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56 愛する者の手

 扉は吹き飛び、壁の一部は抉れた謁見の間はだいぶ風通しがよくなってしまっていたのだが、ここにきて漸く、私が呪物を浄化した事で病から回復したと見える兵士達が、先程までの騒ぎで集まり始めていた。病床から急いで来たのだろう、装備が十分で無い者も多く見られる。


「遅くなり申し訳ございません!皇太子殿下、皇弟殿下、ご無事ですか!?」

「これは……一体何が……」


 人が増え、ざわざわとした空気が流れる中、ラファエル皇子は居住まいを正し、玉座のある階上から彼等を見渡す。その鋭い眼差しに、あれ程騒がしかった広間は、彼の言葉を待つ為にしんと静まり返る。ちらちらとグエノレさんを見る視線も多いのだが、左目の傷も綺麗に治っているのだから気になるのは当然だろう。


「兵士諸君、まずは皆病から回復した様で何よりだ。城を中心に広まっていた謎の流行り病だが……以前に我が城で勤めていた、ある魔術師の仕業である事が判明した。奴は魔術で呪物を作り出し、病を広めていたのだ」


 そう言った瞬間、グエノレさんが眉間に皺を寄せて口を開きかけたのだが、私は彼の腕を取り引き止める。物言いたげな視線が此方に向けられるのを見て、更に首を横に振った。


 ラファエル皇子は今回の件、全てはあの人の仕業という事にするつもりなのだ。実際に呪物を仕掛けたのはグエノレさんなのだから、実直な彼は恐らく事実を公表し、裁かれたいと思っているのだろう事は想像がつく。だが今のラファエル皇子の言葉から、そのつもりがないという事ははっきりと伝わってきたのだから、彼を今喋らせる訳にはいかないのだ。


「4年前の戦により、我が国には聖女がいない。今回の流行り病においても、聖女がいない事で皆には不安な思いをさせた事だと思う。だというのに、突然病が治った事を不思議に思った事だろう」


 そうして彼の視線は私へと真っ直ぐに向けられる。氷の様に冷たい印象だったグレイシャーブルーの瞳は、今は凪いだ海の様に穏やかだ。


 何も知らない頃の私なら、きっと彼を恐れて逃げ出していただろう。けれど、今の――グエノレさんも居る彼なら大丈夫だ。ただの勘でしかないけれど、どこか確信を持ってそう思えていた。


 私は一つ頷き、彼の隣へと歩み出る。


「病の発生源であった呪物を浄化したのは、此処にいるエマだ。彼女は――ルドベキア王国で大聖女様と呼ばれている」


 ルドベキア王国と大聖女様という言葉に、静かだった広間はざわりとした喧騒が広がっていく。それは無理もないだろう。ルドベキア王国とは長らく敵対関係にあるのだから。


 動揺する兵士達の中から隊長らしい、やや強面のおじ様が一歩前に進み出て膝を折った。


「恐れながら殿下、発言しても宜しいでしょうか?」

「許可する」

「何故ルドベキアの大聖女様が此処におられるのでしょうか?大聖女様とは、国の威信を掛けて護るべき存在。だというのにその様な御方が敵国である我が国におられるなど、俄には信じられぬ事かと」


 私を見上げるその鋭い双眸は、疑念に満ちていた。普通に考えて、敵国に大聖女と呼ばれる存在が単身で居る筈がないのだ。確かに病は治ったが、それが私がやった事だとは直接見ていないのだし、本物の大聖女であるのか疑わしいのは尤もだろう。


 ただ、ラファエル皇子が私を大聖女だと言っている事に、正面から疑念をぶつけられるというのは、彼の言葉が信じられないのかと不敬に取られ兼ねない事だというのに、敢えて進言できるこの人はそれだけ国を思っているのだという事は私にも解る。


