おまけ弍 消えた未来
「あーあ、僕のお嫁さんなのに悔しいなー」
「なっ、なんの話ですかっ!?」
いつもの昼休み。突き放しや突っ込みの下らない会話の最中、いきなり彪先輩の名前を出されて私は思い切り赤面してしまっていた。
得意気にアヒル口を作る間抜け面の黒雫さんを見て、一度犬にでも噛み付かれればいいのではないかと私が思った時、聞き慣れた声が聞こえる。
「黎果」
他でもない、彪先輩の声だ。黒雫さんはにやにやしたけど、驚いた私は反射的に黒雫さんを突き飛ばしてしまった。
「ぼぉっふっ!?」
気持ち悪い悲鳴を上げて盛大に壁とキスした黒雫さんは、ちょっと憐れだった。
何故、驚いたからといって黒雫さんを突き飛ばしてしまったのかは私自身にも謎だ……。もしかしたら日頃の行いに関する神様からの天罰かも知れない。
「だ、大丈夫か?」
「はい大丈夫ですっ!!」
混乱していた私は、黒雫さんに声を掛けた彪先輩に返事をしてしまった。そしてあんまり大丈夫じゃなさそうな黒雫さんの両肩を掴んで、ぐるりと正面に向かせる。うん、平気そうだ。
「お、驚いたのは分かるけどなんで僕、突き飛ばされたのかな!? しかも勝手に返事してるし! 僕、大丈夫じゃないし!」
真っ赤になった鼻を押さえ、涙目になりながら訴える黒雫さんはちょっと可哀想かも知れない。
「あ、あのどうかしましたか?」
「いや、何やってんだろうなと思って。もし昼休みも生徒会の仕事で潰れちまうようなら、手伝おうかなーなんて。それでちょっと、探してた」
私はもうすっかり黒雫さんのことを忘れて、彪先輩の優しさに胸が一杯になった。やっぱり、素敵な人だ。
「このドS共め……」
ぼそっと呟きながら睨む黒雫さんだけど、そこまで不満はなさそうに見える。
「そうだったんですか……。有難うございます……!」
胸が高鳴る。わざわざ自分を気に掛けて探してくれていた。素直にその事実が嬉しかった。
「どうやら私の後輩は無理するのが好きみたいだからな。過労になる前に制御してやる人間が必要だろ?」
わざと尊大な言い回しで、悪戯っぽく微笑む彪先輩。心配してんだぞコノヤロー、とその目が言っているようだった。
「……すみません」
小さな笑みを浮かべると、彪先輩は呆れたように笑ってポンと頭を撫でてくれた。
「て言うかさ。次の土日とかって空いてるか?」
「え? あ、空いてますよ!」
いつもなら勉強に当てるから断るのに、彪先輩にこんな質問をされては期待してしまい、そう答えていた。
「実は優季が息抜きしたいとか言い出してさ。で、針乘が何故だか遊園地のただ券があるとか言うからすっかりその気になっちまって……。だから四人で一緒にどうかな?」
「優季先輩も来るんですか!? 行きます、行きます! わぁー……久し振りに逢うなぁ……」
懐かしい人の名前に、私は即答していた。規則の鎖と言われている私が勉強ほっぽり投げて遊園地だなんて、我ながら弛んでるなぁと思った。
優季先輩は、お父さんの仕事の都合で峰津市に移る前に住んでいた軌鹿市での友達だ。昔から堅くて融通が利かないところがあった私はよく苛められていて、その度にヒーローのように助けてくれていた人だった。
小さい時は一学年上って言ってもあんまり自覚がなくて、優季ちゃん呼びしてたんだよね……。本当に懐かしい。
「というか……四人分もの遊園地のただ券って、黒雫社長の力ですか?」
「…………うふっ」
黒雫さんは私の指摘に暫く視線を宙に漂わせた後、可愛くポーズを取っているつもりの気持ち悪いポーズを見せ付けて誤魔化した。
「うーわー……。権力のある人はいぃーですねー……彪先輩……?」
「そうだなー……。私ら一般人なんていつでも潰せる虫螻みたいなもんなんだろうなー……」
「登下校もいつも専用車ですしねー……高貴の生まれの人は違いますねー……」
私の嫌味に彪先輩はノリよく反応してくれた。
「ちょ、ちょっと待って! そういうつもりはないよ!?」
二人してからかってやると、黒雫さんは慌ててそう言った。こういうところは、ちょっと可愛くもないかも知れない。
「よっ! 久し振りぃ、元気してたか?」
そして迎えた土曜日。相変わらず体格のいい優季先輩が、そう言って軽く手を上げる。
「久し振り、優季! お前が一番元気そうじゃん」
……どうしよう。彪先輩と優季先輩が並ぶと異様に格好いい。
「お久し振りですぅん、優季先輩! 格好よくてはぁはぁしちゃう……!」
「針乘も相変わらずの気色悪さだなぁ」
「僕への第一声、酷くないですか!?」
黒雫さんと優季先輩は有名な中学を選んで入学したらしい。以前、頭脳レベルは後輩の中でもずば抜けて高いからつるんでいたと言っていたけど、色々と苦労してそう。
「優季先輩」
私が声を掛けると、優季先輩は微笑んだ。懐かしい、子供の頃から変わりない無垢なその笑顔。
「お久し振りです! 逢えて嬉しいです……!」
「おう。俺もだ、黎果!」
何処か照れているように見える優しい顔を、温かな日差しが照らす。
「うっし! いけすかねえ権力者は置いて、ただ券だけ貰って三人で遊ぶか!」
優季先輩が先頭を歩き、同意する私と彪先輩が続く。
残された黒雫さんは、
「イジメだ!!」
と叫んで私たちを追い掛けて来た。
変わらぬ日常。私たちの笑い声は、青い空に溶けて行った――。
それは、
消えてしまった
もう一つの未来。
‐ANOTHER END‐




