25 誕生日パーティーの夜
「本当……なんでこんな事になっちゃったんだろう……」
侯爵家本邸にある大広間では、ヴィーさんのお義姉様、リリアーヌさんの誕生日パーティーが盛大に催されている。親族のみの小規模なものを想像していたのだが、流石貴族は規模が違う。貴族にとって社交は重要な意味を持つというが、まさか王族まで招待されるようなものだとは思ってもみなかったのだ。
よくよく考えてみれば、ヴィーさんは400年前の大聖女様の血筋な訳で、侯爵家にはかつて王女様が降嫁しているというのだから、王族が来るのもおかしくはないのだ。
大広間からは生演奏が聞こえ、今はワルツを奏でている。ダンスパーティーの様になってきた為、私は一人、このテラスへと避難していた。夜風が心地良く、ガラス戸から漏れ聞こえるワルツの音色と、ダンスに興じる人々の翻る色とりどりのドレスを眺めているだけでも贅沢な時間だ。
ただ一つ、私を悩ませているのは左手に光るこの婚約の証の腕輪だ。この世界では、婚約すると互いに腕輪を交換し合うのだという。空を見上げれば、今夜は新月らしく、月は見えない。月のない空に手を翳せば、大広間の明かりを受けて腕輪はきらりと銀色に輝き、私はまた一つ溜息を漏らした。
話は数日前に遡る。
薔薇園で出会ったシャルルくんとディディくんの双子の兄弟と一緒に本邸に伺えば、二人を探していたリリアーヌさんが丁度玄関ホールの大階段を降りてくる所だった。余談ではあるが、この玄関ホール、私が足繁く通っていた大劇場のロビーの雰囲気によく似ており、入った瞬間は物凄い既視感に襲われたものだ。
「ルル!ディディ!貴方達は本当にもう……!今日はお祖父様とお祖母様が来るから大人しくしているように言ったでしょう!?ヴィクトルにも迷惑かけて……!」
物凄い速さで大階段を降りてくるというのに、その動きはとても優雅で、これが本物の淑女なのかと思わず感心してしまう。腰まであるふわふわの銀髪はディディくんとそっくりだけど、瞳の色はシャルルくんとおんなじオパールグリーンでとても美しい人だ。
「またそんなに汚して……早く着替えてらっしゃい」
「「はぁい……」」
流石は双子と言うべきか、完全にシンクロした返事を返す二人はメイドさんに連れられて行ってしまった。シャルルくんはつまらなそうに頭の後ろで手を組んでいたけれど、ディディくんはちらりと此方を振り返り、はにかんだ様に微笑んで小さく手を振ってくれたので、私も笑顔で手を振り返してしまう。やっぱりとても可愛らしい子だ。
そうして双子を見送った後、此方に向き直った彼女は、まだ手を繋いだままの私とアリスさんを見て目を丸くした。
「えっ!?何、そういう事なの!?アリスティドまで来るだなんてどうしたのかしらと思ったら!私はてっきり、アレク様とおんなじ事をヴィクトルが始めたのかと思っていたのよ」
「義姉上……」
「あら……もしかして藪蛇だったかしら?ヴィクトル、後で話は聞いてあげるわよ」
慈愛に満ちた表情で微笑む彼女とは裏腹に、ヴィーさんはやけに疲れた様子で溜息を漏らした。そうして彼女は私へと視線を向けると、優しく微笑む。
「貴女がエマちゃんね。私には弟しかいなかったから、義妹が出来て嬉しいわ。よかったら私の息子達、ルルとディディとも仲良くしてあげてね」
「私もリリアーヌさんみたいな素敵なお義姉様が出来て嬉しいです!こちらこそ宜しくお願いします……!」
深々と頭を下げれば、彼女からころころと楽しそうな笑みが溢れた。
「本当にいい子ね。アリスティドなんかには勿体無いわ。この子、かなり口が悪いでしょう?大丈夫?この子ったら、昔から女の子に辛辣で――」
「リリアーヌ、余計な事を言うとアレクサンドルにあの事を言うぞ」
「ほら!こうやって私の事をすぐ脅すのよ!全く酷い子だわ。本当、何か嫌な事されたら私にすぐ言ってちょうだいね」
彼女はぎゅっと私の手を握り、真剣な瞳で見詰めてくるのだが、その手は隣にいたアリスさんに叩かれてしまった。友達のお義姉様に対してこの扱いで、この人は果たして大丈夫なんだろうか。私は思わず乾いた笑みを浮かべてしまうのだが、リリアーヌさんは驚いた様子でアリスさんを見ていた。
「貴方……本当にエマちゃんの事が好きなのね。独占欲の強い男は嫌われるわよ」
「独占欲が人一倍強い男と結婚している癖によく言うな」
「酷いな……愛しい私の百合の花は、私の事が本当は嫌いだったの?」
