29 職場訪問
「うん、綺麗に焼き上がったね。文様も美しく出ているよ」
「良かった!ティーカップとか、平面じゃない所に絵付けするのって気を使うから、出来上がりが心配だったんですよね」
工房の外にある魔道具の窯の前で、私とヴィーさんは焼き上がったばかりの磁器の確認をしていた。
あれから暫く、左足を鍛える事に専念していたヴィーさんは、最近では短い距離なら杖なしでも歩けるようになっていた。かなり回復してきた事もあり、最近はまた工房に籠る日も増えてきた様に思う。
最近のヴィーさんはとても機嫌がいい。足が回復している事もそうだが、私とアリスさんの婚約の話の裏で、ご両親とお兄様夫婦ともお話して、暫くは彼の意思を無視したお見合いの話は無くなったらしい。一体どんな話し合いがされたのかは、教えてくれなかったのだが。
「でも、この水差しとかティーカップとか、試したい事があるって言ってましたけど、アリスさんは何する気なんでしょうかね?」
「アリスの考えている事は、私には考え付かない事が多いからなぁ……」
今回作成したのは、アリスさんの依頼を受けた水差しにティーカップ、平皿、小さな蓋付きの容器だ。絵付けする文様は、私が描けるもの、どんな意味かをリストアップしたものの中から、色や種類も指定されてしまったので、作品の自由度はあまりない。それがちょっと仕事みたいだなとは思ったものの、実際作業している時は楽しかったし、完成した物は美しく仕上がったから見ていて嬉しくなる。
これで何を試すのかは解らないが、いずれにせよ使ってもらえる事は確定しているからそこは安心できる。陶磁器を使わずに飾って楽しむ人達もかなりいるが、やはり日用品なのだから気軽に楽しんでもらえるといいなと私は思うのだ。
そう考えた所で、つい溜息が漏れてしまった。
「それにしても、文様の効果を伝えた後の皆さんの反応……私は普通に普段使いしてほしかったのに、皆さん『家宝にします!』って全然使ってくれないんですよ!身に付けてくれないと意味ないのに……」
文様に秘められた力があると解ってからというもの、別邸の皆さんに効果を知らせないのはまずいという事で、皆さんを集めてアリスさんが説明してくれたのだが、それを知った途端、震え出す人や泣き出す人までいて私としてはとても複雑だった。無くしたり壊したりするのが畏れ多いと皆して言うものだから、そうなったらまた作り直すから使ってほしいと言っても誰も首を縦に振ってくれなかったのだ。
しょんぼりと肩を落とす私に、ヴィーさんは苦笑を漏らす。
「まぁ、皆の気持ちは解らないでもないよ。魔除けだけならともかく、傷や病まで癒すものは特にね。そんな事、今まで聖女様に頼るしかなかった事だから、どうしたらいいか解らなくもなるよ」
「そういえば、厨房の皆さんは身に付けてはくれないんですけど、厨房の壁に額装して飾ってくれてるんですよ。そうしたら、誰も火傷をしなくなったし、食材の日持ちが良くなったみたいなんですよね。あれってまさか厨房全体に効果が適用されてるんですかね……」
厨房の皆さんは、何故か揃って流水の文様を選んでくれていたのだが、流水は魔除け、火難除け、清らかさの意味があるから、それが効果的に働いているらしい。
「うーん……それはアリスに言うべきだね。きっと喜んで調べる筈だよ」
「それもそうですね……!帰ってきたら相談してみます!」
アリスさんは今まで実は家に帰らず、研究所の仮眠室を利用する事が多かったらしいのだが、最近はほぼ毎日この別邸に泊まりに来ている。転移の術はやはりとても便利だ。ポメちゃんは相変わらず私の部屋にいるから、夜遅くても直接転移して来れるので、メイドさん達を煩わす心配もない。
にこにことしている私とは裏腹に、ヴィーさんは何処か困った様な表情をしていた。
「はぁ……やっぱりまだ複雑だよ。エマは本当にアリスでいいのかい?酷い事はされてない?何かあったら、すぐ兄様に言うんだよ」
「大丈夫です。アリスさんが本当は優しいの、ヴィー兄様はよく解ってるでしょ」
「それは勿論解っているよ。解っているけれど、そういう問題ではないんだよ……」
はぁぁと大きく溜息を漏らした彼は、若干荒んだ目で遠くを見ていた。暫くそうしていたのだが、何かを思いついた様子の彼は、此方を向くとにっこりと微笑む。
「そうだ、エマ。今からこの焼き物を研究所まで持って行ったらいいんじゃないかな?ミリアム嬢なら転移できるし、一緒に行くといいよ」
「へ?でも、どうせ夜にはここに来るのに……」
「どうせ研究に使うんだろうから、早めに届けてあげれば喜ぶよ。うん、そうしよう。……アリスも少しくらい困ればいいんだよ」
