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3:お腹いっぱい食べた

ガネブは一日を満喫した。

清潔な衣服、清潔な体。大通りを何の気兼ねもなく歩くことが出来るのは楽しい。

到底ガネブには縁もないような店に入って食事をした時は驚いてひっくり返りそうだったがアリスが背中を支えてくれたので大丈夫だった。

朝にあの美味しいパンを食べて驚いたというのに、そんな凄いパンは当たり前に出てくるし、それよりもおいしいものが沢山出てきて、ガネブは贅沢過ぎてびっくりした。

食器の使い方が分からず、アリスのレクチャーを受けながら食事をするのは恥ずかしかったが、楽しくもあった。誰かと食事をするのは何物にも代えがたい貴重な時間だとガネブは知っている。

食事を終えるとアリスの提案で装飾品を売っている店、魔法道具を扱っている店、冒険者ギルドや商業ギルドの支店を覗いたり、鍛冶屋を冷やかしたりした。

満足したようにアリスは笑ってガネブに言う。

「楽しかった。鍛冶屋の親父さんの顔と来たら、本当に面白い」

おちゃめな一面もあるんだなとガネブは思う。

鍛冶屋の親父が面白い顔をしたのはアリスのせいだ。正確にはアリスが腰から下げている豪奢なつくりの剣のせいだ。

鍛冶屋の親父はガネブとアリスが店に入って来た途端にその剣を見て茫然とした。聞けばとても古い剣で本当に貴重で伝説にすら謳われるような剣なのだという。

ガネブはとても驚いたが、アリスはそれを知っていたのだろう。大して反応しなかったが親父の顔を見ておかしそうに笑っただけだった。

「凄い剣なんだ」

ガネブが尊敬してそう言うとアリスは笑って答える。

「そうよ。かつての主が私の為に作らせた、素晴らしい剣」

誇らしげだ。そのかつての主を彼女は尊敬しているのが伝わる。

つい気になってガネブは聞く。

「その人は今どうしているんだ?」

「・・・・・・死んだわ」

「あ、ご、ごめん」

そうとは知らずに不躾な事を聞いてしまったガネブは慌てて謝る。アリスはちょっと寂しそうに笑って、ガネブの頭を撫でてくれた。

「いいの。大丈夫。今は貴方がいるもの」

ガネブは信じられないほどの贅沢をしている。清潔な衣服に身を包み、美味しい食事をひとと一緒に食べ、笑いながら明るい道を歩く。これほどの贅沢を考えたこともなかった。

ガネブはアリスに何か返したい。だが、何も思いつかない。

なのにアリスはガネブがいるだけで嬉しいという。もっとも贅沢な言葉だ。ガネブは痛いのを堪える様に必死になって笑みを作った。

ふたりは日が暮れるまで歩き回り、街を見て回った。

「そろそろ、帰らないと」

ガネブがそう言うとアリスは申し訳なさそうに頷く。

「ごめんね、連れまわして」

「ううん。楽しかった!」

純粋に楽しい時間だった。家族が、妹がいればもっと楽しかっただろう。

そんな事を思っても仕方がない。ガネブはアリスの服の裾を引っ張って言う。

「家が無いんだよな?俺の家に来るか?」

「あら、いいの?」

にこり、とガネブは微笑んだ。お土産も買ったし、母も喜んでアリスを受け入れるだろう。

大通りから外れて薄暗い路地を歩く。アリスの綺麗な服が汚れたりしないかと思って聞いてみたが、気にしないとの事だった。

薄暗く汚い道を10分程歩くと家のアパートに着く。軋む階段を踏みしめて2階に上がり、家の扉を開く。

狭くホコリっぽい家の居間。年季の入ったテーブルに着いた母はぶつぶつと何かを言っていて、ガネブは見慣れた光景にため息を零してから、口を開く。

「ただいま、母さん」

その声に勢いよく母は反応した。そうして半狂乱で怒鳴り始め、ガネブに向かって右手を振り下ろした。

いつも通りだ、ガネブは痛みが走るのを待ったがいつまでたってもそれはやってこなかった。目を開けるとアリスの手が母の右手を掴んで離さない。

「離せ!お前は何なんだ!?」

離すように言おうとガネブはアリスを見上げて、そこで初めて彼女が眉根を寄せて怒っているのだと気づく。

「子どもに対してその態度は何?ただいまと言われておかえりと言う事も出来ないの?」

「お前には関係ない!その子は悪い子だ!!その子がいるせいで私は苦しいんだ。悪い子だ」

母の言葉にアリスの空気が変わる。冷たく鋭い空気を纏って彼女は母を見下した。

「苦しいのは貴女の責任でしょ。何故、自分の子どもに暴力を振るってそれが肯定されると思うの?」

「その子が悪いせいだ!その子が悪い!」

まるで会話が出来ない母は空いている左手を振りかぶってガネブに向ける。だがそれもアリスに阻まれた。その間に挟まれたガネブは困惑してただ二人を見上げることしか出来ない。

