3 美貌の皇子は天使か否か
晩餐のための応接間に着いた時には、既にラファエル皇子とあの赤毛の隻眼の男が揃っていた。隻眼の男は、ラファエル皇子の父親である皇帝の末の弟であり、グエノレ・ロア・リアトリスという名前らしい。
軽く自己紹介をされた後、案内されたのは長机の端であり、向かいにはラファエル皇子が着席しているため、どうやらあのお綺麗な顔に正面から見られながら食事を取らなければいけないらしい。
正直言って居心地が悪いことこの上ない。
入室した時から、それはもう美しい微笑みを向けられるが、どう対応したものかも解らず、曖昧な笑みを返してしまった。
本当に何度見ても顔はとてもいいのだ、顔は。
それなのに何故、彼は聖女でもなんでもない私を、あの豪奢な部屋に閉じ込めてまで自分の妃にしようとしているのだろうか。
聖女であるなら利用価値はあるだろうから、まぁ解らないでもない。しかし現状、私は異世界から来たただの女でしかないのだ。
(私が物凄い美人とかなら、一目惚れしたとかも考えるんだけど、それはないしなぁ……まぁあのドレス見たら一目惚れな訳ないんだけど)
自分で言うのも何だが、背は高くもないし、出るとこが出てる訳でもない、十人並のどこにでもいそうな容姿だ。舞台に立つ娘役さんのような可憐さも、女役さんのような妖艶さも全くない。
彼のような美形の隣には、そういった見目麗しい人がお似合いだし、美男美女カップルというのはそれだけで周りの人々の眼を幸福にさせてしまう有難い存在なのだ。
間違っても私では釣り合いが取れないし、平凡な私には彼のような美形の隣は荷が重すぎる。
(いやでも、綺麗なモノは自分の顔で見飽きてて、私みたいのが物珍しいとか……?)
なるほど、珍獣枠という奴か。それはそれで面白くはないな、と想像に耽っていたところで、ラファエル皇子が可笑しそうに口許を覆い、肩を震わせていることに気付いた。
人を見て笑うというのは、ちょっと失礼なんじゃないだろうか。ムッとして眉を顰めると、彼は気を取り直すように一つ咳払いをした。
「……失礼。君の表情があまりに解りやすくてね。実に可愛らしいと思ったんだよ」
「はぁ……それ、面白がってますよね?」
「随分と嫌われているようだ。皇太子と解っても、俺に全く阿らない所が、本当に可愛いと思っているというのに」
此方へとにっこりと美しい笑顔を向けてくるが、本当にどの口が言っているのだろうかと剣呑な眼差しを向ける。
「そもそも、急に知らない世界に連れてこられた上に、あんな部屋に閉じ込められて、嫌われない訳がないでしょう」
「最高の物を用意したんだが、お気に召さなかったか?」
「確かに家具とかドレスとかすごくいい物でしょうけど、あの窓の格子は悪趣味ですね」
「君を全てから護るためには、仕方のないことだ。そこは目を瞑ってもらわねばならないな」
そうこう話しているうちに、目の前にはオードブルのテリーヌ・ド・パテが運ばれてきた。付け合わせに一部見た事もない野菜があるが、見た目には私が知っている食材と比べても特に違和感の無い料理だ。
(でもお皿はすごくシンプルだな……皇族ならもっと料理を引き立てるような形や、綺麗な模様が描かれたやつとか使ってそうなのに……)
彩り良い料理に、シンプルな真白の丸皿。
料理が主役なのだから、これはこれでいいのだろうが、器を変えることで料理を更に美味しそうに引き立てる事はできる。それをよく知っているからこそ、少し残念に感じた。
「口に合わなかったか?君が苦手な物は入っていないはずだけど」
「あ、いえ……料理はとても美味しいです!味付けもなんだか懐かしい味わい……で……」
そう答えながら、とんでもない違和感に気付く。まるで私の食べ物の好みまで把握しているような口ぶりではないか。
当然ながら、私はこの皇子様だけではない、メイドさん達にも何が食べられないかなど話してはいないというのに。
「あなたは……私の何を知ってるんですか?このドレスだって、普通採寸も無しにこれほどぴったりな物を事前に用意できるはずなんてないのに」
「それはもちろん、知っているからだよ。俺は君以上に、君の事を知っているからね」
完璧な微笑みを浮かべるその表情は、絵画の様に美しいというのに、そのあまりの現実感の無さにぞくりと背筋を震わせる。得体の知れないものに絡め取られるようなそんな感覚に、訳も分からず身が竦んだ。
何故、どうして。
そう問いかけたいのに、言葉が出てこない。一瞬とも、永遠とも思える沈黙が部屋を支配する。それを打ち破ったのはこれまで静観していたグエノレの咎めるような声だった。
「……ラファエル、お前の言い方は回りくどい。それではこのお嬢さんに、伝わるものも伝わらんぞ」
「申し訳ありません、叔父上。この時を随分と待ち侘びていましたから、少々舞い上がっていたようです。――エマ」
名前を呼ばれ、視線を交わせば、全てを見透かしているようなグレイシャーブルーの瞳に射抜かれる。そうして彼は、心底嬉しそうにその美貌の顔を綻ばせた。
「父上の承認も得た。婚姻の儀は、明日にも執り行えるよ」
「はいっ!?嘘でしょ、婚姻って何でそんな……!明日!?」
「心配しなくても、君のための婚礼衣装は既に仕上がっているから、何の問題もない」
「いやいやいや、問題だらけですけどね!?」
完全に外堀を埋められている事態に、頭が真っ白になる。まさか既にそこまで話が進んでしまっているとは、夢にも思わなかった。
そもそも、召喚されてまだ一日と経っていないというのに、何もかもが整ってしまっているという事からしておかしいのだ。本当に、『私』という存在だけを待っていたかのように、他は全て完璧に用意されていたのだから。
「まず、私は『聖女』じゃないんですよ!?」
「いいや、君は間違いなく『聖女』だ。召喚されたばかりで、まだ聖属性の力が身体に馴染んでなければ水晶は光らないだろうしね。それに問題なくこの世界の言葉を話せていることが、かつての異世界の聖女と同じだ。他の異世界人は、理解できない言語を話していたから」
「へっ……?」
興味も無さそうに語る最後のその言葉が、一瞬理解が出来ずに、酷く間の抜けた声が漏れた。
他の異世界人……?
「え……待って……私の他にも召喚された人がいるんですか!?」
「あぁ……正しくはいた、だね。もういないから」
「は……?」
どくんと心臓が嫌な音を立てる。
何?どういう意味なの?
どくどくと鼓動が早まり、息苦しさに耐えるように、ドレスの胸元を知らぬうちに握りしめていた。
「異世界からの召喚は、術者の命と引き換えにされるからね……今は公には禁じられた術なんだよ。国の緊急時には最後の手段として行使できるよう、王家には伝えられた術ではあるんだけど。俺は最初から、君だけを求めていたのに、2回も失敗してしまってね……エマ以外は必要ないから」
穏やかに微笑み、大した事でもないように平然と語るその姿に、私は血の気がどんどん引いていくのを感じていた。
私を召喚する為に、誰かの命が失われた……?
しかも私の代わりに召喚されてしまった人が二人もいて、その二人は……?
私のせいで……?
そこで私の意識は、ぷっつりと途絶えてしまった。