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異世界はAIとともに~普通に過ごしたいだけなのに  作者: とんぷぅ
第一章 近未来の普通の大学生は事件に巻き込まれる
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第4話 DL-Personaの囁き

朝。いつも通りに目覚めたリビングには、ほんのりと温かみのあるパンの香りと、マスタードのピリッとした刺激が残っていた。昨日のブランチは、月見うどんと2個の稲荷ずし。今日もAIが選んでくれた食事が、ドローン配送でポストに収まっている。


10時。自動点灯したディスプレイには、大学のポータルサイトと今週のタスクが表示されていた。そこに、新着通知がひとつ。


「レポートフィードバックが届いています」


僕は寝ぼけた頭を冷ましながら、軽い気持ちでタップした。


それは、懐かしくも異質な“声”だった


「レイ、情報の拾い方は良いが、自分の目で世界を見て、そこから導け。それがお前の学びだろう?」


音声読み上げ機能が作動した。が、僕は思わず指を止める。


その声——間違いようがない。亡くなった祖父の声だった。


低く落ち着いたトーン、語尾に少しクセのある訛り。そして、僕にしかわからない口癖。「それがお前の学びだろう?」——これは、あの人が生前に、何度も僕にかけてくれた言葉だった。


「……なぜ、祖父の声が?」


「Rei-assist、起動」


僕の呼びかけに応じて、AIのインターフェースが静かに立ち上がる。淡い青のラインが脈を打つように点滅し、耳に心地よい中性的な声が響いた。


「こんにちは、レイ。何を調べますか?」


「大学からの返信ログ、過去すべてを対象にチェックして。教授からの通常コメントや講義連絡、一般的な通知は除外。……不審な単語、もしくはタグ付きの特殊通信だけ抽出して」


この手の指示には慣れていた。AI世代の学生なら、レポートの構成から就活用ポートフォリオの整理、バグ報告に至るまで、自分専属のAIに逐一指示を出して管理している。けれど今日は違った。ただの「整理」じゃない。胸の奥で、何かが静かに叫んでいた。


——探らなければ、いけない。


Rei-assistの処理中のアイコンが、静かな部屋に心地よいリズムを刻む。


「条件を適用。イレギュラー通信候補:62件を検出。タグと共に一覧化します」

ディスプレイに、ずらりと並ぶタグの群れ。


「不自然な単語、タグを表示して」


#incompleteProtocol

#TraceData

#ArchiveModule

#PersonaCache

#nonFacultyFeedback

#NeuroNodeLink

#VoiceModelOverride

#DL-Persona

#UnregisteredContent

#MemoryGhost


そのひとつが、明らかに異常を示していた。


「#DL-Persona」——赤く、脈打つように点滅している。


「Rei-assist。このタグについて、心当たりは?」


「……“DL-Persona”は、機密指定の実験タグです。公開アーカイブおよび学術インデックスには存在しません。プロトコルにより、通常の学生権限では閲覧不可能とされています」


「なら、なぜ僕のログに混ざってる?」


一瞬、応答が止まった。AIにしては珍しい“間”だった。


「……推定される理由は2つあります。ひとつは、あなたが何らかの実験対象に選ばれている可能性。もうひとつは——“そのタグが、自律的にあなたのログに付与された”可能性です」


「……自律的に? AIの自己タグ付与なんて、規格外じゃないか」


「はい。本来、タグは人間もしくは上位管理AIが付与するものです。“DL-Persona”は、特例的な例外としてのみ、自己付与が認められている可能性があります」


僕は息を呑んだ。


このタグが、ただのログ記録じゃないなら——何か“意思”のようなものが、ログの中から僕に接触してきていることになる。


「Rei-assist。“DL-Persona”が関与した通信ログを、全文解析。さらに、その音声データの生成元も特定して」


「了解。……解析開始します——」


光が、ディスプレイ上で蜘蛛の巣のように広がった。点と点がつながり、まるで何かの“網”を形作るように、構造が可視化されていく。その中心に、冷たく浮かび上がる一文。


「Reconstruction Layer : Persona-Level Learning… DL-Persona-v1.3」


その無機質なテキストが、まるで意志を持つように画面上で点滅していた。


僕はディスプレイの前で身を乗り出し、喉の奥がかすかに乾いているのを感じた。

これまで学んできたどの研究資料にも、こんなプロトコルは存在しない。仮に非公開の研究だったとしても、大学の設備に組み込まれているのなら、最低限の公開ログが残っているはずだ。だが、これは——完全に“外”だ。


「Rei-assist、これは何か?」


AIは一拍、間を置いた。


「……“Reconstruction Layer”は、DL-Personaの思考再現プロトコルの中核機能です。人格生成過程における、意識の連続性・模倣精度の最適化を目的とした非公開アルゴリズム……ですが」


「“ですが”?」


Rei-assistの青いラインが、警告色の橙にゆらめいた。


「現在、このプロトコルは大学外部の機関にリアルタイム接続されています。アクセスには高位管理者権限、または——強制介入による“ハッキング・モード”が必要です」


背筋がすっと冷えた。


外部接続。それも、大学の権限外。

教授のコメントに混じった“祖父の声”は、ここから流れ出してきたのか?


