63 隠された愛
「魔を祓うかぁ……うーん……」
アンヴァンシーブルから無事にルドベキア王国にある侯爵家別邸へと戻り、ミミを始めとした皆に泣いて出迎えられた翌日。工房にあるテーブルを前に、私はうんうんと唸っていた。
提案した時は物凄く良い考えだと思ったのだが、これ、一歩間違えば自分の魔術も発動しなかったり、自分を護る結界まで消滅させかねないのではと思い至ったのだ。
「エマ、どうしたんだい?矢絣の文様を絵付けして、効果を実証するんだってあんなにやる気に溢れていたのに」
「ヴィー兄様!」
工房に入ってくるなり、見るからに悩んでいる私の様子に、彼はきょとんとした様子で首を傾げている。私が隣の丸椅子を引けば、彼はそこに座りつつ、私の手元を覗きこんだ。
「やっぱり何も描いていないね。何か問題があったのかい?」
「思ったんですけど、私が絵付けしたネックレスにしてもカフリンクスにしても、何かに触れていると文様の力が発動しちゃうじゃないですか」
「あぁ、確かにそうだね。必要としている所に触れるとより効果が上がるけれど、常時何かしら効果が出て……あ、成程。それで悩んでいた訳だ」
私が言いたい事を察したヴィー兄様は苦笑を漏らすと、眉尻を下げていた私の頭を優しく撫でる。
「バティストの結界と幻術だけでなく、アリス達の魔術まで発動しなくなるんじゃないかと心配になったんだね」
「そうなんです……そうしたらお互いに魔術を封じられた状態で戦わなくてはいけなくなるんじゃないかと不安になっちゃって……」
「アリスに相談してみれば?何かいい考えが思いつくかもしれないよ」
「そうしたいんですけど、アリスさん、何か元気ないですよね?一昨日の夜までは物凄く機嫌良かったのに、昨日の朝起きてからずっとあんな感じなんですよ」
一昨日の夜は、途中から記憶はないものの、凄く幸せだった。少なくとも私はそう思ったし、アリスさんだって同じ気持ちだったと思う。
それが朝起きたら隣にアリスさんはいないし、朝食にも遅れて来て、顔色も凄く悪かった。本人は夜中に目が覚めて、書庫で魔術書を読み耽っていたら朝になっていて寝不足なだけだなんて言っていたけれど、今日も同じ状態なのだから絶対におかしい。あれはどう見ても何か思い詰めた様な表情だったと思うのだ。
私が寝てから朝までの間に、絶対に何かがあった筈なのに、アリスさんは何も言わない。何があったのか教えてくれれば力になれるかもしれないのに、頼ってもらえないのは寂しかった。
「確かに、あんなに解りやすく塞ぎ込んでいるのは珍しいよね。いつもなら落ち込んでいても、平気な風を一応装っているのに」
「ヴィー兄様にも理由を言ってないんですね?そうしたら付き合いの短い私には言わないかなぁ……」
「いや、エマに言わないものを私には言わないと思うよ。今のアリスの中の優先順位は、間違いなくエマが一番なんだから」
ぽんぽんとあやす様に優しく頭を撫で、微笑んでくれる彼にうっかり泣きそうになってしまうのだが、必死に堪えてこくりと頷く。
「好きな人に格好悪い所は見せたくなくて、自分でなんとかしようとするのが男ってやつだからね。何をまた考え込んでるのか知らないけど、アリスの心の整理がつくまで待ってやってくれるかい?」
「でも私は、格好悪くても一緒に悩める方が嬉しいのに」
「そうできたらいいんだけどね」
ラファエル陛下も似た様な事を言っていたけれど、私は頼ってもらえる方がずっと嬉しい。一人で悩むよりも、二人の方が何かいい案が浮かぶかもしれないからだ。
そりゃ私だって、前はなかなか心の内を相談出来ていなかったけれど、再会した日の夜にアリスさんには何でも話すと決めたから、今はどんな事でも共有したいと思っている。だからもっと、私がアリスさんに頼られる様な存在になれればいいのだけれども。
「まぁでも、アリスは今日は研究所で仕事してるし、それならもう一人の魔術師長に相談してみようか」
「!!そうですね!ジゼルさんなら何かアドバイスくれるかもしれませんね!」
アンヴァンシーブルからルドベキア王国に戻ってくる日。ラファエル陛下も親善の為、近いうちに此方へ訪問したいとは言っていたのだが、一旦は皇都に戻る事になった。けれどジゼルさんは、あの人が皇城で起こした事件にかなり責任を感じている様で、決着をつけるまで皇都には戻らない覚悟だとラファエル陛下に告げたのだ。
