大切な花
ファンタジー編。プリン嬢のお父様の話です。
「見なかった事にせよ」
「は?」
「二度とは言わん。見なかった事にせよ。もちろん本人にも悟られるな。
あれが単なる思いつきでやっているとは思えぬ。下手に突っつくと厄介事になろう。あとはわしが確認しておく」
「……承知いたしました」
部下が奇妙な報告をもってきた時、わしはそう答えた。
それは本当に奇妙だった。だが奇妙だったがゆえに、わしはその意味を何となく悟った。
まさかとは思ったが。
我が娘は……あの歳にして、この国がまずい事に気づいておるのだと。
プリンが記憶持ちであるのは、数えの四の歳になる前には悟っていた。
ある時期から夜泣きしなくなり、夜尿も急激になくなっていった。そして屋敷の保安担当のメイドや執事が、プリンの保有魔力が日に日に急激に上がっていくのを確認していた。
エルダーによれば、これらは記憶持ち、それも前世記憶を強く持つ者に特有の症状だという。
そもそも前世の記憶なんてものを持ち越しているというのは、何か重い理由が前世にあった事に他ならない。要するに、ろくな最後を迎えてないとか、相当に強い心残りがあったという事になる。
だが、理不尽に対抗したくとも幼い身体では剣は持てぬ。
ゆえに記憶もちは自己防衛のため、魔法に走るのだろうと。
悲しい未来を回避したい、そんな気持ちが自己鍛錬にのめり込ませるのだろうと。
なんということだ。
誰よりも幸せにしてやらねばと思ったわが娘……愛する妻が命と引き換えに産み落とした最後の一粒が。
そんな、そんな悲しい運命を背負っていたとは。
『エルダー、何とかアレに修行場を見つけてやれ』
『修行場、ですか?』
『あれは隠しているつもりなのだろう。だが、あれでは誰にもバレてしまうぞ。
もっと隠す事をあれに教えつつ、手頃な修行場を世話してやってほしい。どうだ?』
肝心なところがちょっと抜けているあたりが、まさに妻に生き写しで全く微笑ましい。
まぁ、さすがに幼児ではな。
そこは大人側が配慮してやるべきだろう。
結局、裏山にある小さな小屋を修行場に定めたらしい。
なんとまぁ。その昔、わしが、まだ男爵令嬢だった妻と逢っておった小屋ではないか。
『これはまた懐かしい場所にしたものだな。しかしなんだ、ずいぶん遠いのではないか?』
『お嬢様は空間属性が主体なのです。しかも現時点ですでに、見通し程度ですが転移が可能になっております』
おお、妻と同じ属性か。やはり血は争えぬな。
しかも、まだ正式な名乗りもしておらぬというのに、転移すら可能だと?
妻も素晴らしい力をもっておったが、そこにさらに記憶もちの上乗せというわけか。
ふむふむ、なんとも将来が楽しみではないか。
ちなみにエルダーは元宮廷魔道士で、若いころのわしはさんざ迷惑をかけたものだ。浮世離れした魔法バカで常識がなく、歳をとり引退したいが家も家族も金もないと抜かすので我が家に連れてきたという経緯がある。
そんなエルダーだが、実はこの近くの出身なのだ。だからなのか当人は、素晴らしい終の家に感謝すると言いおった。
もちろん、わしは「利益のために連れてきたのだ、縁起でもないことをいうな馬鹿者」と突っぱねたわけだが、しかし、どこか妻に似た生暖かい目でわしを見て笑いおった。解せぬ。
ふん。こういう輩は時々いるが妻同様、おそらくは死ぬまでこんな感じなのだろうよ。
さて、細かい話はいい。ここで重要なのはエルダーが魔道の専門家という事だ。
エルダーは娘の魔道特性をよく理解している。しかも海千のしたたかものなので、巧みに娘の興味を山小屋に向け、「ひみつの修行場」として使わせる事に成功したらしい。
『しかしお嬢様は、なぜあのように夢中で学び続けるのですかな。しかも誰にも秘密で?』
『……気づいておるのだろうよ。縁談話にな』
そう。王家の現嫡男、つまり第一王子との縁談話だ。
『あの王子は母親に似すぎておる。ゆえに廃嫡し、他の者にするべきと伝えてはおるのだがな』
あれの母は王を非常に慕っておったが、経済感覚ゼロのお花畑のうえに蝶よ花よと育てられたような娘だった。国母には全く向かない女だが、困ったことに王が溺愛してしまい、とうとう本来の王妃を後宮の隅に追いやって妃に据えてしまった。
その母親にアレは非常に似ている。
なのに、だったらと王はよりによって、わしの最後の花を寄越せと言ってきた。あの子がついていれば問題ないだろうと。
ああ。わしとてこの国の貴族だ。王命とあれば従わぬわけにはいかぬ。
だが、ひとりの父として。
どうしてあのような者どもに、最愛の妻の忘れ形見をやらねばならないのだ?
