2 籠の中の鳥
(はぁぁ……本当、これからどうしよう……)
見るからに豪華な調度品に囲まれた贅沢な一室。それだけなら、どこの豪華ホテルのスイートルームなのかと心も踊るのだろうが、窓に嵌められた格子が全てを台無しにしてしまっている。
要するに、ここは豪奢な檻なのだ。
応接セットのソファに座り、大きな溜息を漏らす。本当に、夢ならばどれだけ良かったことだろうか。
ソファの座り心地は最高によくて、こんな状況でもなければこの程良い弾力に凭れて一眠りしたいところだというのに、一眠りしたところで目の前の現実は変わりはしないのだろう。
「だいたいおかしいでしょ、あのオウジサマ……なんで私が『聖女』だってあんなに確信してるの……」
聖女が触れれば光るという水晶は、私が触れたところで何の変化もなかった。それならば私はその聖女とやらではないということなのだろう。
だというのにあの皇子は、艶然と微笑ったのだ。
『君はまだ聖女として覚醒してないだけだ。君が聖女である事は、理だから。……必ずくるその時まで、俺から逃がしはしないよ』
口調も途中から変わっていたし、まるで未来を確信しているような物言いに加え、何を考えているのかも全然わからなくて、正直言って怖すぎる。
何のために彼らが聖女を召喚しようとしているのかも解らないままだし、何よりあのラファエルという美青年には、何というか執着めいたものを感じるのだ。このままここにいても碌なことにならないだろうことは、あの窓に嵌められた格子が物語っている。
兎に角、こんな訳の分からないまま、監禁されるのは御免だ。
そもそも異世界から召喚というのは、拉致、誘拐ではないのだろうか。更に加えて監禁ときているのだろうから、完全に警察案件だ。
犯罪、ダメ絶対!である。
友人はいわゆる顔が良い悪役が好きで、ヒロインを無理矢理拐ったり、強引に迫って閉じ込める系の傲慢男が大好物で、「本当……顔がいいから全てが許されるわ……」とよく拝みながら語っていたものだが、それは舞台なんかのフィクションでならの話だ。現実でそれをしてしまっては、いくら顔が良くても許されないのである。
何度目かの溜息を漏らした所で、扉がノックされる。返事をすれば、鍵の開く音と共に数人のメイドさん達が入室してきた。全員が入ってきたところで、ご丁寧に鍵は閉められてしまったのでまた密室になってしまう。
彼女達の中で一番年長であろう、少し厳格な雰囲気のあるメイドさんが、一歩前に出る。
「失礼致します。ラファエル殿下より、本日の晩餐にエマ様も同席して頂きたいとの仰せです」
「晩餐……ですか」
「つきましては、正装へのお召し替えを我々がお手伝いさせて頂きます」
「それはもう決定事項なんですね……」
「……」
無言で頷かれてしまい、また溜息が漏れた。
部屋にあるウォークインクローゼットから、ドレスに靴、アクセサリーが何点も運ばれてくる。友人の結婚式で着た事がある既製品のドレスと比べて、どれも繊細なレースや刺繍が惜しみなく施されており、職人の素晴らしい手仕事であることは一目で解った。
「これ……オートクチュールじゃないですか?どなたかの物では……」
「これは全てエマ様のために、殿下がご用意された物ですから」
「えっ、でもサイズとか、合わないんじゃ……」
「問題ありません」
あれこれ言っているうちに、気が付けばあっという間にドレスを着せられてしまっていた。プロのメイドさんって、早着替え職人すぎる……
着せられたそれは、フランス革命後に流行ったハイウエストでスカートは直線的なエンパイア・スタイルによく似ていた。歌劇団ではフランス革命前後の時代を描いた作品がよく上演される為、この時代のドレスはよく見慣れたものなのだが、これはナポレオンが主役の作品でよく見たデザインだ。色は蒼と白を基調としており、シンプルなラインの中に金糸の繊細な刺繍が光る清楚な印象の美しいドレスだ。使われた色がどうにもあの美貌の皇子様を彷彿とさせるのが気にはなるが。
それはそれとして、だ。
「サイズ……ぴったりですね……」
オートクチュールなのに何故これほどぴったりなのか。あの皇子様とはさっき会ったばかりなのに、こんな物が既に用意されているの怖すぎでは……?
