「意味がない」と笑われた歌声を認めてくれたのは、公爵子息様でした。
「貴族の女が歌を歌えて何になる」
婚約者、ブレンダン・エサリッジはよく私にそう言いました。
私は歌う事が好きでした。
病気で幼い頃に他界した母が歌う事が好きで、その歌声を聞いて育ったからなのでしょう。
ブレンダンとの婚約は、幼い頃、初めて顔を合わせた際、彼が一目惚れした事がきっかけだったと父から聞かされていました。
お陰で伯爵家の娘である私は侯爵家というより高貴な身分の方と繋がりを持つことができました。
出会った当初から暫くの間、確かにブレンダンは私を気に入っていたように思います。
頻繁に我がオリファント伯爵家まで顔を出していたし、事あるごとに私の容姿や歌声を褒め、また自分がいかに優秀な人物であるのかを主張しました。
けれど私には、ブレンダンが主張する優秀さを微塵も理解する事が出来ませんでした。
彼が事あるごとに主張する家柄は彼の功績ではなくご両親を含めたご先祖様の努力あってのものであるし、領民など、地位の低いものを見下すような言動は彼の傲慢な性格をありありと体現しているようだったのです。
おまけに不真面目な性格のせいで勉学はサボりがちで教養は私よりもない。
会話が上手くかみ合わない事も多くありました。
だから私は、婚約者として最低限の関わりは持ち、尊重しているふりはしていたけれど、それはあくまで『政略的な婚約を結んでいる、よくある貴族令嬢』としての振る舞いに留めました。
元々、愛を前提とはしていなかった婚約だった為、不必要に仕立てに出る必要も媚びを売る必要もなかったのです。
けれどどうやら、『自分は当然に婚約者であるクローイの心を射止める事が出来る』と信じて疑っていなかったらしいブレンダンは、一切なびかない私に対し鼻を折られたと感じたようです。
ある日を境に、彼は私を罵倒し、嘲笑するようになりました。
「歌が歌えたからって何になる? 貴族の女は男側に媚びを売るのが役目だろう!」
「おい。何も言わなくても察しろ。本当に歌う事しか能がないのか。この無能が」
「こんな事ならお前なんかと婚約するんじゃなかった」
数々の罵倒をされたが、私はそれを「善処します」という言葉で全て聞き流してきました。
私は私のすべき事をしているし、確かに女性が軽んじられる風潮にある世の中ではありますが、それでも最低限の人権は存在しています。。
パートナーの男の言いなりになる事が正しい事であると、私には思えなかったのです。
反発はしない。従えることならばいくらでも従う。
けれど私も人である以上限度があったし、彼の傀儡になり切る事は出来ませんでした。
***
「クローイ・オリファント! お前との婚約を破棄する!」
そう言われたのは、王立魔法学園に入学して一年が経った頃でした。
大勢の生徒が行き交うエントランスの中、ブレンダンは隣に別の女性を連れながら私と対峙していました。
本来ならば婚約者ではない異性を連れている彼は蔑まれたり、笑い者にされるべきでしょう。
しかし残念ながら……彼には魔法の才がありました。
炎や水……様々な物の性質を基盤とした奇跡の力『魔法』。
その基盤となっていると言われる炎、水、風、雷、土の五属性を全て使い熟す事が出来たのです。
一方の私は……残念ながらどの魔法も平均程度にしか扱う事が出来ませんでした。
王立魔法学園は実力主義。
実力があり、結果が出ている者は優遇される傾向にあります。
そして貴族としても、魔法の実力は他の教養よりも重視される能力でした。
純粋な魔法の実力も学歴も、政界で大きな影響を及ぼす能力として見られているからです。
そしてブレンダンは学園内で常に成績上位を維持していました。
だからこそ、彼の貴族としてあるまじき行いを咎められる者は、少なくともこの場にはいないのでした。