ん?わかっておるとも。
わしとて、だてにこんな国で宰相などやってはおらん。わが身の破滅なら、いくらでも引き受けよう。
だが。
だが……妻と同じ顔、同じ性格、同じ才をもつあの子には……妻の残した最後の花だけには。
あの子が記憶もちである事は、もしかしたら希望かもしれぬ。
おそらく、ひそかに鍛錬を続けているのは未来のためだろう。いざという時に身をたてられるよう手配をしているのであろうよ。
ならば、わしにできる事はあるか?
もちろんある。
わしは職務柄、あちこちによく出かける。娘が転移もちなら、色々なところに行くのはプラスになるだろう。
それからは、視察や外遊にも娘をいちいち連れて行くようになった。王妃学習の名の元にな。
欲しがるままに、魔道の本も与えてやった。そして褒めてもやった。
『女が剣を鍛えると見た目に影響が出てしまうが、幸いにも魔法はその心配がない。エルダーには含めてあるから、わからぬ事は何でも尋きなさい。いいね?』
『はい、お父様。ですがその……』
『ん?ああ、賢いおまえの事だからわかっているとは思うが、魔法が使える事は当面は内緒にな。
正式に王妃となってからならば、宮廷魔道士どもを巻き込んで大っぴらにやってもよいが。
まぁ、おまえならわかっているとは思うが』
『あ、はい!わかっておりますお父様!』
『うむ。それでよい』
やはり、隠し続けるつもりであったな。
なぁに、父は騙されておいてやるから心配せずともよいぞ娘よ。
そして、おまえにそれほど詳しくない者なら、よほどおまえがヘマをしない限りわかるまい。
しっかりやるのだぞ。
そして十年後。その転機はやってきた。
その小娘を見た時、これはまずいという感覚と、これだという直感の両方があった。
その予感は見事にあたった。娘が王子をあっというまに落としてしまったのだ。
しかも、異常なほどあちこちに根回しが速い。
さっきまで何の関心もなかった者が、ちょっと娘と話すだけで気もそぞろというありさま。
未知の魅了の魔法でも使っているのか、ありえない速さで城内が握られていく。
なんだ、これは。
だが、その怪物じみた女の侵略を見ているうちに、何かストンと腑に落ちるものがあった。
ああ、そうか。
わが娘が、私の花があれほどに執拗に力をつけようとしたのは、これを知っていたからなのだと。
わしは宰相だし、ずっとこの国の貴族として汚い事もしてきた。今さら逃げられぬ。
だが。
だが、妻の残した花にだけは死んでも手出しさせぬ。何がなんでも逃がしてみせよう。
わしは少し考え、古い手を使ってみる事にした。
女同士のいざこざで、古典的な嫌がらせというものがある。これをやると、女たちは真犯人を探す事にやっきになるのでなく、これ幸いと自分の敵対者を犯人に仕立て上げ、皆で結託して踏みつぶそうとするのだ。その者たちとて別に仲間ではなく、常に隣同士、裏切らないかと冷ややかな目で見ながらな。
歩き出したばかりの幼女から、棺桶にはいりかけた老女まで、女というものはいつだってそうだ。理性より感情を優先しようとする。
わしの狙い通り、娘はわしの花を「悪役令嬢」に仕立てようと躍起になりはじめた。
そうだろう、そうだろう。
どうせ王子に潰させるつもりだったのだから、追い風が吹けば躊躇うわけもない。その追い風を吹かせたのが誰かなども、確認しもせぬ。
なるほどな。所詮は力を持ちすぎただけの底の浅い小娘というわけか。
その後の流れはもう、絵に描いたようだった。
あっという間に王子は婚約破棄を言い出した。そのまま感情に任せて国外追放まで言い出したのは予想外だったが、概ね狙い通り。
さあ、あとは仕上げだ。
婚約破棄に便乗し、我が家に害をなそうとする者どもを潰し、娘の道を遮らないように命じた。そして彼らはよい仕事をしてくれたのだが。
