1 召喚されて異世界
初投稿です、宜しくお願いします。
あの時、私―― 加々美絵麻は非常に焦っていた。
明日からは本当に久しぶりの三連休。
繁忙期の仕事に追われ、疲れ切った心を癒やすための楽しい旅行が待っているのだ。
それだと言うのに、退社寸前に回ってきた急ぎの案件。
仕方なく残業で仕上げたものの、時間はもう21時をとうに過ぎている。明日は早朝から現地で楽しむため、今夜は夜行バスを予約しているというのに、これではギリギリになってしまう。
「うっ……やばい……行く前にシャワー浴びたかったけど、そんな時間全然ない……!」
定時ダッシュを決める計画が、このザマである。
(絶対あの案件、もっと早く回せたでしょ……!?私が明日から希望休とってるの知ってるくせに、あの上司はもぉぉ……!)
思い出しただけで腹立たしいのだが、へらへらとした顔で仕事を回してきた上司を、脳内で殴り飛ばしつつ夜の街を駆ける。
一旦家に荷物を取りに行って、そのままバスターミナルに直行コースしかない。
(本当、今日はヒールじゃなくて、パンプスにして大正解。うん、今朝の私、めちゃくちゃ冴えてる!)
どうにか気持ちを立て直しながら、明日からの楽しい行程に想いを馳せる。
明日は現地到着後、まずは朝市で新鮮な魚介類たっぷりの海鮮丼を頂くのだ。評判のお店は既にリサーチ済で、今から既に海鮮丼の口になってしまっている程だ。
その後は私の趣味でもある、焼き物の絵付け体験を予約済だ。
焼き物と一括りにされるが、『土もの』と言われる陶器と『石もの』と言われる磁器の二つに分類される。どちらもそれぞれの魅力があり、スーパーのお惣菜でも器を変えるだけで、いつもより上品で美味しそうに見えたりするのだから器の力は凄いと思う。
電動ろくろや手びねりでの器の成形も楽しいのだが、私がハマったのは絵付けだった。特に磁器では、呉須と呼ばれる焼くと藍色になる絵具で絵を描く『染付』と、様々な色の絵具で描かれ見た目にも華やかな『色絵』という技法がある。どんな仕上がりになるのか想像しながら、夢中で絵を描く事に没頭できる時間は贅沢で楽しく、最近は旅行の度に各地の絵付け体験をしたりするのが癒しとなっていた。
更に明後日はどうにかチケットを確保した、歌劇団の全国ツアー公演を観劇予定なのだ。
現地で合流予定の観劇友達が、前から2列目という神席を当ててくれたものに同行させてもらうのだが、こんなに前の席は初めてで、至近距離で美しい方々を浴びれるということを想像しただけで既に天に召されそうになっていた。明後日の私は、尊さで息をしていないのではなかろうか。
しかも今回の演目では私の推し――界隈では御贔屓と呼ぶのだが、とてもいい御役を頂いているので、配役発表の時からかなり期待しているのだ。
後から思えばこの時の私は、仕事が終わった解放感と旅行への期待で妙にふわふわとした心地だったのだ。そのような状態で、足元への注意が大分疎かになっていた事を、後悔した時には既に遅かった。
「へっ……?」
突然襲いくる浮遊感。
気付いた時には既に落ちていた。
綺麗に舗装されたアスファルトの上を走っていたというのに、こんな大人一人が余裕で通れるような穴があいている筈もない。大きさを考えれば、マンホールの穴に落ちたとも考えられず、それならばニュースで時々見る陥没事故なのだろうか。
何が正解なのかも解らず、一瞬とも永遠とも思える時間、暗闇を勢い良く落ちていく感覚に成す術もなく、ぎゅっと目を瞑り、来るであろう衝撃に身を強張らせる。
(嫌だ……こんなとこで死にたくない……!)
これまで悪い事をする事もなく、仕事も真面目に取り組んできた。御贔屓を愛で、趣味に勤しみながら日々をただ平凡に生きてきただけだというのに、こんな最期だなんてあんまりすぎる。
私は御贔屓が輝く舞台をもっと観たいし、理想の焼き物にもまだ出会ってないのに――!
(……………………あれ?)
いつまで経っても底に叩きつけられるような衝撃もなく、気がつけば落下もしていないようだ。大きな穴に落ちたなんてことはなくて、働きすぎて白昼夢でも見ていたのだろうか。
白昼……夢……?
(いや待って、もしかして帰る途中だと思っていたのがそもそも夢だったとか……?残業中にうっかり寝落ちて夢でも見ていたんだとしたら、夜行バスに乗り遅れたんじゃないの!?)
