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閑話 魔術師長と皇帝陛下

「んっ……ぅぅ……タルト、もう一切れだけ……」

「……全く、何の夢を見てるんだ。呑気な奴め」


 柔らかいエマの頬をつんつんと指でつつくものの、彼女は一向に目覚める様子はない。それ所かむにゃむにゃと幸せそうに口を動かしているのだから、恐らく夢の中でタルトを食べているに違いないだろう。


 気を遣る程に愛し合った後で、よくもまぁタルトの夢なんて見れるものだと呆れ半分、そういう抜けた所が可愛いとも思うのだから仕方がない。幸せそうな寝顔を見ていると、愛しさは否が応でも増していく。


 暫く頬をつつき、滑らかな肌を撫でていたものの、余程眠りが深いのだろう。俺が触れている事にも気付かず、規則的な寝息を繰り返すだけの彼女を少しだけ恨めしくも思った。


 本当はまだ、全く足りない。


 もっと触れたい、口付けたい。そう思えば自分の体は簡単に熱を帯びるというのに、当の彼女は何も知らずに夢の中なのだから。


「だが、昨夜も無理をさせたからな……」


 彼女の首筋に今も残る、自分がつけた痕にそっと触れる。こんな人目につく所につけたのは初めてだったし、スカーフで必死に隠そうと奮闘していた彼女はとても可愛らしかった。


 ただ、これは牽制の意味を込めた、醜い独占欲の証だ。


 エマの気持ちが俺にある事はよく解ったが、あれ程恐れていたラファエル陛下へのエマの態度はかなり軟化し、寧ろ親密になっていた。彼自身だけでなく、彼の叔父であるグエノレ・ロア・リアトリスまで救われたのだから、彼は間違いなくエマに惚れ直しただろう。現に彼はエマを自分の妃にしたいという想いを隠しもせず、堂々と公言していたのだから。


 だが、彼は皇帝というその立場を利用すれば、両国の和平の証としてエマを自分の妃に要求する事も出来ただろうに、それをしなかった。そうすればエマを政治の駒にした事と同義となり、彼女の気持ちを無視すれば嫌われる事は解りきっていたからだ。


 彼は皇帝である前に、一人の男として、ただ(ひとえ)にエマの幸せだけを考えていたのだから。


 そう考える事が出来る様になった彼は、俺にとっては脅威そのものだ。彼にはエマを護れるだけの地位も力もある。エマだって、今の彼の傍にいれば気持ちが揺らぐ事もあるのではないか。彼に微笑み返す彼女を見れば、そう思わずにはいられなかった。


 だからだろうか。エマが困る事を解っていながら、こんな見えるような位置に、彼女が俺のものだと刻みつけるような、そんな独占欲でいっぱいの俺の方が、余程彼女に相応しくないのではないかとそんな考えばかりが過ぎる。


 俺自身、これ程嫉妬深いとは知らなかったのだ。そもそも、エマに出逢うまで女に執着した事がなかったのだから知りようもなかった事ではあるのだが。


「……このままでは寝付けそうもないな」


 溜息を一つ漏らすと、彼女を起こさないようにそっとベッドから抜け出す。音を立てぬ様に、乱雑に脱ぎ捨てていた服を拾い上げ身に纏う。彼女が熟睡しているのを確認した後、念の為にベッドに結界を施し部屋を後にする。


 時刻は夜半過ぎという事もあり、領主館の廊下はしんとした静けさに包まれていた。


 書庫の魔術書はいつでも閲覧していいという許可を得ていたが、エマが矢絣の文様の絵付けを試す事もあり、明日にはルドベキア王国に戻るのだ。此処にはまた来れるだろうが、次にいつ読めるか解らないのだから、もう少し知識を入れたいという思いもあった。