唯一の誤算は、四角四面に娘がわしに頭をさげにきた事だった。
ばかものが。
こんな、娘ひとり守れぬような男に挨拶などいらぬ。はやく逃げてしまえ。
嫌味がてらに服を脱げと言ってやったら、どうやら尻を叩かれたと気づいたようだ。きっちり嫌味を返してくると、そのまま立ち去った。
よしよし、そのまま行くがいい。
使用人たちにも、まちがっても顔をあわせるなと言ってある。絆されて行く気を無くさないように。
娘が転移する少し前、どこぞの刺客が動き出しているのが判明した。
転移後、すぐにその者たちを捕縛した。きっちりと皆殺しにし、飼い主に連絡しておいた。なかった事にしといてやるから引き取りに来いと。
「お嬢様はどこに行かれたのですかな」
「わからぬな。だが今まで連れて行ったところの内のどれかに行くなら、まぁ予想はつく」
この国の周辺国は外すだろう。
冒険者ギルドは実績を積み上げすぎるとその国の騎士団や貴族に目をつけられる。
あの子の性格なら、商業ギルドの発達したところ……まぁ、行き先はあの国であろうな。
その日の晩。
なぜか使用人たちから小さな手作りパーティの誘いがあった。わしなどが参加しては場が固まるのではないかと思ったのだが、恐れながら主賓はお館様ですという。それで理由がわかった。
ああ、わしは良い使用人に恵まれておるのだな。元気すぎて老骨には少々、目にしみるのだがな。
ふふ。
普通は貴族の使用人なんぞ、下手すると主人を憎んでおるものも珍しくないというのにな。
「ほれ旦那様、うれし泣きは良いから参りましょうぞ。皆の好意はうけるべきじゃて」
「うるさいわ妖怪じじい」
わしは頭をかきつつ、食堂に向かった。
その年の暮れ、エルダーは静かに生涯を閉じた。
晩年には我が家で、主に娘の師匠をしてくれておった。いい人生だったかはわからぬが、なぜか異様に大泣きしているメイドが二人おった。
どうやら、わしが思った以上に悠々自適であったらしい。
そろそろ世間がきな臭くなってきているので、使用人を減らし始めた。それも色々と手を尽くし、可能な者は取引相手や知人を通じ、他国に逃がした。
この国は、まもなく沈む。
いずれ訪れる終わりを待ちつつ、わしは、だんだん広くなっていく屋敷を、ただ見ていた。
暴徒たちが邸宅に入り始めた時、わしは妻の墓の前にいた。
「いたぞ!宰相だ!」
とうとうやってきたか。
既に邸宅にはメイドの一人も残っていない。
わしのほかは、この地で死ぬと動かなかった庭師がひとりだけだった。もちろん手が足りるわけもなく、わしも今さら登城などせず、墓掃除に専念していた。
わしが、ここに納められる事はないだろう。そしてここを掃除してくれる者もいなくなるだろう。
だが妻よ。
おまえの残した大切な花だけは……あの子だけは無事に逃がしたぞ。
裏切り、裏切られる殺伐とした人生の中で。
おまえとあの子だけは、どこまでもわしの大切な花だったのだから。
「逃げも隠れもせぬ。だがひとつだけ聞き届けてはくれぬか」
駆け込んできた男たちに、わしは静かに言った。
「金目のものなら屋敷にある。好きにもっていくがいい。
だが、ここはわが妻の眠る墓だ。
おまえたちに情があるのなら、死者だけは荒らしてくれるな」
聞き届けてくれるとは思えなかった。
この場で殺されるにしろ、引っ立てられて断頭台にかけられるにしろ、わしの言葉なぞ吟味もさされまい。
でも、それだけは最後に言いたかった。
わしは空をみあげた。
プリンよ。
わしの大事な、何よりも大事な花よ。
おまえだけは。
おまえだけは、きっと幸せになっておくれと。
(おわり)
実は行先の領主様にも、きっちりと手配済みだったり。
でもそんなこと、ひとことも娘には言わず。
そういうお父様でした……。