44 失われた魔術
「関係ありそうな魔術って見つかりました?」
「ん……」
問い掛けに生返事を返すアリスさんの手は、止まる事なく魔術書をめくっている。物凄く集中している時は大体いつもこんな感じなので、私は邪魔をしない様に向かいのソファに座ると、彼がテーブルの上に積み上げている魔術書を一冊手に取った。
どういう原理でそうなっているのかは解らないのだが、皆の話す言葉は私には最初から日本語に聞こえている。それは文字に関しても同じで、どんな文字でも日本語に変換されて見える有難い仕様なのが本当に助かっているのだが、ただ私が書く文字はそのまま日本語のままなので、皆には全く読めない未知の文字なのだ。
だから私は、この世界の言葉はなんでも聞こえて話せるし、どんな文字でも読めるのに、書く事だけは全くできなかったりする。自分の名前くらいは書けるようになりたいとは思っているのだが、勝手に変換されてしまうものだからなかなか難しいものだ。
しかしながら、読めはするといっても理解出来るかどうかというのは別問題だ。実際、アリスさんが読んでいる魔術書はどれも難解で、私にはさっぱり意味が解らないものばかりだった。ぱらぱらと数ページめくったところで眠気を感じ、思わず欠伸が漏れる。
(駄目だ。このままだと確実に寝落ちする……魔術に関してはさっぱりだし、他の事調べようかな……)
幸い魔術に関してはアリスさんが一番詳しいのだから、こういう事は得意な人に任せるのが一番なのだ。うんうんと私は一人頷き、そっと扉から出れば丁度お茶とお菓子を持ってきてくれたミミと出くわした。
「エマ様、どうかなさいました?」
「ミミ!丁度良かったよ!一緒に図書室に行かない?魔術書、私には難しくてさ……そっちは専門家のアリスさんに任せて、私は歴史とか調べようかなって思って」
「魔術は高度なもの程難解になりますからね。私も体を動かす方が得意なので解ります」
同じく苦笑を漏らすミミと一旦部屋に戻り、お菓子とアリスさんの分のお茶を淹れてもらってから別邸の図書室に向かう。一応彼にも図書室に行く事を伝えたが、生返事だったので聞こえていなかったかもしれない。まぁ別邸の中に居るのだし、あまり問題はないだろう。
「うーん……この国の歴史だけじゃなくて、できればリアトリス帝国とか周辺の国の歴史まで解るといいんだけどなぁ」
「流石に他国の歴史書となると、ここにはありませんね。王宮の書庫ならあるのではないかと思いますけど……あ、こちらなら少しではありますけど、他国の事にも触れていますよ」
別邸の図書室は、それでもかなりの蔵書がある様に見えるのだが、やはりこの国以外の歴史書となると扱いが難しいのだろうか。
「ありがとう。でも王宮の書庫かぁ……マリユスさんに頼んだら見せてくれるかなぁ」
「エマ様なら、宰相様も頼めば見せてくださるかもしれませんね。何せ大聖女様なのですから」
「ここで収穫がなかったら考えてみるよ」
他にもいくつか本を見繕い、図書室にある椅子に腰掛ける。ミミが勧めてくれた本は挿絵もあって比較的読みやすいものだった。
「えっ……400年前はアンヴァンシーブルってこの国の一部だったんだね?」
「お話していませんでしたか……?」
「私が知ってるのはあそこが400年前の大聖女様が召喚された場所で、当時の大魔術師が召喚と引き換えに命を落としたって事くらいかな?」
大魔術師についてはアリスさんから聞いていたが、あの場所が召喚された地だというのはアンヴァンシーブルの焼き物屋の店主に聞いたのだ。
「あの街にはかつて、我が国の辺境伯家の邸宅があったのです。大魔術師はその辺境伯家の次男でした。ですが彼は大聖女様を召喚した事で命を落としてしまい、彼の兄の辺境伯は召喚の褒美として王家の許しを得て独立したのがリアトリス帝国の始まりとされていますね」
「へぇぇ……そうだったんだ」
本には当時の国境を示した地図なども載っており、400年前にアンヴァンシーブル周辺のかなり大きな領土が独立した事を示していた。それだけで、かなり広大な領地をその辺境伯家が治めていた事が見てとれる。ルドベキア王国にしても、そこを失う事は痛手であるのは想像できるのだが、それを認める程に大聖女様の召喚は功績だったのだろう。
「大聖女様の存在って、やっぱりそれだけ凄い事なんだね。この本にも大聖女様の功績がいっぱい書かれてるし」
「ですが私は、より多くの者の命を救う手立てを考えられたエマ様の方が素晴らしいと思いますよ」
「いやいや、比べるのも申し訳ないと思うよ?」
