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4:悲しみと新しい事

清潔で上等な毛布と絨毯を買って帰路に着くアリスは何処か機嫌が良かった。

勿論、彼の家庭状況を考えればご機嫌であるというのは不忠だろう。それでも、アリスは再び得られた主に対して隠しようのない喜びを感じていた。

やせ細った体、不健康な顔色、不潔な身なり。どれをとってもアリスを不安にさせたが、話してみればガネブは落ちついたいい子どもだった。

だからこそ、アリスは眉を顰めた。機嫌よく歩いていた足取りも僅かに鈍る。

あの母親は酷い。父親だっていったい何をしているのか。

妹を亡くして傷心している小さな子どもに対して罵声を浴びせるなど、度し難い。

それでも、そんな親でもガネブは必要だという。

親に捨てられたアリスには少し考えられない事だった。その一方で家族の大切さを身に染みて理解してもしていたから強制的に連れて行くのは難しい。

魔法光の灯る大通りから廃れた裏通りに足を向けた。ガネブの家の位置も悪い。

出来れば明るくて広い場所で寝泊まりして欲しいものだ。あとは教育や訓練も必要だ。アリスの主なのだから、大切に育てたい。

軋む階段を上り、二階のガネブの家の扉に手をかけたあたりでざわりと不快な感覚を覚えた。

「・・・・・・?」

振り返る。だが、何もいない。それでも例えば影から何かが舐めるようにこちらを見ている気がする。

言いようのない不快感を抱きながら扉を開く。

瞬間、アリスは顔を青ざめさせて居間を抜けて扉の開いたガネブの部屋に向かう。

血の匂いだ。

部屋に入るとそこには床に蹲ったガネブと血の滴る包丁を持った醜悪な顔の女がいた。

怒鳴るよりもその女を跳ねのけてガネブに恐る恐ると触れる。まだ息はある。だが、痛みを堪える頼りないものだ。

買って来た毛布でガネブを包み、その小さな体を抱きかかえる。

教会に行かなくては。

振り返ると醜悪な顔の女は茫然とした顔で此方を見た。

「どこに連れて行く気だ。私の子だ。私の子だ。悪魔の子だ」

「・・・・・・」

アリスはこの女と話す気にはなれなかった。怒鳴り散らしてその首を落としてやりたかったが、それをしないのはガネブが必要だと望んだからに違いなく、また、時間がなかったからだ。

黙って家を出ても女は背後で泣きわめき、怒声を上げてばたばたと物音を立てるばかりで追ってはこない。

これ幸いとアリスは夜道を駆けた。


目が覚めたとき、見知らぬ天井を見てガネブは驚いた。ぎょっとして飛び起きると周囲を窺う。まるで知らない場所だった。

ふかふかとしたベッドと清潔で真っ白なシーツ。太陽が射しこむ明るい部屋。清潔な布団と毛布。床板は磨きあげられ、絨毯は毛足が長い。調度品も美しい装飾が施され、ドアノブすら輝いた宝石の様だ。

驚いたままで声が出せないでいると、控えめなノックが聞こえる。

「誰だ?」

問うと、ドアノブが捻られて扉から顔を見せたのは昨日であったばかりの少女アリスだった。

知った顔にほっとしてガネブは胸をなでおろす。

「おはよう、ガネブ。傷は大丈夫?」

「傷・・・・・・あ」

そう、そうだ。昨日の夜、母に刺されたのだ。

思い出すとガネブは胸が張り裂けそうなほどに苦しくて泣きそうで、けれど必死にそれを堪えると刺された辺りを見る。傷はない。

「痛くない。アリスが直してくれたのか?」

「治癒してくれたのは教会の神官。ここは宿屋。ガネブ、ゆっくり休んでいて。私は何か食べ物を持ってくる」

「あ、うん」

本当は側にいて頭を撫でて欲しかった。けど、ちょっと気を抜くと泣き喚きそうで苦しかったので助かった。

誰もいない何処か寂しい部屋のベッドの縁に座り、ガネブは自身の手を見た。右掌には何かの模様で描かれた二重の丸と中心に鈍色の玉があって、左手は普通だった。やせ細り、不健康な白ちゃけた小さな手。

母の手も皴がより、不健康に白くて痩せ細っていた。あの温かった手で、ガネブを撫でていた手で、ガネブとあの子と手をつないだ手で、ガネブを殺そうとしたのだという事実が喉を締め上げる。

