32 異変の兆し
「それで此方が『コーディアル』でございますか」
あれから数日後、私は別邸の厨房でジャンさん達料理人の皆さんとエドモンさんを前に瓶詰めされたコーディアルを披露していた。エドモンさんは興味深そうに繁々とコーディアルを眺めている。
エルダーフラワーのコーディアルは、そもそも風邪によく効くものとされているのだが、それを文様が絵付けされた水差しで水割りした所、なんと病の治癒と予防の効果は倍に、その他の効果も軒並み上がっているというのだから驚きだ。
「ハーブが文様の力をより高めたのだろう。これは正に革命と言える。味も良いというのに、病も癒える上に予防もできるのだから、これは本当に画期的な代物だぞ」
そう言うアリスさんは本当に嬉しそうだった。
その後も様々なハーブのコーディアルの水割りを試してみたのだが、女性陣が食い付いたのは、特に美容効果が上がるローズヒップやカモミールなどのコーディアルだ。マルゴさんもミミも、かくいう私も一口飲んで目を輝かせていた。
「すっごい……!これ、美味しいし、飲んだ瞬間に身体中のいらないものが浄化された気がする……!」
「気のせいじゃなく、本当に老廃物が浄化されてますよ!これ、やばい……毎日飲みたい……ハーブ、私も育てようかな……」
「香りもいいですし、飲んだだけでこう内面から綺麗になっているのが解りますね」
きゃっきゃと顔を綻ばせている私達とは裏腹に、アリスさんはこれには全く関心が無い様子で、此方を見て呆れたような表情をしていた。
「おい、美醜は命には関わらんぞ。それよりもだな、此方の――」
「はぁ!?何言ってるんですか!美しい事はこの世の正義ですよ!アリスさんは顔がいいから気にならないだけです!」
「エマさんの言う通りですよ!所長は顔だけでとんでもなく得してるんですからね!?顔が悪くてその性格だったら、私達女性魔術師は所長の事とっくの昔に総出で呪ってますから!」
マルゴさんの言っている事は大変物騒だったが、確かにアリスさんに関してはその通りであるので、私も密かに頷いてしまう。アリスさんは、その美術品の様な顔の良さで許されてきた事が多分にあるのだ。
「寄ってたかって酷い言い草だな。……そもそもエマ、お前は別にそれを飲まなくとも綺麗だぞ」
「へっ!?」
「ころころとよく変わる表情も良い。俺は怖いだの不機嫌そうだと言われる事が多いから、お前の顔は好ましいと思う」
「ひぇっ……あの……待って……」
急に真顔で褒め出すものだから、不意をつかれて顔が真っ赤になってしまう。こういう事に関して冗談を言う人ではないので、恐らく本心で言っているのだろうから、これを照れないというのは無理な話だ。恥ずかしさで顔を覆えば、それを許さないとばかりに彼の腕が私を掴んだ。
「おい、だから顔は隠すなと――」
「はい!惚気るのもいちゃつくのも家でしてくださいね!家で!!」
ぱんと大きな音を立てて、にっこり笑顔のマルゴさんが両手を打つ。本当にその通りなので、私は申し訳なくしゅんと頭を下げ、アリスさんは一つ咳払いをしていた。ミミはもう私達の事は見慣れた光景になってしまったのか、美味しそうにカモミールのコーディアルを飲んでいる。そんなミミを見ると、ちょっと癒された。
「でも、冗談抜きでこの文様の力を受けたコーディアル、凄いですよ。美容効果は女性に絶対受けますけど、病の予防効果があるエルダーフラワーのコーディアルが国民に行き渡れば、本当に聖女様に頼らなくても問題なくなりますね」
「だが、それにはハーブが大量に要る。毎日飲まずとも、必要な時にすぐ手に入れる事ができる体制をまずは整えねばならんな」
まだまだ課題はあるものの、量産できる見通しがたてば、この国の宰相さんにアリスさんが研究所の研究成果として報告する事が決まった。
そうして当面の間、私はヴィーさんと水差し作りに勤しみ、アリスさんとマルゴさんはもともとハーブと魔術の関係性を研究していた研究員の方々も巻き込みつつ、より効能が高いハーブの研究、量産体制を整える事になったのだ。
マルゴさん以外の研究所の皆さんには、私が聖女である事は伏せ、アリスさんがとある聖女の協力で作られた特別な水差しを用いて、病や傷に有効なコーディアルを作る事に成功した、という事にしている。協力してもらうためにも、皆さんにはコーディアルの水割りを試飲してもらったのだが、私が訪ねてきていきなりこういう事になってしまったので、なんとなく私の正体がバレている空気ではあったのだが。
