52 王の血を継ぐ者
目を覚ますと辺りは薄暗く、此処がどこなのかさっぱり解らない。少し頭が痛い気もするが、そもそも私は何をしていたんだったろうかと、まだぼんやりとしている頭を必死に働かせて記憶を探る。
「っ……!そうだ、エレオノールさんに会って、それで……?」
酷く息苦しくなった所までは覚えているのだが、それからどうなったのかが全く思い出せない。あそこは路地裏だったというのに、今はどこかの部屋の様だ。だが、別邸でもないし、王宮でもない。此処は一体どこなのだろうか。
夜目がきいてくると、室内の様子が少し解ってくるのだが、寝かされていた寝台は天蓋付きだし、室内は装飾が美しい家具が揃っている。どこかの貴族の邸宅である様に見える。
室内には他に誰もいないのだが、ミミやジャンさん、エレオノールさんはどうなったのだろうか。
「あ、鍵はかかってない……」
そろそろと近付いた部屋の扉は、鍵はかかっておらず、ぎっと少し軋む音を立てる扉をそっと開く。顔だけ廊下に出して様子をみるのだが、辺りはしんと静まり返り、誰の姿も見えない。
正直、私は誰かに拐われたのではないかと思っていたのだが、鍵がかかっていないというのはどういう事なのだろうか。もしかして、倒れていた所を見つけた親切な人が助けてくれただけだったのだろうか。
恐る恐る廊下を進むのだが、やはり人の気配はない。満足に灯りもなく、仄暗くしんとした廊下がずっと続いており、むしろ霊的なものが出てもおかしくはない雰囲気だ。
「うぅ……だ、誰か……いませんか……」
小声でそう漏らすのだが、やはり返事はない。まさか無人な訳は無いだろうに、どんどん恐怖心が増していく。暫く歩いていくと、どうやらここは二階部分だったらしく、大階段のある玄関ホールに出た。
吹き抜けの天井にあるシャンデリアにやはり灯りは灯っていないのだが、美しい装飾が施されているのは見てとれる。それに少しばかり見惚れてから、壁に視線を移した所で目を見開く。
「えっ!?アリスさん……?」
それは彼にとてもよく似た肖像画だった。彫刻の様に整った顔立ち、銀糸にも似たプラチナブロンドの髪。意思の強そうな瞳の色はアリスさんよりも明るいサファイアブルーだ。だからアリスさんではなく別人だと解るのだが、本当によく似ている。こんな肖像画がある位なのだから、もしかして此処はアリスさんの縁者の邸なのだろうか。
だが、彼の母親は既に亡くなっていると聞いていたし、彼の父親は確か彼自身が破滅させたという様な事を言っていた筈だ。彼の顔立ちは父親似という事だったから、父方の親戚筋の可能性が高いだろう。
そうなるとやはり、私がアリスさんの婚約者だと気付いて助けてくれたのではないだろうか。きっと深夜だから皆寝静まっているに違いない。そう思い、ホッと息をついた時だった。
「なんだ、起きたのか?」
階下から突然かけられた声に、びくりと肩を震わす。それは何処かで聞いた気がする低い声だった。
振り向いた先に居たのはローブ姿の男だ。顔はよく見えなかったが、よく見ればローブの至る所に血がついていてぎょっと目を見開く。
「大丈夫ですか!?怪我されてるんですか!?」
慌てて階段を駆け降り、男の傍に行くのだが、彼からはくっくっと忍び笑いが漏れた。
「拐かした相手に随分とお優しい事だ。流石は大聖女様、といった所か。こういう所にあいつも絆された訳だな」
「えっ……」
ローブに触れようとした手がぴたりと止まる。拐かしたと、今そう確かに聞こえた。顔をあげた所で目を丸くする。ローブの下に隠れたその顔立ちは、年齢は重ねていても尚美しく、アリスさんにも、あの肖像画にもよく似ていた。
澄んだ空の様なセレストブルーの瞳は、私を嘲笑うかの様に、酷薄な色に揺れる。
「これは返り血だ。私の血は一滴も流れてはいない」
「っ……!?」
驚いて声も出せない私の頬を、彼の指が確かめる様に撫でる。それは氷の様に冷たかった。そんな私に、彼はすぅっと目を細めて嗤う。顔立ちはよく似ているというのに、アリスさんが絶対にしないであろうその表情は酷く恐ろしく、背中を冷たいものが滑り落ちる様な感覚に身を震わせた。
「思いがけず手に入れた大聖女様を、聖教会の奴らは図々しくも寄越せと言ってきたのだ。人形姫様の代わりにとな。あまりに煩いので口を塞いでしまったがな」
「聖……教会……」
冷や汗が後から後から流れ出て止まらない。エレオノールさんは聖教会は悪魔と手を組んだと言っていた。恐ろしい美貌の悪魔だと。
「あぁ……良い表情をする。私を恐れるその表情は実にそそるな。あいつも女の趣味は悪くない。あれの母親も、私の本性を知った後は閨でも実によく啼いていたのを思い出す」
艶然と嗤う男に、やはりという思いが浮かぶのと同時に、恐怖心はいや増していくのを感じる。この人は確実にまずい部類の人だ。少しずつ後退り、睨みつけるのだが、彼は益々笑みを深めた。
「気が強い所もいい。男は逃げると追いたくなるものだというのを理解していない所も実に愚かしいな。あいつの前で、君を私のものにしたらどんな顔をするのか、想像しただけで久方ぶりに心が浮き立つ」
