6 本当のはじまり
「クレイルだ。クレイル・サントリナ。ミミとはあまり似てないと思っただろうけど、正真正銘の兄妹だからよろしくな!」
そう言って彼はにっと笑みを浮かべると、こちらへとやや筋肉質な手を差し出す。
確かに彼の顔つきは、見るからに美少女のミミとあまり似ていない。ただ、物凄い美形という訳ではないが、人の良さが滲み出る笑顔と精悍な顔つきがこの人は善良な人なのだろうと物語っている。
こちらに来て出会った男性が恐ろしく顔のいいラファエル皇子と彼の叔父のグエノレだけだったので、むしろクレイルさんの顔を見て安心感を覚えた。
なんだろう……ものすごく落ち着く。
「こちらこそよろしくお願いします!でも髪と目の色はミミとそっくりで、兄妹以外の何者でもないと思いますよ」
「そう言ってくれると嬉しいな。ミミのこのキャラメルみたいな髪の色も瞳も、最高に可愛いくて俺は大好きなんだよ」
「それめちゃくちゃ解ります!本当、私も一目見て、こんなに可愛らしい天使が地上に存在していることを神に感謝しました!」
言うや否や、互いにがっちりと握手を交わす。間違いない、この人は同志だ。しかもどうやら同担拒否ではなく同担歓迎のようだ。それだけで一気に彼に対する信頼感と仲間意識が芽生えてしまう。
ミミという天使がいかに可愛らしく尊いのかと語り合い、頷きあう私達を前に、当のミミは表情を見られないように顔を両手で覆っているが、耳まで真っ赤になっていた。本当に可愛い。
「え、エマ様も兄上もやめてください……!恥ずかしくて死んでしまいそうです……」
「見てくれ……俺の妹が本当にかわいい……」
「クレイルさん、こんな可愛い天使のお兄様でいられるなんて羨ましすぎます……前世でどんな徳を積んだんですか……」
「もう!私の事などどうでもいいのです!お願いですから、これからの事を話し合いましょう……!」
尊い以外の語彙力を無くしていた私たちに、ミミは頬を膨らませているのだが、その姿も子リスのように愛らしかった。本音を言えば、クレイルさんにはもっと彼女の可愛らしい話を聞きたい所だが、これ以上すればミミから嫌われてしまうかもしれない。それは私たちにとっては死活問題だ。
ミミがいない所でまた改めて話そうと視線を送れば、彼も心得たといった様子で頷いてくれていた。
「そうだな、ルドベキア王国に戻る事は俺も賛成だ。商い用の荷馬車があるから、それでとりあえずは商人を装って国境を目指すとして……エマの立場をどうするかなんだよなぁ」
「?私も商人としてじゃダメなんですか?」
「問題はその髪だな」
私の髪は染めていないので黒髪なのだが、緩くパーマはかけている。全国ツアーの舞台観劇を控えていたので、ファンの一人として御贔屓に恥ずかしくないように整えていたのだが何かまずかっただろうか。
「黒髪がこの辺りではかなり珍しいんだよ。400年前の大聖女様が黒髪だったみたいでな、この辺で黒髪のやつは大概血筋を辿ってみればその大聖女様にいきつく」
「黒髪でも聖属性とは限りませんが、皆見ればまず大聖女様の事を思い浮かべます。エマ様の髪はとても綺麗な黒髪ですから、それだけでも人目を引いてしまうのではないかと……」
400年前の大聖女様は当時の王族に嫁いだらしく、黒髪の者は大概が貴族なのだとか。ちなみにサントリナ兄妹のような茶髪が一番多い髪色らしい。
要するに黒髪=貴族のイメージが定着している為、そういう身分の人は商人が使う荷馬車などは使わないし、旅の行商に同行する事も皆無ではないがほぼ無いため、かなり目立ってしまうだろうという事だった。
「髪色を変える魔術が使えたらよかったんだけどなぁ。俺は攻撃魔術以外はどうにも……あ、いっそ俺と身分違いの愛の逃避行中ってのは……」
「兄上」
「いや、設定だぞ!?頼むからそんな冷たい顔しないで……」
名案だとばかりに、にかっと笑っていたクレイルさんは、ミミからの冷ややかな視線に耐えられず、目に見えてしゅんと項垂れている。しかし恋人を偽装というのは案外悪くないかもしれない。
「私はクレイルさんの案、いけるんじゃないかと思いますよ。ケープのフードを被ったらお忍び感も出るし、髪も隠れて丁度良さそうじゃないですか」
「それなら私は、そんなお嬢様に付いてきたメイドということに致しましょう。その方が確実にエマ様をお護りできますし」
「よし、じゃあこの設定でいくか!」
方針も決まり、お互いに顔を見合わせて頷く。
こうしてとんとん拍子に今後の事が決まると、なんだか全て上手くいきそうな気がしてくるから不思議だ。あの豪奢な部屋で目覚めた時は、本当に追い詰められていたというのに。
「……二人とも、本当にありがとうございます」
椅子から立ち上がり、そう言って頭を下げれば、二人は同じ様に驚いた様子で目を丸くしていて、やっぱり兄妹だなぁと思わず笑みが溢れた。
「迷惑かけると思うけど、宜しくお願いします」
「そんな……!私はエマ様とご一緒できて幸せですから!」
「あぁ、俺もエマと喋るのは楽しいから気にするな」
きっと、この二人と一緒なら大丈夫だ。
この先、どうなるのか解らないし、元の世界に戻れるかも解らない。それでも、私を助けてくれる人が二人もいる。それだけで、寄る辺のない心細さがなくなっていくのを感じていた。
