5 天使の真実
「エマ様、もう目を開けても大丈夫ですよ」
ぎゅっと瞑っていた目を開けば、そこは先程まで居たはずの豪奢な部屋ではなく、ログハウス調の小さな部屋だった。こじんまりとしているが、綺麗に整えられており、テーブルには可愛らしい野花も飾られていて、個人的にはこちらの方が落ち着く感じだ。
「ここは……?」
「帝都より少し離れた、スプリヌと呼ばれる森の中程にある小屋になります」
「へっ?一瞬でそんな所まで来たってこと!?」
飛ぶってそういう事だったのかと、驚く事ばかりだ。転移というやつだろうか。こんな凄い事ができるだなんて、本当にミラは救いの天使様に違いない。
「いえ、私はあまり魔術が得意ではないのです。使えるのは転移と伝達の術くらいでして……魔力もあまり多くないので、転移も一日に一度だけ。行った事のある場所にしか行けませんし、ここまでの距離が限界なのです……」
「何言ってるの、本当に凄いよ!転移なんて……私にはとても出来ない事だから、そんな謙遜しないで!いくら感謝してもしきれないくらいなんだよ」
「エマ様……ありがとうございます」
少し照れた様に微笑むミラは、花の様に可憐で、それだけで私は有り余る幸せを噛み締める。健気で可愛い子の笑顔って、それだけで最高に価値があると思う。
本当に、ミラが城に居てくれた事は天の配剤に違いない。いきなり知らない世界に連れてこられて、あの皇子様には思う所もたくさんあるが、ミラに出会えた事だけは感謝したいくらいだ。
「それで、これからどうしようか?追手とか絶対来るよね……?」
「それなのですが、実は既に私の兄には事の仔細を伝えてあります。此方で兄と合流した後、ルドベキア王国に参りましょう」
「ルドベキア王国……って確か隣の国だっけ?」
ルドベキア王国というのは温暖な気候の国で、国土を巡って度々このリアトリス帝国と戦争を繰り返しているといった話だったはずだ。確かに対立している国に逃げれば、容易には追ってこられないだろうが、そもそも私たちが入国できないのではないだろうか。
疑問符が浮かぶが、ミラは問題ないという風に微笑んだ。
「エマ様にはお伝えしなくてはならない事がいろいろとあるのですが、兄が来る前にまずはお召し替えを致しましょう。私の服で申し訳ないのですが、エマ様が着れそうなものを見繕いますね!」
「そういえば夜着のままだったっけ……ありがとう、ミラ」
天使の服が私に似合うかどうかは別として、この後森の中を抜けるのならば、薄手の夜着では無理だろう。
ミラが用意してくれたのは、ボルドーよりも紫みのあるバーガンディー色の落ち着いたワンピースだった。踝より少し上くらいの丈で、ふんわりとした袖口や裾に施された草花の刺繍が可愛らしい。ウエスト部分はコルセット調でリボンで編み上げされているが、そこまで窮屈ではない。
「良かった!私が着るよりもお似合いです!」
「私はミラが着た方が絶対可愛いと思うんだけど……でもこれ着心地いいね」
「履いてなかったブーツがありますので、宜しければこちらも……夜は冷えますからケープコートもどうぞ」
黒地に金の留め具と蔦模様の金糸の刺繍が上品なフード付きのケープを羽織れば、ようやく人心地がついた。
「これで後はミラのお兄さんが来るのを待つだけかな。そういえば、どんなお兄さんなの?」
「兄は帝都で商いをしていますが……その前に、エマ様にお伝えしなければなりません。私も兄も、この国の者ではございません」
「そうなの?あ、もしかしてそれでルドベキア王国に……」
「それどころか、私の名もミラではございません。メイドも偽りの姿なのです」
「へっ!?」
名前も出自も、全てが偽りなのだという彼女に目を丸くする。今までそうだと思っていたことがそうではなかったという事に一瞬不安が過ぎるが、目の前にある真剣で澄んだ瞳は不思議と信じられる気がしていた。
「……それなら本当の名前は何?」
「っ……怒って……おられないのですか?嘘をついていたのだと……」
「怒るはずないよ。私は、私を何があっても護るって言ってくれたあなたを信じてる」
僅かに震える声音を漏らす彼女に、そっと安心させる様に微笑む。何か事情があるにせよ、危険を冒してまで赤の他人の私を助けようとしてくれたのだ。別に彼女が可愛いから絆されている訳ではなく、全てが偽りでも、その身をもった行動は彼女を信じるに値するだろう。
彼女の瞳から、はらはらと雫が溢れる様はとても綺麗だったが、彼女には笑顔が似合う。ハンカチも何もなかったので、指でその雫を拭った。