「いいえ……!そんな事はございません!」
語気の強さに驚いて顔を上げれば、真っ直ぐに私を見据える彼女の瞳と視線が重なった。
「400年前の大聖女様の御力は素晴らしいです。でもそれは、御存命中に限った事なのです。聖女様とて同じ事……亡くなってしまえば、その御力も失われてしまうのですから。ですがエマ様の作られた焼き物――あれは壊れない限り、私達を癒し続けてくださるのですから、それがどれ程素晴らしい事か……!」
普通ならある特定の人だけが持つ力なら、その人が亡くなればその力も失われてしまうのは当然の事だ。でも、私が絵付けしたネックレスにしても水差しにしても、文様は下絵付けだから本体が壊れない限りは消える事はない。文様事態に力があるのなら、恐らく私が死んだとしてもその力は残り続けるのだろう。
ミミが言いたいのはそういう事なのだ。私が生きている間だけではなく、この先の未来でもあのコーディアルは誰かを救い続ける事になるだろうから。
「ありがとう、ミミ。そう言ってくれると本当に嬉しいよ。それもこれも、ミミが最初に私を助けてくれたからなんだから、これはミミの功績でもあると思うよ」
「そんな……!勿体ない事です!」
ふるふると慌てて首を横に振る彼女もやはり可愛らしく、私は自然と顔が綻んでしまう。本当にミミは存在しているだけで私を幸せな気持ちにしてくれるのだから、彼女の功績は大きいと思う。
「でもこれ読んでると凄いなぁって思うよ。ほら、ここなんて当時の王弟殿下と一緒に隣国との戦争にも参加したって書いてある。他にも流行り病を治して回った……り……」
そこに記された流行り病は発熱、嘔吐、下痢を伴うなど、病としてはよくある症状だ。ただ、その病を治す為に大聖女様が訪れ、彼女の祈りで辺り一帯が眩い光に包まれた後、周辺全ての病人の病が治癒していたという記述――これはまさにエズ村に起きた事と同じではないのだろうか。
私は慌ててその前後にある流行り病についての記述をさらう。そもそもこの病は、大聖女様が召喚される前から流行り始めた様で、原因が全く解らず、多くの人が亡くなったらしい。それは勿論、アンヴァンシーブルでも同じくだ。だが、アンヴァンシーブルでは大聖女様が召喚された際に辺りは眩く輝き、光が収まった時には蔓延っていた病は綺麗さっぱり消えてしまったというのだ。
「これってもしかしなくても、エズ村と同じじゃない?大聖女様が召喚された事で奇跡が起きたみたいになってるけど、あの泉に病の原因となるものが仕掛けられていて、それが彼女の力で浄化されたから病が治ったとしか思えないんだよね」
「400年も前の事ですし、公にされていない事実もありそうな事ですね。それこそ王宮の書庫にある一般には公開されていない禁書なら正しい事実が書かれているのではないかと思うのですが……」
「アリスさんとも相談して、マリユスさんと陛下に話を通した方がいいかもしれないね……これが事実なら、400年前にも今回と同じ病を発生させる魔術が使われていた可能性があるよ」
もしかしたら、この400年前だけではなく、過去にも同じ手口で病が蔓延させられていたとしたらとんでもないことだ。少なくとも、400年前には病の原因は不明だったのだから。
「……そういえば、400年前はまだリアトリス帝国は独立したばかりだよね。他のどこと戦争してたんだろ」
「当時、力が強かった隣国はロベリア王国のようですね。アンヴァンシーブルを治めていた辺境伯家の更に北にある此処です。数百年前に力をつけたリアトリス帝国に攻め落とされて、今は帝国の領土になってしまっていますが」
指し示された地図を見れば、確かに今はリアトリス帝国がある辺りに、ロベリア王国がかなり広い領土を誇っていた事が示されている。
「今はもう滅んじゃってるんだね……どんな国だったんだろ」
「魔術がかなり発達した国だった様ですね。王家も代々高名な魔術師が多かったそうですよ。一番有名なのはラウル王でしょうか。あの悲劇のアンジェリク王女の婚約者だった方ですよ」
「えっ!?」
あの話の隣国というのは、このロベリア王国だったのかという驚きと、やはりこの一連の病に関して無関係ではないのかもしれないという思いで、私は地図上にある今は無き王国をじっと見詰める。
魔術の発達していたロベリア王国。そして、病を発生させていたのは、今は失われた魔術なのだから。
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