白の書いた内容に頭を抱えました。
第18回目? ですかね~?
どうぞ良しなに~。
(さて、問題はここからですか……)
私にとって新手の暗号を解読するのは難しくない。世の中に多くのハッカーがいるように、コツさえつかめれば解読することは誰にでもできる。
私の家は日本でもトップクラスの財閥、もしくは家元とも言える神道家である。まだ貴族階級が存在していた時代から華族であったし、それ以前の奈良・平安時代の頃の歴史もある。家の蔵には歴史家にとって喉から手が出るほど欲しい貴重な文献・骨董品がゴロゴロあり、土を掘れば発掘家もビックリな白亜紀・ジュラ紀の骨でも出てくるのだ。ちなみにこの事実を発見したのは化石マニアで5つ年上の兄である。
(その分、人の骨も出てきますがね)
表で活躍する家なんてどこも裏がある。光が明るければ明るいほど、影は濃くなるものだ。そこは今も昔も変わらない。
「ある意味、異世界の方が安全ですね。白」
「プ?」
しかし、私には養わなければならない家族がいる。責任のある仕事もある。よって、家に帰ることは必須。いや、むしろ必至。そのためにこの世界の情報が必要なのだ。
というわけで冒頭に戻るのだが。
解読した文字を眺めて長い、……長い溜息を一つ。
「白。あなたのご飯がそこの湖の気だということはわかっています。元々この付近に生き物の反応は感じていませんでしたし、あなたの食べ……いや、吸い? まぁ、とにかく。食事風景を見ていれば一目瞭然ですから。好物と言えるのでしょう。
問題はそこではなく、この適当に書いてもらった単語の方ですよ。
私、名乗っていませんよね? なぜ虹のアーチを描いた私のフルネームが……? それだけでなくこんな隅にも。小文字で。反アーチで。あなた、食べられたい願望でもあるんですか? えぇ?」
私が“食べられたい願望”あたりまで発した直後、白は跳躍し、そして顔面からスライディングした。白の行動から察するに書いたのは作為的なのだろうが、大変小さい文字であったことから見つかるとまでは予測していなかった模様。しょうがないので、見なかったことにした。
すると、何事もなかったように私の足元まで歩いてくる。そして、誇らしげに鳴いた。先ほどの光景は白の記憶から抹消されたようだ。都合のいい兎である。
というか。
「いや、なぜ私が時間をかけて言語を習得したと思っているんですか。鳴くよりもまず字を書きなさい。
今後、私の問いかけに詳細で答える場合は文字を書くこと。でなければ、あなたを連れて行動する価値がありません」
「ブ、ブ~……」
白は垂れた耳をより一層垂らした。が、そんなことは私の知ったことではない。
ほんの少し目元に力を入れて白を見る。一瞬の間だけ、それこそ1秒にも満たない間だった。その一瞬を感じ取った白はすぐさま小枝を食み、ものすごい勢いで文字を記していく。
(やはり、この兎はただ者ではありませんね。人の、それも異世界の言語を理解し、文字を書くこともでき、刹那の微弱な殺気も感知する。
これだけの力がありながら見た目は兎で気配にも害がない。むしろ気配すら希薄。だからこそ気を張っていた私すらも欺き、接近を許してしまったのです。
……MTアプリでは新種とされていましたね。この世界ではまだ認識されていないという意味か、言葉の通り1匹しか存在しないという意味か。
どちらにしろ、この世界の住人にとって見たことのない生き物ということは同じ。
万一、こちらの住民に出くわし警戒されたときは切り捨てましょう。今後、共に行動していくかは第1村人の反応次第。
エントの知識は今の私にとって必要です。こちらの住人に会うまでは利用させてもらいましょう)
思考を終えると、視界には白が映る。そして、新たな文章……も…………?
「“利用するのは構わないが、切り捨てるのは不可能。既に契約はなされている”……? はい?」
私が文を読み終えると、白は再び文字を記していく。が、違う。私が言いたいのはそこではない。
なぜ、白は“利用されることを知っている”? 価値、とは確かに口にした。ならば普通ここの記述は“価値があるか無いかを見極める”ではないか? “切り捨てる”については捨てるやら食べるやら言っているので理解できる。しかし、これは……いや、まさか――
身体中至る所から汗が出てくる感覚はいつぶりだろうか。
「――“契約とは主従。我は神道物集を主とし、魂源の契約を成した。故に我を切り離すことは叶わず。また、我が死すときまで主が死すことも叶わず”……。はぁっ?」
そして白は続く文を書く。この時点で私の心情はハリケーンを通り越し、砂漠と化していた。
過去の教育のせいで心とは反対に身体は次の文を目で追い口にする。
「“異界の地へ渡るには我が必要。また、我が生き行くために主は必要。この出会いは必然。契約が違ったとき、この地と異界の地は塵の如く消えゆく定めに……ある”。
………………。
はぁぁぁぁっ!?」
ブーブー。
――MTアプリを更新しました。“魂源の契約”が更新されました――
信じられない。
この一言に尽きる。
携帯電話の画面にはMTアプリ更新の通知。通知を開けると以前はなかった魂源の契約という欄ができていた。内容はただ簡素に『レプス:白』の文字のみ。
これには頭を抱えるしかなかった。
白が書いた文字からはあらゆる事柄が仮定された。それもほとんどが白に聞くまでもなく確信に近い形で。
まず、私の名前を文字に起こした点からおかしいと感じていた。私自身から口にした記憶など皆無だからだ。この時点で、実はこの兎、人の脳内の情報を引き出すことが可能なのではないかと考えていた。しかし、続く文からその仮定は悪い方へ変化していく。
“利用する”という文字、“魂源の契約”という意味のわからない契約。ただ脳内の情報を引き出すといっても種類がある。
地球の医学においては心理学があり、行動や発言からその人の考えていることを読み取ることが可能だ。白が私の動揺を誘う行動を狙って起こしていた場合はこれに該当する。だが、この仮説では私の名前を知ることは不可能だ。よって、半獣半妖の魔物もしくはレプスという種族特有の能力ではないか、と考えた。勇者を導く存在とされるシームルグの血を引くならば考えられないこともない、と。それ以外に考えられないとも。
(ッハ! 現実はどうでしょう)
種族特有の能力? そんな奇特な能力は存在しなかった。MTアプリを見れば一目瞭然だった。
何がどうなって魂源の契約なんぞを結んでしまったのかは未だ理解できてはいないが、その契約による影響から脳内の情報が白にリンクされてしまうらしい。それは心理学のような行動予測などではなく、もっと確実なもの。
(魂【たましいの】源【みなもと】の契約? そんな……そんな意味のわからないもので! 異世界は神の御業さえ許されるとでもいうのですか……!)