「俺が学園で結果を出しているというのに、お前は目立った成果一つ出せやしない! 意味がない歌しか取り柄がなく、俺のの足元にも及ばない才しかないお前は、俺の婚約者に相応しくはない!」
流石に長年続けてきた婚約を白紙にするなど――それもこのような場で宣言されるなどは思っておりませんでした。
「俺はお前のような無能との婚約を破棄し、ここにいるアイヴィー・スチュアートと婚約する!」
アイヴィー・スチュアート男爵令嬢。
彼女は確かに魔法の才があり、常にブレンダンより少し下の成績を維持しておりました。
とはいえ、いくら何でも家の爵位に差があり過ぎます。
魔法の才が優先的に評価されやすいとはいっても、一般的な観点では目を瞑る事が出来る範疇を超えていると言わざるを得ませんでした。
とはいえ、そんな話を私からしても意味はないでしょう。
地位も、魔法の才も劣っている私は、少なくとも、私はこの場で発言する権利を持ち合わせてはいない人間でしたから。
「歌う事しか能がない、『無能』が」
ブレンダンはそういって私を笑いました。
婚約破棄など、本来ならばブレンダンの一任で決められる話ではありません。
けれど彼のご両親は息子にとても甘くあった為、恐らく彼からの強い要望を突っぱねる事が出来なかったのでしょう。
後日、我が家には婚約を白紙にしたいという手紙が送られ、長く続いた私達の婚約関係は終わりを迎えました。
淑女教育ならば、他のご令嬢に引けを取らない程努力してきていたし、教養ならば寧ろ評判が良い方でした。
けれど例え建前であったとしても、それら全てを覆せる程に魔法の結果が重要視されたのです。
それからの私は学園でも社交界でも、『男爵令嬢に負けた無能令嬢』として嗤われるようになりました。
これまで陰ながら努力してきたものが簡単に無に帰した事も悲しくはあったのですが、何より悲しいと感じたのは、私が愛している歌が嘲笑の材料になった事でした。
これまでブレンダンだけではなく多くの方から称賛を受けてきた歌声は、婚約破棄の際にブレンダンにけなされてからというもの、『意味のないもの』の象徴として、私が笑い者になる度に使われてきました。
母との数少ない繋がりのように思えるそれが馬鹿にされる事が、私にとっては何より悲しい事なのでした。
放課後。
多くの生徒が帰路に就いた頃合いを見計らって、私は音楽室で歌を口遊みます。
我が家は学園から少し遠いところにありましたから、家に帰った頃には暗くなっており、歌う時間には適しません。
夕食や寝支度などの日々の生活や、予習復習などもありますから、学園がある日の帰宅後に空いた時間が出来るとすれば、寝る直前くらいなのです。
歌を歌っている時は様々なしがらみを忘れさせてくれました。
ただ、穏やかな幼少期に浸る事が出来る。
笑われようとも、私は歌を愛する事は止められませんでした。
窓から見える夕焼けを眺めながら私は歌います。
その途中で。
音を立てて扉が開かれました。
驚いてそちらを見れば、黒髪に紫の瞳を持つ綺麗な顔立ちの男子生徒が立っています。
私は彼を知っていました。
グレン・アーチボルド様。
公爵家嫡男であり、魔法学園で常に首位を維持している魔法の天才。
彼もまた、驚いた顔で私を見ていました。
「ああ、すまない」
私が歌うのをやめれば、グレン様は短く謝罪をした。
「邪魔をしたか」
「いいえ……」
「研究をしていたら綺麗な歌が聞こえて来たものだから、一体誰の声かと思ったんだ」
綺麗だと、私の声が褒められるのも随分久しぶりのような気がしました。
「邪魔をするつもりはない。ただよければ……少しの間、ここで君の声に耳を傾けていてもいいだろうか」
それが、彼との出会いだった。
グレン様は魔法研究に情熱を注ぐ変わり者です。
首位という成績を持つからこそ特別に学園から研究室を貸し出され、好きに研究に没頭することを認められていました。