ぼそりと呟かれた最後の方がよく聞き取れなかったのだが、何故かぐいぐいと背中を押されてしまう。でも、アリスさんが働いている研究所……実は結構気になっている。
「それなら丁度アフタヌーンティーの時間だし、何かおやつも持ってった方がいいですかね?」
「あぁ、それはいいね。他の研究員の皆にもお裾分けできる様な物がいいかな。焼き菓子ならストックがあるから、ジャンに用意させるよ」
差し入れを持って職場訪問だなんて、なんだか婚約者らしいイベントだ。ちょっとわくわくしてきてしまう。
「流石に作業してた服だとまずいし、着替えてきますね!楽しみだなぁ」
「あぁ、私も凄く楽しみだよ。いろいろとね」
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「あれが魔術研究所?へぇぇ、王宮の敷地内にあるんだね」
「はい。ちなみに騎士団本部は研究所とは反対側にあるので、私はあまり此方側には数える程しか来た事がございません。案内できる程詳しくなくて申し訳ないのですが……」
「あぁ!大丈夫だよ、ミミ!もう見えてるんだから、迷いようもないし!」
流石に王宮内に転移で入る事は出来ないという事で、王宮の門前まではミミの転移でやってきたのだが、門から建物は見えているものの、敷地が広くてまだだいぶ距離がありそうだ。
「でも門衛さん達、私がアリスさんの婚約者だって言ったら何か幽霊でも見た様な顔してたけど、何だったんだろうね……?」
「それは……アングレカム魔術師長は、これまで女性との噂は全くありませんでしたからね。あの反応も仕方ないかと……」
「まぁ確かに……あの態度じゃね……」
苦笑を漏らしながらも、研究所を目指して歩を進める。回廊から見える範囲には、何やらラベンダーにも似た草花が多い様に見えた。
「この辺りはハーブみたいなのが多いね。研究してる人がいるのかな?」
「そうだと思います。ハーブは魔力をよく通すので、魔術の媒介にも使われますから」
「へぇぇ、そうなんだ!まだまだ知らない事がいっぱいあるなぁ」
そういえばこの世界、聖女の存在があるからなのか、薬という概念がないらしい。薬用になる様な植物は存在しているのだが、民間療法的に利用される事はあっても、薬に加工したりはしていないそうなのだ。魔術が当たり前に存在しているからこその弊害かもしれない。だからこそ、聖女に頼らない方法を研究しているアリスさんは凄いなと感心してしまう。
その後も暫く回廊を道なりに進むのだが、目測で思っていたよりも距離がある。漸く魔術研究所前まで辿り着いた時には、私は若干息が上がっていたのだが、ミミは焼き菓子の入ったバスケットと焼き物まで持ってくれているのに涼しい顔をしていた。普段の活動範囲が狭すぎて気にしていなかったが、やはり筋トレは大事だなと痛感する。
ふーっと息を整えた後、入口にあるノッカーをコンコンと叩く。暫くすると、黒いローブ姿の青年が顔を覗かせた。彼は私とミミを交互に見ると、困った様子で眉尻を下げる。
「何処かの貴族のお嬢様でしょうか?此方は魔術研究所になりますので、迷われたのでしたら王宮は――」
「いえ!此方に用事があって伺いました。アリスさんに渡したい物があって……」
「あぁ!アリスのお友達ですか?彼女なら今丁度実験が落ち着いたみたいなんで、呼んできますね!」
得心がいった様子で踵を返す彼のローブの端を慌てて掴む。この愛称、呼び慣れてしまうと気にならなかったけれど、アリスといえば女性名に使われる事が多いのを失念していた。
「いえ!私のアリスさんは女性じゃないです!アリスティド・アングレカム魔術師長の事ですよ!」
「えっ!?」
そう言った途端、彼はぴたりと固まってしまう。ゆっくりと顔だけ此方を向く彼の瞳は驚きで見開かれていた。
「申し訳ない。徹夜明けで少々疲れているのかもしれないんですが、その……僕の耳が正常なら、今、私のと仰いました?アングレカム魔術師長の事を……?」
「あっ……!違っ……違うんです、私のだなんてそんな……」
指摘されて初めて『私の』だなんて言っていた事に気付き、羞恥で顔が赤くなる。なんかもう、そんなの独占欲みたいだ。ほとんど無意識で言っていた事も恥ずかしく、穴があったら埋まりたい。
「あの……こ、婚約者なんです……それで、その、アリスさんに差し入れと渡す物があって……」
ぼそぼそとそう言うのだが、目の前の彼は全く反応がない。ちらりと顔をあげれば、門衛さんと同じ、幽霊を見たかの様な表情で完全に固まっていた。
「えっ!?大丈夫ですか!?徹夜明けと仰っていたから、お疲れなのでは!?」
