36 消えた聖女と病の原因
「うっ……これは川、なんだよね?凄く嫌な感じがする……」
目の前にあるのは川には違いないのだろうが、辺りの空気は酷く澱み、水はどろりと濁って底が見えない。川辺の草木は枯れ始めているような状態だ。これが魔術の影響なのかは解らないが、川がこんな様子では疫病が発生するのは必然の様に思える。
「エマ様、どんな影響があるか解りません。あまり近寄りすぎない方が宜しいかと。まずはアングレカム魔術師長を探しましょう」
「そうだね……」
ミミの声に頷き、踵を返そうとした所で少し先の川底に鈍く光る何かがある事に気付く。これだけ濁っているというのに、それがそこにある事がどうしてだか解ったのだ。見ているだけで、何かとても嫌なものが迫ってくるような感じがして、背筋がぞくりとする。
「ミミ、待って!あそこ、何かある……!」
「えっ!?どこでしょうか?」
「ほら、あの川辺に大きな石がある辺りの川の中央。凄く嫌な感じで鈍く光ってるでしょ?」
「いえ、私にも見えないものだなんて、それは……きっと聖女様にしか見えない何かがあるに違いありません」
少し引っかかる所があった気がするのだが、それよりもあの嫌な感じの元だ。確証はないが、恐らくアレこそが病を引き起こした魔術の媒介ではないだろうか。ただ、それを調べようにも澱んだ川底では、近寄りたくても近寄れない。
「アレが原因だと思うんだけど、どうやって取り除いたらいいんだろう」
「水の魔術であればなんとかできるかもしれません。やはりアングレカム魔術師長と――」
「お前達、何故此処にいる!?テオを追いかけていたのではなかったのか!?」
ミミと二人、川を覗き込んでいると横から驚いた様な声が聞こえる。見ればアリスさんが此方へと息を切らせて駆けてくる所だった。
「テオさんのご両親はもう大丈夫です!ただ、ご両親から気になる話を聞いたので、アリスさんに合流しようと思ってそれで此処に」
「気になる話、だと?」
眉を顰めるアリスさんに、テオさんのご両親から聞いた話を伝えるのだが、彼の眉間の皺はどんどん深くなっていった。
「黄金の髪に翡翠の瞳の綺麗な女の人だなんて、私はエレオノールさんしか知らないんですけど、聖教会の本部にいる筈の彼女がこんな所に一人でいる筈もないですもんね」
「あぁ……そう、だな……」
「?アリスさん、どうかしましたか……?」
妙に歯切れの悪い彼に小首を傾げるのだが、彼は頭を振ると真剣な表情で私を見据える。
「いや、何でもない。それよりも、お前達は此処で何をしていたのだ?」
「あっ!そうでした!あそこ、見てください!アリスさんには見えますか?あの辺りに鈍く光る何かが沈んでるんです……!」
私が指差す辺りを彼も注意深く見るのだが、ややあって首を横に振った。魔術の気配が解るアリスさんならもしかしてと思ったのだが、やはりアレは私にしか見えないものらしい。
「妙な魔術の気配を辿って此処まで来たが、この辺りが一番強いのは解るが、特定の物までは解らん。聖属性の者にしか見えぬなど、随分と厄介な物を仕込んでくれたな」
苦々しく吐き捨てた彼は、そのまま川の方へと手を翳すとふわりと清浄な風が巻き起こり、彼の柔らかな髪を揺らした。と、私が指し示していた周辺の水の流れが見えない壁に阻まれる様に堰き止められ、川底が露になっていく。
「見えた!あれだ!」
「なっ!?おい、待て!不用意に近付くな!」
ソレが水底から露になった瞬間、ぶわりと嫌な感じが増し、鈍い光は一層不気味に輝きを増した。これはこのままにしてはまずい物だという事が、本能的に解る。そう思った時には、川底へと飛び降りていた。
ぎょっとして静止の声をあげるアリスさんの声は聞こえていたが、アレを早くなんとかしなくてはという自分でもよく解らない衝動に突き動かされていたのだ。
近付いて見れば、一見すると何の変哲もないただの石に見える。ただ、纏っている不気味な光と近付く程に増す嫌な感じが、ただの石ではない事を物語っていた。
