閑話 魔術師長の受難
アングレカム魔術師長視点です。
王宮の一角にある王立魔術研究所。
此処では日夜、魔術についての研究や、魔術が関わっている事象の解析、解明などが行われており、有事には戦力として駆り出される為、魔術の実践訓練が出来る設備も整っている。
この研究所は、魔術の才があり、魔術が三度の飯より好きという魔術馬鹿の集まりでもある為、研究に没頭するあまり家に帰らない者が続出したことにより、かなり寝心地が良く整備された仮眠室がずらりと並んでいた。
効率的に睡眠も取れ、欲しい時には飲み物や軽食も各自で好きなものを取れるような場所も設けられており、定期的にそこへ補充する者を雇っている為、生活環境的にはかなり良いだろう。単身者などでは、むしろここに住み着いてしまっている者もいる程だ。
その一室。
「くそっ……!今日もか……忌々しい……」
己の唇に残る生々しい感触に、思わず顔が歪む。がばりと身を起こせば、我知らず大きな溜息が漏れた。
直接触れている訳では勿論無いが、あの娘の柔らかな唇の感触は、オベールを通してこうして毎日伝わってくるのだから厄介な事この上ない。
(…………柔らかな?何を馬鹿な……)
一瞬過った考えを打ち消すように、触れた訳でもない唇を拭うのだが、その感触は一向に消えていかないのだから溜息も出るというものだ。
あの娘は、俺が注意した事など全く意にも介さず、オベールに毎日口付け、夜は抱えて眠るのだからたちが悪い。その所為で、夜は抱き込まれる感触に落ち着けず眠りは浅く、早朝にはこうして唇に触れる感触で目が覚めてしまうのだから、睡眠の質が悪すぎる。
毎日毎日、酷く落ち着かないのだ。
そもそもがオベールだ。
妖精とは、清浄な気が漂う森にしか住まず、元来悪戯好きな性格で、綺麗な物、美しい物が大好きという性質を持っている。あれは俺が幼い頃、俺の容姿に惹かれて契約する事を望み、俺の髪色と同じ毛色に変化した事をいたく喜んでいたものだ。
その後に他の妖精とも契約を結んだが、同じ様な変化は見られず、お互いに感覚を共有できるのも、オベールだけだった事からも、あれとは余程相性が良かったのか、最初に契約したからなのかは判断がついていない。それというのも、妖精と契約を結べる者が稀だからだ。
見える者は割といるのだが、どうやら契約するには魔力量と他にも条件がある様で、過去の文献にもあまり記述が見られない。400年前の大聖女様には妖精も傍に居たと言われているが、その事については妖精の特徴が様々な文献で異なる為、定かでは無い。
要するに妖精という存在は、我々人間には未だに不明な点が多く、研究対象としては実に興味深いのだが、害の無さそうな見た目に反して悪戯がすぎるのが厄介な所だ。まぁ、契約することで妖精の力を借りた魔術を使用できるのだから、多少の悪戯は見逃せるのだが。
そんな悪戯好きのオベールが、あの娘の前では驚く程大人しいというか、あれは完全に猫を被っている。見た目は犬なのだが。
全く害の無い生き物であるかの様に振舞い、甘え、触れさせているのだから驚きだ。オベールの――妖精の目から見たあの娘は、見た事もない暖かで清浄な光に彩られていた事からも、恐らくあれにとってあの娘の傍は森と同じ様に心地が良いのだろう。
「いや……だが、待てよ……」
オベールは勿論、俺と感覚を共有している事を理解している。俺が見たもの、触れたものもあれは感じる事ができるのだから当然だ。その上で、俺が嫌がると解っている上でのあの振舞いなのだとしたら……?