空いた時間は全て研究に費やしていた為、彼は学園内の噂にてんで疎く……だからこそ私がその話に触れるまで、彼は私が学園の笑い者である事を知らなかったそうです。
「魔法は才能が大きく絡む領分だ。得手不得手があって当然だというのに、それを見下す上に……他者の大切なものを笑うというのは、とても許される行いではない」
グレン様は音楽室のピアノ用の椅子に腰を下ろしながらそう言ってくださいました。
音楽室での出会い以降、私達はここで顔を合わせる事が日課となっていました。
グレン様の慰めの言葉に、私は苦く笑います。
彼の考えも言葉がけもとても嬉しいのですが、そう思ってくださる方がごく少数だという事は明らかでしたから。
やがてその場には沈黙が訪れました。
グレン様は小さく肩を竦めます。
それから徐にピアノに触れ――演奏を始めます。
私がよく歌う歌の一つでした。
グレン様が何かを伝えたそうに私を見ています。
その視線の意図を理解した私は、彼の伴奏に合わせて歌いました。
そして曲が終わり、伴奏の手が止まった所で。
「例え好きなものであっても、それを極められる者は多くない。何かを極める領域まで続ける者自体が、そもそも多くはないからな。だからこそ……君は自信を持っていいはずだし、その唯一無二の歌声を誇っていいはずなんだ」
優しい言葉が胸の奥で燻ぶっていた傷を癒していく。
それでもはいと頷けなかった私を見て、グレン様は優しく微笑んだ。
「クローイ」
「は、はい」
「一緒に魔法の研究をしないか」
「え……!? で、でも私は」
「魔法学を追究した研究者の中には、君と同じように既存の属性からは自身の適性を見出せなかった者だっていた。寧ろそんな彼らが、座学で磨いた知識によって自分にあった新たな属性を見つけ出してきた」
魔法学園で学ぶ、魔法の基本的な属性は五種。しかしこの世には無数の属性が存在しています。
「そういう者たちが、自分にあったもの――好きだと思えるものを基盤とした魔法を作り上げていったんだ」
「好きだと、思える者」
「そういう者は本来、とても強い人間のはずだ」
グレン様は深く頷きます。
「魔法とは、感情が大きく影響する力だと言われている。これは、魔法という力がそもそも、強い思いを起源として生まれたものだからだ。強い思いから為る奇跡の魔法――それが魔法というならば……その奇跡の根源を、歌にする事だって可能だろう」
「歌、を魔法に……?」
思わず聞き返せば、グレン様が不敵な笑みを浮かべました。
「ああ。歌を愛する君の想いが魔法になったのならば、それはきっと――誰よりも美しい強大な奇跡となるはずだ」
それからというもの、私はグレン様と共に魔法の研究を始めました。
炎や水のように『歌』から為る魔法を作るべく。
音楽室で過ごす時間より多くの時間をグレン様と重ねていく内、私達の仲も必然的に縮まっていきました。
研究が終盤に差し掛かった頃。
グレン様は急に申し訳なさそうに「実は君を研究に誘ったのは、君の歌を聞く機会がもっと欲しかったからだ」と言いだし、私は思わず笑ってしまいます。
そんな理由で、こんな大層な研究をという呆れと、それ程までに私の歌を認めてくれている彼の想いを嬉しく思う気持ちが入り混じっていました。
そして、時間はあっという間に過ぎ――私達は気付けば卒業を迎えていました。
グレン様はより高度な魔法を学ぶべく、公爵家嫡男としての仕事と並行して魔法大学院へ進学する事になっていましたし、私は私で、自分が嘲笑される風潮が終わりかけていたので、そろそろ婚約者探しを本格的に再開しなければならなくなっていました。
ですから学園最後の思い出作りはと、私達は学園で開催される卒業パーティーで共にいる事を決めました。
しかし、パーティーの最中。
「クローイ! お前は伯爵家の地位を利用して弱い立場のアイヴィーを虐めていたな!」
