21 聖女の秘術
「嘘だろう……なんだこのでたらめな代物は……」
呆然とした様子で呟くアングレカム魔術師長を、訳も解らずぽかんと見詰めてしまうのだが、だんだんと思考が回復していくにつれてこの異常事態に気付く。
「はぁぁぁぁ!?むぐっ!?んー!んんーっ!」
「っの馬鹿!急に大声を出す奴があるか!」
声をあげれば勢いよく口を手で塞がれ、抗議の声も視線も黙殺されてしまう。もごもごと抵抗するのだが、インディゴブルーの瞳は静かに私を見下ろしていた。
「……少しは落ち着いたか?大声を出さんなら手を離してやる」
いきなり人の部屋に現れた上に、この言い草とはまるで押し込み強盗と同じではないかと思うのだが、このままでは埒が明かない。私がこくこくと何度も頷けば、漸く彼はその手を離した。
「ちょっと!なんでいきなり私の部屋にいるんですか!?しかもこんな夜に!」
「口喧しいな……転移の術で来たに決まってるだろう」
「此処は結界があるから、転移できないんじゃなかったんですか!?」
そう、リアトリス帝国に居た時に、此処は結界が張ってあるから安全だという話だった。結界は、魔術の干渉を防げるというのだから、本来は結界内に転移もできない筈なのだ。だからこの国に転移した時も、結界の外である本邸の前だったのだから。
じとりと睨むのだが、アングレカム魔術師長は悪びれた様子もなく鼻で笑った。
「それは俺の術の媒介になるオベールがいるから可能だ」
「はぁ!?それじゃあ、アングレカム魔術師長は私の部屋にいつでも来れちゃうって事になっちゃうじゃないですか!」
「別に俺だって来たくて来た訳ではない!緊急事態だったからだ!……これは一体何だ」
差し出されたのは、ポメちゃんにと思って作ったリボンだ。中心の丸い留め具には金色で唐草を絵付けしているのだが、プラチナブロンドの毛並みには合う筈なのだ。
「それはポメちゃんの可愛さを引き立てるリボンですよ。……あ、もしかして、ポメちゃんにはそういうのつけちゃダメでしたか!?それでまさか慌ててここに……?」
「そんな訳があるか!俺が聞いているのはこれに掛けられた魔術はどうやったのかという事だ」
「へっ?魔術……?」
きょとんとしてアングレカム魔術師長を見やるのだが、彼は一切冗談を言っている様子もなく、至極真剣な表情だ。しかし、そう言われた所で、私には全く身に覚えがない。
「魔術なんて掛けてませんよ?」
「何を馬鹿な……これ程でたらめな力が込められた代物など、俺は見た事がないぞ」
「そう言われても……あ、もしかして絵具の力じゃないですか?それ、魔石の粉塵から作ったんですよ!綺羅綺羅して、宝石みたいに綺麗でしょう?土台はヴィー兄様が作って、私が絵付けした合作なんです」
そう話しながら、引き出しにしまっていた小箱を取り出す。少し開けて中身を確認した後、それを彼に差し出した。
「これ、どうぞ。今度会った時に渡そうと思ったんですけど、いろいろ助けてもらったし、ポメちゃんを預からせてもらっているお礼です」
「……っ!?待て、なんだこれは!?」
「何って、ポーラータイですよ。略式礼装ならネクタイの代わりに使えるやつです」
アングレカム魔術師長は、小箱を開けた途端、驚いた様子で目を見開き、完全に固まってしまっていた。私は一つ溜息を漏らすと、小箱を覗き込む。
「これ、この大きな花の装飾はヴィー兄様がかなり力を入れて作ってくれた力作です。それで、私が描いたこの文様は紗綾形っていうんですけど、不断長久っていう繁栄と長寿の意味が込められてるんです」
紗綾形は卍を斜めに崩して連続させた文様なのだが、そもそも卍とはインドのヴィシュヌ神の胸の旋毛を表す吉祥の事だ。ヴィシュヌ神は、世界が混沌に陥った時、守護者、維持者として地上に現れるとされている最高神の一柱だから、それだけでもこの文様のありがたみが解るだろう。