「まさか、俺に対する悪戯なのか……?」
そう考えれば妙に納得できる気がして、また一つ溜息が漏れた。気を取り直し、仮眠室に備え付けの洗面所で顔を洗い、適当に髪を結ぶ。掛けておいたローブに身を包むと、入り口にある使用中の札を裏返した。
「あ、おはようございます!よく眠れ……なかったみたいですね」
研究所の所長室に足を踏み入れれば、補佐官のマルゴが俺の顔を見た途端に苦笑を漏らした。
「仮眠室のベッドは最高級の物だし、睡眠補助の魔術も掛かってるから安眠間違いなし!……なんですけどおかしいですね……他の研究員からは評判いいんですよ」
「……ベッドの問題じゃない。無駄口を叩いてる暇があったら手を動かせ」
じろりと睨むのだが、彼女は軽く肩を竦めるだけで、悪びれた様子は一つも見えない。
所長になってからというもの、俺に腹を立てて何人か補佐官が変わったが、彼女は軽口は多いが、飄々と仕事をこなす上に精度も良く、珍しく長続きしていた。
「はぁい。それなら問題は、所長自身にあるって事ですね!あ、グロリアス元騎士団長様と喧嘩でもしました?所長ってあの方しかお友達いませんもんね……それで思い悩んで夜も眠れないとか」
「俺は手を動かせと言ったんだが、聞こえなかったか?」
「だから手は動かしてますよ〜動かしながらお喋りしてるんです。はい、此方どうぞ」
しれっとした表情で、俺の机の上に大量の書類を置くと、彼女はにっこりと微笑んだ。
「此方が緊急の案件で、此方はまぁまだ余裕がありますから、本日は緊急の案件を宜しくお願いします」
「……随分多いな」
「所長が急にリアトリス帝国に行くとか言い出していなくなってから、所長の判が要るものは溜まる一方で……しくしく……本当大変だったなぁ、誰かさんの所為で大変だったなぁ……臨時ボーナスが欲しいなぁ……しくしく……」
わざとらしく泣き真似をするマルゴに、眉間に皺が寄るのだが、この茶番は恐らく是と言うまで続くのだろう。
「…………解った、上には言っておく」
「ありがとうございます!」
一転して満面の笑みを浮かべる彼女に、溜息が漏れた。本当にいい性格をしている。
「あ、グロリアス元騎士団長様と喧嘩したのなら、ちゃんと謝った方がいいですよ。所長は言葉が足りませんからね」
「別にヴィーと喧嘩はしていない」
「え、じゃあ他の方ですか!?え……まさか他に友達いたんですか!?」
「大概失礼な奴だな……俺をなんだと思っている。そもそも誰とも喧嘩はしていない」
心底驚いた様子なのが癪に障るが、本当に彼女は俺の事を上司だと思っているのだろうか。うんざりする俺とは裏腹に、彼女は何やら好奇心に満ちた表情で此方をじっと見ている。
「っ……」
その時、不意に体を包まれる感触がしたかと思えば、急に喪失感の様な感覚が押し寄せてきた。これは今、オベールが感じている事だ。
視界を切り替えれば、あの娘はどうやらオベールをクレイルの妹に預けて、ヴィーと何処かに行く所の様だ。つい昨日も馬車で何処かに出掛けていたが、何故オベールも連れていかないのかと妙に心が騒つく。
昨日だってそうだ。今まで出掛ける事をしなかったヴィーが外に出ようとしている事に、俺は心底喜んだ。だというのに、俺がオベールと感覚を共有している事を知っているヴィーは、態々オベールを外してあの娘と二人で出掛けたのだ。一体どこで何をしてきたのかも解らぬし、どうしてこんなに落ち着かないのかも解らず、昨夜は余計に眠れなかった。
あの娘もあの娘だ。普段オベールにべったりの癖に、肝心な時には置いていくとはどういう事なのだ。俺は、常に付けているように言った筈だというのに。
(くそっ……一体なんだというんだ……)
あの娘と離れて感じた喪失感はオベールのものだ。俺のものではない筈だというのに、何故――
「…………長、所長!大丈夫ですか?酷い顔色ですよ?」
マルゴの声に、ハッとして視界を元に戻す。嫌な汗が頬を伝った。
「っ……なんでもない」
「そんな訳無いと思いますけど……なんかまるで、大事なものを取られたみたいな、そんな切羽詰まった表情してますよ」
大事なもの……?
それはどちらだ――?
浮かんだ考えを振り払うように目を固く閉じる。ふーと息を大きく吐き出し、顔を上げた。
「……問題ない。緊急案件を片付けるぞ」
「それならまずこれなんですが、最近どうも王都付近の魔物の動きがおかしいとの報告が。まるで何者かに操られているのではと――」
マルゴの声を酷く遠くに感じながら、眼前の報告書に視線を落とす。
俺はこの時まだ気付いていなかった。
毎朝目覚めて、唇には感触があるというのに、隣には彼女がいない。
その事に、酷く喪失感を感じていた事を。
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