「……あなたが不審に思う事は、尤もな事だと私も思います。いきなり現れて大聖女様だなんて怪しすぎますもんね」


 ふっと微笑む私に、彼は全く表情を変える事なく無言で私を見据えていた。信じてもらうには、直接見てもらうしかないのだ。


「ラファエル皇子、ちょっとだけ協力してもらえますか?」

「あぁ、勿論構わないよ」


 ちらりと隣を見れば、彼は心底嬉しそうな笑みを浮かべる。その優しげな表情に、一部の兵士がどよめいているのを横目に見つつ、私は彼の首元に痛々しく残る鬱血痕をじっと見詰める。思えば最初の夢渡りでは、私が彼の首に手をかけていたのだなという事を思い出した。


 首から文様のネックレスを外し、それを彼の首元へと持っていく。綺麗に痕が消えるように、そして彼を苛む全ての(しがらみ)から解き放たれる様に強く願った。


「っ……!?」


 次の瞬間、文様はやはり強い煌めきを放った。その美しい輝きはラファエル皇子の首元だけでなく、全身を温かく包み込む。驚愕に目を見開いている彼にも、この輝きは見えているのだろうか。


 輝きは重傷だったグエノレさんの時よりも長く彼を包み、ゆっくりと消えていく頃には彼の首にあった痣は綺麗に無くなっていた。それより何より――


「ま、さか……そんな……」


 呆然としたラファエル皇子の口から、震える様な声が漏れる。目の前で起きた出来事にざわつく兵達の声が聞こえない程、彼の瞳は私を見詰め、揺らめいていた。


「これに描かれているのは『青海波』といって、波を表現しているんです。その意味は『未来永劫平穏に』。あなたを苛むもの全てから、未来永劫解き放たれる様に祈りました」

「だが、あの魔術は……!()()()()()()()()()()()()()()()解けない筈の……」


 彼の常とは考えられない動揺した様子からも、彼に古から掛けられていた魔術が無事に解けた事は明らかだった。一か八かだったが、上手くいった事にホッと安堵する。


 千年も効力がある強力な魔術だ。私の力で本当に解けるかどうか不安ではあったが、グエノレさんの大怪我を治した時に確信した。私の祈りは、文様の力をかなり強化して引き出す事ができるのだと。


 ヴィー兄様の足の時も、コーディアルを作った時も、私が直接行った訳じゃなかったが、それでも効果が現れ文様は煌めいていた。でもそれは私が直接祈りながら触れたグエノレさんの時の輝きとは比べようもないものだ。


 ラファエル皇子に掛けられたものは、それだけ効力が強いものだったからこそ、グエノレさんの時よりも輝きが持続していたのだろう。


 私は手の中にあるネックレスを、そのまま彼の首にかけると、ペンダントトップに描かれた文様をそっと撫でた。


()()()()()って、何も殺すって意味だけじゃないんですよ。自分で直接行うとか、世話をする、手塩にかけるって意味もあります。このネックレスの文様は、私が心を込めて描いた物です。それを直接、手ずからあなたに当て添えたんですから、それだって()()()()()って言えるんじゃないかなって考えたんですよね」


 ちょっとこじつけだったのかもしれないが、アンジェリク王女を愛していたラウル王が彼女の魂を苦しめる筈がない。ならば彼が言う事も、他の解釈があると思ったのだ。それも恐らく、彼女と同じ魂を持った大聖女でなければ解けない癒しの力を必要としていたのだろう。


 転生を繰り返しても必ず出逢える訳ではないのだから、かなり意地が悪いとは思うが、エルネストを生かす事が彼女の望みだったのだから、ラウル王はそれを叶えようとしたに過ぎない。だが彼もまさか千年近く繰り返すとは思わなかった事だろう。


「あなたの心はもう、あなただけのものですよ。ラファエル皇子」

「っ……!」


 今にも泣きそうな表情の彼に微笑むのだが、次の瞬間には腕を取られ、彼の胸に抱き寄せられていた。驚きもがくのだが、ぎゅうと頭は押し付けられて身動きが取れない。


「ら、ラファエル皇子!?あの……」

「今だけだ!今だけでいい……今だけは顔を見られたくない……」


 私に触れる手は僅かに震えていて、泣いているのだろう事は想像がついた。きっと涙を見られたくないのだろう。


 私は溜息を漏らし、彼の背をそっと撫でた。


「……私には大切な婚約者がいるんですから、本当に今だけ、特別なんですからね!」

「あぁ……ありがとう、エマ……やはり君は、俺の運命だったよ」


 服越しに伝わる体温はとても温かくて、酷く懐かしい気がした。エルネストの事も、私は覚えていないけれど、きっと心の何処かでは覚えているのだろう。そうでなければ、この泣いてしまいそうな、こみ上げてくる郷愁にも似た想いは説明がつかなかった。


