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28 悲劇の王女

 王都にある王立歌劇場(ロイヤルオペラハウス)。開演までまだ時間はあるものの、周囲には馬車も多く、観劇に訪れた人々で賑わっていた。


「うわぁ……!こういう空気久しぶりなんですけど、めちゃくちゃテンション上がりますね!マチソワしてたのを思い出します……!」


 もうすぐ陽も落ちるかという夕刻。開演前のこのどこかそわそわとして期待に満ちた空気は、生の演劇の醍醐味だろう。


 ちなみにマチソワとは、昼公演(マチネ)夜公演(ソワレ)の両方を観劇する事なのだが、同じ演目であっても何回も通して観る事で新たな気付きや、客席の場所が変わることで見えるものが変わる事があるので大変オススメなのである。


 窓からわくわくとした気持ちで、じっと外を眺めていた所で、馬車はオペラハウスの外壁の傍へとゆるゆると止まった。


 先に降りたアリスさんが此方に手を差し出してくれるのだが、黒燕尾の正装に白手袋というのがあまりに似合いすぎていて、一瞬固まってしまう。このアングルの写真が欲しすぎる。それに、あのポーラータイをしてきてくれたのも結構嬉しかったりするのだが、なかなか手を取らない私に、彼は怪訝そうに眉を顰めた。


「なんだ、タルトの食べ過ぎで腹でも壊したか?」

「違います!アリスさんって、私の事、食いしん坊だと勘違いしてません!?本当、黙ってれば格好いいのに!」

「実際、アフタヌーンティーにばくばくと食べていたように思うが?」

「だって、これからオペラ観るのにお腹空いて集中出来なかったら嫌じゃないですか」


 舞台にもよるが、ソワレの開演時間前は夕食には少し早い時間である事が多いのだ。マチネも観ていると、ソワレまでの間は更に短くなり、軽食を取る時間すらあまりない事もあるのだが、空腹だと舞台を観ていてもなかなか集中出来ない事がある。静かな客席で、万が一お腹が鳴ってしまうという恐ろしい事態の危機もある事から、お腹は満たしておくにこした事はないと私は思っている。


 力一杯そう言えば、アリスさんは可笑しそうに笑っていたのだが、此方を見てフッと口角をあげた。


「……それで、お前は俺を格好いいと思っている訳だ」

「うっ……そこは、聞き流してくれたらよかったのに……黒燕尾に白手袋って王道じゃないですか。白手袋と袖の間に垣間見える素肌の絶対領域には、夢と浪漫が詰まってるんですよ!まぁアリスさんは顔がいいから、何着ても似合いますけどね」

「お前の言ってる事はいまいちよく解らんが、悪い気はしないな」


 そう言って彼は私の手を取ると、馬車から危なげなく降ろしてくれた。そのまま腕を此方に差し出してくれるので、そっと手を添える。


 パーティーの時も思ったのだが、普段我が道を行くタイプだからあまりエスコートなんてし慣れていなさそうなのに、その動きは洗練されていてスマートだったりする。そういうギャップが、割と……いや、かなり良いなと思えて、つい顔が緩んでしまう。


「随分と締まりのない顔をしているぞ」

「アリスさんのエスコート、好きだなぁって思ってただけなので仕方ないじゃないですか」

「っ……!?お、まえは……そういう事をいきなり言うのはやめろ」


 急に憮然とした表情になる彼にどうしたのかと小首を傾げれば、彼はちらりと私を見ると、耳元に唇を寄せた。


「……後で覚えておけよ」


 まるで捨て台詞のような事を言っているのだが、その意味を正確に理解した所でみるみるうちに頬が赤く染まる。じとりと彼の方を見やれば、彼は私の反応に満足そうな笑みを浮かべているのだった。






 豪華なシャンデリアが輝くロビーを抜け、ふかふかの赤い絨毯が敷かれた階段を上へ上へと登っていく。二階以上のフロアですれ違う人々は、皆仕立ての良い洗練された服装の者が多く、富裕層か貴族なのだろうなと察しがつく。


「あった。ここだな」


 たくさんの扉が並ぶ廊下を進み、漸く一つの扉の前で足が止まる。扉を開けた所で、思わず感嘆の声をあげてしまった。


「うわぁ!ボックス席じゃないですか!凄い、私こんな所で観るの初めてです!」


 オペラハウスとは、舞台を額縁の様に縁取る絢爛豪華なプロセニアム・アーチを取り囲む様に馬蹄形に客席が作られている。これは音の響きを考えて作られた構造なのだが、舞台の前にはオーケストラピットが作られ、その後ろ一階部分にある客席は基本的には一般市民の客席となっている事が多い。


