54 解呪
広い城の敷地を徒歩で回るのは時間がかかるという事で、厩舎からグエノレさんの青鹿毛の馬を出してきてもらったのだが、問題は私が馬に一人で乗れないという事だった。
移動は基本的に徒歩以外は馬車か転移の術に頼りきりだったツケが、とうとう回ってきてしまったのだ。グエノレさんに押し上げてもらい、どうにか馬上に上がるのだが、バランスが取りにくくて座っているだけでも必死だ。
グエノレさんは難無く私の後ろに座ると、片手で手綱を取る。彼は生まれたての子鹿の様に震えている私を生暖かく見下ろしていたのだが、その視線は物言いたげに彷徨う。
「エマ嬢、その様子では駆けるのに支障があるだろう。支えるのに触れても大丈夫だろうか?」
「うっ……そうして頂けると有り難いです。お腹辺りを遠慮なくどうぞ!でも、いちいち確認してくださるだなんてグエノレさんは紳士なんですね」
「それは……普通気にするだろう。婚約者殿は他の男に貴女を触れさせたくない筈だ。むしろ簡単に触れさせる許可を与える貴女の方が心配になる」
彼は至極真面目な顔で、私の左腕にある婚約の腕輪を見ていた。確かにその通りだと思い、私が心の中でアリスさんに謝っていると、彼は少し逡巡した後口を開く。
「……本当に、貴女の婚約者はあの者ではないのだな?」
「エッ!?あ、当たり前です!あんな恐ろしい人、絶対無理ですから!あの人が勝手に言ってるだけですし、普通婚約した相手を縄で縛ったりしないでしょう?」
「いや……世の中にはそういう事を好む者も居るのだ。ではあの者は無関係なのだな」
「無関係……ではないんですよね。あの人、私の婚約者のお父様なんですよ……」
「は?」
ぽかんとした表情を浮かべる彼に、私はあの人がルドベキア王国でしてきた事、アリスさんとあの人の因縁など、これまでの経緯を説明する。彼は私に配慮しているのか、ややゆっくりと馬を駆けさせながら神妙な顔つきで聞いていた。
「成程……婚約者殿の心中、察するに余りある。今頃、貴女が無事かどうか気が気では無いだろうな」
「……私、アリスさんの顔が好きで一目惚れだったんです。でもあの人に会って、それだけじゃないんだって痛感しました。顔は似てるけど表情が全然違うんです。だから内面とか全部ひっくるめて好きなんだなぁってよく解りました」
「そ……れは、私にではなく、本人に言ってやるべきだろう」
「あはは、本当にそうですね……」
苦笑を漏らす彼に、私も眉尻を下げる。本当は今頃、祝福の花を渡して仲直りしている筈だった。優しい人だから、きっと急にいなくなった私を心配しているに違いない。アリスさんの所に無事に戻る為にも、あの人をどうにかして止めなくてはならないのだ。きっと、自分のお父様がした事に心を痛めるだろうから。
「しかし、貴女の気持ちは既に固まっているのだな。ラファエルが入り込む隙はない、か。貴女の事を想う心は本物なのだが」
「グエノレさんは、彼がどうして私に執着しているのか聞いていますか?」
「いや、詳しくは知らぬ。あれは幼い頃から大人びた子供だった。いつも此処ではない、どこか遠くに心を置いている様だったが、それは貴女の居た世界を想っていたのだろうな」
グエノレさんは、そんなラファエル皇子をいつも気にかけていたそうだ。彼の事を語る表情はとても優しくて、愛した皇后様の子供だからという理由だけでは無い、家族への情が感じられた。
心を病み、あの人の甘言に騙されてラファエル皇子を病に陥れてしまったのだろうが、今の彼からはただただラファエル皇子の事を大切に思っている事が伝わってくる。だから彼にこの事を伝えるべきなのか一瞬迷うのだが、ぐっと覚悟を決めて彼の瞳を見据えた。
「ラファエル皇子は、私に殺されたがってるんです。記憶をもった転生を終わらせる為に」
「は?待っ……てくれ……貴女は何を……」
困惑した様子の彼だったが、私の瞳を見ると少しだけ天を仰ぎ溜息を漏らした。
「いや、大聖女様である貴女がそんな嘘を吐く筈がない。どういう事なのか聞かせてくれるか?」
真剣な瞳を向けてくれる彼に、私はこくりと頷く。
「彼の始まりの記憶は、ルドベキア王国にかつて居たアンジェリク王女の護衛騎士、エルネストだそうです。そして彼は私がアンジェリク王女と同じ魂を持った生まれ変わりだと言っていました。私には何の記憶も無いんですが、彼は転生する度にアンジェリク王女の記憶を受け継いでいるのだと……」
「アンジェリク王女といえば、千年近く前の王女だろう?考えただけで気が遠くなりそうな話だな……愛した女性の記憶を抱えて、だが彼女は居ない。それを千年も繰り返すとは、どんな拷問よりも恐ろしい事だ」
少し遠くを見詰める彼の表情は悲しげに歪んでいた。きっと亡くなった皇后様の事を考えているのだろう。繰り返しこそしてはいないが、彼も愛した女性の記憶を抱えて、心を病んでしまったのだから。