文様はポメちゃんと同じく彼の髪色からイメージして光属性の金色にしてみたのだが、とても上品な仕上がりになったのではないかと自分では思っている。かなり良い出来だと思っているのだが、この反応はどういう事なのだろうか。
彼は俯いたまま、その表情は窺えないのだが、彼の指が恐る恐る確かめる様に文様をなぞった。
「これは……消える事はないのか……?」
「へ?……あぁ、文様がですか?それ、絵付けをした上から釉薬を掛けて保護してるので、割れない限りは半永久的に消えませんよ」
「そう……か……そうか…………」
「アングレカム魔術師長……?」
どうもいつもと様子が違う気がして、名前を呼ぶのだが返答もない。怪訝に思い、顔を覗き込んだ所でぎょっとして目を見開いた。
「嘘っ!?だ、大丈夫ですか!?私、何かしました!?」
彼の美しい瞳から、ぽたぽたと大粒の雫が溢れていたのだ。まさか泣いているだなんて思わず、おろおろとしながら背中を摩るのだが、溢れる涙は止まらない。立ったままなのも良くないかと、背後にあるベッドの端に座らせると暫くその背を摩り続けた。
まさか泣くほどポーラータイに感動してくれたとは思えず、私が何かしたのだろうかとぐるぐる考えながら横顔を見詰める。目の下にクマが目立っているが、あまり眠れていないのだろうか。
それにしても泣いている人を前に不謹慎ではあるが、泣き顔も美しいだなんて顔面偏差値が高い人は得だなと思ってしまう。仮に私が泣いたとして顔はぐしゃぐしゃで、とても人様には見せれたものではない。
しかし、この人がこんな風に泣くだなんて思わなかった。私はそれ程とんでもない魔術を掛けてしまっていたのかと、なんだか落ち込んでしまう。
「ごめんなさい……私、何かおかしな魔術を掛けてたんでしょうか……自覚無くてすみません……」
「っ……!馬鹿、謝るな……!」
「だってそんな泣くほど酷い事になってるんですよね……?私、良かれと思って、お守り代わりにと別邸の皆さんにも贈ったのに……」
皆あんなに喜んでくれたというのに、万が一悪影響があるような魔術が掛かっているのなら、回収しなくてはいけないだろうか。溜息を漏らしかけた所で、両頬をおもいきり手で挟まれて目を丸くする。彫刻の様に綺麗な顔が間近に迫っていた。
「待て……まさかこれと同じ様な物を贈ったというのか……?此処にいる全員に……?」
「ふぇっ!?は、はい……日頃のお礼にと私とヴィー兄様から。女性にはネックレス、男性にはカフリンクスを贈ったんですけど、まずかったですか……?」
「この文様は?同じものか?」
「いえ、皆さん違うものというか、同じ文様でも色を変えたりしたので……」
先程まで静かに泣いていたのは幻だったのかと思える程、凄い剣幕で尋問されて、私はただただ冷や汗を流すしかなかった。一通り聞き終えた後、彼は大きな溜息を一つ漏らし、頭を抱えてしまう。
「あ、あの……皆さんから回収した方がいいですか?何か良くなかったんですよね……?」
「いや……後で全員の物を確認したいが、そのまま持ってて構わん。これと同じ様な代物なら、お守りどころか、国宝以上の物だと説明せねばならんがな」
「へ?」
国宝以上とは一体何がだろうか。意味が解らず、小首を傾げていれば、彼はゆるゆると此方へ視線を向けた。
「これには、お前が言う文様に込められた意味そのままの効果が付与されているという事だ。恐らく、この文様が消えぬ限り効果は持続する……それ程強力で、こんなでたらめな魔術は見た事も聞いた事もない……言うならば、聖女の秘術だな」
「つまり、その……紗綾形なら……?」
「繁栄と長寿は約束されている。長寿に関連するからだろうが、病気や怪我なんかも癒すとんでもない代物だぞ、これは」