頭が痛い。気持ちが悪い。息が苦しい。どうしたらいいのか。

何もかも我慢してきた。痛くても、辛くても、悲しくても、寂しくても、空腹でも。

どれだけ罵声を浴びせられても、冷たい扱いを受けても、殴られても。

どうして、我慢したのに。悲しい、悲しい、悲しい。

でも、我慢しなきゃ。泣いたら怒られる。

で、も、


どうして、母さん。


「ふっ、ぐぅう・・・・・・ぅああぁあぁあぁっ・・・・・・わああああああぁぁあああ!!!!!」

とうとう堪え切れなくなってガネブは泣き喚いた。うるさくて迷惑だろうなんて考えられなかった。ただひたすらに胸が苦しく喉が苦しく頭が苦しく心が壊れそうだった。

頭に重しがのっかっているようだ。

喉が締め上げられているようだ。

胸を抉られているようだ。

心の在りかが分からない。

何処に行ってしまったんだ、あの温かい心は。あの温かい掌は。

数分間泣いて泣いて泣き喚いて。疲れてきたころ、嗚咽を漏らすガネブの元にアリスは静かに帰って来た。

「・・・・・・ガネブ、果物よ。少しずつ食べて」

「あぅ、あ、ひっく。あり、がと・・・・・・」

アリスは何も言わなかった。泣いていて腫れた目を見ても、涙と洟で濡れそぼった袖を見ても、嗚咽を漏らすガネブを見ても、何も言わず隣に座り、優しく微笑んで頭を撫でてくれた。

何度もえづき、嗚咽を漏らし、それでも何とか果物を食べ終わる。

何分も頭を撫で続けて腕も疲れたろうにアリスは少しも嫌な顔をせずに空いた皿をガネブから取り上げてもう一度頭を撫でる。

「皿を置いてくるわ」

「・・・・・・うん」

ありがとうと何度も心の中で繰り返し、小さく口に出す。

何度言っても足りはしない。ありがとう。

アリスは直ぐに帰って来た。

「ありがとう、アリス」

そう言うとアリスは目の前でしゃがみ、微笑んだ。

「ああ、ガネブ。無事でよかった。本当に本当に、良かった」

そうして優しく抱きしめられる。温かい掌が背中に伝わり、強張った心をほぐしてくれる。

数分そうしていたがそっと離れてアリスは問う。

「・・・・・・今日はゆっくり休んで。気分転換に本を持ってくるわ」

「俺でも、こんなすごい所に泊まれる金ない」

「そんな心配はしないで、ね?此処が嫌なら、もっといい所に泊まりましょうか」

アリスが笑顔でそう言うのでガネブは力なく首を振る。アリスには勝てそうにない。

「それじゃあ、待っていてね」


アリスはその美貌に極めて醜悪と言える表情を作ると一瞬のうちに消す。

とてもガネブの前では出来ない顔だが、思わず出てしまったのだ。

憎い。憎いのだ、あの女が、ガネブの母が。

今すぐ戻って縊り殺してやりたい衝動に駆られる。出来るだけ辱めて苦しめて殺してやりたかったが、ガネブの意思を捻じ曲げたり余分な事をしたくはない。

親など碌な物じゃないと思いながら必死でその感情を殺してエントランスの受付カウンターに向かう。

ひとりのコンシェルジュがこちらを見て会釈をする。

「本を借りられないかしら。必要なら買うから、子供向けの物を」

「はい、数は少ないですが取り揃えております」

少々お待ちくださいと言われ一分未満で彼は上品な白の木箱を抱えて帰ってくる。

10冊ほどはいった木箱を覗いてアリスは不満気に言い放つ。

「・・・・・・レフェニエッテ伝承は無いの?」

「申し訳ございません。直ぐに、お手元に」

「それとケーゲンガース伝説、バオガネーシュ伝説、ティーフィニエラ伝説系も欲しいわ。面白いものね」

どれも古竜の伝説系だ。彼はあるかなしかの上品な微笑を湛えたままに頷く。

「はい、畏まりました。30分ほどお時間をいただきますが、よろしいでしょうか」

「構わない。よろしく」

そう言って一冊持ってアリスは背を向けた。


読み終えたというよりは読んでもらった本が一冊終わるころにアリスは顔を上げた。

「新しい本が来たみたい。ちょっと待ってて」

頷き、その背を見送る。

ノックの音などは聞こえなかったが、アリスには聞こえたのだろう。ガネブは不思議がりながらも窓の外を見る。

澄んだ青空、高い建物の屋根が幾らか見えるからきっとこの建物も高いのだろう。

とても遠くに外円の城壁が見え、少し近くに内円の城壁が見えるから、此処は街の中でも中心に近い高級街だ。

ガネブは身をすくませた。ガネブがいていい場所ではない。

けど、行く当てもなく、それにアリスと一緒にいたかった。

アリスがガネブにとっての支えだ。ガネブを大切にしてくれる唯一の人だ。

ガネブは布団を握った。いつかきっと、アリスに恩を返そう。

いまは、休もうとガネブはうとうととベッドに潜り込んだ。




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