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閑話 仕立て屋の聖女

「ちょっとノエル!ノエルってば!あたしの話、聞いてる?」


 針仕事に集中していた私は、同僚のクロエの声にハッと顔を上げる。そうだ、今の私は()()()()()()()()()()ではなく()()()()()()なのだ。


「ごめんなさい、クロエ。集中していて聞いてなかったわ。何の話だったかしら?」

「もう!ノエルってばよくそんなに集中できると思うわ。あたしなんてすぐ気が逸れちゃうのに」

「刺繍は得意だったけれど、こうしてお仕事で服が作れるだなんて本当に楽しいんだもの」


 本当に、こんな普通の生活がまた出来るだなんて思ってもみなかったのだ。最初はどうなる事かと思ったけれど、幸運な事にこうして仕事にもありつけたし、今は毎日が新鮮で楽しい。聖教会では感情を抑える事ばかり教えられていたから、まだなかなか上手く笑えないものの、私のぎこちない微笑みにもクロエは特に気にした様子もなく笑顔を返してくれるのが嬉しかった。


「仕事が楽しいだなんて、ノエルはホント変わってるわ。あたしなんて、手先が器用な事くらいしか取り柄がないからお針子してるんだからさぁ」


 そう言ってクロエは大きな溜息をつくと、視線を窓の外へと向ける。遠くの方に、小さくではあるが王宮が見えた。


「あーあ。あたしが大聖女様みたいなすっごい力があったら、こんなちまちま働く必要もないのかなぁ。でも、病気の人を助けるとか大変そう〜」


 大聖女様という言葉に、針を動かす手がぴたりと止まる。今まで大聖女様といえば400年前の大聖女様の事だったけれど、今この王都で大聖女様といえば皆が思い浮かべるのはたった一人だろう。


 先日、王宮のバルコニーでそれはもう華々しくお披露目された今代の大聖女様。かつての大聖女様と同じく異世界から召喚された、美しい黒髪の御方だ。だが、最も美しいのはあの御方が纏っているその光だ。温かくも優しくて、とても清浄な光――


 勿論、直接見える訳ではない。聖女としての力なのか、私だからなのかは解らないが、ただ感じるのだ。だから初めてお目に掛かったオペラハウスでは本当に驚いた。聖教会で会った事がある聖女達とも、私とも比べ様もない程、圧倒的な清浄さ。


 筆頭聖女だなんて言われていても、本物の大聖女様の前では、私の力など足元にも及ばないのだと、あの時はっきりと感じてしまった。


 一言でもいい、あの御方とお話ししたい。御姿を見ているだけで、心が温かさで満ちていく様な不思議な感覚に、あの時はオペラよりもあの御方の存在を近くに感じている事で胸がいっぱいになってしまったものだ。


 だから終演後、あの御方の方ばかりを見ていた私にその視線が向けられた時には、思わず胸が高鳴った。あぁ、私はこの御方にお仕えする為に生を受けたのだと天啓の様に思えたことを、今でもはっきりと覚えている。


 今すぐにもお傍へ馳せ参じて、(こうべ)を垂れたいという思いでいっぱいだったというのに、あの時はアベル様に促されてどうする事もできなかったのだ。


 アベル様というのは聖教会の長、大神官様の長子で大変見目麗しい方なのだが、あの方は昔から平民を下に見ている所があり、横柄でそれでいて女性に次から次へと手を出す事で有名だった。好ましいとはとてもいえない方で、私は何度もお断りしているというのに、最近では婚約者面で何かと纏わりついてくるので、正直辟易していた。ただ、大神官様には母を亡くした私を拾って頂いた恩もあるので、邪険にする事も出来ずにいたのだ。


 聖教会に救いを求めてやってくる方々を治癒する日々に、特に不満はなかった。もっと多くの人を救いたいという思いはあったものの、聖女が自ら動いては聖教会にやって来る人々が困ってしまうと教えられていたから、私はあまり聖教会の外に出る事もなかった。聖女とはそういうものだと思っていたし、聖教会から出ようと思った事もなかった。()()()を聞いてしまう迄は。


