8:殴られたのは足の小指
少なくともガネブは楽しかったが、ベジェーノの表情は固く、冷たいものだ。
無作法をしてしまったときは別に怒鳴ったりもせず、丁寧に何故ダメなのかを教えてくれてむしろ楽しかったが、ベジェーノは無作法なガネブに呆れて嫌になってしまったかもしれない。
「ごめんな、ベジェーノ。俺が、上手く食べられないから気分悪くなっちゃったよな」
「あら、ごめんなさいフォークを落としてしまったわ」
しょんぼりとガネブが言うとと同時にアリスがテーブルの下を覗き込み、何かがぶつかる音が足元でして、離れたところに立っていたメイドは驚いて肩を揺らし、ベジェーノは何か猛烈な痛みを耐えるような顔を見せた後一瞬で表情を冷静なものに戻した。アリスは既に席に戻っている。
「そのような事はございません。ガネブ様とのお茶会はこの上なく、光栄で楽しいですよ」
上品な微笑みにガネブはちょっと安堵してアリスを見る。
優しい微笑みだ。ガネブは着実に成長している自分が誇らしかった。
「そうか?良かった」
ガネブはほくほくと笑ってケーキを食べた。
夕食を食べ終わり、とっぷりと日は暮れた頃に湯浴みを終えたガネブはふかふかのベッドに横たわる。
30分ほど読書を楽しみ、その傍らのアリスはぱたんと読んでいた本を閉じた。
「今日はこれくらいにしましょう」
「もうちょっと」
ねだるガネブにアリスは微笑む。
「駄目。よく寝て頂戴。お休み、ガネブ」
「うん。お休み、アリス」
そう言って目を閉じアリスが部屋から出て扉を閉めるのを聞いてからガネブは暗い中で扉の方を見た。ちゃんと閉じている。
いそいそと昼間あの男に貰った異能『ガチャ内容確認』を使用し、真っ白な本を取り出すと枕もとの魔法光ランプを灯す。
「へへ・・・・・・何があるのかな」
SRの項目を索引して本を読み始める。ガチャ内容の説明は基本的に文字だけだが、SR以上の武器や防具、アクセサリーなどはページの最低でも半分は絵が載っていてガネブはそれが楽しみだった。
ページを順々に捲る。絵だけを見て楽しんでいたためあっという間にSRの項目は終わり、SSRに入る。
そしてあるページで手が止まった。そこには豪奢な金の装飾を施された青い石のブローチが輝いていた。
ガネブは一瞬で心を奪われた。アリスに似合う、綺麗なブローチだったからだ。
興奮気味にその説明を読む。
ヒャニユニエの青い石のブローチ
職人ヒャニユニエが惜しげもなくテヘレジェイ煌金で装飾したサファイア・ヴェヘナのブローチ。
蔦の装飾は当時の流行りであり、非常に緻密に彫金されている。
赤い石はルビー。木の実を表し、また、彼女が懸想していた当時の王を表したともされている。
彼女がこのブローチに恋心を積めた込んだのかもしれないと思うと、悲しくも愛おしい気持ちになれるだろう。
実用としての性能は以下の通り。
能力値:頑健さ30上昇
能力値:精神30上昇
技能:冷気耐性5段階上昇
技能:熱気耐性5段階上昇
技能:物理耐性5段階上昇
技能:魔法耐性5段階上昇
ガネブは目を丸くした。とんでもない数値を出しているからだ。
ガネブも、こんなすごい魔法を付与されたアクセサリーを身につけたら、冒険者になれるだろうか?
