53 歪な愛の果て
「話が違うではないか!お前はジュジュを……ジュリエンヌを蘇らせる事が出来ると、そう言った筈だ!ロベリアの失われた秘術と、彼女の血を継ぐ存在、そして聖女が揃えば可能だと!」
誰かの激昂した声で目が覚める。何処かで聞いた覚えのある声だ。身体を動かそうとするが、今度は手足を縛られていて身動きが思う様に取れない。顔をあげて辺りを見渡せば、扉が少し開いており、声は隣の部屋から聞こえる様だ。
今居る所は気を失う前に居た邸ではないのだが、この内装にはどこか見覚えがある。豪華な調度品の数々は、この世界に来て最初に見た物に様式がよく似ていた。
(まさかここ、リアトリス帝国の皇城……?)
窓に格子が無く、部屋のサイズもかなりこじんまりとしている事から、あの時私の部屋として通された所では無い事は確かだが、部屋の雰囲気は似通っている所が見られる。
手は後ろ手にきつく縛られているし、足も同じくでとても歩けそうもないが、どうにかベッドから床に足を下ろした所でそのままバランスを崩して床に倒れ込んでしまう。幸い大きな音もしなかったので、床を這って扉まで近付くと、そっと隙間から様子を窺う。
隣はまるで聖堂の様な所だった。華美な装飾はなく、一段高い所にあるのは石棺だろうか。それを見守る様に石像があるのだが、あれはアンヴァンシーブルの泉にあった大聖女様の像とよく似ていた。
その前に居るのは、二人の男だ。一人は私を拐ったアリスさんのお父様。そしてもう一人。此処からは後ろ姿しか見えないが、あの長く燃える様な赤い髪は――
「グエノレ殿下。その様な世迷言をまさか本気で信じておられたとは。死んだ人間は蘇らぬ。それこそ神でもない限りな」
「なっ……!」
「ですが助かりました。あなたがあれを城の各所に配置して下さったお陰で、私はいとも簡単にこの城を落とせる」
そうしてあの人は、目の前にいるグエノレさんを蔑む様に目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「あなたは愚かにも、死んだ皇后様を蘇らせるという妄想に取り憑かれ、恋敵であった皇帝を弑逆し、彼女の血を引く唯一の存在である皇太子を生贄に捧げようとした。皇太子は命を落とし、大罪人であるあなたをロベリア王国王家の末裔である私が討つ。そして城に蔓延した病を私の妻となる大聖女様が浄化し、民の支持を得て、私はこの国の皇帝となる――そういう筋書だ」
「まさか……最初からそのつもりだったのか!?ラファエルはまさかもう!?」
「殿下、あなたが病を蔓延させたというのに、今更心配されるのか?まだ生きてはいるが、あの皇子様は私の大聖女様に執着していたのだ。殺すにしても、思い知らせてからに決まっているだろう?」
呆然として固まっているグエノレさんを見ながら、くっくっと彼は肩を揺らして嗤う。あんな人の妻になるだなんて冗談じゃないと言ってやりたいのだが、今はぐっと堪えて固唾を飲む。病の人達は救いたいが、それはあの人の私欲の為などではないのだ。そして、ラファエル皇子――
(やっぱりラファエル皇子は病に罹ってた……!それがまさか、実の叔父さんの仕業だったなんて、彼は知ってるんだろうか……)
知っているとしたら今どんな思いでいるのか。彼の心情を思うとどうにも居た堪れず、ずきりと胸が痛んだ。まだ生きているというのだから、あの人に殺されてしまう前にどうにかして助けられないだろうか。そう思っていた時だった。
ぶわりと嫌な感じがしたかと思えば、あの人が掲げた手にその嫌なものが集まっていく。どす黒い色をしたその力はどんどん収縮していく様に見えた。
「安心しろ。先に愛しい皇后様の元へと送ってやる。すぐに愛しい甥もやってくるのだから、寂しくはなかろう?私の為によく働いてくれた、せめての餞だ」
「あぁぁぁああぁぁあ……!」
あの人が何かしらの魔術を放った瞬間、絶叫がこだまし、私は思わずぎゅっと目を瞑る。恐る恐る目を開けば、グエノレさんは床に倒れており、肉が焦げた様な臭いが鼻をつき、辺りは鮮血で染まっていた。ぐっと吐き気が込み上がってくるのを必死で我慢していれば、あの人はグエノレさんを一瞬見下ろすと、既に興味を失くした様子で扉から出て行ってしまった。