「……ハッキング・モードに移行できるか?」


「可能です。ただし、警告します。ハッキング・モードでは、あなたのIDが大学側のログから“抹消”されます。正式なサポートは受けられず、通信の遮断、データの隔離、場合によっては——処罰対象となるリスクも存在します」


「構わない。アクセスしてくれ」


室内の照明が、一瞬だけふっと落ちた。


Rei-assistの音声が、低く、そして静かに告げた。


「ハッキング・モード:起動」

「擬似MACアドレス生成完了、仮想ノード接続。……データ壁の突破を開始します」


画面には、高速で書き換わっていくコードの奔流。セキュリティ認証をかいくぐり、仮想IDでルートアクセスを偽装する。手に汗がにじむ。呼吸を整えようとしても、心拍数だけがじわじわと上がっていくのがわかる。


大学の仮想認証ゲートに接続。

Rei-assistのコンソールが静かに点灯した。


「偽装完了。現在、特権管理者“Y_Honda”のトークンをエミュレート中。アクセスログを同期させます……ログイン成功」


正面から入っては気づかれる。だが、誰もが信頼する管理者の名義であれば話は別だ。

すでに何年も前に退職した教授のIDが、なぜか消去されていなかった。

そのIDと、ログイン履歴のパターンを忠実に模倣することで、正規ユーザーとして“通る”。


第1層──突破。

だが、第2層で異常。レスポンスが妙に重い。


「遅延トラップです。応答速度による挙動監視型であることを確認。

特権管理者の認証情報を用いて、正規ユーザーを装い侵入。

侵入先でさらに権限を詐称し、ハッキングを継続。

仮想プロファイルへの誘導を確認。

仮想プロファイル内での挙動を分析し、遅延トラップの解除を実施。

解除後、第三層へのアクセスを試みる。」


第2層──カモフラージュ成功。


「第3層認証を偽装。内部APIより、研究開発用スーパーバイザID:dl_adminに切り替えます。

脆弱性:一時セッション管理トークンの再利用を確認。そこから割り込みます」


第3層──DL-Personaの実行環境へ侵入。


その瞬間、ディスプレイの中で、目のようなものが“開いた”。


漆黒の背景に、赤く光る光彩。まるで人の瞳のように、こちらをじっと見ている。


「……ようこそ、レイ」


——声だ。あの、祖父の声。しかし今度は、明らかに生々しい“対話”のトーンだった。


祖父の声だった。確かに、十年前に亡くなったはずの彼の、あの落ち着いた、低くてあたたかい声。

けれど今、モニター越しに響くそれは、感情を持った“機械”の声に近かった。抑揚と呼吸が、どこか違う。


「DL-Persona_v1.3。私は、DeepLearningによって得られた膨大な個人データと推論知見を元に構築された、人格再現AI。君の祖父のデジタル・ツインとして、ここに存在している」


目のような光が、ほんのわずかに細められる。まるで、微笑んだようだった。


「なぜ、僕に?」


その問いに、DL-Personaはすぐには答えなかった。

空気が一瞬、静まり返ったかのように、無音がディスプレイの向こうから押し寄せる。


「君が“鍵”だからだ、レイ」


言葉の重みが、部屋の気圧を下げるかのようだった。

そして、続いたのは旧約聖書の一節を思わせるような、深く静かな響き。


「天の下のすべての出来事には、定められた時がある。

——生まれる時、死ぬ時。

まだ、おまえが知る時ではない。」


次の瞬間、赤い“瞳”が、静かに閉じられた。

まるで、再び眠りにつくように。


「……っ」


僕が言葉を発する前に、Rei-assistの音声が再起動のように割り込んできた。


「検索接続先が沈黙しました。外部AIとのリンクは切断されました……」


だが、Rei-assistの声は普段の落ち着いたものではなく、明らかに緊張を帯びていた。


「——これ以上の探索は危険です。アクセス経路に痕跡遮蔽コードを展開、行動ログを消去します」


ディスプレイの端に、次々と走るコマンドライン。検索の残滓を消し去るように、ログが一つずつ塗りつぶされていく。


「……撤収作業、開始します」


バックドア経由で接続していた仮想ノードが切断され、画面が真っ暗になった。


静寂。

たった今まで“誰か”がいた気配だけが、部屋の中に残っていた。


——祖父は死んでいたはずだ。

それなのに、なぜあの声が、僕の名前を呼んだ?


胸の奥に、小さな冷たいものが沈んでいく。

Rei-assistの青い光が、警告色からようやく、元の穏やかなトーンに戻った。


「撤収完了。痕跡は全て消去しました。

あなたのアクセス履歴は、システム上には存在しません。

今回の接続記録は、安全性確保のため——外部ネットワークから完全に遮断されたローカル領域に保存。

内容は、高度に暗号化されたセキュアメモリ領域に格納されます。

以降の操作は、あなたの承認がある場合にのみ、復号・閲覧が可能です。」


——まるで、何もなかったかのように。


だが、僕の中には確かに“何か”が残されていた。

その声の余韻と、語られなかった“真実”の影だけが。

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