40 お披露目
レオポルド・ウル・ルドベキア国王陛下によるその報せは、瞬く間に王国の民だけではなく、隣国にまで駆け巡った。
曰く、400年ぶりに異世界より大聖女様と呼ぶに相応しい聖属性の力を持った女性が召喚されたのだと。
しかも彼女は既に王立魔術研究所と協力し、あらゆる病や傷を癒す事が出来る『コーディアル』という飲み物を、異世界の知識を用いて創り出した事。更にはそれを用いて王都の一部で広まり始めていた流行り病を食い止め、病の発生源であった近郊の村の人々も癒したのだという。
この『コーディアル』については、王立魔術研究所で量産体制を整えている所であり、大聖女様の力が込められた特別なコーディアルは流行り病などの有事に備えて国が備蓄するものの、少しの病や傷なら癒せる簡易版ともいえる物や、美容効果がある物などを多くの国民向けに安価に販売したり、効果のお試しや相談ができる施設を王都に設置予定との事だ。
更に、異世界の大聖女様は、由緒あるグロリアス侯爵家の養女となっており、王立魔術研究所の所長で王宮魔術師のアリスティド・アングレカム魔術師長と既に婚約している事も公表された。
そして、4年前の戦で先頭に立ち、王国の為に勇敢に戦った事を誰もが知っているヴィクトル・グロリアス元騎士団長の足の怪我も大聖女様は癒しており、彼女の義兄にもなった彼はこの度、彼女の専属護衛騎士を拝命する事が決まったという。
大聖女様の国民へのお披露目と、グロリアス元騎士団長の護衛騎士任命式は、王宮前にあるイデアル広場から見えるバルコニーで大々的に行われる事となり、遠目でもいいから大聖女様を一目見ようと、多くの人々が広場には集まっていた。
その中には、彼女に救われたレモン農園主ジョルジュを始めとした農園の働き手や病に罹った者達の姿もあった。自分達を救ってくれた聖女様が、ただの聖女様ではなく、まさか異世界から来られた大聖女様だなんて思いもしなかったのだ。
「ジョルジュさん、本当にあの御方が大聖女様だったんでしょうか……?まさかそんな、大聖女様だなんて雲の上の御方があたし達みたいなもんの所に自らおいでになっただなんて、なんだか夢見てたんじゃないかと……」
「私もまさかとは思ったが……だが、あの御方はグロリアス侯爵家にお住まいだし、あの時一緒におられた恐ろしく顔の整った御人が大聖女様の婚約者だと公表されたアングレカム魔術師長だ。そうするとやはりあの御方は――」
彼が見上げる先には未だ無人のバルコニーが見える。本当に自分達を救ってくれたあの御方が大聖女様ならば、もうすぐあの場所に現れる筈なのだ。美しい黒髪に黒曜石の様な瞳をした、心優しい聖女様が。
「あぁ、良かった!ジョルジュさん!この人混みじゃあ見つけられねぇかと思った……」
「テオ……!お前、エズ村はもういいのか?」
ジョルジュの姿を見つけたテオは、額に汗を浮かべていたのだが、安心した様子でへにゃりと笑うと人混みをかき分け、彼の方へとやってきた。
テオは聖女様に同行して故郷のエズ村へと向かったのだが、生きていた村人は聖女様に救われたものの、亡くなった者達の葬儀などがあり、村が落ち着くまでは王都には戻れないと聞いていたのだ。
「はい、葬儀は済んで落ち着いてはきたんですけど、それよりも大変な事になっちまって……」
「大変な事……?」
流行り病は十分に大変な事だったと思うが、まだ何か村に起こったのかと訝しげに聞き返せば、彼はきょろきょろと辺りを見渡し、声を顰める。
「実は、その……聖女様が病の原因になってた川を浄化してくださったんです。それが物凄い光で……その後からどうも川が前よりも綺麗だなーって皆で話してたんですけど、その水を使ったら作物が異常に早く育つ様になっちまって」
「は?」
「しかもそれがめちゃくちゃ美味いんです!これは聖女様の御力に違いねぇって事で、村では大盛り上がりした所でまさかの聖女様は異世界から来られた大聖女様だったって聞いて。オレ、村の事も大聖女様に報告したくてここに――」
嬉しそうに笑う彼の両肩を、ジョルジュはがっちりと掴む。その勢いに驚いた様子で、テオは目を丸くした。
「待て待て、今なんと言った!?」
「ヘッ!?こ、声が大きいですよ!?せ、聖女様は大聖女様だったんですよね……?」
「そこではない!大聖女様の御力で、美味くて育ちが早くなる水になったと、そういう事なのか!?」
ざわりとした騒めきと周囲の視線が集まり、テオは慌ててジョルジュを宥めようとするのだが、その勢いは止まらない。あまり聖女としての力をひけらかすのを良しとしていなかった大聖女様の事を思い浮かべ、テオはどうにかして話題を変えようとした時だった。
バルコニーに程近い辺りから大きな歓声が上がったかと思えば、それはイデアル広場全体へと瞬く間に広がっていく。
最初に現れたのは、見目麗しい黄金の髪と翡翠の瞳をした若き王だ。産月も近いと噂の王妃様は、大事をとって静養されているとの事なので、その御姿は彼の傍には見られない。代わりに彼の傍には、美貌の宰相として特に女性に人気の美丈夫の姿があった。彼が艶然と微笑めば、それを見た女性達が黄色い悲鳴をあげて倒れる者まで続出している。
「我が愛しき民達よ」
それは優しくもよく通る声で、魔道具を介して広場中に響き渡った。誰もがしんと静まり返り、彼の言葉に耳を傾ける。