私の中にある記憶、神道物集であるという認識、今考えていること、そのすべてが白には丸見えだったわけだ。勝手に結ばされた契約のせいで。
知らぬ間に主にされ、白が死ぬまで死ぬことが許されないだと? 長命で知られるエントと神鳥と呼ばれるシームルグの血筋が人間と同じ時を生きるはずがないだろう!
そもそも何だ? “契約が違った時、この地と異界の地は塵の如く消えゆく定めにある”って。“出会いは必然”って!
そんなの、まるで――
(――この世界に来ることがあらかじめ決められていたみたいではありませんか…………)
今ならわかる。
私が突然異世界に来てしまったのも。
この森を拠点とすることも。
毛玉のような兎なんて、普段の私なら放っておくのに名付けまでして。
全てが予定調和。仕組まれていたこと。
誰に? その答えは。
携帯電話が鳴る。バイブレーション機能が果たされることのないこの音を聞くのは3度目だ。
――新たなアプリが共有されました。――
アプリ名は、Trial by Gos(TG)
(あぁ、本当に信じられません。頭を抱えるほどに。むしろ信じたくありません。
だってそうでしょう?)
私は平凡をこよなく愛しているのだから。
ふと、右足に違和感を覚えた。思考から足元へと意識を移す。
「ヌ、ヌ(ブ、ブ)……」
白は食んだ裾を離し、地面に視線を向ける。その視線の先には新たな文。
正直、読む気など皆無であった。しかし、身体は意思に反し文を読み解く。
(私が視線さえ向ければ意思に関係なく読むとわかっていて。私の全てを覗き込めたあなたなら、今そうすることであなたにどういう感情を抱くか予測できたというのに。
なんと愚かで、狡猾で……優しい。哀れな神の遣いなんでしょうね)
“我が主を愛する者たちの元に”
(“異界の地”が必ずしも地球とイコールではありません。ただ、イコールやもしれません。それを抜きにしても現状で地球に帰還できる術はここにある。
契約を無視すれば帰れず、契約を守るなら私の愛する平凡な人生は送れず。……いや、既に人生と呼べないほどの寿命でしたか。
この兎と共にあることは必然であり、予定調和。そう、神によって決められていたこと)
レプス。長寿で賢者と名高いエントと勇者を導く神鳥とされるシームルグの血を継ぐ新種。
私は通知の表示を無視してMTアプリを開き、魂源の契約を開く。
そこにはやはり、レプス:白と表示されているのみだ。けれど。
私は、白と表示された部分をタッチする。隠し機能なのだろう。そこには白という個体の情報が表れる。
「白、こちらに」
「……プ? プッ……」
足元で主の様子を伺う兎は、主に叱られるという恐れとそれに勝る意志を感じた。その姿は従者そのもの。
白には当初から私を騙し、害そうという気配が全く感じられない。正に“私のためだけにある”従者。
森の中に入ってから生物の気配が全く感じられなかった。それは今も変わらない。
(種族、レプス。氏名、白。年齢、1万千27歳。推定寿命、なし。
白。あなたの存在はいつの日か来る私と契約するために神々に創られた存在。この地に他の生き物の気配がないことから、私と出会うまでこの地でたった1人だったのでしょう。もしかすると始めはいたのかもしれません。
希薄な気配はあろうとも生物のくくりに当てはめられないあなたに“終わり”はない。ですから、生命が誕生し死にゆくさまを見ていることしかできない。そのなんと惨いことか……。神のいたずらも甚だしい!)
しかも、いたずらは今このときからやっと始まるのだ。私との契約で。
契約した私自身の理想平凡ライフすらをも弄んで!
あぁ、ずっと感じていた違和感はこれだったのだ。
この森に入ってから、私は動揺していた。1番最悪な性格に切り変わるまでに。
異世界に来てしまったから。そう思えていたらどんなに楽だったことだろう。
本当は気付いていたのだ。なんせ、この地に来てから生き物の気配を何一つ感じていないと同時に――――
――――自身の鼓動の気配すら感じていなかったのだから。
「白、私は今後あなたと共にあることをあなたに誓いましょう。ですから、あなたも私に誓いなさい」
神ではなく私に。
「私を愛する者の元に届けるだけでなく……」
(生の喜びを愚神から奪い取り、私とあなたの弄んだ代償を支払わせるということをっ!)
「プ~~~~ッ!」
白の声は、今までに聞いたことのないほど大きな鳴き声だった。
物語は今、始動する。