足音が聞こえなくなった所で、私は漸く息を吐き出す。扉をどうにかして開け、必死に床を這ってグエノレさんの所へと向かう。彼の血が服にべったりとつくが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
扉を開けた時、微かではあるが、上下している腹部が見えた。彼はまだ生きているのだ。
「グエノレさん!しっかりしてください!あなたはまだ死んじゃ駄目です!」
「っ…………ぁ……」
微かに漏れ聞こえる呻き声は本当に微かで、ヒューヒューとした喘鳴が漏れている。夥しい血が流れている事からも、彼に残された時間が殆ど無いのは明らかだった。
私は首元に掛けられたネックレスの鎖を口で咥え、どうにかして引っ張り出す。上体を必死に起こして、首から下がるネックレスのペンダントトップを彼の身体へと押し付けた。
「お願い……!死なないで……!」
そう叫んだ瞬間、ネックレスに刻まれた文様が今までで一番美しく煌めいた。
輝きは彼の身体を包み込み、やがて消える。喘鳴もいつの間にか収まっており、ややあって彼はゆっくりと身体を起こした。その表情は驚愕に彩られており、困惑の色も見える。しかも彼の顔に大きく刻まれていた筈の傷跡も綺麗に消えており、隻眼だった彼の両の瞳は輝きを取り戻していたのだ。
「こ……れは……あぁ……そんな、まさか……」
彼は未だ信じられない様子で、血が噴き出していた腹部等に触れた後、己の顔へと手を伸ばす。傷跡があった辺りに触れ、更に驚愕に目を見開いた。
「あ……あぁ……信じられない……あれから4年も経つというのに、この目に光が戻るとは……」
見開かれた瞳からは、はらはらと雫が溢れ落ちる。暫く静かに涙を流し続けた後、彼の視線は漸く床に転がる私の方へと向けられる。その表情はどこか憑き物が落ちた様な、すっきりとしたものへと変わっていた。
「っ……!すまない、縛られているのか……!」
彼はハッとした様子で腰に佩いた剣に手を掛け、私の手足を拘束していた縄を断ち斬ってくれる。少し痺れてはいるものの、漸く手足の自由が戻り、ホッと息を吐く。
「ありがとうございます。間に合って良かったです」
手を差し出してくれた彼の手を取り立ち上がるのだが、それと入れ替わる様に、彼はその場で額を床に擦り付けんばかりに叩頭してしまった。ぎょっとして彼の肩に触れるのだが、その身体は小刻みに震えていた。
「お嬢さん――否、大聖女様……!心が弱っていた私は、愚かにもあの者の言を信じてしまい、護るべき甥を――民を命の危機に陥れてしまった!己が途方も無い罪を犯し、救われる価値も無いというに、貴女に命だけでなく過去の罪の証まで救われ、この上まだ願うのかと呆れられるのは重々承知しているが、どうか……!どうか、我が甥と、民達を救っては頂けないだろうか!?」
あの人の言葉から、この人の抱えていた事情は少しだけ察せられる。この人はラファエル皇子の母親である皇后様を愛していたのだろう。それこそ何を引き換えにしても生き返らせたい程に。愛していた者を失い、心が弱っていた所を、あの人が惑わしたのだろう。
だからといって病を発生させる呪物を仕掛けた事は許される事ではない。
私は彼の前にしゃがみ込むと、力が籠りすぎている彼の両手をそっと手に取る。顔が上がり、涙で濡れた彼の美しいラベンダーブルーの瞳は私を不安気に見詰めていた。私は安心させる様に、優しく微笑んだ。
「最初からそのつもりです。でもそれにはあなたの協力が必要なんです。私は触れるだけで病の発生源を浄化出来ますが、近くに行かないとそれを感じられません。だから、あなたが仕掛けた全ての場所に案内してください!」
「っ……!それは勿論だ……!本当に、なんと感謝して良いか……」
涙を零す彼の手を、ぎゅっと力を込めて握る。
「ただ、一つだけ――全て済んだら、必ずラファエル皇子と、病に罹った人達に生きて償ってください。私が望むのはそれだけです」
彼はもう十分に自分の罪を理解している。その罪を死で贖うのではなく、必ず生きて償うのだと。私が救った命を無駄にしてほしくないという思いを込めて、じっと彼を見据える。
彼は驚いた様に目を見開き、ややあって私の手の甲に口付けた。
「一度は失いかけたこの命、元より貴女に捧げている。これより私、グエノレ・ロア・リアトリスは貴女の剣とも盾ともなろう」
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