65 星降る夜
あれから矢絣の文様の効果を確認する為、流石に室内で魔術を使って何かあってはいけないという事で外に出る事になった。
私とヴィー兄様は見ているだけだったけれど、アリスさんとジゼルさんでそれぞれ攻撃系の魔術と防御系の魔術に分かれ、お互いに発動してみるというのだ。あまり魔術に詳しくないので、傍目で見ていると怪我をするんじゃないかとかなりハラハラしたのだが、あれでも程々に加減はされていたらしい。
結局の所、文様が自動的に無効化する魔術を判断する事はなく、完全に所持者の判断に依るという事だった。所持者がその魔術を危険だと認識すれば無効化するし、危険じゃないと思えば例え実際は危険な魔術であっても無効化されなかったのだ。
これは中々厄介で、要するに所持者が気付かない不意打ちの魔術なんかは無効化できないという事だ。万能ではないものの、所持者の能力次第では有効だと言える代物だった。
勿論、所持者が使用する魔術に関しては、攻撃系だろうが防御系だろうが問題なく使用出来るのが確認された事で、これであの人の魔術を無効化出来るかどうかは、実際に行ってみなければ解らないものの、かなり有効な手段にはなるだろうという結論に至ったのだ。
あの人の邸に乗り込むのは数日後になるという事で、それまでに今回の作戦に参加する全員分のブレスレットを作成する事が決まり、私とヴィー兄様は顔を見合わせて頷きあう。恐らくは魔術研究所と騎士団の方から少数精鋭が選ばれるものの、邸に直接乗り込む意外に邸の周囲を固める人員も必要との事で、50個前後は作っておいた方がいいだろうという事だった。
そうして明日から取り組む事も決まり、夕食も済ませた。自室に戻り、楽な格好に着替えた所でミミと他愛無い話をして癒される。そんな憩いの時間を過ごしていれば、時間はあっという間に過ぎていく。
「……アリスさん、後で話があるって言ってたけど、なかなか来ないなぁ……」
明日から暫くは工房に籠る事になるだろうし、アリスさんだって研究所でいろいろと準備があると言っていた。ゆっくり話せるとしたら今夜しかないだろうに、話したいと言った当の本人がなかなかやって来ないのだ。
ソファに座り、扉をぼんやりと眺めながら何度目かも解らない溜息を漏らした所で、漸く扉がノックされた。
「すまない、遅くなったな」
「あんまり遅いから、明日からも忙しいし、一人で寝ちゃうとこでしたよ」
「悪かった。少しヴィーとの話が長引いたんだ」
後は寝るだけだというのに、アリスさんはまだローブ姿だったし、手にショールを持っている事に小首を傾げる。もしかしてこれからまた研究所に戻るのだろうか。
私の視線に気付いた彼は、少しだけ口元を緩めると手に持っていたショールをふわりと広げ、私の肩に羽織らせた。
「外に出るぞ。その格好では肌寒いから羽織っておけ」
「へっ?今からですか?私こんな部屋着なんですけど」
「少しだけだ。その格好でも構わんだろう」
なんだかよく解らないまま、アリスさんに手を引かれて別邸の外へと連れ出される。時刻が時刻だけあって、廊下ですれ違うメイドさん達もまばらだ。
玄関ホールの扉を開けると、ひんやりとした外気に少しだけショールを手繰り寄せる。冬が近付いている気配を肌で感じていれば、アリスさんは私の手を引き庭にあるガゼボに向かっている様だ。
「……この辺りでいいか。空を見てみろ」
「空……?」
促されるまま空を見上げれば、広がっているのは満天の星空だ。ガゼボまで来ると別邸の灯りもそこまで気にならず、星が煌めいているのがよく見えた。
「そういえば、星空なんて随分見てなかった気がします。……でも、こうして見ると私が知ってる星座なんて一つもないんだなぁって実感しちゃいますね」
言葉で苦労していないからか、異世界だという事を忘れてしまいそうな時があるのだが、こうして見れば全く違う所にいるのだと感じてしまう。少しだけ苦笑を漏らせば、私を見詰めるアリスさんの瞳が静かに揺れているのが見てとれる。
彼は一瞬言葉に詰まるものの、視線は私を捉えて揺るがなかった。
「……っ……もし、元の世界に戻れるとしたら、お前は帰りたいか?」