 どれくらいそうしていただろうか。遠慮がちにグエノレさんの咳払いが聞こえ、私はハッとする。


「……二人とも、兵達が何とも言えない顔をしている。そろそろいいか?」

「へっ!?あぁぁ!すみません!!」


 そうだ、ここは人前だったと思い出し、慌てて彼から距離をとる。羞恥で顔が赤くなるのだが、ラファエル皇子からは明らかに舌打ちが聞こえてきた。


「グエン叔父上……もう少しいいでしょう。兵達は待たせておけばよいのです」

「いや、彼女はお前のものではない。ルドベキア王国に婚約者がいるのだから、これ以上は国家間の諍いの元になる」

「俺はまだ、完全に諦めた訳ではないんですよ」


 グエノレさんが至極真面目な顔で諭す中、彼はふいと顔を逸らして大きな溜息をつくと、階下の兵士達へと視線を向けた。彼等は確かに、生暖かく、何とも言えない表情をしていたのだが、一歩前に出ていた先程のおじ様は、明らかに落胆の表情を浮かべていた。


「大聖女様が殿下と婚約してくださればと思いましたが、殿下は既に振られていたのですね……」

「おい!アルテュール、なんだその残念な者を見る目は!」

「既に婚約者がいらっしゃるのは残念ですが、大聖女様。先程の私の無礼な振る舞い、どうかご容赦ください」


 ラファエル皇子の言葉を軽くスルーしつつ、私に対して深々と頭を下げるアルテュールさんに、私は慌てて首を横に振る。


「そんな!気にしてませんから大丈夫です!むしろ、アルテュールさんは本当にリアトリス帝国の事を考えている立派な方だと思いましたから」

「なんと有り難きお言葉……!本当に、貴女様の様な御方が殿下と婚約してくだされば良かったのですが……」

「すみません。こればかりは諦めてもらうしかないですね」


 苦笑を漏らしながら、私は視線をグエノレさんの方へと向ける。彼はそれに気付くと、一つ頷き前に進み出た。


「エマ嬢が大聖女様である事は、皆も納得した事と思う。何せ私のこの左目も治してしまったのだからな」


 そう言えば、彼等は皆一様に驚きを浮かべていた。そんな彼等をグエノレさんは見渡し、ラファエル皇子へと視線を向ける。


「先程彼女が使ったネックレスは、彼女以外でも効果があるそうだ。しかもルドベキア王国には、彼女が作成した癒しの効果がある飲み物もあるという。今回の事で、彼女には私もラファエルも多大な恩義がある。そして私は彼女から、それらを融通する代わりに、ルドベキア王国との恒久的な和平への申し入れを受けたのだ」


 ざわりと広間にいる兵士達の顔が色めき立つ。彼等を前に、皇弟である彼が公言するという事は、既に彼の中では和平の申し込みを受け入れる意思があるという事に他ならないからだ。


「長きに渡り戦を繰り返してきたが、争いは悲しみしか生まぬ。私はそれを4年前に痛い程味わった。ルドベキア王国とは、手を取り合っていく未来を考えていきたいと私は思う。その青海波が意味する、未来永劫平穏にという願いの通りに」


 この4年、様々な思いを抱えていたグエノレさんの言葉はそれだけ重く、この場に居る全ての人の心に響く。ラファエル皇子はそれを受け、瞳を閉じる。


 それは一瞬の様であり、長くも感じる沈黙だった。


「……グエン叔父上の言う通りだ。この文様の示す通り、我々も考えを改める必要がある。……エマ」

「はい!」

「ルドベキア王国の国王への取り次ぎを頼めるだろうか。今の一時的な和平ではない、恒久的な和平について話し合おうと思う」






読んでくださってありがとうございます!

作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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