11 歪んだ聖教会
「あ、あの……まさかとは思うんですけど、その元王国騎士団長様というのは貴族の方だったり……?」
眼前に聳える立派な邸宅は、日本人の感覚からすれば宮殿の様に見える大豪邸だ。元騎士団長だと聞いていたから、こんな貴族然としたお屋敷は想定しておらず、震える声で問いかける。と、アングレカム魔術師長は怪訝そうに眉を顰めた。
「言っていなかったか?あいつは侯爵家の次男だ」
「聞いてませんけど!?」
「なら今言った。そもそも何を今更騒ぎ立てる必要がある。お前はリアトリス帝国の城に居たのだろう?それに比べれば小さな物だろうに」
「いや、それはそうなんですけど、あの城で私ほぼ監禁されてましたからね……大きいも小さいもよく解りませんよ……」
確かに内装はとても豪華な城だったが、外観を見た訳でもないし、知っているのはあの格子のある豪奢な部屋と、晩餐の応接間だけだ。それだけでは城の規模など知りようもない。
城から逃げた後は出来るだけ目立たないような、ごく普通の宿屋に泊まっていたし、こんな立派なお屋敷にはこれまで全く縁もないのだ。驚かない方がおかしいだろう。
そもそも、さっきまでリアトリス帝国に居たというのに、一瞬で連れてこられた先がこんな大豪邸の目の前なのだ。魔術は本当に便利だと思うけれども、全く慣れない。
荷馬車ごと転移してきた為、荷物に問題がないか点検しているクレイルさんとミミの方をちらりと見るが、この状況にも全く動じている様子は見られない。まぁ、この世界の人たちにとってはこれが日常なのだろうから、不思議な事もないのだろうけども。
しかしこんな所でお世話になるだなんて、場違いすぎやしないだろうか。元騎士団長様で侯爵家の次男という事は、既に妻帯されているだろうし、奥様の話し相手のコンパニオンとかなら何とかできるかもしれないが。
「お待たせしました。荷馬車は問題ないようなので、団長の所に向かいましょうか」
「元、団長だがな」
「はは……俺にとっては今でも団長ですよ。あ、荷馬車はここに停めておいて問題ありませんかね?」
「ここなら門番からも見える。あの者達には万が一がない様言い含めてあるから問題なかろう」
立派な門の方を見れば、二人の門番が此方――というより、アングレカム魔術師長に対して恐縮した様に何度も頭を下げていた。言い含めたというのは、恐らくいつものあの態度でしたのだろうから、門番の人たちにしてみればさぞ怖かったに違いない。
私たちが門を通る時も、緊張した面持ちをしている彼らに心の中で精一杯のエールを送りながら微笑む。しかし、アングレカム魔術師長……お友達の家の人にも怖がられてるのはどうかと思う。
「あの……実は俺、団長にお会いするの、あれ以来なんですが……元気にしておられますか?」
「あぁ……そうだな、最近は趣味を楽しんでるようだが……全く、あの剣術馬鹿から剣術を取ったらただの馬鹿にしかならん」
「またそういう事を……一番心配してるのは貴方様でしょうに」
苦笑を漏らすクレイルさんを後ろから眺めつつ、これからお会いする元騎士団長様の事を考える。話の内容から察すると、剣術が得意だという事だが今はそれが出来ない状態なのだろう。恐らくそれで騎士団長の職を辞したのではないだろうか。
クレイルさんに慕われているようだから、立派な騎士団長様だったであろう事は想像できるのだが、あのアングレカム魔術師長のお友達というのが妙に引っかかる。あの人のお友達をしているのだから、余程人間ができている人か、同じ様に癖のある人かのどちらかだろう。どうか前者でありますようにと願っていれば、先頭を歩くアングレカム魔術師長は門からお屋敷へとまっすぐ続いていた道を逸れ、色とりどりの薔薇が咲く庭園の小道へと入っていってしまった。
「え、あのお屋敷に行くんじゃなかったんですか?」
「あれはあいつの兄夫婦が住む本邸だ。あいつは騎士団を辞めてからは、この先にある別邸に移って悠々自適なスローライフとやらを始めた変わり者だからな」
「へぇ、スローライフ!いいじゃないですか、憧れますよ!」
「それがあいつの本当の望みならな」
苦々しげに呟いた彼は、お屋敷からもだいぶ離れた所でぴたりと足を止める。どうしたのだろうかと見やれば、その表情はいつにも増して厳しく見えた。