そういう事で彼女も今この別邸を拠点にして、あの人の邸がある筈の場所の調査をする事になったのだが、昨日の今日なので、今日はまだこの別邸の案内を受けている最中なのだ。敷地内のどこかにはいるだろう。
別邸内は結界のお陰で安全なのだが、皆が心配するのでヴィー兄様と一緒に邸内を探す事暫し。図書室にいるジゼルさんを見つけて声を掛ける。此処にもそこまで多くはないものの、魔術書はあるからそれを見ていた様だ。
「ジゼルさん!もう別邸の案内は終わってたんですね」
「エドモンさんに案内してもらって邸内は把握したし、どうせならこっちの魔術書読ませてもらおうかしらと思ってね。それで、もしかして私を探してたの?」
「実はジゼルさんにちょっと相談があってですね……」
「あら、なあに?恋の相談とか?」
向かいの椅子に並んで座り、私はジゼルさんをじっと見詰める。それだけで何かを察した様子の彼女は、少しだけ居住まいを正した。
「魔術に関する事かしら?何か行き詰まってるの?」
「矢絣の文様を絵付けしようと思ったんですけど、私が描いた文様って、何かに触れてると常に効果が現れちゃうんです。魔を祓うって、相手だけでなく持ってる人自身の魔術も無効化されちゃうんじゃないかなって思いまして……」
「あー、成程。それで悩んでたのね。常時発動してるだなんて、エマちゃんの力が凄いんだけど、強すぎるのも考えものね」
彼女は少しだけ苦笑を漏らし、視線を少し下に落とす。と、その手を私の左腕へと伸ばした。
「それならこれに掛けられた魔術を参考にすればいいんじゃない?」
「へっ?」
とんとんと彼女が指で触れているのは、アリスさんがくれた婚約の腕輪だ。何の変哲もない普通の腕輪だと思っていたのだが、これに魔術が掛けられている……?
「これ、とっても繊細な魔術よ。あんたに悪意を持ったら触れられない様になってるのね」
「えっ?あっ……!」
そうだ、そういえばあの人の邸に拐われた時、あの人も同じ事を言っていた。私には悪意を持った人を防ぐ術が掛けられているのだと。てっきり私があの時身につけていた青海波の文様のネックレスが何かしら効果を発揮していたのだとばかり思っていたけれど、まさかこの腕輪だったとは思ってもみなかった。
「あの人も、そう言ってました。ただ触れるだけなら私に触れたんですけど、私を害そうとすると触れられないって」
「バティストね……。なら、エマちゃんが拐われていた時も、あんたの婚約者はあんたの事をずっと護ってたのよ。この腕輪でね。しかもこれ、触れられるのは許さないのに、あんたが触れるのに制限はないのよ。だから、あんたを護りつつ、あんたの意思は尊重してるんだから、本当に愛されてるわねぇ」
窓から差し込む光を受けて、腕輪はきらりと輝く。
これを貰ったのは、もう随分前だ。あの時はアリスさんが本当に私を好きなのも解っていなかったし、私自身の気持ちでさえも理解していなかった。そんな頃から、アリスさんは私の事をそこまで考えてくれていたのだと思うと、自然と顔が火照ってしまう。
「ちょっと、また顔が真っ赤よ。もしかして全然気付いてなかったの?」
「う……はい……これ、そんなに解りやすい魔術なんですか?」
「解りやすくはないわね。見る人が見たらすぐ解るでしょうけど、普通の魔術師程度なら解らないと思うわ」
「な、成程……」
それなら魔術研究所の人達でも、この魔術に気付いたのは一握りだろうか。こんなとんでもない愛の告白に全く気付かず、人目に晒していたのかと思うと、なんとなく気恥ずかしい。でも、アリスさんの気持ちは物凄く嬉しいのだから本当に困る。
思わずぎゅっと腕輪を握ってしまう私の手を、彼女が優しく撫でた。
「だからね、これの応用と考えればいいのよ。エマちゃんは絵付けしながら願いを込めてるんでしょ?その時に所持者を害したり、阻む魔術を祓える様に願えばいいんじゃない?」
「そっか……そうですね!私、やってみます!」
「今から絵付けするんだったら、私も見学しても構わない?どういう風に聖属性の力が込められるのか、興味があるのよねぇ」
「勿論です!一緒に行きましょう!」
そうして三人、連れ立って工房へと向かう。私の左腕には変わらず婚約の腕輪があるのだけれど、それは以前よりもずっと温かく、優しく、私を護ってくれている様な、そんな気がしていた。
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