この道がどこに辿り着くのか、行ける所まで頑張ってみよう。この世界に来て、初めてそう思えた。
「よし、とりあえずは森を抜けないとだが、魔物も結構出るし明るくなってからの方がいい。出発は明け方だな。エマとミミは奥で休んでくるといいぞ」
「えっ、でもベッド2つしかないですよね?クレイルさんは?」
「俺は宿屋で仮眠してきたから気にするな。まぁこの小屋にはうちの天才魔術師長様の結界が張ってあるから、危険はないし安心して寝てきてくれ」
クレイルさんはひらひらと手を振り、私たちを奥へと促す。きっと彼は結界があると言いつつも見張りをしてくれるつもりなのだろう。申し訳ない気持ちになるが、濃い一日だったこともあり、身体は休息を求めていたのも事実だ。
「じゃあ、お言葉に甘えますね」
「エマ様、私は少し兄と情報を精査しますので、先にお休みください」
「あ、そうなの?わかった、じゃあ先に寝てるね」
国の密偵として働いている二人だ。仕事上の話を、私が聞いていてはまずいだろう。奥へと続く扉を開けると、木製の素朴なベッドに潜り込む。
旅行に行くはずだったのに、まさか異世界にまで来てしまうだなんて、本当に遠くまで来てしまったものだ。
自分で思っていたよりも疲れていたのか、思考はすぐに霧散して微睡の中に消えていった。
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「それで……彼女が『聖女様』なのは間違いないのか?」
エマが寝息をたてているのをミミが確認した後、俺は目の前で硬い表情をしている妹に問いかける。
ミミはぎゅっと両手を握り締め、こくりと頷いた。
「間違いありません。エマ様の纏う気は今まで見た事もないくらい綺麗で清浄で――それこそ聖教会のエレオノール様よりも遙かに、です」
「あの御方よりもか……それはもう大聖女様でしかないだろう……」
エレオノール様といえば、我が国でも当代一の呼声が高い筆頭聖女様だ。平民出身で戦争孤児という身の上のため、幼い頃より聖教会に保護されていた事により、その類稀な癒しの力が見つかった方でもある。慈悲の心で人々を癒す聖女様として、聖教会は彼女を象徴にし増長気味なのだが、彼女の力は本物だ。
その彼女よりも力が強いなど、それこそ大聖女様でしか有り得ない。
「お前の『眼』は信用してるが……ラファエル皇子が持っていた証の水晶というのは何なんだ?そんな物があるなんて聞いたことないけどな……」
ミミの『眼』は、生まれつき特別だった。その者が持つ属性、その力の強さがその者の纏う気として見えるのだ。小さい頃は訳も分からず、怯えて泣いていたもので、そんな彼女の姿に自然と護らなくてはという意識が強くなっていった。
何よりも大切で、愛しい妹だ。
「私も直接見た訳ではないので何とも言えませんが、眉唾物でしょう。エマ様が聖女様以外である事など、有り得ません」
「そもそも、400年前の大聖女様が召喚されたのもうちの方だしなぁ……まぁ、リアトリス帝国の成り立ちを考えたら、本物である可能性も無くはない、か……?」
400年前の大聖女様をその命と引き換えに召喚したのが、当時稀代の大魔術師と呼ばれていた男なのだが、彼はルドベキア王国の北方にある領地を治める辺境伯家の次男だった。その多大なる功績により、当時の国王は辺境伯家に何でも望みを叶えると約束する。弟を失った辺境伯家の当主は、もう二度と自分と同じ悲しみを受ける者がいないよう、異世界からの召喚術を禁術とする事、王家ともう関わりたくない為に自領を独立させる事を願い出たのだ。そうして独立した辺境伯家が、今のリアトリス帝国の大元だ。
それを考えれば、ルドベキア王国が預かり知らない400年前の大魔術師の遺産が遺されていても、何ら不思議ではない。
「どっちにしろ、この国は随分とキナ臭い……ミミは城で働いていて、皇帝を見た事があるか?」
「いえ……流石に皇帝陛下の居住区画には侵入できませんでしたので……」
「4年前の戦の後から、持病が悪化して療養中と表向き民にも知らされているが、皇帝は間違いなくラファエル皇子の傀儡になってるぞ」
「……ラファエル皇子のエマ様への執着ぶりは異常です。エマ様のために、皇帝陛下に何かした、という事でしょうか?」
「確証は掴めなかった……けど、エマはこれから大変だぞ。本当に……お前はこれで良かったのか?」
我が国の脅威となり得るエマを此方側に迎えられた事は良かったが、彼女は諸刃の剣だ。エマに執着しているというラファエル皇子がどう動くのか、それによっては彼女が皇子の手に落ちるよりも悪い状況になる事もあり得るのだ。これで良かったのかどうか、俺には判断が難しい。
ぎゅっと握り締めたミミの手は僅かに震えていたが、俺を見るその眼には迷いは見られなかった。
「一目で分かったんです、エマ様は尊ばれるべき大聖女様だと。エマ様が自由を望まれるのなら、私は何を置いてもあの方をお救いしなくてはいけないのです」
「会ってすぐに、随分絆されたな……まぁ、分かった。俺はお前がしたい事を助けるよ」
わしゃわしゃと妹の柔らかい髪を無造作に撫でる。こう見えても頑固な妹は、一度決めたら考えを変えない。それならば、俺はそんな妹を、妹が助けたい相手ごと護るだけだ。