「お願い、泣かないで。私はあなたの笑顔に癒されてるんだから。……それで、本当の名前は何か教えてくれる?」
「っ……ぅ…………ミリアム……です。ミリアム・サントリナ。親しい者にはミミと呼ばれていますので、エマ様には是非ミミと呼んで頂きたいです」
「じゃあミミ、これからもよろしくね。というかそのエマ様ってのもやめない?あの城も出たんだし、敬語もいいよ。普通に友達みたいに話せると嬉しいんだけど」
「い、いえ!そんな畏れ多い事です……!どうか今まで通りでお願い致します。私にはこの方が落ち着きますので……」
ぶんぶんと首を横に振り、恐縮して項垂れる彼女に無理強いする事もできない。異世界での初の友達だと、私は勝手に思っていたのだが、まぁそれは時間をかけて距離を詰めていくしかないのだろう。
「それで、ミミはルドベキア王国の人なの?」
「はい。私はメイドとして、兄は商人としてこの国に潜入しているルドベキア王国騎士団に所属する密偵なのです。4年前の戦の後、暫くは事後処理などで互いに落ち着かなかったのですが、どうも最近は此方に不穏な噂が多く……」
「なるほど……そこに私が聖女として召喚されてきたって事ね。でもそれなら尚更、私を助けて大丈夫?これが戦争の火種になったりしない?」
ミミが騎士団の人だというのなら、ラファエル皇子が花嫁にしようとしていた私を連れ出した事により、両国間の揉め事に発展してしまうであろう事は流石に想像がつく。あの異常なまでの執着ぶりを見れば、おそらくあの皇子様なら十中八九、私をどこまでも追いかけて捉えようとするだろう。それが敵国であるルドベキア王国に居ると解ればどうなるかは、火を見るより明らかだ。
「婚姻の儀で国民の前にお披露目された後なら問題になったでしょうが、幸いまだエマ様の事は城でも一部の者しか知りません。公に軍を出してエマ様を追ったりはなさらないかと思います」
「という事は、公じゃないとこでは追われるって事ね……」
「エマ様が聖女様である事の証明が為されていない事も幸いでした。もし聖女様であれば、間違いなく国家間で戦になります。聖女様は国の至宝とも言える存在ですから」
「な、なるほど……」
ラファエル皇子は私を聖女だと確信していたのに、あの水晶を使う意味はあったのだろうかと思っていたけれども、こうなってくるとあれを触っておいて私としては本当に幸運だったのだと思えた。
「あのさ……聖女様って病気や怪我を癒せるんでしょ?私には、そんな凄い力があるとは思えないんだよね。この世界に来て、何か変わった感じも全然しないし。それなのになんでラファエル皇子は私に執着するんだろうね……」
「エマ様のドレス類ですが、その……私があの城で働きだした2年程前には、既に用意されていましたよ」
「ひぇ……嘘でしょ……」
「誰も使用されていないのに、いつでも埃一つないようにと清掃にも入っていましたから。『ここは私の未来の妃が使うからね。いつ現れてもいいように、綺麗にしておいて』とよく仰られていました。ドレスも、定期的に作り直されていましたね」
少なくとも2年以上前からあの状態だったのかと思うと、本当に恐怖しかない。一体どうやったら異世界にいる私の事を知れるというのだろうか。ぶるりと身体を震わせ、己の身を抱きしめるように腕をさする。
一方的に私の存在を知っていて、とうとう召喚までして自分の妃にしようとするだなんて、どう考えてもストーカーだし、私の気持ちなんてこれっぽっちも考えていない傲慢さだ。
私が一番好きな海外ミュージカルのメインヒーローも、ヒロイン大好きで生涯かけてストーカーしていたが、それでもヒロインが自分を愛してくれるまでひたすら待っていた。ラファエル皇子に足りないのはそこなのだ。あの人は私を『愛しい』と言うが、果たして本当にそうなのだろうか。
思考の海に沈み込んでいたところで、小屋の扉が小さくノックされる。すぐにミミが音もなく立ち上がり、扉に忍び寄る。ミミのお兄さんか、それとも追手か。息を詰めていると、彼女の纏う空気が目に見えて柔らかくなるのが分かった。
「遅いですよ、兄上!」
「これでも急いできたんだぞ。まさかこんな時間に呼び出されると思わなかったからな」
そこに居たのは、ミミと同じ髪色と目をした、見るからに善良そうな雰囲気の青年だった。
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