27 束の間の幸せ
ハッと目を覚まし、がばりと身を起こす。じとりと纏わりつく様な、嫌な汗が物凄く気持ち悪い。ふーっと大きく息を吐き出した。
「大丈夫……あれは夢だ……」
手に残る感触が妙にリアルで、それを振り払う様に頭を振る。と、もぞもぞと隣で動く気配がし、起こしてしまっただろうかと其方を見るのだが、どうやら体勢を変えただけで起きてはいないようだ。
隣にアリスさんがいる事にホッと安堵し、寝ているのならいいかと、ここぞとばかりにじっと寝顔を見つめる。何度見ても彫刻みたいに綺麗な顔だ。睫毛は長いし、鼻筋も通ってる。肌はいつ見ても透明感のある美しさだし、この唇が昨日私を――
うっかりと昨夜のあれこれを思い出し、顔が火照るのが自分でも解る。こんな表情は恥ずかしくて、絶対に見られたくない。
そもそも昨夜は所々記憶がないのだが、部屋を見渡せば入口から点々と互いの服が落ちてるのが目に入り、どうにも居た堪れなくなってくる。彼が起きる前に回収してしまおうとベッドから抜け出ようとした所で、ぬっと伸びてきた腕が腰に回されてしまった。
「ん……何処へ行く……」
「また寝呆けてますね……?何処へも行きませんよ。服、着ちゃうだけなんで、離してください」
未だ眠そうな声のトーンからそう判断し、腕を解こうとするのだが、何故か余計にがっちりと掴まれ離れない。まさかこのまま寝たんじゃないだろうかと後ろを振り向きかけた所で、背中に一つ口付けが落とされた。予想外の感触に、思わずびくりと震える。
「っ……ちょっと!いきなりは驚くからやめてくださいって、昨日も言いませんでした!?」
「全く、情緒がない奴だな……いちいち口付けする前に言う訳ないだろう」
「っ〜〜!そうやって、またする……!とにかく離してください……!」
どうにか抜け出そうとじたばたするのだが、全くびくともせず、後ろからはくっくっと忍び笑いが漏れた。ムッとして軽くその腕を叩く。
「もう!私を揶揄ってそんなに楽しいですか!?」
「あぁ、この上なく楽しいな。これ程楽しい朝は初めてだ」
顔が見えなくても、その声音の優しさから穏やかな表情をしているだろうことは想像がつく。仕方ないなと溜息を漏らすのだが、いい加減せめて下着だけでも着させてほしいし、この状態を誰かに見られたらと思うと気が気ではない。
「アリスさんが楽しそうなのは嬉しいんですけど、この格好だいぶ恥ずかしいし、誰か起こしに来たらどうするんですか」
「安心しろ。昼まで誰も来ないように言ってあるから問題ない。そもそも、俺達が早く起きてくるとは誰も思っていまい」
「うっ……なんか、お察しくださいって感じなのがすごくやだ……」
この後、皆さんの前で一体どんな顔をしていればいいのかと、思わず深い溜息が漏れた。きっと物凄く生暖かい目で見られるのだろうなと、想像がつく。
しかし昼までのんびりできるだなんて、実はかなり久しぶりだ。朝は割と早く目が覚めてしまうし、最近は磁器アクセサリーの作成が楽しすぎて、ついいろいろと作業してしまうから、特に何もせずまったり過ごすという事をずっとしていなかったように思う。
「でもそれならまだ朝も早いし、もうちょっと寝ててもいいですかね。夢見も悪くて、実はあんまり疲れが取れてないんですよ」
服の回収は後回しにし、もぞもぞと布団に潜り込むのだが、迎え入れてくれたアリスさんの表情は、妙に神妙な顔つきだった。
「それは俺が疲れさせたせいか……?加減が出来ず、性急だった自覚はある」
「へっ?あ、いえ、あの……!アリスさんのせいじゃなくてですね……!」
昨夜の息遣いや、触れられた手の熱さをつい思い出し、また顔が一気に赤くなるのを誤魔化すように、彼の胸に顔を埋めた。アリスさんの規則的な鼓動を聞いていると、少し落ち着いてくる。労るように私を抱き締めてくれる腕が、酷く心地良かった。
「……アリスさんは、闇の魔術について詳しいですか?」
「なんだ急に」
「実は、夢で会ったんです。……ラファエル皇子に」
とても夢とは思えない程リアルな、夢の中で起きたこと。闇の魔術に、前世のこと、ラファエル皇子の私への望み、覚えている限りの事をゆっくりと、時々言葉に詰まりつつも話していく。アリスさんはずっと、難しそうな表情で、頷きながら聞いてくれた。