特に廊下で会った女性魔術師の皆さんは、美容効果が高まるコーディアルに物凄く感激しており、帰り際、皆さん私を見て涙を流しながら拝んでいる光景はなんとも言えないものがあった。あからさまな言及がないだけで、十中八九バレている気はする。
マルゴさんの話では、ローズヒップやカモミールなどの美容コーディアルを、継続摂取の効果の確認がてら、ティータイムに毎日一杯女性魔術師の皆さんには飲んでもらっているそうだ。これにより、彼女達の仕事に対するやる気が目に見えて向上し、それぞれの研究成果の精度向上にも繋がり、本当にいい事しかないとめちゃくちゃ感謝されてしまった。
そのお礼として、瓶詰めのコーディアルを何本か貰ったのだが、今日厨房に持ち込んだのはその中から選び抜いたレモングラスとローズヒップ、エルダーフラワーだ。そもそもコーディアルは、文様で効果を高めなくても美味しくて身体にいいのだから、別邸のお料理にも是非活用してもらおうという算段なのだ。
「魔術研究所で作っている物を頂いたんですが、まずは水割りでどうぞ」
今日は本当にごく普通の水で割っているのだが、グラスに注げばその美しい色と香りに感嘆の声があがった。皆、笑先にとグラスへと手を伸ばす。
「成程、これはさっぱりとして香りも爽やか……暑い季節に飲んだらすっきりとできそうなお味でございますね」
「こっちのは甘くて香り高いんスね!これ、原液のまま氷菓にかけても美味そうだなぁ……」
「このレモングラスはソースの風味付けにして、肉料理にかけてもよさそうじゃないか?」
水割りを飲んだ後は、目を輝かせながらあれこれと使えそうな料理を提案したりと議論に花が咲いている。皆さんコーディアルを気に入ってくれたようで、私も思わず満面の笑みを浮かべる。
「私の故郷では、これを飲むだけじゃなくて、正に皆さんの言う通り料理の風味付けに使っていました!ドレッシングやソースの味付けにもいいですし、特にデザートはこのシロップ自体が甘いので、焼き菓子や氷菓、ケーキやゼリー……無限の可能性があるので、ジャンさんには特に新作期待してます!」
「そう期待されると腕がなるっスね!エマ嬢、ちゃんとオレの頑張り、ミリアムちゃんに伝えてくださいよ!」
実はジャンさんはミミの事が好きらしく、私は密かに応援しているのだが、ミミにジャンさんの事を尋ねてものらりくらりとかわされて教えてもらえなかった。いつも『私の一番はエマ様ですから』と天使の笑顔で言われてしまうので、そこで満足してしまうというのもあるのだが。
「……そういえば、ジャンさんはミミのどこが好きなんですか?」
「えっ!?いや、こんな人前で言えないっスよ!」
ふと気になって尋ねてみれば、ジャンさんの顔はみるみるうちに赤くなっていった。
「私はミミの天使の様な笑顔が一番好きかな。あの可憐な容姿で、実は重い物も運べて強いっていうギャップも最高だと思うんですよ」
「あー!それ、めちゃくちゃ身に覚えがありすぎるんスよね……」
「今度また、じっくり聞かせてくださいね!」
そう言って微笑めば、ジャンさんは躊躇いがちに頷いてくれた。しかしこの話は、ミミが大好きなクレイルさんにはとても聞かせられないだろうなと、私は任務で国を離れている彼に思いを馳せるのだった。
「ところでこのコーディアル自体はどの様に作られるのでしょうか?我々でも作れるようなら、菜園で育ててみようかと思うのですが」
「ハーブ以外に必要なのは水と砂糖とレモンだけなので、皆さんなら簡単に作れると思いますよ!」
「成程、それなら問題なさそうですね!しかしレモンですか……」
「レモンがどうかしたんですか?」
やや歯切れの悪い料理長の言葉に、私は小首を傾げる。他の料理人達も、皆さん顔を見合わせているのだが、レモンに何か問題があったのだろうか。
「いえ、それが……いつも食材の仕入れを頼んでいる商人からの話なのですが、彼が仕入れているレモン農家で病が流行っているらしく、今年の収穫がどうなるか心配だと言ってたのを思い出しまして……」
「えっ、それは確かに心配ですね……」
「農園の働き手は、比較的貧しい者も多いですからね。栄養状態が悪い者もいるでしょうし、病には罹りやすいかと」
貧しい人々では、聖女の治癒を受けるのは難しいし、恐らく自然治癒しか望めないのだろう事は想像がつく。こういう事態を防ぐ為に、アリスさんは今奮闘しているのだなと思うと、私も私にできる絵付けを頑張らねばと、そう改めて思うのだった。
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