48 夢渡り2
「はぁ……どうしよう、眠れない……」
自室のベッドに潜り込んで、私は一人溜息を漏らした。いつもなら一緒に寝ているアリスさんは、試飲会が終わって私とヴィー兄様を別邸に転移させた後、仕事があると言って研究所に行ってしまった。朝の事は、結局碌に話せないままだ。きっと今夜はもう帰ってこないのだろう。
私はぎゅっと布団を抱き締め、何度目かも解らない溜息を漏らす。もう逃げたくないと思うのに、やはり夢を見るのは怖い。もういっそ眠らずに起きていれば夢も見ずにやり過ごせるとは思うのだが、それでは駄目なのだ。
「ラファエル皇子の事もちゃんと乗り越えて、胸張ってアリスさんと仲直りしたいもんね……!」
最近の私はアリスさんに甘え過ぎていたのだ。彼に心配かけない様、もっとしっかりしなくてはと、どうにか己を鼓舞する。
考え様によっては、夢で会話が出来るのだから、現実で会うより安全に情報を引き出せるのではないだろうか。リアトリス帝国が聖教会と繋がっているのかどうかとか、聞けるなら聞いておきたい。多分あの人は、私には嘘をつかないだろうから。
「でもそっか……ラファエル皇子はロベリア王国の事とかよく知ってるのかな……」
始まりの記憶にある、アンジェリク王女の婚約者の国。既にリアトリス帝国に滅ぼされた国なのだから、きっと何かしら知っている事があるのではないかと思うのだ。
そうして取り留めの無い事をあれこれと考え、少しうとうととし始めていた時だった。部屋の中に微かな物音が聞こえ、衣擦れの音がしたかと思えばベッドに潜り込んでくる気配がする。一瞬躊躇った後、後ろから回された腕に思わず身を固くすれば、耳元で溜息が聞こえた。
「安心しろ、今日は何もしない。朝まで俺がこうしていてやるから、大丈夫だ」
それは、夢渡りに対しての事を言っているのだろう。きつく回された腕から伝わる熱は温かくて優しくて、堪らず涙が溢れた。それに気付いた彼の額が、私の頭にこつりと軽く当たる。
「くそっ……そんな顔をさせたい訳ではないというに……」
ぼそりと囁かれた声は、闇に溶けて消えた。背中越しに伝わる彼の規則的な心臓の音と、温かな体温が心地良くて、微睡の中へと私の意識は徐々に落ちていく。
今日はもう帰って来ないのだとばかり思っていたから、本当に嬉しかったのだ。甘え過ぎない様にしようと思ったばかりだというのに、彼の腕の中は酷く心地良くて、安心出来る。きっと私はもう、この温もりを失えないのだろう。
「……お前は呆れたのだろうな。同じ量の想いを返してほしいなどと、傲慢な俺を。それでも俺はお前を――」
ぽつりと漏らされた言葉は酷く遠い事の様で、闇に飲まれる様に私は意識を手放していた。
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「……もう来ないかと思ったのに、君は来たんだね」
気がついたそこは、日本の私の部屋ではなく、誰かの部屋の様だった。豪華な内装と調度類から、とても身分の高い人の部屋の様に見えるが、可愛らしい色遣いからして彼の部屋ではないだろう。
「此処は……?」
「やはり君には、前世の記憶は欠片も残らない様になっているんだね。此処は……アンジェリク王女の部屋だ」
「っ……!」
という事は、此処は昔のルドベキア王国の王宮なのだろうか。ラファエル皇子は、懐かしそうに部屋を見ているが、私には豪華な部屋だと思うだけで、見覚えのある物などありはしなかった。そうして彼は愛おしげに書き物机の縁を撫でる。
「ここでアンジェリク王女は、よく本を読んでいた。面白い話があれば、エルネストにいつも話すんだ。それはもう眩しいくらいの笑顔でね。あの笑顔を護る事こそが、彼の生き甲斐だったんだよ」
「あなたは、そういう事も全て覚えて……?」
「そうだよ。彼女の事は、全て覚えている。何一つ忘れる事無く記憶は受け継がれ、彼女がいない喪失感に蝕まれるのだから酷い話だろう?それだけ俺は――エルネストは恨まれていたんだ、あの男に」
あの男――それはアンジェリク王女の婚約者だったロベリア王国のラウル王の事だろう。
「ラファエル皇子は、ロベリア王国の事を覚えているんですか?」
「驚いたな、君はあの国の事を聞いたのか?もう滅びた、今はどこにも無い国だというのに」
彼は目を見開いて此方を凝視した後、その視線はアンジェリク王女の書き物机へと戻される。おもむろに引き出しの一つを開けると、そこから何通も手紙を取り出した。封は切られていない様にみえる。
「これがあの男からアンジェリク王女への手紙だ。彼女の父王の独断で彼との婚約は結ばれ、二人はエルネストの知る限りでは顔を合わせてはいなかった。彼女にしてみれば意に沿わぬ婚姻なのだからね。この手紙も彼女は開けもせずにこうして仕舞われていたのだが、あの男は違ったらしい」