「どうしたの、ノエル?そんなに力を入れたら、生地が皺くちゃになっちゃうわよ」


 怪訝そうなクロエの声に、ハッとして手元を見やれば、刺繍していた生地が少しよれてしまっており、慌てて直す。


「ちょっと考え事をしていただけよ。うっかりしていたわ」

「あ!もしかしてノエルもヴィクトル様とアリスティド様の事を考えていたんじゃない?大聖女様のお披露目式の時のお二人、それはもう素敵だったものね!」

「ヴィクトル様とアリスティド様……?」


 有名な方なのだろうかと、きょとんとした顔をしていれば、クロエは信じられないといった様子で声をあげる。それが大きな声だったので、近くにいたお針子達も何事かと此方に視線を向けるのが解った。


「え、待ってよ、ノエルも大聖女様のお披露目式は見たんでしょ!?大聖女様のお傍に居たじゃないの!それはもう素敵な殿方がお二人も!!」

「えぇ……?そうだったかしら?私は大聖女様しか目に入らなかったわ」


 本気でそう言えば、集まってきた他のお針子達まで私の事を呆れた表情で見てくる。むしろ私はあんな素晴らしい大聖女様以外を見る余裕が皆にある事に驚いてしまう。


「嘘でしょ!?今王都の若い女であのお二人を知らないのなんて、きっとノエルだけよ!」

「今までは宰相のマリユス様一強だったけれど、あたし達の目の保養は今や三つ巴の戦よ、戦!目がいくつあっても足りないわ!」

「ヴィクトル様は元騎士団長様だけあって、あの筋肉質な感じが堪らないし、誠実でお優しそうな御方だからあの方にいつも護られるだなんて大聖女様が羨ましすぎるわ」

「アリスティド様はあの美貌だけど、冷たい人だって評判だっから完全に鑑賞用だったけれど、お披露目式で大聖女様に見せたあの優しげな御顔といったら!あんな風に見られたらあたしなら昇天してるわよ……」

「でも私はやっぱりマリユス様よ!他のお二人にはないあの色気!本当、一回でいいから抱いてほしいわ……見ているだけで妊娠しちゃいそう」


 怒涛の勢いで語り出した彼女達は、皆揃ってうっとりとした表情で悩ましげな溜息を漏らす。私はあまりの勢いに驚きつつ、こくこくと頷くしかできなかった。確かにオペラハウスでもお披露目式でもあの御方の隣にどなたか居た様な気がするのだが、大聖女様に圧倒されていて記憶が薄い。どうやらとても見目麗しい方達だというのは解った。


「皆がそう言うのだから、きっととても素敵な方達なのでしょうね」

「もー!ノエルはそういうの興味ないの?そりゃ大聖女様は凄い方だと思うけどさ〜」

「エズ村の話も凄いわよね。一瞬でたくさんの病人を癒してしまったんでしょ?聖女様とは格が違うわよねぇ」


 エズ村、という単語にじくりと胸が痛む。私はあの村に何が起きるか知っていたのに、どうする事も出来なかったのだから。大聖女様がいらしてくださらなかったら、私は今頃罪悪感に押し潰されていたかもしれない。


「エズ村といえば、大聖女様の御力で作物が早く育って、品質も良くなったって評判よ!エズ村産の物は、王都の市でも値段が高騰してるって聞いたわ」

「へぇぇ、大聖女様の御力って、病や傷を癒すだけじゃないのねぇ。そういえば、例の美容コーディアルもそっか。あれはいつ王都にも出回るのかしら?あれ試してみたいんだよね〜」

「私の友達のお姉さんが魔術研究所で働いてるんだけど、そのコーディアルのおかげで最近めちゃくちゃ肌艶が良くて綺麗になったのよ!早く私達も買えるようになるといいわね」