「……あの人は、私に殺されたがってたんです。あれは夢なのに、目覚めた時にあの首に触れた感触が残ってて、凄く恐ろしくて……私には、誰かを殺すだなんてそんな事とても出来ません……」
あの光景を思い出すだけで、体は否応無しに震えてしまう。ぎゅっと彼が抱き締める腕に力が篭った。
「まさかリアトリス帝国の皇子が、あの大魔術師の生まれ変わりだったとはな……彼の文献は、神経質で繊細な性格が見てとれる物だったが、成程な……」
「闇の魔術って何なんでしょうか……次の新月の夜に、また同じ事が起きるのかと思うと……」
この先、ずっとあの夢渡りに怯えるのかと思うと、とてもじゃないが正気ではいられない。いっそ、新月の夜に眠らなければ夢も見ないのだろうか。
「闇の魔術は、主に精神に関与する術が多い。心を落ち着けたり、安眠を誘うものなんかは実に重宝されるが、今回の夢に干渉するようなものや、暗示をかけたりするものは危うい所がある。そして、その中で最も難しく、禁忌とされているのが、異世界からの召喚術だ」
異世界からの召喚術――その単語に、思わずびくりと肩が震えた。それこそ、私が此処に来てしまったものだからだ。その代償に、術者の命を奪う禁術。
「400年前の大魔術師は、闇の魔術を得意としていた。そうして命と引き換えに大聖女様を召喚した訳だが……こうなってくると、もしかすれば大聖女様は、お前の前世ではないのか?」
「へっ?まさかそんな……」
「話を聞く限り、彼はその始まりの記憶とやらの女性に尋常でない執着を見せている。であれば、ラファエル皇子と同じく、夢渡りでその魂が異世界にあるのだと知ったとする。是が非でも、召喚しようとするのではないか……?」
「で、でも!それをしたとして、自分が死んじゃったらどうしようもないじゃないですか!」
例えその通りだとして、彼女の魂を持った人を召喚出来ても、自分の命と引き換えでは彼女には会えないのだから、そんな事をしても無意味ではないのか。そう思うのだが、アリスさんはゆうるりと首を横に振った。
「……これは、俺の推測でしかないが……本当は、術者の命を奪わずに召喚できる筈だったとしたらどうだ?その筈が、術式が間違っていたか、何か想定外の事態で失敗し、召喚は成されたが術者の命は失われたのだとしたら……?」
「それなら、確かに……辻褄は合いますね……」
「召喚術の術式を見られれば、確かめようもあるんだが、生憎と俺は未だそれが載っている物を見た事がない。だから推測の域を出ないんだがな」
私には前世の記憶なんてものは全くないから、何の実感もないのだが、本当にそうだとしたら、彼は本当にどれだけの時間、始まりの記憶に囚われて転生を繰り返しているのだろうか。想像するだけでも、気が狂いそうな話だ。
「術式は現状確かめようもないが、その始まりの記憶とやらのアンジェリクという女性は恐らくというか、確実にそうだと思われる人物がいる」
「えっ!?もしかして、凄く有名な人なんですか?」
ラファエル皇子の話ぶりだと、かなり昔の人のようだから調べようがないかと思っていたから、彼の言葉に驚き、目を見開く。
「俺が知るアンジェリクは一人だけだ。悲劇の王女、アンジェリク。彼女の悲劇的な最期は、有名な戯曲にもなっているから、真実がどうであれ彼女の事なら知る事ができるぞ」
「!!凄い!戯曲になるようなドラマチックな生涯の人なんですね……!いいなぁ、観てみたいなぁ……」
悲劇といえばついシェイクスピア作品を思い浮かべてしまうのだが、此方の世界の戯曲がどういうものなのか物凄く興味がある。うっとりと妄想していれば、アリスさんが妙にそわそわとしている事に気付いた。どうしたのだろうかと小首を傾げれば、彼は逡巡した後、一つ咳払いをする。
「……実は、だな。お前が演劇が好きだというから、アレクサンドルがオペラのチケットを融通してくれた。それが丁度、アンジェリク王女の話だ。まぁ、実のところ悲劇はリリアーヌに見せたくなくて俺に寄越しただけなんだが、もしよければ行くか?」
「行きます!是非行かせてください!!」
まさかのお誘いに、つい食い気味に返事してしまう。久しぶりの観劇!これを喜ばない筈がないではないか。
満面の笑顔になる私に、アリスさんも嬉しそうな笑みを浮かべていた。
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