「ラウル王は、政略ではなく本当にアンジェリク王女が好きだったんですよね……」
「君の口からあの男の名が紡がれるのは、酷く複雑だな」
歪んだその表情は酷く悲しげで、何故か私も胸が詰まった様な苦しさを感じる。出来ればこんな表情は見たくないと、どうしてかそう強い感情が湧き起こった。
そんな私の思いを知ってか知らずか、彼は物憂げに封の切られていない手紙へと視線を落とす。
「何代も前、まだ記憶が鮮明だった頃に調べた事があるのを思い出したんだ。あの男は、王都で変装して民の為に歌うアンジェリク王女に一目惚れしていたらしい。それまで恋など知らん男だったから、武力に物を言わせて婚約にこぎつけたのだそうだ。不器用な男だったのだろうな」
「ラファエル皇子は……彼を恨んでいますか?こんな呪いの様な魔術をかけた彼を」
そう問いかければ、彼はふっと蕩ける様な笑みを浮かべる。それはとても穏やかな笑顔だった。
「恨んではいないよ。俺はエルネストの記憶を引き継いでいるだけで、彼ではないから。それにこの記憶を持っているからこそ、エマ――君に出逢えた」
伸ばされた手が私の頬に触れる。夢の中だというのに、その手は温かく感じる。あれ程恐ろしかった彼の雰囲気は、今は何処か懐かしく、優しい。そう感じるのは、私の魂がアンジェリク王女だからなのだろうか。
私が口を開きかけた所で、彼の表情が歪み、酷く咳き込んだかと思えば、その場に蹲ってしまう。苦しげなその顔には汗が滲んでいた。
「ラファエル皇子!?どうしたんですか!?」
「ぐっ……ぅ……!夢ならば、耐えられると思ったんだが……」
「もしかして現実の方で具合が悪いんですか!?それなのに、なんであんな平気そうに……!」
「男というものは、好いた女性の前では格好つけたいものなんだよ……っ……」
荒い呼吸の合間から、声を絞り出す彼はそれでも笑顔を見せようとする。その状態を見て、リアトリス帝国には聖女は一人も居ない事を漸く思い出す。皇族の彼であっても、病を治せる者がいないのだ。
彼は私をこの世界に召喚した張本人ではあるし、人を殺められる恐ろしい人である事は解っている。でも、こんな風に苦しんでほしい訳ではない。どんな人であれ、目の前で苦しんでいるのを見過ごせる筈もない。夢の中でなければ、コーディアルが別邸にもあるのにと思っていた所で、彼の手が私の顔を引き寄せた。耳元に苦しげな息がかかる。
「エマ……ロベリア王国は滅びたが、生き残りがいる……」
「えっ……」
「あの男の血を引いた者は、随分昔にルドベキア王国に亡命したんだよ。そうして一貴族として、彼の一族はひっそりと血を繋いでいたんだ……まさか、俺の配下に……その末裔が魔術師として潜んでいるとは思いもしなかったが」
どくんと心臓が一つ音を立てる。まさかその人がマリユスさんが言っていた心当たりの人物なのだろうか。その人がもしかして、エズ村と同じ手段でラファエル皇子を……リアトリス帝国に病を蔓延させているのだとしたら。
祖先が亡命した王家の生き残りだとしたら、リアトリス帝国に恨みを持っていてもおかしくはない。本来ならあの地はロベリア王国のものだったのだから。そういった妄執が代々引き継がれていたとしたら、それは呪いと同等だろう。
「ま、さか……病が流行ってるんですか!?それ私が知っている物と同じなら、闇の魔術が使われてるんです!あなたなら感知できたり……」
「知っている。アレは400年前にも使われていたロベリア王国の魔術だから、ね……だが、あれは大聖女様にしか――君にしか破れない術だ。例え仕掛けに気付いたとしても、俺ではどうする事も出来ない」
ぎゅっと彼が私の腕を握る。私を見据える彼のグレイシャーブルーの瞳は、懇願に揺れていた。
「エマ……このままでは俺は、また繰り返してしまう。そうなる前に、俺が……俺だけが君を覚えているうちに――」
言葉は紡がれる前に酷く咳き込み、その姿は幻のようにかき消えてしまった。あの様子なら目が覚めてしまったに違いない。彼の消えた辺りを呆然と見詰める事しか出来ない私は、必死に頭を働かせていた。
彼の配下にラウル王の末裔が居たという事は、もしかしてあの召喚された時に居たローブ姿の男達の誰かなのだろうか。ローブ姿というだけで、どんな人だったのか全く覚えていない。その人は、リアトリス帝国だけでなく、聖教会にも繋がりをもって何をしようとしているのだろうか。
解らない事がまだ多いけれど、今一番に思う事は、どうにかしてリアトリス帝国の罪もない人々を救いたいという思いだった。ラファエル皇子には思う所もあるが、城から逃げた後、立ち寄った街の人々の顔が浮かんでは消えていく。視線を落とした両の手を、ぎゅっと握り締めた。
命の灯火が消えてしまう前に、救わなくては。
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