんは呆れた様な顔をしているし、マリユスさんはにこにことしていて何を考えているのかよく解らない。
そうしているうちに、彼女は涙を拭ってそろそろと私の前までやってくると、両手を組み、まるで眩しいものを見るかの様に目を細めて微笑んだ。その微笑みは天使の微笑みの如く眩しいもので、私も釣られて笑みを漏らした。美少女の笑顔はやはり健康に良い。
「それで、エレオノールさんはどうしてここに?」
「あの……!私に敬語は結構です。名前もエレオノールとお呼びくださると嬉しいです」
「えっ、でも……」
確かエレオノールさんはレオポルド陛下の異母妹だった筈だ。本人は知らないと言っていたけれど、皇族に対してそんな不敬な態度で大丈夫なのかとちらりとマリユスさんを見れば、少し溜息を漏らしつつも頷いてくれた。
「本人が望んでいるからねぇ。エマちゃんなら構わないよ」
「は、はぁ……じゃあ、エレオノール?」
「はいっ!」
名前を呼んだだけだというのに、まるでご褒美を貰った様な喜び様なのはどういう事なのだろう。可愛い子にこんな風に慕われるのは正直悪い気はしないというか、むしろ嬉しいのだが、エレオノールとはオペラハウスとあのフェスティバルの夜にしか会っていないというのに、この懐き具合はどうした事か。
「彼女は聖属性の力が実際に光り輝いて見えるそうだよ。だから、エマちゃんの桁違いの輝きに心酔しちゃったみたいなんだよねぇ。本来、王女様なんだからもっと毅然としていてほしいんだけど」
「宰相様、私は平民として育ちましたから、今更王女だったと言われても変えようがありません」
「ずっとこんな感じなんだよ。困ったものだねぇ」
やれやれと言った様子で肩を竦めるマリユスさんに苦笑を漏らしつつ、どうやら彼女は自分の出自を聞かされた様だと察する。
「でも、エレオノールが聖教会のトップになったというのはどうしてなんですか?」
「エマちゃんが拐われた日、聖教会の上層部である高位神官達が揃って何者かに殺されてしまったんだよ」
「っ……!」
そうだ、確かにあの日、あの人もそう言っていた。あの返り血は高位神官達のものだったのだろう。あの日の光景を思い出し、思わず眉を顰める。
「証拠は無いし、目撃者もいないから確証はないけれど、バティスト・ジギタリスの仕業である事は想像がつく。まぁ、仲間割れというやつかな。あの人が彼等を仲間と思っていたとは思えないけれどねぇ」
「……腐敗していたとはいえ、私を育ててくれた場所ですから。王女であり、聖女である私が上に立つ事で、聖教会をあるべき姿に戻す為に全力を尽くそうとお受けしたのです」
彼女の翡翠の瞳には強い決意が宿っていた。長年の慣習を正していくのは生半可な事ではない。それだけ大変な道を、自ら選んだ彼女を尊敬せずにはいられないだろう。私はそんな彼女の手を取り、ぎゅっと握り締めた。
「大変だと思うけど、頑張ってね……!何かあれば、私も手伝うから」
「っ……!その御言葉だけで、私は頑張れそうです!ありがとうございます、大聖女様!」
「あぁ、また泣く……エレオノールは物凄く可愛いんだから、涙は似合わないよ」
また溢れ出した涙を指で拭い、笑顔を向ければ、今度は彼女の頬がみるみるうちに赤く染まってしまっていた。そうして目を丸くしていたかと思えば、俯いて何度も頷いている。どうしたのだろうかとアリスさんの方を見れば、またかと言わんばかりにじとりとした目を向けられてしまった。
「あぁ、成程。エマちゃんはそうやって女の子達をたらしこんでいるんだねぇ」
「ちょっ!?人聞きが悪い事言わないでくださいよ!」
「お陰でうちの研究所の女共も皆エマの信者だ。俺の立場も危うくて仕方ない」
「アリスさんまで……!女の子は皆可愛いんだから当たり前の事をしてるだけなのに……」
頭を抱えたい気持ちでいっぱいの私に、二人の視線が突き刺さる。居た堪れない気分だったのだが、エレオノールの表情は頬に赤みもさして更に可愛くなっていたので、なんだかもうそれだけで良かったなと思えてくるのだから、やはり美少女は世界を平和にするのだろう。
「……まぁ冗談はさておき、バティストが潜伏していると思われる邸に向かうのは明日の夜だったね。騎士団からは選りすぐりの者を選んでおいたけど、ここにいるエレオノール王女殿下も是非に協力したいと申し出ているんだよねぇ」
「えっ、そうなの!?」
「はい、大聖女様も参加されるとお聞きしましたので、微力ながら私もお手伝いさせて頂きます!聖教会からも数名の聖女を連れていきますので」
その言葉に、私は思わずアリスさんの方を見る。4年前の戦争の時には、ヴィー兄様を治せなかった聖女に対して恨みも持っていただろう。それが今、こうして協力してくれる事になったのだから、私が此方に来た時と比べて、世界は随分と変わったのだろうと思う。
彼の表情はあまり変わらなかったが、その口元は少しだけ緩んでいる様に見えた。
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