「ひぇ……」
魔術に関してならこの人以上に詳しい人はいないのだから、きっとその通りなのだろう。込められたのはおめでたい意味ばかりだから、危険はないだろうが、効果がありすぎるというのも問題かもしれない。
「検証してみなければ解らんが、恐らく絵具に魔石を使った事も効果をより高めているな。関連する属性の絵具なら、更に効果が上がるかもしれん」
「な、成程……」
「お前は本当にこれがどれ程凄い事か理解出来ているか……?これがあれば、聖女でなくとも病も傷も癒せるという事だぞ」
そう言われてハッとする。真剣な瞳で此方を見据える彼の瞳には、憧憬とも羨望ともいえる熱が揺れていた。
(あぁ、そうか……それであんなにも……)
何故、この人が涙を流したのか。
それは聖女に頼らずとも、人々を救う事が出来る物だったからだ。聖女の在り方に憤り、変えたいと願っていた彼が喉から手が出る程欲しかったに違いない物がそこにあったのだから。
ポーラータイの入った箱を持つ彼の手は、僅かに震えていた。彼の視線はまた、箱の中に注がれている。
「……お前が、もっと早くこの国に来ていれば、母上も助かったのだろうな……」
「お母様……亡くなられたんですか?」
「母上は美しい人で、とある貴族の邸でメイドをしていた。俺の父親は、その邸の貴族の息子なんだが、これが顔と魔術の腕だけは良いクズ野郎でな。美しい母上に手を付けて捨てたのだ」
「…………」
彼のお母様は、一人で彼を産み、女手一つで立派に彼を育てていたそうなのだが、元々病弱だったというのに無理が祟って病に倒れてしまったという。
「そうして俺は母上の病を治す為にあらゆる魔術を学んだ。あんな男の才能を継いでいるのは癪だが、利用できる才があるのに利用しないのは愚かだからな。だが、病を治すには聖女でなければ不可能だったのだ」
「それで、もしかして……」
「金も無かったから聖教会には門前払いをくらい、あの男にも助けを求めたが取り合わなかった。そうしているうちに、母上は……俺だけが母上の家族だったというのに、俺は最期を看取れなかった」
「っ……!」
そう語る彼は、今は泣いていない。だというのに、何故だか先程の泣き顔が過り、堪らずにその手を掴んだ。彼は一瞬驚いた後、くしゃりと顔を歪めた。
「何故お前が泣いている」
「な、泣いてません……!うむっ!?」
頭の後ろに手が触れたと思った次の瞬間には、彼のローブにおもいっきり顔を埋めていた。慌てて離れようと思うのだが、頭を押さえつけられて身動きがとれない。
「別に俺は悲しんではいないぞ。ヴィーも居たし、この国の問題と現実も知れたしな。あの男の地位も、既に俺が奪っているのだから」
「……!それって……」
「後は聖教会だけだったが、漸く光明が見えた。やはりお前は、俺にとって――」
ぐらりと体が揺れたと思えば、そのままベッドに倒れ込む。視界には彼の黒いローブしか見えず、もぞもぞと動こうとするのだが、やはり彼の手ががっちりと押さえていて動けない。しかも喋っている途中だった筈なのに、言葉が続かないと思えば、いつの間にか規則的な寝息が聞こえているのだからこれは焦る。
「あれだけクマ作っていたって事は、やっぱり寝てなかったんですね!?もう!こっからどうしろっていうの!?」
声をあげるものの、彼はうんともすんとも言わない。ただただ規則的な寝息が聞こえるだけだ。私は暫く抜け出そうと試みるのだが、それは虚しく徒労に終わった。
私だって、この数日いろいろあって疲れているのだ。温かな体温と規則的な心臓の音は、否応無しに眠気を誘い、気がつけば私は意識を手放していた。
読んでくださってありがとうございます!
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