 ぎぃと少し軋む音を立てながら、書庫の扉を開ける。部屋の中は窓から差し込む月灯りだけで薄暗い。魔術書を読むには暗く、魔術で灯りを点けようとした時だった。


 部屋の中央にあるソファ。そこに先客が居る事に気付き、ぎょっとする。此処からでは後姿しか見えないが、月光に輝くその黄金の髪は間違えようもない。


「ラファエル……陛下……」


 ぽつりと漏らせば、ゆっくりと振り向いた彼の瞳は一瞬驚きに彩られるが、すぐに平静を取り戻したのが解る。彼は少しだけ口角をあげた。


「お前は、エマの婚約者か。一瞬、あの男の幻を見たかと思ったぞ」


 あの男とは、十中八九ラウル王の事だろう。肖像画を見たというエマも言っていたが、それ程俺に似ているのだろうか。彼は無言で手招きをするので、俺は少し警戒しながらも彼の向かいのソファに腰掛ける。まじまじと俺の顔を見ていた彼は、ふっと懐かしそうに表情を緩めた。


「あの男に本当によく似ているが、瞳の色は違うな。あの男はもっと明るい、サファイアの様な瞳だった」

「そんなに似てますか、俺は。ラウル王に」

「そうだな。俺の愛した人を奪っていこうとする所もそっくりだ。最も、エルネストだった頃はアンジェリク王女の心は俺のものだったのだがな」


 彼の視線は俺を通り越し、窓の外へと向けられていた。景色というよりは、過去に意識を向けているのだろう。どこか遠い目をしていた瞳は、ややあって俺へと向けられる。それは俺を見定める様な、鋭いものだった。


「……エマから聞いているだろうが、俺の前世は此処にある魔術書を記した大魔術師だった。お前はあの頃の俺にも負けん魔力量があるようだから、お前にこれを託しておく」

「これは……?」

()()()()()()()()()()()()()()()()を記した魔術書だ」


 どくんと心臓を鷲掴みにされた様な痛みをはっきりと感じる。実際にそんな事はない筈だというのに、胸はきりきりと締め付けられ、あまりの息苦しさに顔が歪んだ。


 元の世界へ戻すという事は、エマが俺の前から居なくなる……?


 あの男に拐われた時でさえ生きた心地がしなかったというのに、元の世界ではもう二度と手も届かない。それを想像しただけで、目の前が真っ暗になった。


 声も出せない俺の手に、ラファエル陛下はその魔術書を握らせる。その事が酷く遠くの出来事の様に感じた。


「エマがお前を好いているのは、悔しいが見ていれば解る。だがそれは、エマが元の世界に戻れないと思っているからこそだろう?戻れないからこそ、この世界で生きる居場所が必要だったろうからな。だが、それが帰れるとなったらどうだろうな」

「そ……れは……」

「夢渡りでずっと見ていたからこそ解る。エマには向こうの世界に大事にしてきたもの、好きなものが多くある。エマの幸せを考えれば、エマ自身に選ばせる事が必要だろう。それを解っていて、この世界に召喚した俺が言えた事ではないがな」


 その表情は苦々しくもあり、それは彼自身が実感しているからこその説得力があった。エマの意思を無視した召喚こそ、彼が最も彼女に嫌われたであろう事だったから。


 多趣味な彼女の事だ。元の世界にも友人は多くいるだろうし、当然家族も居る筈だ。きっと俺には想像も出来ない程、葛藤して、俺の傍で生きると――婚約すると決めてくれたんだろう。


 もし、彼女が本当は帰りたいと思っていたとして、その手段を知っていたのに隠していたとなれば俺も恨まれるのだろうか。


 それが嫌なら、彼女に帰れる手段がある事を伝えるしかない。だが、それを知っても尚、彼女は俺を選んでくれるだろうか。


 嫉妬深い男は嫌われるとリリアーヌは言っていた。俺は、彼女を失ってしまう事が、何よりも恐ろしい。


「……この魔術は、行使した者の魔力をごっそり奪っていく。だが、お前なら耐えられる魔力量だろう。だからこそ、エマに選ばせるべきだ。エマ自身が選ばなくては、本当の幸せとは言えんだろうからな」


 呆然と手の中の魔術書を見る事しか出来ない俺に、彼は苦笑を漏らすと、ソファから立ち上がった。そのまま扉まで向かい、少しだけ此方を振り返る。


「エマに話すも話さないもお前の自由だ。だが、後悔しない選択をする事を願っている」


 それだけ言うと、彼は扉を開けて退室する。静寂が戻った室内で、俺はただ残された魔術書を見詰め続けていた。重さはない筈のそれを、酷く重く感じながら。






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