現状把握並びに、付近探索をしましょう。
第3回目です。
どうぞ良しなに。
通話が切れてから携帯電話の充電を確認するが、やはり100%のままであった。
どうやら、本当に空想世界に来てしまったようだ。つまり、ここは京都でも日本でもなく、異世界。らしい。
「司先輩、世の中そんな社長いませんよ……」
思わず、昔の口調で上司を呼んだ。
一度、ポケットWi-Fiの電源を落とし、カバンの中の中央ポケットにしまう。
携帯電話は充電が減る気配を感じられないので、もう一度マップを開き現在立っている地点を見る。
そして時刻を確認すると、現在AM9:02。
改めて目の前に広がる光景を確認すると、森の中に湖があることには変わりはないが、頬を撫でつける風が肌にさす風ではなく穏やかな撫でつけるような風であることに気づく。
気が動転して冷や汗が伝っていた背中は、今では黒いコートの熱で汗をかいている。
首元もグレーのマフラーを巻いているせいで息苦しい。
(季節もまるで違いますね。森の中だから風が通らないのでしょうか? いえ、風がなくても冬なら寒いものでしょう)
とりあえず、コートとマフラーを脱ぎ丁寧にたたんでカバンに入れる。
ついでにカバンの中を整理し、入れてあるものの確認をする。
中身は、コート、マフラー、PC、携帯電話、ポケットWi-Fi、本、電子辞書、手帳、名刺、筆箱、仕事用ファイル、ハンカチ、着替え、ハンドタオル、ポケットティッシュ、財布、通帳、折り畳み傘、愛妻弁当、タバコ、ライター、缶コーヒー、500mlの水が入ったペットボトル。
大きなカバンだからこその入れているものの豊富さ。この緊急時にとても役立つカバンだ。
「カバンの荷物も確認できましたし、ここにずっと立っていても埒が明きません。少し歩いてみましょう」
バッグを両手で背負いなおし土を踏みしめながら、目前に見える湖を目指し歩いた。
到着し辺りを確認してみるが、先ほどより鮮明に水面が見える以外は先ほどと変わりない。
湖は見れば見るほど綺麗に澄んでいて、心の中とは反対の光景に、言いようのない寂寥感が募る。
湖から目を離し、もう一度携帯電話を取り出してマップを確認する。
(うぅ~む。これだけでは変わりませんか。もう少し辺りを歩きましょう)
湖から離れ、マップを見ながら西の方角に進んでみる。
20分ほど歩けば、マップは3センチほど西の方角に広がる。さらに、現在地点を示すアイコンから半径500mのマップが広がった。
(とりあえず、20分ほど歩きましたが。なるほど。この地図自体が500m刻みなので、つまり、20分歩いて3センチほどということは大体歩いた道のりは1500m。
今のこのマップアプリはあまり使い勝手は良くありませんが、1度行ったことのある場所の地図が出るなら道に迷う心配はありませんね。
なら、もう少し遠くまで歩いて、どこか集落がないか調べてみましょう)
のどかな森の中をひたすら西ほうへ歩く。さらに20分経過し時々辺りを見渡してみるが、あっちに木々、木々、こっちに木々、木々。たまに川。一切代わり映えがしない。
しかし、ここは異世界。目に見えるこの木々たち1本1本が、日本ならご神木とあがめられ祀られているレベルをはるかに超える大きさだ。
目測では全長約10m。幹の太さも成人男性が数十人両手をつなぎ合わせないと腕が回らないだろう。
生い茂る葉の色は日本と変わらず青々としているが、葉の大きさは掛け布団並みだ。
落ち葉を手に取って触れば、アロエの葉のような分厚さがある。
葉の大きさ、厚さから予想される通りそれなりに重い。
木の種類は何だろうか、日本にはないが地球のどこかには生息しているのだろうか、と興味は尽きない。
(これは……早めに避難所を見つけなければ、ふってきた葉で天国へ昇れそうです。10m上からの掛け布団なんて凶器でしょう。
しかし、行けども行けども集落どころか人の気配すら感じません。