これをどうやって浄化するのか。私は何故かその方法を知っている気がした。何の根拠もないのに、そうする事が正しいのだと、頭のどこかで確信していたのだ。
私は自分の両手を見下ろし、大きく息を吐き整える。覚悟を決め、禍々しい気配を放つその石に手を伸ばした。僅かに触れたその瞬間、あの文様の輝きにも似た煌めきが一気に放たれ、消える。
あまりの眩しさに目を瞑ってしまうのだが、ややあって目を開ければ、辺りをあれだけ覆っていた嫌な空気は霧散し、堰き止められていた水に澱みは見られず澄んでいた。問題の石は真っ二つに割れており、それを拾いあげて後ろを見れば、ぽかんとした様子で此方を見て固まっているアリスさんとミミの姿があった。
「あ……はは……なんか、やらかしちゃった感じですね……?」
「お、前は……!とにかく此処まで上がって来い!水の流れを元に戻すぞ」
乾いた笑いを漏らす私に、アリスさんはハッと我に返ると、ぐっと眉を寄せて叫んだ。あ、これは物凄く怒ってるなと思いつつ、慌てて上に登った所で魔術が解除されたのか、川が勢い良く流れを取り戻していく。ホッと胸を撫で下ろし、振り向こうとしたのだが、その前に思いきりぎゅうぎゅうと抱き締められてしまった。
「お前は馬鹿なのか!?いや、大馬鹿者だな……解ってた。解っていたがいきなり得体の知れない物に向かって行く奴があるか!?お前は猪娘から全く進化していない!くそっ……なんでお前はそうなんだ!?」
「猪娘って久々に聞きましたね……ごめんなさい。心配掛けました?」
「煩い、黙ってろ。お前なぞ、ただの猪に退化してしまえ」
「もう……なんですかそれ」
苦笑を漏らすのだが、彼の腕は一向に緩まず、むしろ力強さが増して苦しいくらいだ。表情は見えないのだが、思ってた以上に心配を掛けていたらしい。ぽんぽんとあやす様に彼の背中を暫く叩いていれば、漸く落ち着いたのか抱き締める腕が徐々に弛んできた。そろそろ大丈夫だろうかと思っていた所で、遠くからテオさんの声が聞こえてきた。
「聖女様ー!さっきの物凄い光の後、皆が……うわぁぁぁ!?お、お邪魔しました!!」
「あ、テオさん待って!大丈夫!大丈夫ですから!この人の事は放っておいていいですから、村で何かあったんですよね?話を聞かせてください」
顔を真っ赤にして踵を返すテオさんを慌てて引き留めれば、彼は本当に大丈夫なのだろうかという表情でそろそろと此方を向いた。アリスさんはこんな状況でもまだ無言で抱き締めたままで、苦笑がまた一つ漏れる。
「お取込み中だったんでは?お邪魔してすみません……」
「はは……いや、ちょっといろいろあっただけなので……それで、村の皆さんがどうかしたんですか?」
「あ、はい。それが先程、物凄い光りが一瞬輝いた後、病に罹ってた奴ら、あの飲み物を飲ませる前にすっかりなんでもなかったみたいに治っちまったんです。それでオレ、もしかしてあの光は聖女様が何かしてくださったんじゃねぇかと、いてもたってもいられず」
それで川に向かった私達を探していた所でこの現場に出くわしてしまったということらしい。しかし、コーディアルを飲ませる前に魔術の媒介の石を浄化した事で治っただなんて、やはりただの流行り病ではなく、まるで呪いの様だ。
「じゃあ、村の皆さんはもう大丈夫なんですね!」
「既に手遅れで、家の中で死んじまってたもんも少なくなかったんですが、間に合った奴らは皆ピンピンしてますよ!本当に聖女様が来てくださらなかったら、この村は全滅でした。本当に、本当に……!ありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げるテオさんの目からは、やっぱり涙が溢れていた。助けられなかった人達が居たことに胸は痛んだが、救えた人達も多く居る事に安堵する。本当に良かったと笑みを漏らすのだが、テオさんが少しだけそわそわとして落ち着かない事に気付く。
「それであの……申し訳ありません、聖女様……!」
「へ?いきなりどうしたんですか?」