案の定、靴のサイズまでぴったりで空恐ろしさが増していく。
一体、あの皇子様は何者なのだろうか。
(私のことを知っていた……?まさか、そんなはずないけど……でも、ずっと逢いたかったって……)
有り得ない想像に頭を振ると、アクセサリーを着けようとしてくれていたメイドさんの一人がびくりと肩を震わせた。
「っ!すみません、驚かせてしまって……」
「い、いえ!お気を使わせてしまって、申し訳ありません……!その……エマ様が、あまりにお綺麗なもので……」
「あぁ、確かにこのドレスは凄く綺麗ですよね」
「ドレスではなく、エマ様がお綺麗なのです!」
見ればおそらく同い年か少し下くらいだろう、ふんわり柔らかそうな茶色の髪に、くりっとした同じ色の瞳は可愛らしく、とても整った顔立ちをしている娘さんだ。この中では一番年若いようで、話し方や立ち居振る舞いが小動物みたいで実に可愛い。彼女が娘役さんなら、間違いなく推しているタイプだ。そんな彼女に、明らかにお世辞を言わせてしまって申し訳なくなる。
「あの……晩餐までまだ時間があるようなら、支度が終わったら、彼女と少しお話してもいいですか?」
「お話……ですか?」
「見たところ年も近そうなので、この世界の事とかいろいろと話を聞きたいんです。いきなり連れてこられて、解らないことだらけで……」
「ラファエル殿下より、部屋からお出になる以外は、エマ様の望みは出来るだけ叶えるように伺っております。……ミラ」
「は、はいっ!」
「エマ様のお相手を務めなさい。時間になれば応接間へご案内するように」
「かしこまりました……!」
小動物系のメイドさんは、ミラさんと言うらしい。
髪型と化粧をしっかり施された後、ミラさん以外のメイドさん達は速やかに退出していく。残されたミラさんに向かいのソファを進めると、彼女は恐縮しながらソファへと腰を下ろした。
「えーと、ミラさんって呼んでもいいですか?私の事はエマって呼んでもらえれば……」
「滅相もございません!エマ様は殿下の妃となられる尊き御方……私相手に敬語は不要です。どうぞ私の事はミラとお呼びください」
「いや、私、あの皇子様と結婚する気ないから!」
メイドさん達の中では、私が『皇子妃』となることが確定事項になっている認識に密かに震える。いきなり現れたどこの者とも知れぬ異世界人が、いきなり皇子妃とか無理がありすぎるだろうに、反対とかしないのだろうか。
全力で否定すると、ミラはきょとんとした様子で目を丸くする。なにその表情、可愛いな……?
地上に舞い降りた天使なのかな???
「エマ様は、殿下の事がお嫌いなのですか?」
「嫌いも何も会ったばかりだし、あの人何考えてるか解らないからちょっとね……そんなことより、この国の事とか聖女の事とかいろいろ教えてくれる?」
「はいっ!私がお教えできる事でしたら何なりと!」
ミラの話によれば、ここは北の大国と呼ばれるリアトリス帝国の帝都にある城だという。国土は広大で、更にそのほとんどが非常に肥沃な黒土に覆われ、穀物の生産が特に盛んなんだとか。軍事力にもかなりの力を入れており、その力をもって周囲の国を併合し、ここまで国土を拡げてきたのだという。唯一の難点は厳しい冬で、氷点下になる長い冬を人々は家に籠ってやり過ごすのだとか。
そんなリアトリス帝国は温暖な地を求め、隣接する南の国、ルドベキア王国とは長いこと戦争を繰り返し、領土の取り合いをしているのだという。直近では4年前に大きな戦があり、その際に互いに甚大な被害を被り、現在は停戦中とのこと。
「なるほどね……『聖女』が必要なのって、もしかして戦争のため?」
「殿下のお考えは私には解りかねますが……聖女様はその類稀な聖なる力で、人々を癒す事ができる尊い存在なのです」
この世界には、光、闇、火、水、風、土、木の7つの力を司る基本の魔術属性があり、誰しも必ず一つは適性な属性があるのだという。
この中では光属性の者だけ、僅かな癒しの術が使えるが、それは本当にちょっとした怪我を治す程度の事。それ以上の怪我や病を治すには、聖属性という特殊で稀な力を持った者しかできないのだが、何故かそれは女性だけにしか現れないのだという。故にそれを持つ者は須く聖女と呼ばれ、尊ばれる。
どこの国でも聖女は大変重宝されるため、大概は王族やその縁者と婚姻、または養子縁組するなどして丁重に国に保護されるのだという。そして更にその上をいく大聖女ともなれば、どんな怪我、病、あらゆる災厄をも防ぐのだというが、本当に数百年に一人現れるかという存在であり、最後に大聖女と呼ばれた人物は400年前に異世界から召喚されたそうなのだ。
「そうなると、別に異世界から召喚しなくても、聖属性の人もいるんだよね?」
「そうですね……大聖女様とはいかなくても、聖女様は僅かながらおられました」
「それってもしかして……」
稀な属性とはいえ、皆無ではないというのに異世界から召喚するという理由。4年前に甚大な被害があったという大きな戦争――
「……我が国には、現在お一人もおられません」
「そっか……そういうことなのね……」
停戦中とはいえ、いつまた戦が起こるかもしれないのに、傷を癒す者がいないというのは死活問題だろう。新たに聖属性の者を探すにしても、自国にいつ現れるとも解らない者を待つよりは、異世界から召喚した方が可能性が高いとなったに違いない。
そうなるのは解らないでもない。けれど……
どうして私だったのだろう――