第2話 変わり映えしない日常生活の午前中
両親が海外旅行に旅立って二日目。
特別な出来事もなく、いつもの静かな日常が続いている。
家事は、もう“手間”と呼ぶには程遠い。
洗濯、掃除、炊事――それらはすでに、暮らしの中に溶け込んだAIたちのルーティンワークだ。
人間はただ、設定して、結果を受け取るだけ。
食事も例外じゃない。
僕の年齢、健康状態、味の好みはすべてクラウドに登録済みで、AIはそれらをもとに最適なメニューを自動選出してくれる。
朝食も昼食も、手間はゼロ。いや、“選ぶ”という行為すら省略された。
配送は、もはや芸術の域に達している。
近くのステーションに止められた静音ドローンカーから、冷蔵・冷凍・常温の各モードに対応したドローンが、宅配ボックスへと音もなく配達していく。
一昔前は、再配達と人手不足で崩壊しかけた宅配業界も、今じゃすっかり洗練された。
“再配達罰金制度”“強制宅配ボックス設置法”“人手配送高額化”――社会全体が、AI配達の合理性に屈服した結果だ。
おかげで、夜間配送が犯罪抑止や見守り機能と連動して、生活のセーフティネットにまでなっている。
宅配ボックスが家のセンサーとつながり、異常があれば通報・記録・ドローン監視が即座に起動する。
まるで、未来の番犬だ。しかも24時間無休で、文句一つ言わない。
そんなわけで、僕の朝――いや、今日はブランチだ。
10時、キッチンカウンターの上で箱を取り出し、レンジに入れる。
合鴨スモークサンドとコンソメスープのセット。温めと焼き色を計算した加熱で、ちょうど良い仕上がりになってくれる。
ピッという軽い音。
取り出した箱のフタを開けると、フタは折りたたまれ、そのままテーブルへ――もう“食器”という概念が時代遅れに感じるほどだ。
サンドの表面、コッペパンには軽く焦げ目がついていて、カリッと香ばしい。
中の合鴨はしっとりと柔らかく、マスタードバターのピリッとした辛味が、朝の眠気をじわじわと刺激してくる。
ひと口。
噛むたびに、旨味が口の中でじわっと広がる。
「うま…」
誰にも聞かれてないのをいいことに、思わず声が漏れる。
ディスプレイに目をやると、今日の天気は“薄曇り”。
暑すぎず、寒すぎず。悪くない。
最後の一口を大きく頬張り、スープで流し込む。
ふぅ、とひと息。
空のカップをゆすいで、箱に戻し、再度フタをして、ダストボックスに入れれば片付けも終了。
この簡便さが、令和の先を行く生活だ。
リビングのディスプレイは、もう消えていた。
テレビ番組に興味もない。
となれば――
「……コーヒー、頼む」
僕はドリンク・サーバーの前に立ち、無言でマイカップを置いた。
機械が“いつもの朝”を察知し、浅煎りの一杯を淹れてくれる。
ピッ、と短く音が鳴り、カップに香り高い液体が注がれる。
熱すぎず、ぬるすぎず。酸味が立ち、ほんのり甘さのある、繊細なバランスの一杯だ。
ドリンク・パックは、コインサイズのカプセル。
その中に凝縮された抽出液体を、わずか数秒で完璧な一杯に仕上げる。
抽出のアルゴリズムは、僕の気分や時間帯にあわせて最適化されている。
午後になれば深煎りに変わるし、夜はきっちりカフェインレスに切り替わる。
こいつは、決して間違えない。
だが…完璧すぎるのが、たまに腹立たしい。
一口飲む。
口の中に広がる苦味と香り。
それは眠気を吹き飛ばし、思考のスイッチを確かに押してくれる。
「……やれやれ。今日も世界は、まだ終わっちゃいないらしい」
僕は浅煎りの熱を唇に残したまま、階段を上って自分の部屋へと戻っていった。
一杯のコーヒーが導く、AI時代の“ちょっとだけ自由な”一日が、また始まる。