「へ?」
思ってもみなかった問い掛けに、私は目を丸くする。召喚された経緯を考えれば、元に戻る方法なんて探してもいなかったのだ。急にどうしたのだろうと思うのだが、真剣な眼差しは冗談などでは無い事を物語っている。
「あ、その……召喚する時に、召喚者の命と引き換えだって聞いてたので、そんな事考えもしませんでした」
「……元の世界へと送り返す魔術は、術者の魔力だけが奪われるものだとしたらどうだ?」
あまりにも具体的な話に、心臓がぎゅっと掴まれた様に苦しくなる。これではまるで、アリスさんはその魔術を知っている様ではないか。
どうして今、こんな話をするのだろう。まさか私に元の世界に戻ってほしいのだろうか。そんな筈は無いと思うのに、心臓はどくどくと煩いくらいに音を立てていた。
「な……んで……そんな……私はもう、必要ないんですか……?」
はらはらと涙が後から後から溢れてくる。涙を拭おうとした瞬間、温かな温もりが私を包み込んだ。きつく抱き締める腕は苦しいくらいに力が籠っていた。
「何を馬鹿な……!俺にはお前が必要だ。お前が俺の前から居なくなったらと考えるだけで苦しくなるというに」
「じゃあなんでそんな……!」
「だが、お前には元の世界に残してきた家族や友人、大切なものも多くあるだろう?帰れる手段があるというに、お前はそれを切り捨てられるのか?」
ぎゅっと彼の手は、私を手放すまいとするように力が籠る。
確かに、元の世界には大切なものが多くある。此方に来たばかりの頃だったなら、きっと私は元の世界に帰る選択をしただろう。だけど今は――
「……最初にラファエル陛下と夢が繋がった時、私が居たのは実は元の世界の私の部屋だったんです。私ってば夢だったのに元の世界に戻っちゃったんだと勘違いしたんですよ。凄く馴染みある場所だったのに、その時私、アリスさんにもう会えないんだと思うと凄くつらくて泣いちゃったんです。だから――」
言葉は優しく触れる彼の唇に塞がれた。少しだけ涙の味が滲む口付けは、ただひたすらに温かく、優しいものだった。
名残惜しく感じつつも唇を離せば、彼の瞳も少しだけ涙が滲んでいた。それが堪らなく愛おしくて、思わず笑みが溢れる。
「だから、私は帰りません。ずっとここで、アリスさんと生きていくつもりですから、長生きしてくださいよ!」
「それは責任重大だな。簡単には死なせてもらえなそうだ」
「勿論ですよ!私が治せる限りは、どんな病でも怪我でも治しますから、覚悟してくださいね」
そう言い、どちらからともなく噴き出し、声をあげて笑い合う。この時間が何よりも愛おしく、幸せなものだと感じながら。
「……そういえば、どうしてここだったんですか?部屋でも良かったのに」
「それはだな……ん、そろそろか?」
ローブから懐中時計を取り出して確認した彼は、空を見上げる。私も釣られて空を見上げた所で、目の前に広がる光景に目を丸くする。
幾つもの星が、まるで降り注ぐ様に流れていたのだ。一瞬で消えていく輝きは儚くも美しく、思わず感嘆の声が漏れる。
「うわぁ!凄い!流星群ですね!」
「今日、この時間がよく見えるという話だったからな」
「綺麗ですね」
「……あぁ、本当に」
時間が経つのも忘れて、その美しい光景に魅入られていた所で、不意に彼の手が私の手を絡め取る。驚いてそちらを見れば、彼の唇が私の手の甲に触れる所だった。自然と頬が朱に染まっていく。
「……エマ。全てが終わったら、俺と結婚してくれるか?この先も喧嘩もするだろうが、俺はお前が元の世界に戻ればよかったと後悔させるつもりはない。お前が笑顔であれるように善処しよう」
「っ……はい!こちらこそ、宜しくお願いします!」
そうして私達は、星が降り注ぐ下でもう一度口付けを交わす。きっと私は、この時の事をずっと忘れないだろう。ただ幸せで、満ち足りたこの時を。
読んでくださってありがとうございます!
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一応、後5話程で完結予定ですので、最後までお付き合い頂けましたら幸いです。