「わ、たしは……あなたのものになんてなりません!あなたはアリスさんのお父様でしょう!?」
「元より、あいつを息子と思った事など一度もない。あいつも私を父親などと虫唾が走るだろうな。互いに憎しみあっているのだ、私達は」
一歩下がれば一歩詰められ、そうしてあっという間に階段下まで辿り着いてしまう。
「あいつが私の前に現れるまで、私は大した努力をせずとも、魔術師長という地位であれたのだ。だがあれは、私があれの母親を救わなかった事を恨んでいた。彼女の方が私から逃げ出したというに、救ってやる義理もなかろう?そうとも知らず、あれは当時の王子殿下にも繋がりを持つと、私の素行を徹底的に調べあげた。数多の女達への私の行いを白日の下に晒し、魔術師長に到底相応しくない人間性だと陛下の御前で非難した。そうして私は魔術師長を追われたのだ」
彼の視線はゆうるりと肖像画からシャンデリアへと向けられる。そうしてにたりと口元に笑みを浮かべた。
「此処は静かで美しいだろう?偉大な王が見守る墓標なのだからな」
「墓標……?」
「呑気に王の肖像画を見ていられたのは他の部屋に入らなかったからか。そこかしこに遺骨が転がっていただろうに」
ひゅっと息をのみ、目の前の男を見やる。まるで私の表情を楽しんでいるかの様に、その瞳には愉悦が浮かんでいた。
「最初に殺めたのは両親だった。とうの昔に滅んだ王国の復権という妄執に憑かれた彼等は、事もあろうにこの私を廃嫡して、新たに最年少で魔術師長になったあれを我が家に迎えるなどと言い出したのだ。私をこんな風にしたのは自分達だというのに実に笑わせるだろう?」
「っ……」
「それまで殺しまではした事がなかったが、一度してしまえば呆気なかった。それが人に代わるだけで、魔物の討伐と何ら変わりはしないのだとな。それに厳しかった母上の絶望したあの表情。あれにはぞくりとしたな。……あぁ、私が見たかった表情はこれだったのだと知れたのだから、母上には感謝している」
この人は何を言っているのだろう。恍惚とした表情で語るそれらは私には全く理解出来ない事で、酷く現実味が無かった。ただただ、恐ろしいという感情ばかりが強くなるのだが、それを顔にだせばこの人を喜ばせるだけなのだという事は理解出来る。私は必死に心を鎮める事に集中した。
「その後は邸で働いていた男達の口をまず封じた。夫婦者だけは特別に生かしておいたがな。目の前で妻を犯した私を憎み、何も出来ずに殺されていく絶望したあの表情――あれに勝るものはない」
耳を塞ぎたくなる様な話が続き、私は必死に聞くまいと余所事を考える。この人は異常だ。それでいてアリスさんを憎んでいる事は間違いない。私を拐ったのも、彼を苦しめる為に他ならないのだから。ぎゅうっと左腕にある婚約の腕輪を握り締める。
どうにかして逃げられないかと視線を彷徨わせるのだが、入口までは距離がある上に、目の前にこの人が居るのだからとても突破出来そうもない。
「逃げられないかと考えているな?此処は私以外を通さぬ結界が施されている。無駄な事はしない方が身の為だ」
「っ……!私を、どうするつもりなんですか?今頃、アリスさんだって私を探してる筈です」
「そうだろうな。だが、かつて私に魔術で勝っていた驕りがあいつにはある。平凡な魔術師だった父上が隠していたロベリア王国に伝わる魔術書……古の、失われた魔術を手に入れたこの私が、今のあいつに遅れをとる筈もない」
ロベリア王国の失われた魔術――先程の偉大な王とは、アンジェリク王女の婚約者だったラウル王の事だろう。ならばあの王の肖像画はラウル王なのだろうか。という事はアリスさんも、彼の血を引いた末裔という事になる。
彼の腕が私を捕らえようとするが、今度は触れる事は出来ず、直前で薄い膜の様なものに弾かれた様に見えた。それを見、彼が目を細めて嗤う。
「やはり悪意を持った者を防ぐ魔術がかけられているか……これが君の――大聖女の力なのか?偉大な王でさえ手に入れられなかったその力、やはり欲しいな」
そんな魔術には私は覚えがないが、服の下に隠す様に身につけた文様のネックレスの効果の一つだろうか。そう考えていた所で、またしてもあの息苦しさに襲われ、私は顔を歪めて目の前の男を見やる。その口元はやはり嗤っていた。
「触れられぬのなら、息を出来なくすればよい。まぁ、君は癒しの力が強すぎて命は奪えない事がよく解ったから、これでも気を失わせる事しか出来ないのだがな」
「っ……ぅ……!」
あの時も、この人が大気に干渉していたのだろう。酸素を求めて口を開けるが、息苦しさは増していき、私はまたしても意識を手放すしかなかった。
「あれの相手は後のお楽しみだ。まずは――あの皇子様のお相手をしなくてはな」
酷く楽しげなその声は、最後まで私の耳にこびりついていた。
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