59 和平交渉
「恐らくあの男が何かしらの魔術を掛けているのだろう。だからお前は、あの邸の内部に行けた唯一の人間、という事だ」
アリスさんの言葉に、私は訳が解らずぽかんとしてしまう。誰も辿り着けない邸とは、一体どういう事なのだろうか。それならどうして、私はあそこに居たのだろう。
ぐるぐると考えながら、必死にあの時、あの人とした会話を思い出す。あの人がしたという酷い所業が衝撃すぎていろいろ忘れてしまっているのだが、確かあの人は――
「……っ!そうだ、結界……!あの人、自分以外が通れない結界を邸に掛けてるって言ってたんです。私が中に入れたのは、あの人と一緒だったからって事ですか……?」
「推測でしかないが、そうだろうな。他に何か覚えている事はあるか?」
「うーん……印象に残ってるのが、あの人がした酷い事ばかりなんですよ。あの邸は、墓標だって言ってました。私は直接見てないんですけど、遺骨がいっぱいあるって……」
それを聞き、アリスさんは眉を顰め、視線をまたヴィー兄様とレオポルド陛下へと向けた。陛下は難しい顔で一つ頷く。
「やはり前公爵夫妻や、邸で働いていた者達は生きてはおらぬか……」
「あれからもう何年も行方不明でしたからね。エマの話からすると、遺体を弔う事もせず放置しているのでしょう。……死して尚、惨い仕打ちです」
あの夜の出来事はまるで悪い夢のようで、あまり深く考えない様にしてきたが、ヴィー兄様の言う通り、遺骨がそのままという事は、そういう事なのだ。丁重に弔われた前皇帝陛下の葬儀を思うと、その差はあまりに大きい。
そんな事を考えていた所で、ふと我に返りハッとする。
「あっ!レオポルド陛下を立たせたままでこんな話……すみません。とりあえず、座って話しましょう」
私とアリスさんのあれこれからそのままあの人の話になってしまい、申し訳なくも一国の王様を立ち話させていただなんて、不敬がすぎる。ここにもしマリユスさんがいれば、嫌味の一つでも言われてしまいそうだ。
私はぺこぺこと頭を下げながら、ラファエル陛下達が居る応接セットのソファへと案内する。護衛だからとアルテュールさんはソファの後ろに立っていたのだが、同じくヴィー兄様も陛下が座ったソファの後ろに控えているそうだ。
「エマ、無事に会えて兄様も嬉しいよ」
移動中にさりげなく耳元で囁き、いつもの優しい笑顔を見せてくれた彼に思わずホッとする。そうして私もアリスさんの隣に座り、人心地ついた所でタイミングよく紅茶が運ばれてきた。
「……今の話だが、奴は今、ルドベキア王国に潜伏している、という事だろうか?」
口火を切ったのはラファエル陛下だった。それに対し、アリスさんが眉を顰めたまま頷く。
「確証は無いが。あの男が元々住んでいた邸は王都の北東にあった筈だが、今はそこに行こうとしても誰も辿り着けぬ。あの男にとってはあそこ程安全な場所は無いだろうな」
「我が国としても、王都にその様な得体の知れぬ場所があるというのは民にとっても不安だろうと思うのだが、此処にいるアリスティドも、他の誰もその魔術を破れず、現状は周辺に他より多く騎士を巡回させる事位しか手が打てておらぬのだ」
「ロベリアの……失われた魔術、か……」
彼は暫し考え込んでいたのだが、ややあってジゼルさんの方へと視線を向ける。彼女はそれを受け、神妙な面持ちで一つ頷いた。
「レオポルド国王陛下、お初にお目に掛かります。私、魔術師長を務めております、ジゼルと申します。発言しても宜しいでしょうか」
「これはご丁寧に。勿論構わない」
陛下に対して礼をとっていたジゼルさんは、ゆっくりと顔をあげる。その表情はいつもの明るいものではなく、どこか苦々しいものだった。
「ありがとうございます。……バティストはこの数年、私の部下でした。リアトリス帝国での彼は、表向きは優秀な魔術師だったのです。まさか裏では聖教会と通じ、国家転覆などという大それた事を考えているとは思いもせず……完全に私の監督不行き届きです」
「奴は我が父であった前皇帝陛下を弑逆し、我が叔父上にも瀕死の重傷を負わせた。エマがいなければ、叔父上も、俺も含めた皇城の者達全て助かってはいなかっただろう」
そう言いながら、彼の視線は真っ直ぐ私に向けられていた。それは重なると、ふっと表情が優しく和らぐ。なんとなく心が温かくなる様な、そんな感覚がして私もつい顔が緩むのだが、その時横から伸びてきた手が私の手をぎゅっと捉えた。
驚いてアリスさんの方をちらりと見るのだが、彼は前を見据えたままで此方を向いてはいない。眉間に皺は寄っているが、表情は取り繕った様に澄ました顔だ。それとは裏腹に、私の手を捉える力は強く、その手は熱を帯びていた。
(もしかして……妬いてる……?)