慌てて身を起こし、目を見開いた途端、綺羅綺羅とした眩いばかりの光の洪水に襲われる。
いや、輝いていたのは眼の前にいる青年の黄金のような髪だ。それに加え、冴え冴えとした氷のようなグレイシャーブルーの瞳に、恐ろしい程整った容姿。
服装的には海外ミュージカル作品の皇太子が着がちな式典用の軍服によく似ており、動くとふわっと広がって見栄えが良い、左肩にだけ羽織るマント――ペリースをかけている。何を隠そう、私はペリースを翻す所作が大好物ではあるのだが、まるで男役スターのような中性的な顔面の良さと相まって光り輝いて目が眩む。
……『顔が良いは正義』なのだという事を、私は改めて心に刻んだ。
なんてことだろう、本当に顔が良い。
美貌の青年は、私の様子に一瞬驚いたような表情をするが、すぐに蕩けるような微笑みを浮かべた。
「やはり貴女だ――ようやく逢えましたね、異世界の聖女……いえ、愛しい私の花嫁」
「へっ?は……花嫁……?」
「あぁ、言葉は通じているのですね。やはり伝承の通りだ」
「いや、待ってください!いきなり聖女とか、花嫁って何なんですか!?そもそもここは一体……なんで私はここにいるんですか!?」
眼の前の人の美しさにばかり気を取られていたが、ざっと見渡してみればどうやらここはどこかの部屋のようだ。石造りの重厚な壁や、アンティーク調の調度品など、とても穴の底だとは思えない。
窓が一つもないため、今が昼なのか夜なのかも全く解らないが、薄暗くはあるものの、電気も見当たらないというのに室内は見渡せる程度に明るさが保たれていた。
そう、まるで魔法で光らせているような――
何かをきっかけに異世界や過去、夢の世界などに召喚されてしまったヒロインの話の舞台はあったが、まさかこれはそういうことなのだろうか?
(……あの作品の御贔屓……当て馬で報われなかったけど、そういう演技が最高に良かったのよね……)
あまり信じたくない状況につい現実逃避してしまったが、これはまずい状況ではないだろうか。
眼前には私のことを聖女で花嫁だとか訳の解らないことを言う恐ろしく顔の良い美青年。窓は無く、逃げ道としては美青年の後方にあるドアが一つのみ。
しかも彼の周囲には、黒いローブのような物を頭まですっぽりと被った不気味な人たちが数名いるのだが、顔も見えず、さっきから一言も喋らないというのも得体が知れなさすぎる。
そして更に……唯一の扉近くの壁にもたれかかって、此方を静観している男が一人。
燃えるような赤毛に、鋭い眼光の蒼い瞳はやや紫がかっており、ラベンダーブルーだろうか。何よりも目を引くのは額から左頬にかけて刻まれた大きな傷痕なのだが、それさえも彼の美しい容貌を衰えさせることはなくむしろ引き立てている。
線の細い美貌の青年とはまた違った、厳格でワイルドさもある美形だ。
その見るからに軍人然とした、隻眼の男の静謐な瞳と視線が交わる。
「……ラファエル、まだその娘が聖女と決まった訳ではないぞ」
「解っております、叔父上。……証の水晶を此処へ」
「殿下、此処に」
黒いローブの一人が、ラファエルと呼ばれた美青年に掌大の丸い透明な水晶を差し出す。
「これは我が国に伝わる秘宝の水晶です。伝承では、これに異世界の聖女が触れると光り輝くのだとか……最後の異世界の聖女がこの地に降臨されたのは400年前ですから、私もこれが輝く所を見た事はありませんが……」
「……それは私の質問の答えではありませんよね?」
私が知りたいのは水晶の謂れなどではない。ここがどこなのか、何故ここにいるのかということだ。
顔が良いは正義ではあるが、話の通じない美形というものは大概信用できないというのも世の定石なのだ。
「へぇ……?」
睨みつけていると、ラファエルの眼差しがすぅっと細くなる。口許は笑んでいるのに、その瞳はゾッとするように冷ややかだった。
その表情のまま、彼はこちらへとゆっくりと歩を進めてくる。先程までの皇子然とした輝きはなりを潜め、底知れない闇を垣間見たような恐怖を感じる。
「やっぱり君はこの顔には、騙されてくれないんだな」
今すぐにも逃げだしたいのに、足はその場に縫い止められてしまったかのように一歩も動かすことが出来ず、コツコツと彼のブーツが床を鳴らす音がやけに大きく響いた。
目の前までくると、あっという間に私の右手は彼に拘束され、そのまま掴み上げられる。不思議と痛みは全くないのに、抜け出そうとしてもびくともしなかった。
「っ……!」
「本当に君は、俺の『運命』だよ……ずっと逢いたかったんだ、君に……」
「な……に……?」
見上げた彼の表情は、悦びや諦めといった様々な感情を綯交ぜにしたような複雑さで、一瞬言葉に詰まる。
抵抗する事もできず、拘束された手は件の水晶へと無理矢理伸ばされた。
水晶は――いくら触れても、輝くことは無かった。
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