今までで一番頭を下げる彼に、一体どうしたのかと慌てれば、彼はおもいっきり眉尻を下げ、更にぽろぽろと泣き出してしまった。
「あんな奇跡みたいな光で皆治っちまったもんだから、父さんが『聖女様の奇跡だー!』って大声で言っちまって……その……村のもんには聖女様の事が、それはもう病よりも早く広まっちまって……」
叱られた子犬の様に肩を落として震えているテオさんは、物凄く申し訳なさそうで、なんだか私が虐めている様で申し訳なくなってしまう。
「あぁ……そういう……まぁ、あの光はまさかあんな事になるとは私も思わなかったので、仕方ないです。テオさんは悪くないですし、村の皆さんには出来るだけ黙っていてもらえるように伝えてもらっていいですか?」
「それは勿論です……!よく言い聞かせておきますんで……!」
ぺこぺこと頭を下げながら村へと戻っていくテオさんを見送った所で、漸くのそのそとアリスさんが体を起こした。その瞳は胡乱気に私を見下ろしている。
「ほれみろ、お前の考えなしの行動は、もう聖女だと隠しておくには限界だ。救われた村人は、おそらく黙ってなどいられんぞ」
「まぁそうでしょうね……でも、それでも私は自分のした事を後悔なんてしてませんよ。アレはたぶん、私でないと止められない物でしたから」
掌の中にある割れた石は、本当にただの石にしか見えない。アリスさんはひょいとそれを拾い上げると、露骨に眉を顰めた。
「これは……間違いない。既に何の力もないが、元々は霊石だ」
「霊石……ってなんですか?魔石とは違うんですか?」
「魔力を含んだよくある魔石とは違い、霊石は神の力――聖属性の力が宿るとされる滅多に見られない代物だ。これは霊石の欠片もいい所だが、この管理は何処がしていると思う……?」
「ま、さか……」
聖属性を神の力だと崇めている所だなんて、私は一箇所しか知らない。
「聖教会がこれを仕掛けたっていうんですか?人を救う筈の所が、人を苦しめる魔術を……?」
「道理で妙な魔術になっている筈だ。聖属性の力を秘めた霊石に、あれは闇の魔術が組み合わされていたんだな。本来人を癒すものに、全く相反する効果を与えるなど、本来出来る筈もない――これは既に失われた筈の魔術だ。俺にも出来ん……」
失われた筈の魔術。それがどうして聖教会がそんなものを使用して、何の罪もない村人達を苦しめていたのだろう。あまりにも非道な事だ。しかし妙に何かが引っかかる。先程私は何と思ったのだったか。
「『まるで呪いの様だ』……そうだ、呪いですよ!」
「呪い、だと?」
「私の聖属性の光で皆が治ったのなら、病じゃなく呪いみたいだなって思ったんです。そして、同じ様な事を言っていた人が一人だけ居たじゃないですか!」
始まりの記憶を持ち、生まれ変わっても記憶を引き継ぎ続ける。それは『まるで呪いの様』だと言って居た人。
「っ……!ラファエル皇子、か……?確かに彼は400年前の大魔術師の生まれ変わりで、闇の魔術には精通している筈だ。だが……」
「彼に呪いにも似た術をかけたのは、アンジェリク王女の婚約者だった隣国の王様、でしたよね?」
「ここでアンジェリク王女に繋がるのか……エレオノールは一体、何を知っているんだ……?」
ぼそりと呟かれた声はよく聞こえなかったが、彼は何やら考え込みながらがしがしと頭をかく。
「とにかく、聖教会は何らかの目的で霊石を媒介にした呪物を作り、此処に仕掛けたのだろう。こんな魔術を使える奴が聖教会に居る筈もないから、何処ぞと繋がっている事は明白だ。古の隣国の王が関係しているのかは解らんが、いろいろと調べる必要はあるな」
一体何が起きているのか、まだ解らない事だらけではあるのだが、とにかく問題の流行り病は解決したのだ。ぐるぐるといろんな考えは過ぎるものの、私達は崇める程に感謝してくれる村人達への対応もそこそこに、帰路へと着くのだった。
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