「作物がすぐ育つから、エズ村でコーディアルの原料のハーブの栽培も始まるんだか始めたって噂だし、案外早いかもよ?」


 わいわいと話す彼女達の表情は明るくて、本当に楽しそうだ。大聖女様の存在が、王都の人々にも幸せをもたらしているのだと思うと嬉しく、それと同時にずっと信じてきた聖教会とはなんだったのだろうかと虚しくもなる。


 聖教会は、苦しんでいる人々を救う場所だと信じてきた。でも私は、あそこでただ待つだけではなくて、自分から出向くべきだったのだ。大聖女様が自ら病に侵された人々を救ったように。そんな事も考えられなかった私は、やはり『人形』だったのだろう。実際、聖教会には身形の貧しい者は、誰一人来なかったのだから。


 しかも聖教会は――


「ノエル……?なんか顔色が悪いよ?急ぎの仕事もないし、今日はもう休んだら?いつも真面目にやってるんだから、店長も大目に見てくれるよ」

「そうだねぇ。お喋りばかりのあんた達とは違って、ノエルはいつも真面目で丁寧な仕事してくれてるからねぇ」

「げ!て、店長……!」


 いつの間にか戸口には、眼鏡に手を掛けたこの仕立て屋の店長、マダム・ジョリが佇んでおり、私達をじとりとした目で見ていた。年齢は実はかなりいっているという噂だが、とても若々しく見えるマダムだ。彼女は私の方へと視線を移し、優しく微笑む。


「ノエル、あんた確かに顔色が悪いよ。あんたはいつもよく働いてくれてるから、たまにはお休み」

「でも……」

「そんな顔色じゃあ、いい服もできやしないよ。あんたが楽しくなきゃ、針にもそれが伝わるんだからねぇ」


 ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれるマダムに、私はじわりと目の端に涙が浮かぶ。今はもう遠い記憶になってしまった母が、生きていた頃にはよくこうしてくれていた事が急に思い出されたのだ。


「あぁもう、泣くのはおよし。せっかくそんな可愛い顔が台無しだよ。ほら、さっさと部屋に戻って、あったかくして休みな。今日の分は、明日頑張ればいいさ」

「はい……!ありがとうございます!」

「ノエル、ゆっくりしなよ〜!いつも助けられてるから、今日はあたし達が頑張るからさ!」


 気遣ってくれる他のお針子達の温かさにも救われる思いで、私はぺこぺこと頭を下げながら仕立て屋の上にある自室へと戻る。こんなに温かい気持ちは、聖教会では感じられなかったものだ。


 きっと、私がここに居ると解れば、聖教会は私を連れ戻すだろう。その時に此処の温かい人達を巻き込まない為には、私は一人で居るべきだという事は解っている。今だって、きっと逃げ出した私を探しているのだろうから。


 でも、此処はとても温かくて居心地が良いのだ。それを知ってしまった今、この温かさを失う事は酷く恐ろしかった。目立つ黄金の髪はシニヨンに纏めて帽子の中に極力隠し、外に出る時は周囲を警戒して息を潜めている。こんな生活は、ずっと続かない事も解っている。けれど……


「大聖女様……どうか、私達をお救いください……」


 どうにかあの御方にお会いして、私が聞いてしまった話をお伝えしなくては。それだけが、今の私を支えている。


 目を閉じればあの時の光景が思い出されて、あまりの恐ろしさに身体が震える。大神官様がまさか罪もない村人を、病に侵そうとするだなんてとても許される事ではない。


 そして、彼に呪物を渡していたあの男――ローブを着ていたが、その顔ははっきりと覚えている。恐ろしい程に整ったその美貌は、この世のものとは思えず、悪魔とはきっとあの様に美しい容貌をして人を惑わすに違いない。


 私はぎゅうっと目を閉じ、手を組んでひたすらに祈る事しかできなかった。






読んでくださってありがとうございます!

作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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