辺りの様子を確認しつつ進んでいましたが、まずは拠点を作って対策を立てましょう)
私は一旦進むことを止め、来た道をそのまま戻ることにした。
携帯電話の時間を確認すると、後数分でAM10:00。
このよくわからない世界に来てから1時間と少しが経った。
異世界なんて架空の存在に遭遇してしまい、これ以上ないほどの驚きだった。現実味なんて一切感じなかったし、もしかしたら、日本のどこか地球のどこかではないか、と。
あの木を見ていから、まさに”腑に落ちた”とはこのことだ。それは一種の諦めのようなもので。
ふと、社長がお前のスペックなら~(以下、略)と言っていたことを思い出し、なんて楽観的な人だ! と憤慨しそうになる。体力と精神力の無駄遣いはしない主義なのでしないけども。
湖から西に歩いて20分、来た道を戻り20分。拠点になりそうなところは未だ見つかっていない。
「拠点を作るにしても水場がないといけませんね。
そういえばさきほど川を見つけましたが……いえ、川は雨が降ったらこわいですしやはりこの湖の近くがいいでしょう。
運が良ければいつの間にか日本に、っていうこともあり得ます。
後は、雨風をしのげる場所があれば良いのですがね」
携帯からマップを起動し、度々確認しながらもう1度辺りを見渡す。すると、先ほどまでは注意していなかった南東の方角に大きなくぼみを持つ木を見つけた。
その木の根元にキノコが自生し、付近には山菜と思しき植物類が自生していた。
それらを採取しながらしつつも地面のいたるところに生えている一見ただの雑草に見える植物も採取。
採取がひと段落したのでくぼみを持つ木に近づいき観察してみると、既に寿命を終えた木のようで幹の中身が綺麗に空洞化していた。
触れてみても腐ったような感覚がなく、丈夫な木だった。
「本来なら洞穴を拠点にするところですが、付近には見当たりません。そもそも洞穴の中の安全性は異世界という時点で確保できるか不明。
しかし、ここなら……大丈夫でしょう。辺りに獣道はできていませんでしたし」
中に入ってみるとまさに自然にできた部屋が広がっていた。
「下手なアパートよりも広い空間ですね。
雨風も凌げそうですし、この場所なら湖に近すぎず遠すぎずで洪水の心配はありません。第一拠点はここにしましょう」
異世界に来て初めての拠点を決め、背負っていたバッグを下した。
木が空洞化したものなので足元も木でできている。夜に冷え込んでも木が熱をもって温かいだろう。
万が一、耐えられないほどの寒さであればそこらに落ちている葉を持ってくれば大丈夫だろう。あぁ、寒さ、と言えば。
今朝、妻と言葉を交わした際、今日は雨が降る、風邪をひいたら大変だ、といって渡されたマフラー、着替え、ハンドタオルに折り畳み傘。
(ありがとうございます。オルディー。あなたのおかげで違う土地でも着替えが可能だ。夜、凍えることもありません)
もし妻の言うようにしていなければ風邪どころか、寒さやら不潔やらで衛生的に最悪の状態に陥ったことだろう。
何日、もしかしたら何日どころではない森の生活になるかもしれない。そんな中、数日も風呂に入らないままなんて明らかに不衛生で危険だ。
違う世界であれど、人間が生きていける環境ならば細菌やウイルスも存在するはず。常に衛生管理をしておかないといけない。
ここには風呂や温泉という便利なものはないんだ。だからこそ、湖か川を利用しない手はない。
しかし、季節は春のように暖かといえど、湖にしろ川にしろ水の温度なんてたかが知れている。水を含んだまま服を着るなんて本末転倒だろう。
(そこで、オルディーに渡されたタオル! これさえあれば水に浸かった後も体が拭くことができ、今後お湯を沸かせるようになればタオルを浸して体を拭うこともできます。
お風呂の面の心配事はほとんどありません! 本当にありがとう! 必ず、無事に帰ってみせます!)
妻への決意を固くし、心持ちを新たに異世界でのサバイバル生活を始動させるのであった。