「離せ、離せ!」

「殴られたら痛い。そんなことも分からないの?」

「あれは悪い子だ!私の悪い子だ。私のせいだ。私が、ああ、」

母はやつれた顔で目だけが異様に輝いていたがそれが失われると突然涙を零し始める。

「ああ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。ガネブ、私の子。可愛い、子」

アリスが手を離すと母は床に崩れ落ちてわんわんと泣きだす。この人はいつも自分が可哀想で泣いている。その証拠にガネブが身綺麗にしているというのに一切の興味を持たないのだ。いつもの光景に戻ったのでガネブは気にせず土産の話を持ち出した。

「母さん、パンがあるよ。ジャムも、蜂蜜だってある。沢山食べて」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

全く会話にならないのはもう、慣れた。ガネブは返答を待たずにアリスを振り返る。荷物を持っているのはアリスだからだ。彼女はちょっと戸惑い気味に魔法のポーチから一抱えのパン、それからジャムと蜂蜜の瓶をテーブルに取り出す。

母はまだ泣いていて、到底会話は出来そうにない。構わずにガネブは自分の部屋に案内した。

「狭いけど、俺の部屋」

「・・・・・・ガネブ、大丈夫?」

「・・・・・・母さんの事?慣れたよ。慣れるしかないだろ」

自嘲気味にそう言う。だってそうだろう。母がああなったのは妹が死んだからだ。母は昔の記憶に縋って、時折記憶から返って来ると罵声を浴びせて泣き喚く。“母親”を期待しなくなって2年。ガネブは悲しくて辛くて胸に穴が開いたままだ。自分だって妹が居なくなって悲しい寂しい。けど、ガネブは生きているのだから先に進まなくてはならない。

「妹が死んじゃってからずっとああなんだ。もう2年になる」

アリスはぐっと目を閉じたかと思うと決意に満ちた眼差しで口を開く。

「家を出た方が良い。お母様と距離を置くべきよ」

「けど、母さんには俺しかいない。父さんは滅多に帰ってこないし、寂しくなるだろ?」

「・・・・・・」

「それに、俺には金がない。どうやって暮らすんだ?スラムで暮らす方が大変だぞ」

アリスはスラムの事を知らないのだろう。でなければ、親から離れて暮らそうだなんて言わない。スラムは落伍者や犯罪者、親なし子が住んでいる。家に耐えきれないで一日だけ行った事があるが治安は最悪で、ここで母に罵られる方がはるかにましだと感じるほどだった。

「お金は私が工面するから、スラムで暮らす必要はない。もっと広くて清潔で安全な家を提供できる。ガネブ、行きましょう」

魅力的な提案だった。でも、ガネブには踏み切れない理由がある。

「母さんは?父さんは?」

どれだけ罵られ様とも、どれだけ否定され様とも、どれだけ無視され様とも、家族なのだ。

ガネブにとっては大切な、家族だ。

アリスは痛まし気にこちらを見ると優しく微笑んだ。

「どうしても、お母様とお父様が必要?」

「うん」

迷わずガネブは頷く。当たり前だ、大切な家族だ。掛け替えのない、家族なんだ。

アリスは何か思案した様だったが自嘲気味に笑うと首を振りガネブの前でしゃがみ、その頭を優しく撫でてくれた。ちょっとくすぐったくて、ガネブはくすくすと笑う。

「・・・・・・・・・・・・貴方がそう望むのなら」

優しくそう言ってもらえて、何かとても悪い事をしたような気になって咄嗟に謝る。

「ごめんな、アリス」

「謝る必要はないわ。でも、忘れないで、いつでも私は貴方の事を考えているし、この家を離れることは決して悪い事じゃないってことを」

「うん。ありがとう」

アリスは何一つ悪くない。本当はガネブだって分かっている。この家に居ても良いことは無い。母に罵られるだけだ。父に無視されるだけだ。それでも、それでも、かつての優しいあの掌が忘れられないでいる。家族の優しく温かいあの掌が。