「先だって報せた通り、仔細は伏せるが、我々は異世界より召喚された大聖女様を秘密裏に保護していた。彼女はいきなり見知らぬ世界に連れて来られ、己にどれ程の力があるのかも知らぬ状態だったのだ。その不安は他の者には計り知れぬものであろう」
悲しげに顰められた彼の表情に、誰もが大聖女様の心情を慮り、胸を痛める。
「だが、そんな彼女を支えたのが我が国一の魔術の才を持つアングレカム魔術師長だ。衝突する事もあったようだが、二人は互いを唯一無二の存在であるとして婚約に至り、彼女は婚約者の為に自ら動いて多くの民の病や傷を癒す方法を模索していたのだ。それを、身をもって体験した者も、おそらくこの場に居る事だろう」
その言葉に、流行り病に罹った者達は皆一様にバルコニーを真剣な眼差しで見つめていた。
「流行り病を蔓延する前に食い止め、元凶までも癒したその功績を彼女はひけらかす事に躊躇っていたのだが、今後も婚約者と共に人々を救いたいという決意から、今回皆の前に姿を披露する決心をしてくれたのだ。どうか彼女の志を尊重し、皆も温かく迎えてやってほしい。――エマ嬢」
王の声掛けに、バルコニー後ろの大窓が再び開かれる。その姿に誰もが感嘆の息を漏らした。それは、400年前の大聖女様と同じ、見事な黒髪に黒曜石の様な瞳の可愛らしい女性だった。肩で揃えられた緩やかな髪は、動きに合わせてふわりと揺れる。白地に金糸の刺繍が施されたドレスは、清楚で品があった。
そして彼女をエスコートするのは、彼女と揃いの燕尾服に身を包んだ、彫刻の様に美しい顔立ちをしたプラチナブロンドの美青年と、優美な騎士の礼服を纏う甘やかな笑顔をした黒髪の美形だ。
テオはその光景に思わず見惚れてしまうのだが、あの時あれ程近くにいた聖女様は今はあまりに遠い。本来はこの距離が正しく、直接会話し、手を握られるだなんて事は起こり得ないのだと感じてしまい、知らず知らずに項垂れてしまった。村の事を直接報告するだなんて、どうしてそんな事が出来ると思ってしまったのだろう。
「ちょ、ちょっと!テオ、あれ!」
隣に居たレモン農園で共に働いている女性に小突かれ、顔をあげれば、バルコニーにいる大聖女様にアングレカム魔術師長が此方を指差しながら何事か話し掛けているのが目に入る。
次の瞬間、テオは思わず息をのんだ。この距離で気付く筈もないと思っていた彼女は此方を確かに見て、手を振ってくれたのだ。この周囲に集まっていたのはレモン農園の者が多かったので、皆感激した様子で手を振り返している。彼も同じくぶんぶんと大きく手を振り返すのだが、彼女の口元が何かを伝える様に開かれた事に気付く。
「……?あとで……?」
疑問符が浮かぶ中、彼女は後ろに下がった王と宰相に代わり、魔道具の前に立つと、ぐるりと見渡す様に視線をイデアル広場へとゆっくりと巡らせた。
「皆さん、初めまして。私はエマ・カガミと言います。こんなに大勢の前で話すのは初めてなので、実は物凄く緊張しています。昨日は緊張しすぎて、夜しか眠れなかったんです」
冗談を混ぜつつ、困った様に苦笑を漏らす彼女の姿は、大聖女様といっても自分達と何ら変わりないのだという親しみやすさがあり、くすくすと笑いを漏らす声がそこかしこであがった。
「渾身の冗談だったので、笑ってもらえて良かったです!大聖女様だなんて言われても、私はこの世界に来るまでは皆さんと同じ、ごく普通に働いていて、お芝居を見るのが生き甲斐のただの人でした。魔術なんてものも無い世界だったので、だから正直今でも戸惑う事ばかりです」
その言葉は気取った所は一つもなく、本心を隠す事なく語っているのであろう事が伝わってくる。
「……ここに来るまで、本当にたくさんの人に助けられてきました。最初は何も出来ないと思っていたのに、私にはたくさんの人を助けられる力があるんだって、ここにいるアリスさんが教えてくれたんです」
ちらりと彼女が隣に真顔で佇んでいた美青年を見やれば、彼の表情は彼女に向けてだけ驚く程優しく、愛おしげに綻んだ。その変化に驚いた者も大勢居た事だろう。一瞬ざわりと人々が騒めいた。
「その為に、アリスさんと協力して病や傷を癒すコーディアルという飲み物を創りました。これは、貴族や平民など身分は関係なく、全ての病や傷に苦しむ人達の為に届けたいと思っています。魔術研究所で今も魔術師の皆さんが頑張ってくれているので、どうか皆さんも諦めてしまわないでください!病や傷は治せるんです!」
誰よりも尊い力を持っている彼女は、集まった人々の前で何の躊躇いもなくその頭を下げたのだ。この事に人々は戸惑った。身分ある人が、目下の者に簡単に頭を下げるなどという事は考えられない事だからだ。
しんと静まり返り、人々が戸惑う中、パチパチと大きな拍手がどこからか響く。そろりと顔を上げた彼女が見たものは、遠くで必死に手を叩くテオの姿だった。彼に触発され、周囲に居た人々も拍手をしだし、やがてそれは広場全体へと大きなうねりとなって広がっていった。
彼女はぽかんとしてそれを見ていたが、その表情は花が綻ぶ様な笑顔に変わり、見る者の心に色鮮やかに刻まれる事となる。
再びこの世界に新たな大聖女様が現れたこの時を、人々は後々まで語り継ぐだろう。彼女はこの世界に現れた『希望』そのものだったのだから。
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