「ラファエル皇子は、記憶をもった転生を終わらせるのに、愛する者の手にかけられなければ解けない呪いだって言ったんです。でも、私は本当にそうなんだろうかって疑問に思うんです」
エルネストに転生の魔術を掛けたのは、ロベリア王国のラウル王だ。彼だってアンジェリク王女を愛していた。アンジェリク王女とエルネストは愛し合っていた訳だし、愛する者を殺すだなんてそんな酷い事を愛した女性にさせるような魔術をかけるだろうかと疑問に思う。
記憶を持った転生は、生きてほしいと願ったアンジェリク王女の思いを裏切った事への制裁なのではないかとは少し思うのだが。
「貴女は……ラファエルも救おうとしてくれているのだな。貴女にしてみれば、この世界に無理矢理連れてきた元凶だというのに」
「そうですね。でも死んでほしいとは全く思えないんですよ。だから今、彼を病で死なせる訳にはいかないんです!馬にもちょっと慣れましたし、急ぎましょう!」
「解った。少し飛ばそう」
ぐっと拳に力を込める私に、彼は一瞬驚いた後、ふわりと微笑む。手綱を握り直し、馬は更に速度をあげて駆け出した。
グエノレさんが城外に仕掛けた呪物は東西南北の4ヶ所にあるという。やはりエズ村と同じく、周辺の草木が枯れてしまっているのだが、砂利の中に埋められていたり、木の洞に隠されていたりと様々な場所に隠されていた。
普通の人では恐らく気付かないだろうが、周辺はかなり嫌な空気が漂っている。あの時と同じ様に呪物となった霊石に私が触れると、眩い光が煌めき、呪物は半分に割れていった。エズ村と同じならば、この木や土、石なんかにもまた何かしらの影響が出るかもしれないが、嫌な空気が霧散し、解呪は順調に進んでいる事にまずはホッと一息つく。
「ふー……とりあえず、これで城外は全部ですか?」
「あぁ、しかし見事なものだ。それにこれ程美しい輝きは見た事がない。大聖女様の力というものは本当に凄いな……ジュジュも癒しの術には長けていたが、貴女とは比べ様もない」
感心した様子のグエノレさんに、私はハッと気がつき声をあげる。
「あっ!そういえば、グエノレさんはどうして病に罹らなかったんですか?この数だとかなり強力そうなのに……」
「それは、これのお陰だろう」
彼が取り出したのは水晶の様に透明な石だ。魔石の様な物だろうかと私はそれを見ながら首を傾げる。
「これが本来の霊石だ」
「へっ!?え、こんなに透き通った物だったんですか!?」
「あぁ、これにあの者が魔術を施すと、あの様に禍々しい色の呪物となるのだ。霊石は本来、清浄な物で貴重なのだが、聖教会と繋がっていたのなら道理でそんな物を簡単に手に入れられる筈だ」
苦々しく呟く彼の言葉を聞きながら、私はふと考えてしまった。私が解呪した周辺の石も、もしかしたら霊石に変化しているのだろうかと。こんな事をしていたら、またアリスさんに呆れた顔をされてしまうなと私は苦笑を漏らした。
「霊石といえば、私を癒した貴女のネックレス。あれこそ霊石とは比べるべくもない貴重な品だろう。瀕死だった私を生き長らえさせる程なのだからな」
「これは私が絵付けした物なんですが……」
しゃらりと鎖が音を立てながら、私は首元からネックレスを取り出す。彼は恐る恐るそれに触れ、目を細めながら見入っていた。
「これは、貴女でなくとも効果が発揮されるのか?」
「この文様自体に私の願いが込められているので、文様がある限りは効果が発揮される筈です。文様も半永久的に消えない加工がしてありますから」
「なんと……それは夢の様な話だ。これ一つあれば、多くの者が救われるな……貴女が4年前の戦の時に居れば、何かが違ったのだろうか。今となっては詮無き事だが」
彼の瞳は、驚く程に静かだが、悲しみの色に揺れていた。4年前の戦の時に何があったのかは知らないが、彼にとってはとても大きな事があったのだろう。
「……あの、全部片付いたらでいいんです。ルドベキア王国と和平を結んでくれませんか……?戦争は悲しみしか生みませんし、和平が結ばれれば私の力が込められたコーディアルという癒しの効果がある飲み物を、此方に送る事もできると思うんです」
「そんな物まであるのか。貴女は本当に――」
まるで眩しいものを見るかの様に、彼の瞳が細められる。暫く天を仰いだ後、彼は私の目を真っ直ぐに見据えた。
「貴女の言う通りだ。和平の件、前向きに考えよう。だがまずは……あの者を捕らえなくてはな」
「城内にももう一つあるんですよね?それは――」
彼の視線は目の前に聳える城へと鋭く向けられていた。
「謁見の間――玉座の下だ。恐らくあの者はそこに居る」
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!