「……お前が不用意な態度をせんように説明しておくが、あいつが騎士団を辞める羽目になったのは4年前の戦で左足を負傷したからだ。それも最悪切断せねばならん様な大怪我だった。幸い切断には至らなかったが、今でも左足は動かん」
「っ……!」
あわや切断という重傷。そんな怪我なら、どれだけ騎士を続けたくとも叶わなかったのだろう。顔から血の気が引き、言葉が出ない私に、肩に乗っていたポメちゃんが心配そうに頬にすり寄ってきてくれた。
「団長を斬ったのはエマも知ってる、リアトリス帝国のグエノレ・ロア・リアトリスだ。団長も奴の顔に傷を付けたから痛み分けなんだがな……」
「あいつも最後の最後で詰めが甘い。奴の片腕奪うくらいせねば釣り合いが取れんというに」
「で、でもこの国には怪我を治せる聖女が居るんですよね?どうして……」
『聖女』とは、どんな怪我や病も治せるという話ではなかっただろうか。リアトリス帝国には今はいないと聞いたが、この国はそうではないはずなのに。
私が口にした疑問に、アングレカム魔術師長は皮肉気に口角を上げた。
「切断するか否かの重傷など、治せるとしたら『大聖女様』だけだ。普通の聖女は、あいつの足をただ繋ぎ止める事しか出来なかった」
「しかも団長は……御自分が一番重傷だというのに、部下の騎士達を先に治療させたんだ。俺たちがいくら言っても、頑なに拒まれた。そうしなければ騎士達の治療が満足にされないだろうと解っておられたからな」
「え、なんでそんな……」
「この国の『聖女』の在り方は、聖教会によって歪められているからだ」
聖教会。聖属性と聖女、そして其れらを創造した神を尊ぶもので、この世界に古くから根付いている宗教団体なのだという。各地に拠り所となる教会があり、本来はそこに聖女が常駐して人々を癒す治療院のような役割をしながら、聖女やそれに仕える神官達が祈りを捧げる清貧で神聖な場だったんだとか。
変わってしまったのは、この国に400年前の大聖女様が現れてからだという。様々な奇跡を起こす大聖女様が居る国ということで、各地の聖教会を統括するようになってからというもの、大聖女様の奇跡に肖ろうと大枚を叩く者が群がり寄ってくる様になったのだ。
多すぎる富は、それまで清貧に生きていた神官達を堕落させていく。聖女の治療には高額を払う者が優先されるようになり、平民よりも貴族が優先される様になっていった。私腹を肥やす高位神官達に異を唱える者も勿論居たのだが、そういった者たちは次々と追放されたり、辺境に飛ばされたりしてしまったのだ。
そうして今の聖教会は神官とは名ばかりの拝金主義者達に牛耳られ、神官達の意のままになるように外界から閉ざされた箱入りの聖女達が治療する、命のビジネスの場になってしまっているのだという。
「騎士団は、隊長格には貴族も多いんだが、殆どは俺みたいな平民なんだよ。だから怪我の程度に関わらず、治療されるのは貴族からで、俺たちには適当な治療しかされない事がザラだった。それでも治療されるだけ有難いと思ってたんだ……余程裕福でなければ、平民には聖女様の治療なんて手が出ないからな」
「そんな……その高位神官達をどうにかする事、出来ないんですか?」
「聖女の力を盾にとられては下手に強硬な手も打てん。最近はエレオノールという平民の女が筆頭聖女に祭りあげられ、それに傾倒した平民の聖女は自ら聖教会に行くような始末だ。逆に貴族の聖女は屋敷に囲われ、表になど一切出てこん。其奴らは戦場になど来るはずもない」
アングレカム魔術師長は吐き捨てるように顔を顰めてそう言うと、私をじっと見据える。インディゴブルーの美しい瞳には、僅かに懇願の色が窺えた。
「……そこに現れたのがお前だ。平民でも貴族でもない、異世界の聖女」
「私がこの世界と何の柵もないから、ですか?」
「そうだ。だからこそお前は、この世界の『希望』となり得る可能性がある」
「――お前は、世界を根底から壊す覚悟はあるか?」
本日、突然の退団発表でメンタルが死んでるんですが、まだストックがあるので毎日18時更新は続きます……
ウッ……二番手での退団はあまりにつらいのでお察し下さい……