だが、それは今はどうでもいい。問題はこの美しいブローチを手に入れる方法だ。
「ガチャか・・・・・・でも、お金ないしなあ」
本をぱたんと閉じて消す。
布団に潜り込みながら、ガネブは考えた。
「とってもきれいだったなあ」
ガネブはぐっすりと眠った。
朝食はガネブとアリスの二人で食べた。聞いたところベジェーノは早起きで、とっくに食べ終わっていたのだ。
朝食が終わり、食器が片付けられていくのを見ながらガネブはやきもきした。ガチャをしたいが、お金はない。アリスにどう何をいったらいいのか分からなかった。
(冒険者って簡単になれるかな?お金があったら、そうしたら、ガチャをできるのに)
そんな中始まった食後のティータイム中にアリスは切り出す。
「今日は私一人で出かけてくる」
「うん。分かった」
あっさりとそう言うとアリスは曖昧な表情を作る。
「どこに行くかとか聞かなくていいの?」
「ん?言ったら連れて行ってくれるのか?」
「そう言うわけじゃないけど」
アリスは息を少しはいて決意した眼差しを向ける。
「ガネブ。貴方は私にもベジェーノにも我儘を言っていい立場にある。何かを我慢する必要は基本的には無いの・・・・・・なにか、我慢してない?大丈夫?」
その言葉がガネブの心にしみるまで時間がかかった。
元の生活は隙間風で寝るのにも大変だった。食事にありつけないなんて当然だった。
そんなガネブに暖かなベッドをくれて毎日お腹いっぱいに食べさしてくれるアリス。
なのにこれ以上の我儘を言ってもいいというのは最早、理解の範疇外だった。
「俺じゃあ、街に行ってもいいか?」
「ベジェーノと一緒なら大丈夫」
「・・・・・・」
言いづらそうにするガネブにアリスはいち早く気づいて微笑んだ。
「お金のことなら大丈夫。ベジェーノに渡してあるから」
「あ、そ、そうか・・・・・・うん、ありがとう」
絶対にお金をいっぱい稼ぎたい。そうしたら、アリスの役に立てる。
アリスを見送りそれからベジェーノを見上げた。
「どこか行きたい所はあるか?」
ベジェーノは横に首を振る。
「ございません。ガネブ様の望むままに街を見学なさっては?」
そう言われると何処が良いのか悩む。ガネブはたっぷりと悩み、頷く。
「・・・・・・冒険者ギルドに行ってみたい」
「はい、畏まりました。直ぐに準備いたします」
ベジェーノはそう言って一つのほころびも汚れもない綺麗な緑の上着を取り出してガネブに着せる。外出用の靴もピカピカに磨かれていた。
準備が整うとベジェーノは恭しく廊下に向かう扉をあけてくれた。
「ありがとう」
礼を言うと彼は何処か居心地が悪そうな顔をしてひとつ頷く。
毛足の長い廊下の絨毯を踏みながら階段を目指す。ここは宿屋の5階。意外と外までは遠い。
そとは窓からも見えていた通り、いい天気だった。
「ごめん、冒険者ギルドってどこにあるんだ?」
「こちらでございます」
ベジェーノは何でも知っているな、と笑って歩いて段々と上品さ華美さよりも実用性を重視したつくりの建物が増え、石畳で舗装された道は無くなる。
活気のある道を曲がると大きな建物が見えてくる。
その建物の前でベジェーノは頭を下げた。
「此処が冒険者ギルドか。ありがとうな、ベジェーノ」
「・・・・・・」
困った様に微笑む彼をそのままにガネブは意気揚々と扉に手をかけたがそれをベジェーノが押し開けてくれた。
お礼を言いながら笑い中に入ると注目が集まる。
身なりの良い子どもと燕尾服姿のエルフが入って来たのだ。注目も集めよう。だが、ガネブは興奮気味に辺りを見渡し、ベジェーノを見上げた。
「俺、冒険者になれるかな?」
その質問にはいつも冷静なベジェーノであっても顔を顰めた。
「ガネブ様。何か必要なものがあれば取りに行かせればよいのです。わざわざ危険に身を晒すなど・・・・・・」
「でも、冒険者ってかっこいいじゃないか!」
目を輝かせ大きな声でそう言うと周りからは微笑まし気な声が聞こえてくる。
他人の多い空間の中から野太い声が響く。
「坊主。せめてもちょっと大きくなってからにしな!」
「違いねえ!」
陽気に笑う男たちにそう言われながらもガネブは口を尖らせた。
「・・・・・・金が欲しいんだ」
聞き咎めたのはベジェーノだ。曲がりになりにも執事。その財務や事務も彼の仕事である。
「必要であれば、いつでもお出しします」
「違うんだ。アリスにプレゼントしたくて・・・・・・でも、今その金は無いし」
「お気持ちだけでも十分彼のアリス様はお喜びになるかと思われます。それこそ、お預かりしているお金を出すべきでしょう」
ガネブは口ごもる。
金を出せば確実に手に入る訳じゃないのだ。ガチャというのは何が出るか分からない。
いくら金が必要になるかもわからないのに、アリスの金を使っていい道理があるだろうか。
あれこれ思案するガネブの背に声がかかる。
「ガネブ?お前、なんでここにいるんだ」
聞きなれた声に振り返ってガネブは目を丸くした。
「父さん」
そこに居たのは革の防具を身につけ、剣を下げた父親だった。