 そして、舞台から見て上手と下手に縦に連なるようにバルコニー席があるのだが、此方は主に富裕層、貴族向けの客席と言われている。このバルコニー席の柱と柱の間に壁を設け、個室になっているのがボックス席と呼ばれるものなのだ。


 このロイヤルオペラハウスでは、舞台から向かって正面部分に多くのボックス席を設けている様で、今いる所はやや上手寄りの三階席部分らしく、一階席の方を見下ろすと結構高い。ちなみに二階席中央のボックス席は一際豪華な作りになっており、恐らくあそこは王族が利用するロイヤルボックスだと思われる。


 私がきょろきょろとオペラハウスの構造や客席を堪能している間に、アリスさんはスツールを私の後ろにセットしてくれていた。ボックス席では、席は固定ではなく、移動可能なスツールになっているのだ。そうして彼が自分の分のスツールを私の横に置いて座った所で、私も着席する。


「実は私、生のオペラって観るの初めてなんですよ。楽しみです!」

「観た事がないのに演劇が好きなのか?」


 そう言って怪訝な顔をする彼に、この世界ではオペラ=演劇なのだなと理解する。日本でもオペラはやや高尚な趣味だと思われがちだが、演劇と一口に言っても、大衆向けに親しみやすいものは昔からあるし、最近では漫画やゲームを舞台化したものもとても人気だ。


 一階席の客層を見ても、皆さんとてもお洒落して来ているようだから、やはりこの世界でもオペラはちょっと贅沢な楽しみである様に思われる。


「私の世界だと演劇ってオペラだけじゃなくて種類がいろいろあって、もっと気軽に誰もが楽しめるものなんですよ。そりゃ『貴族の遊び』だなんて舞台を観たことない人が揶揄する事もありますけど、実際は立見席なんて物凄くお手軽なお値段で観られますし、前方席に拘りが無ければそこまで高くないですからね」

「誰もが楽しめるもの、か……それは実にいいな」


 そう言って微笑う彼の視線は、一階席の人々の方に向けられていた。その表情はとても穏やかで優しくて、私も自然と笑みが溢れた。


 そうして開演も間近に迫った頃、客席が突然ざわりと騒がしくなった事に気付く。何事かと人々の視線の先を見れば、二階席にあるロイヤルボックスのすぐ隣にその視線は注がれていた。


「わぁ!物凄く綺麗な人……」


 そこに居たのは、波打つ様な美しく長い黄金の髪に翡翠色の瞳が輝く、人形の様に綺麗な女性だった。隣にはさらさらとした銀の長い髪を揺らす、これまた見目麗しい男性がおり、彼女をエスコートしていた。


 ロイヤルボックスのすぐ隣だなんて、余程身分が高くて有名な方なのだろう。あれが誰なのか聞こうと隣を向くのだが、彼の表情が余りに無表情で一瞬驚く。


「……アレが聖教会の筆頭聖女、エレオノールだ。まさか『人形姫』が今日この場に現れるとは思わなかったな」

「あの人が……隣の男の人は誰なんですか?」

「あれは今の聖教会の長、大神官の息子だ。顔だけはいいが、随分と女にだらしない男だという噂だが……婚約したという話はどうやら真実だったらしい」

「へぇ……」


 ちらりともう一度件のボックス席の方へと視線を向ければ、一瞬彼女と視線が重なった様に思えたが、この距離だ。きっと気のせいだろう。大人しく席に座り直した所で、客席の照明が落とされ、幕がゆっくりと開いていった。





 それは、透き通る様なソプラノの美しい調べから始まった。


 輝く様な黄金の髪と、翡翠色の瞳を持つ美しい王女アンジェリク。心優しく、国民の誰からも愛された王女だが、彼女が最も人々を魅了したのがその歌声だった。


 彼女が歌えば、妖精達は嬉しそうに彼女の周りを飛び回り、花は季節でもないのに咲き誇る。傷付いた人々は癒され、誰もが笑顔になるのだ。


 彼女は王女であったが、変装しては街に繰り出し、人々に歌を聞かせていた。街の人達も、彼女が王女であると知りながらも、知らない振りで彼女を見守り続けていたのだ。


 そんな平和な日々は、隣国が戦争を仕掛けてきた事で終わりを告げる。


 隣国の王は、まだ年若く、冷酷で残忍だともっぱらの噂だった。武力において圧倒的に勝る隣国は、講和の条件として美しいアンジェリク王女を妃にと望んだのだ。父王は国の平和のために、アンジェリク王女を差し出すしかなく、彼女の意思は関係なく婚約が結ばれてしまう。