ぞくりとする様な声音が聞こえたかと思えば、いつの間にか現れた男に彼女は後ろから抱きすくめられていた。艶やかで長い黒髪に琥珀色の瞳の美丈夫で、ヴィーさんと顔の作りは似ているのだが、漂う色気が物凄く大人の雰囲気を醸し出している。一目でこの人は敵に回してはいけない人だなという事が察せられた。
「あ、アレク様!?どこから聞いておられました……?」
「君が独占欲の強い男は嫌われると言った所からだよ。悲しいな……私は君に嫌われたら生きていけないというのに」
「一般論です、一般論……!私はアレク様のそういう所も大好きですからね!」
「そう?それなら君に嫌われないように、今夜もたっぷり愛すから覚悟しておいてね」
そう言うや否や、目の前で交わされる濃厚なキスに思わず顔を両手で覆うものの、つい指の隙間から見てしまった。お兄様、想像以上にやばい人だ。
「あ、アリスさん……これ、いつもこんな感じなんですか……?」
「大概いつもこうだぞ。これが一般的な夫婦だと信じてるヴィーも大概だがな。アレクサンドルはリリアーヌと、あとあの悪魔二人に関しては度を越して甘い上に、死ぬ程独占欲が強い。何せリリアーヌが産まれた時から結婚しようと決めていたような奴だからな」
「ひぇ……」
まさに産まれた時から死ぬまで、彼女の全てを独占したいというのを体現しているというのだろうか。なんというか、本当にやばい人らしい。
思わず震えていれば、耳元に彼の唇が近付いてきた。
「エマ、お前はこういう独占欲が強い男はどう思う?」
「へ?私ですか……?いや、ここまでのはちょっとなって思いますけど、好きな人になら嬉しいんじゃないですかね」
「なんだ、随分他人事だな。お前、誰かを好いた事はないのか?」
「失礼な!好きな役者さんならいっぱいいますよ!」
歴代の御贔屓の姿を思い浮かべながらそう言えば、呆れた様な目で見られてしまった。私は彼女達の美しさ、演技の素晴らしさ、心に染み渡る歌声に恋して生きてきたのだから。あの素晴らしい舞台を観た事がないからそんな表情ができるのだと、ムッとする。と、何故か彼は妙に嬉しそうに微笑んでいた。
「……なんですか、その表情。私の事、馬鹿にしてます?」
「いや、良い事を聞いたと思っただけだ」
「いいですか、舞台には夢がいっぱい詰まってるから、それだけで幸せなんですからね!」
ぽかぽかと軽く叩けば、彼はさして気にした様子もなく笑っているのだが、その時になって漸く小声で話していた筈の声がいつの間にか大きくなっていた事、周りの視線が私達に注がれていた事に気付く。
「あらあら貴方達、思っていたよりも仲良しなのね。そんな風に戯れあって」
「へっ!?」
「ふむ……アリスティドは既にもう一人の弟の様なものだから、構わないのではないか?」
「あ、あの……?」
「私の誕生日パーティーで、エマちゃんがうちの養子になる事、アリスティドとの婚約も発表してしまえばいいんじゃないかしら」
名案だわと満面の笑みを浮かべるリリアーヌさんに、アレクサンドルさんは彼女の笑顔を嬉しそうにただただ眺めていた。
婚約(仮)だった筈なのに、その後に到着された前侯爵御夫妻も交えて、あれよあれよという間に本当に婚約せざるを得ない空気になってしまっていた。
何故かアリスさんは物凄く乗り気で、こんな婚約の証の腕輪まで用意してくれたのだけれど、私の気持ちだけがこの流れに全く追いつけていなかったのだ。
そうして迎えた今日の誕生日パーティー。
いろんな人に紹介され、愛想笑いをするのにも疲れてしまった。当然ダンスなんてした事もないから、アリスさんとヴィーさんの目を盗んでこうして一人抜け出してきた訳だ。
こうしてガラス戸を隔てて見れば、大広間の中の煌びやかな空間は完全に別世界の様に見える。いくら着飾った所で、私はやっぱりこの世界にとっては異物の様に感じてしまうのだ。例えばここが客席で、ガラス戸の向こう側は舞台だとすれば、私はここであの華やかな世界を眺めている方が落ち着く。
ふーっと大きく溜息を漏らし、手にしていた果実酒を飲み干す。程よく冷えたそれは、大広間の熱気で火照った体に心地良く染み渡った。
「……ここに居たのか」
「アリスさん……」
彼は此方へと近付いてくると、私の手から空になったグラスを抜き取った。その表情は、逆光になってあまりよく見えない。
「何杯飲んだ?顔が赤いが、まさか酔っているのか?」
「これ一杯だけです。これだけじゃ酔いませんよ……アリスさんは、踊らなくていいんですか?」
「お前がいないのに、他の誰と踊るというんだ。そもそも俺はダンスは得意ではない」