心配しなくても、私が一番好きなのはアリスさんだ。さっきの抱擁で私の気持ちなんて解りそうなものだけれど、きっとそういう理屈ではないのだ。
なんだかむず痒い心地がして、顔が緩んでしまうのを必死に堪えようとするのだが、逆に変な顔になってやしないかと心配になる。視線を上げれば、ややむすっとした表情のラファエル陛下が、じとりとした目で私というより隣に居るアリスさんを見ていた。
彼は重い溜息を一つ漏らすと、レオポルド陛下へと向き直った。
「……とにかく、だ。今や奴は我が国にとっても見逃せぬ国賊となった。この件に関して、貴国と協力して対処していきたいと考えている」
「バティストは前公爵夫妻殺害に加えて罪状は余りに多い。此方としても、協力する事に異論はない」
「奴はロベリアの魔術に精通している。此処にいるジゼルを始めとした我が国の魔術師の派遣と、我が国に伝わる魔術書の一部を閲覧許可しよう」
魔術書の閲覧許可という言葉に、アリスさんの手がぴくりと反応する。リアトリス帝国に伝わっている物なら、400年前の大魔術師の物や、ロベリア王国の物もあるかもしれないのだから、たぶん物凄く見たいんだろうなと予想がつく。
「あの、それって此処にもあったりします?此処って昔は辺境伯家の領主館だったのなら、400年前の大魔術師の物もあるんじゃないかなーって思ったんですけど」
「っ!!」
「そうだな、此処には禁書の類は置いていないから、後で書庫に案内しよう。持ち出しは許可できないが、そこでならいくらでも読んで構わないよ。エマが大魔術師に興味を持ってくれるのは素直に嬉しいな」
蕩ける様な笑みを浮かべる彼に、私も笑顔を浮かべるのだが、内心は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。正直、魔術についてはさっぱりだし、私が読んだ所で理解できるとは思えない。ただ、アリスさんが見たいだろうからと思っての提案だったのだから。
「あ、あの……!できればルドベキア王国の魔術師の皆さんにこそ読んでもらいたいんです。魔術の専門家ですし」
「それは勿論、最初からそのつもりだよ。その為にも、我々の国同士の和平交渉に入りたい」
「戦は民の心に不安を与える。私も恒久的な和平は望む所ではあるが、まずは其方の望みを聞かせてもらおうか」
私には甘い顔を見せるラファエル陛下だが、レオポルド陛下に見せる顔は厳しくも鋭い。それはレオポルド陛下にも言える事で、普段は温和な印象なのだが、やはり今はまだ敵国である皇帝陛下に対しては全く隙を見せていない。二人共に、為政者としての覇気を強く感じていた。
互いの腹を探るように、静かに見詰め合った後、ラファエル陛下は考える様な仕草で手を顎に添える。
「そうだな……我が国の弱みは、4年前から聖女が一人もいない事だ。エマからコーディアルという癒しの効果がある飲み物の提供は提案されていたが、それ以外にも何人か聖女を派遣してもらいたい。聖女がいるといないとでは、民の心の安定感が違うからな。それと――」
彼はちらりと私を見、少し困った様な笑みを浮かべた。
「それとエマを……大聖女様を、定期的に我が国に訪問させてほしい」
「へっ?わ、私がですか?」
訪問とは恐らく公式なものとしてだ。驚いている私の手をぎゅっと握るアリスさんの力も、先程よりも増している様に感じる。
「それは、どういった目的でだろうか?彼女は我が国にとっても、民にとっても大切な存在だ。理由によっては承伏しかねる」
「本音を言えば、彼女を俺の妃に迎えたい。だが、同盟による政略結婚で無理矢理我がものとして、嫌われたくはないのだ。彼女の心が誰に向いているかは、彼女をずっと見てきた俺が一番理解している。俺に可能性が無い事は重々承知しているが……未練だろうな」
その表情は、酷く困惑している様にも、泣いてしまいそうにも見えた。ぎゅうと胸が締め付けられる様な、そんな切なさが去来する。
「俺にはまだ受け入れる時間が必要だ。故に、彼女が幸せであるか、笑顔で過ごせているのかを定期的に確認したい。もし万が一、彼女の笑顔が曇っている様なら、俺は全力でエマを口説くからそのつもりでいるように」
彼は鋭い瞳で、アリスさんを真っ直ぐに見据えていた。アリスさんは視線を逸らせる事なく、それを受け止める。と、私の肩に手をかけ、ぐっと抱き寄せた。
「あなたに言われずとも、俺はもう二度とエマを手放すつもりはない。彼女が笑顔であれるよう、全力を尽くすつもりだ」
「それが口先だけでない事を見せてもらおうか。言っておくが、奴も――お前の父親も、狙いはエマだった。ゆめゆめ奪われぬ様、注意する事だ」
父親という言葉に、アリスさんは少し反応した様だが、真顔で力強く頷いていた。それを見て、ラファエル陛下は少しだけ纏う空気を和らげる。
「目的はそれが殆どだが、彼女は皇城の者達にも慕われている。それに我が国の素晴らしい所もまだまだ見せられていないのだ。それを知れば、ずっと我が国に居たいと思うかもしれないだろう?実は君があちらの世界で好きだった、見目麗しい女性だけの歌劇団も作らせていたというに、見せる機会がなかったからな」
「えっ!?それ、本当ですか!?」
うっかり食い気味に声をあげてしまい、しまったと我に返るのだが、時既に遅く、隣からは物凄く機嫌の悪そうな視線が突き刺さり、とても隣を向けれずに冷や汗が流れる。
「エマ……お前はどうしていつもそうなのだ!?お前がそんなだから俺は全く気が休まらん!」
「うぅ……だって、仕方ないじゃないですか!女性だけの歌劇団ですよ!?そこでしか摂取できない夢と浪漫が詰まってるんです!アリスさんだって観たら解りますよ!」
「お前が好きなものは理解したいと思うが、それとこれとは別だ!そうやって簡単に釣られるのだから、俺がどれだけ――」
感動の再会から、どうしてまたこんな口喧嘩になってしまったのか。
私達がやいやいと騒いでいる間に、ラファエル陛下とレオポルド陛下は和平について話を詰めたらしく、両国間の恒久的な和平は無事に結ばれる事となっていた。
呆れた様なヴィー兄様の視線が居た堪れず、私は顔を俯けるのだが、口喧嘩をしても尚、アリスさんが私の肩から手を離す事は無かった。
読んでくださってありがとうございます!
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