「っ……!も、申し訳ありません!自分は全く、これっぽっちも問題ありません!!あまりに予想外の出来事に思考が停止していただけですので、えぇ!ご案内しますね!!」
「……?ありがとうございます?」
彼はハッと意識を取り戻したかと思えば、直立不動になってしまう。動きもどこかぎこちないから、やはり相当疲れているのだろう。そもそも徹夜明けなのにまだ働いているだなんて、ブラック企業もいい所だ。これはアリスさんに一言言った方がいいかもしれない。
ぎくしゃくとした動きの彼に続いていくのだが、中は綺麗に保たれており、観葉植物の如くハーブが置かれているので目にも優しい。研究室はいくつか分かれているようで、壁の上半分がガラスになっている事もあり廊下から中の様子はよく見える。
きょろきょろと物珍しく見ていれば、研究室の中の人達と目があってしまったので、ぺこりと頭を下げた。中には私を見て目を丸くしている人も何人かいたのだが、何処かおかしな所があっただろうか。
「あ、そうだ。皆さんにも差し入れにクッキーを持ってきたんです。たくさん持ってきたんですけど、まさかこんなに部屋が分かれているとは思わなかったので、それぞれに分けてお渡ししても構いませんか?」
「え!?まさかお嬢様自ら……?」
「……?はい、そのつもりだったんですけど……あ!部外者が見たらまずいものとかもありますよね!」
「いえ!それは所長の婚約者様ですから、その辺りは如何ようにも――」
彼がそう言った所で、近くの研究室の扉が勢いよく開かれた。
「所長の婚約者って本当に存在したんですか!?あの所長と婚約しようだなんてそんな物好きがいるのかと思っ……痛っ!」
「ほほほ、申し訳ございません。この馬鹿にはよく言い聞かせますので。それで、お嬢様は本当の本当にうちの所長と婚約されていらっしゃるのでしょうか?腕輪もされているし、まさかとは思うのですが……」
「は、はい……一応。あの、其方の方、大丈夫ですか?」
最初に声をかけてきた男性は、物凄い笑顔の女性達に頭を押さえつけられているのだが、時折くぐもった様な呻き声が漏れている。
「そんな事よりも!お嬢様が本当に婚約者様なら、お嬢様は私達の救世主……いえ、女神様です!」
「へっ!?め、女神……?」
「いつも機嫌悪くて絶対零度のあの表情……あれはとんでもないパワハラですよ!パワハラ!」
「そうそう!顔はとんでもなくいいのに、近寄るなオーラが凄いの何の!」
口々に言う彼女達。その勢いに圧倒されつつも、彼女達の言い分には身に覚えがありすぎるので、つい乾いた笑みが漏れてしまう。そうしていればがしっと勢いよく両手を握られた。
「そんな所長がですよ!急に婚約する事になったと言い出してから、私達は半信半疑だったものの、それからあの所長がずっと機嫌がいいんです!」
「一時期酷かった目の下のクマも無くなって、鑑賞用としては最高だし!」
「それね!本当、仕事もしやすくなったし、幻の婚約者様には感謝してもしきれないと思っていたら、現実だったんですからもう……!」
感極まって泣き出す人までいて、本当にあの人は職場での今までの態度がどれだけ酷かったのだろうかと思っていた時だった。
「おい、何を騒いでいる。まだ提出されていない資料があるという、に……」
聴き慣れた声に笑顔で振り向けば、彼は私を見て目を丸くし、手に持っていた書類はばさばさと床に落ちてしまった。
「あぁもう!何やってるんですか、落ちましたよ」
「は!?なっ……!?何故お前が此処にいる!?」
「アリスさんに頼まれていた焼き物が出来たんですけど、そうしたらヴィー兄様が早く届けてやれって。ならついでに差し入れでもしようかなって、ジャンさんに甘い物用意してもらったので持ってきたんです」
落ちた書類を拾い集め渡すのだが、彼は眉を顰めて頭を抱えてしまった。なんだろう、私が来たのは迷惑だったんだろうか。ムッとしながらも、ミミからバスケットを受け取り、研究員の皆さんの方へと手渡す。
「アリスさんには迷惑だったみたいですけど、皆さんにもクッキーを用意しましたので、宜しければ召し上がってください」
「くそっ……誰が迷惑だと言ったんだ!」
そう言うや否や、彼の腕が私を捉える。抗議の声をあげる間もなく、そのままずるずると奥へと引っ張られてしまった為、視線だけでもミミの方へと向ければこくりと頷いてくれから、この場はどうにか収めてくれる筈だ。
迷惑をかけるつもりも、怒らせるつもりもなかったというのに、どうしてこうなってしまったんだろうと、私は引き摺られながら溜息を漏らすのだった。
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