「ふふっ……確かに苦手そう。だってアリスさん、女の人好きじゃないでしょう?あとたぶん、この侯爵家以外の貴族も嫌いですよね」
そう言えば、アリスさんの肩が僅かに揺れた。さやさやと心地良い風が髪を揺らした。
「……何故そう思った?」
「最初は人が全般的に好きじゃないのかなって思ったんですけど、それなら人を救う為の聖属性の研究なんてする訳ないじゃないですか。だからあの日の夜に話を聞いて、なんとなくそうかなって思ったんです」
全ての貴族が嫌いな訳ではないとは思う。ただ、あの話を聞けば貴族の父親は蛇蝎の如く嫌っているだろうし、お母様を救えなかった事と、ヴィーさんの怪我の事で聖女も嫌っている事は想像がつく。それは聖女を囲い、自分達だけが益を得ている貴族も同じくだ。
彼は物言いは悪いが、お母様の様に病で苦しむ人を救いたい、平民だとかそういう区別なく人を助けたいと願っている、本質的にはとても優しい人なのだ。だからこそ、救う力があるのにそれをしない者を憎んでいるのだろう。
「……お前はもしかして、俺が婚約を進めているのはお前が人を救うすべを――あの文様の秘術を使えるからだと思っていないか?」
「実を言うと、そうじゃないかなって思ってます。だってあれは、あなたが何よりも欲しいものでしょう?」
言葉にしてみて、どうしてこんなにこの婚約が納得し難いかがすとんと腑に落ちた気がした。
私はアリスさんに嫌われてはいないと思う。でもそれはあの力があるからじゃないのか。あの力が無ければ、きっとこんな事にはなっていなかった筈なのだ。
そう思えば、こんな婚約は間違っている。
「そもそも私は『観客』なんです。舞台上の綺羅綺羅とした、選ばれた特別な人達を眺めているだけでいいんですよ。それだけで十分幸せなんです。アリスさんは、あのガラス戸の向こう側の特別な人だから、最初から住む世界が違――」
「煩い、もう黙れ」
私の言葉は、咎める様な強引な口付けに阻まれ、紡がれる事はなかった。強すぎる熱に、堪らず口を開けば侵入してきた舌に、口内を蹂躙される。私の舌は絡め取られ、どちらのものか解らない程に互いの唾液が混じり合う。
私を見据えるインディゴブルーの瞳は、その静かな色とは対象的な、燃える様な怒りを孕んでいた。
「住む世界が違うとは笑わせる。俺とお前の距離はこれ程近いというのに、一体どこが違うというのだ?違うと言いながら、どうしてお前は、それ程に泣いている?」
「違っ……!これは……!」
ぽろぽろと溢れる涙は、私の意思とは関係なく溢れ、視界を朧気にしていく。私の気持ちなんて気付かれたくないのに、これでは知ってくれと言っている様なものだ。止めたいのに止まらない。
「……エマ、俺はお前が好きだ」
びくりと肩が震える。
「自覚したのは本当に最近だが、俺は多分、あんな出会いでも、最初からお前の事は嫌いでは無かった。あんな風に面と向かって来る奴は今までいなかったし、喧嘩みたいなやり取りもどこか楽しんでいた様に思う」
視界は滲んで何もかもが朧気なのに、頬に触れる温もりだけが確かな熱を帯びる。
「オベールも、お前で無ければ付けようとは思わなかった。夜毎慣れない温もりに悩まされたが、今思えば、あれは本物のお前の温もりを求めていたのだ。現にあの夜は、お前を抱えてよく眠れたのだからな」
溢れる涙を拭う指は、驚く程に優しかった。
「聖女かどうかは関係ない。俺はその力がたとえ無かったとしても、きっとお前の事を好きになった。お前が『観客』でいたいというのなら俺はそこに行くし、お前が望む場所で隣に在りたい」
私に触れるその手は、不安気に震えていた。
「俺の事を少しでも好いているなら、俺と共に生きて欲しい」
ここまで言われてしまっては、もう認めるしかない。私は――
「私も……アリスさんが好きです。ずっと気付かないふりをしてたけど、凄く好き……大好きです。だって、知ってましたか……?私、アリスさんの顔が一番好みなんです。ほぼ一目惚れだったんですよ」
精一杯の笑顔を見せたつもりだったけれど、果たして笑えていただろうか。ただ、アリスさんは黙って私を抱き寄せて、さっきよりも優しいキスをくれた。言葉は無くても、それだけで十分気持ちは伝わってくる。
そのままパーティーは抜け出して、私達は数えきれないくらいのキスを交わした。誰よりも近くで互いの熱を感じ、与えられる幸福に酔いしれ、溺れる。
それは今までで一番満たされた夜だった。
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!