夕食もまた、楽しいものだった。アリスと2人で昼間に買っておいたパンと干し肉や干し果実を食べた。居間に行っても良かったが、母がまだ何か喚いていてアリスがいい顔をしなかったので狭いガネブの部屋で食べることにした。

一日中お腹いっぱいで過ごせて誰かと笑いあえることがとても嬉しくて、ガネブは満足して床に横になると、アリスが咎めた。

「寝間着があるわ。着替えてから寝てね」

「え?」

ねまき。寝るときにわざわざ着替えるのかとアリスを見るとアリスもまた驚いたようにこちらを見ていた。

「本当は湯浴みをしてから寝て欲しいけど・・・・・・ベッドだって無いし買っても入れられそうにもないし・・・・・・貴方が住むにはちょっとやっぱり」

ぶつぶつとなにか呟いてから諦めたようにため息を零し、魔法のポーチから服を取り出す。真っ白でワンピースみたいな服だ。

ぎょっとして見てもアリスはそれを渡して、裾の絞られたズボンも渡してくる。どちらもレースがあしらわれていてとても高級そうだ。

「これを着て、寝て。私は少し外に出てもっと良い毛布を買ってくるから」

「分かった。でも、外に行くのか?夜は危ない」

ガネブは上半身を起こしてアリスを見上げる。夜は本当に危ない。犯罪者は普通にうろついているし、衛兵は誰でも彼でも気に食わなければ捕まえていたぶる。

「腕には覚えがある。大丈夫、気にしないで。私の毛布も買わないきゃいけないし」

「ごめん」

「なんで?ガネブは悪くない。悪いのは・・・・・・いえ、何でもない。それじゃあ行ってくる」

咄嗟に謝ってもアリスは微笑んで許してくれた。嬉しいような寂しいような気持ちでアリスの背を見送った。

清潔な衣服を苦労して脱ぎ、寝間着を着る。柔らかい肌触りで寝るときに肩が凝ったりはしないだろう。

贅沢だ。ガネブは噛み締めてから、涙を堪えた。

昨日とは違う。人がいる。お腹いっぱいに食べて、しかも清潔にしてもらって、寝るためだけにこんないい物を着させてもらって。考えたこともないような贅沢だ。

けれど、それを家族と共有できないことがガネブにとって辛く悲しい事だった。

ぼろ布を引き寄せて壁に背をつけてうとうととしていると不意に人の気配を感じてガネブは顔を上げた。

そこに居たのは虚ろな目をした母だ。

ガネブは驚いてぼろ布を一層引き寄せた。怖い顔をしているからだ。

「・・・・・・お前は悪い子だ。悪い子だ。悪い子だ。お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいで、私は苦しい。お前のせいだ」

低く唸るような声でぶつぶつと繰り返す。その声に姿にガネブは吐き気を覚える。

違う。違う。違う。ガネブは悪くない。ガネブのせいじゃない。

「お前が居なければいい。そうだ、お前はいつも私を馬鹿にして、あんな奴を連れてきて馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして」

どうしてそんな酷い事を言うんだ。涙が零れ、苦しくて息が出来ない。

「お前なんかいない方が良い。死ね、死ね死ね死ね。あの子の為に死ね」

えづきながら必死に息を吸う。吐き気がこみ上げそれを噛み殺し母を見上げた。

母が持つ包丁から目が離せない。

まさか、本当に、とうとう。ガネブは絶望した。本気なのか。本気で、ガネブを排除しようというのか。

苦しいのも耐えた。

辛くとも頑張った。

寂しくともわがままも言わなかった。

その仕打ちがこれか。

「母さん、母さんっ!!やめて!」

ガネブは泣き喚いて壁に身体を必死に押し付ける。あの虚ろな目をした悍ましい女から逃げるように。

女は笑った。酷く醜悪で罪過の塊の様な笑みだ。

「お前さえいなければ、あの子は帰ってくる。お前なんかいない方がいい。お前は汚らしい悪魔だ。あんな女を連れてきて、私からあの子を奪うつもりなんだ。悪い子だ」

そう言って醜悪な笑みを浮かべる女は包丁を振り下ろした。


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