 国の為なら仕方ないと受け入れるが、会った事もない婚約者は、悪い噂ばかりが聞こえて来る。いつも明るく輝いていた彼女の表情は、次第に暗く沈んでいく。そんな彼女をいつも励ましていたのは、彼女の護衛騎士をしていた青年、エルネストだった。彼は彼女が幼い頃から護衛騎士を務め、いつも影に日向に彼女を支えていたのだ。


 エルネストは美しくも繊細な青年で、少女が憧れる騎士そのものだった。幼い頃から自分を守ってくれる騎士に、アンジェリクは淡い恋心を抱いていたが、今や彼女は隣国の王の妃となる身。そんな想いは当然許されない。それは、彼女を密かに愛してきたエルネストも同じだった。


 彼は許されぬ恋に身を焦がし、一度は自死を試みるが、それを止めたのは他ならぬアンジェリクだった。彼の強い想いに触れ、彼女も道ならぬ恋へと溺れていく。越えてはいけない一線を越えてしまった二人の関係は、ついに隣国の王も知る所となり、その怒りは凄まじかった。


 王女を誑かした罪人として、隣国の王自らその刃をエルネストへと振り下ろそうとしたその時だった。彼を庇おうと、アンジェリクは侍女や騎士達を振り切り、二人の間にその身を滑り込ませたのだ。


 隣国の王が気付いた時には既にその刃は止められず、彼女は二人の男の間に倒れ伏す。隣国の王は刃が床に落ちたのも気付かない程に呆然として立ち尽くし、エルネストはまだ微かに息のある彼女を掻き抱く。


 その場の誰もが言葉も出せずしんと静まり返る中、彼女は息も絶え絶えになりながら、微かな声で歌い出したのだ。それは人々の幸福を願う歌だった。


 そうして彼女は、滂沱の涙を流すエルネストの頬に触れ、僅かに微笑む。


『どうか、わたくしの分まで生きて』


 それが彼女の最期の言葉だった。慟哭したエルネストは、床に落ちていた隣国の王の刃を拾うと、周りが止める間もなく己の心臓を貫いてしまう。


 折り重なるようにして息絶えた二人を前に、隣国の王は静かに涙を流した。


『彼女の最期の願いも叶えられぬとは、なんと愚かな男か。私だけは、愛しい貴女の願いを叶えよう』


 そうして隣国の王は、二人の亡骸にそっと手を触れるのだった。






 鳴り止まぬ拍手の中、私はぐすぐすと涙を流しながら精一杯拍手を送っていた。横から見兼ねたアリスさんがハンカチを差し出してくれたので、有り難く使わせてもらうのだが、そういうアリスさんは全くと言っていい程泣いていない。こんなに泣ける舞台だというのに、よくそんなに冷静でいられるものだ。


「うっ……なんでそんな……平気な顔してるんですか……信じられない……」

「お前こそよくそんなに泣けるな。これは恋とは盲目で愚かなものだという見本の様な話だろう」

「な、なんて酷い……そんな身も蓋もない事よく言えますね……」


 あまりの言い様に、涙も引っ込んでしまった。まぁ恋とは盲目なものだというのは、あらゆる書物に書かれているのだから間違いではないのだろう。私は溜息を一つ漏らすと、舞台の方へと視線を戻す。舞台上ではカーテンコールの為に、演者の皆さんが笑顔で拍手に応えている所だった。


「……でもこれ、アンジェリク王女って『聖女』じゃないんですか?彼女の力は歌を媒介にしているみたいでした」

「オペラで観た事は無かったが、確かにそう感じる表現だったな。それと、ラファエル皇子の話が真実であるなら、最後にあった隣国の王の言葉と仕草……あれは何らかの魔術を掛けた可能性があるな」

「あ、それ!私もそう思ったんですよ!この隣国の王様の事も調べてみてもいいかもしれませんね」


 うんうんと頷いていた所で、何やら視線を感じる。其方を見れば、じっとエレオノールさんが此方を見つめていた。開演前に視線が合ったのも気のせいではなかったのかもしれない。彼女は暫く此方を見ていたのだが、大神官の息子に促され、どことなく後ろ髪を引かれる様子で行ってしまった。


「……エレオノールさんって、アンジェリク王女の見た目にそっくりですよね」

「あぁ、確かに同じ色を持ってはいるな」


 目が合った時の、物言いたげな彼女の表情がどうにも頭から離れない。彼女は、私に何か伝えたい事でもあるのだろうか。


「彼女、どうしてか私を見ていたんです。話を聞く事はできないんでしょうか……」

「それは難しいだろうな……あれがこういう場に出てきた事も、かなり珍しい。普段は聖教会で厳重に護られているような存在だ」

「そうなんですね……」


 そうして私は、彼女が居たボックス席を、暫くぼんやりと眺める事しかできなかった。






読んでくださってありがとうございます!

作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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