婚約関係はとっくに終わったというのに、ブレンダンとアイヴィー様は再び私の前に立ちました。
アイヴィー様は目を潤ませて今にも泣き出してしまいそうでしたが、勿論そんな話に身に覚えはありません。
何故彼らがこんな事を言いだしたのか……それには見当がついていました。
ブレンダンは、自分に一切なびかなかった私を笑い者にしなければ気が済まなかったのでしょう。
にも拘らず、一度は誰もが私を嘲笑した学園の空気は時が経つにつれて私の事を忘れる方向へ向かいました。
それが気に入らなかったブレンダンは、ならば悪評を流してやればいいと考えたようでした。
「クローイ」
そこへ、軽食を取りに行っていたグレン様が戻ってきます。
彼は目を丸くしながら私達三人を見ました。
「どういう状況だ?」
「ブレンダン様とアイヴィー様に冤罪を着せられそうになっています」
「白を切るつもりか! アイヴィーを虐めておいて!」
「ひ、酷いですわっ」
こういう事です、とグレン様に視線で訴えれば、彼は納得したように頷き、肩を竦めます。
「クローイがアイヴィー嬢を虐めた、との事だが、具体的な日時等は挙げられるのか?」
「放課後です!」
アイヴィーが声高らかに言いました。
その発言の選択が過ちとも知らずに。
「であれば、クローイには不可能だな。彼女は毎日俺の研究を手伝ってもらっていた。研究室の貸し出し用の名簿にも名前があるはずだ」
「な、研究の手伝いだと……っ!」
「ま、間違えましたわ、休憩時間ですとか……」
私達へ集まっていた他の生徒達の視線が、急に疑うような色へと変わります。
とはいえ、何度正論を述べようと、このように発言を二転三転させられてしまえば会話は長引く事でしょう。
「クローイ」
同じことを考えたのでしょう。
グレン様が私へ耳打ちしました。
「魔法を使ってやってくれないか」
「畏まりました」
私は頷き、それからブレンダンとアイヴィー様に深々とお辞儀をします。
それから徐に――歌を口遊みました。
皆が黙り、様子を窺っていたパーティーの会場に、私の声だけが響き渡ります。
瞬間。
私の足元を中心として、大きな魔方陣が現れました。
それはブレンダンとアイヴィー様の足元まで伸び――輝かしい光を放ちます。
「な、なんだ……!?」
「これは俺と彼女が完成させた、新たな属性魔法『歌』魔法だ」
「う、歌……? そんなの、聞いた事が」
「俺達が生み出したのだから当然だろう。ただし、この力の信憑性について記した論文は既に学園や、国から認められている。この魔法の適用範囲内では……術師へ向けた悪意が全て打ち消される」
「悪意が、打ち消される……?」
グレン様はブレンダンとアイヴィー様を見つめて不敵に笑います。
「それでは問おうか。クローイは本当に、アイヴィー嬢を虐めていたのか?」
「「いいえ!」」
ブレンダンとアイヴィーは声をそろえて答えました。
それから顔を見合わせ、青くさせます。
「ほ、本当です! クローイ様は私をいじめていません!」
「ただ俺が、一切俺の事を好きにならなかったあいつを孤立させたかっただけです!」
二人はあたふたとしながら多くの言葉を口にしましたが、それら全てがただの自白でした。
しかし当の本人達はその状況が予想外であると訴えるように首を何度も横に振っています。
……そう。
私の魔法は――二人の吐こうとした嘘を、打ち消したのでした。
***
「これで、君を笑うものはもういないだろう」
卒業パーティーの終わり。
馬車で家まで送ると言ってくださったグレン様のお気遣いに甘え、私は彼の家の馬車に乗りました。
そしてわが家へ向かう長い道のりの中で彼は話を切り出します。
「今や、新たな魔法を生み出した天才の一人だからな」
「天才だなんて、そんな。私はただ、グレン様の研究に助けられただけで……」
「魔法学園の風習を思い出してみてくれ。何も考えず、ただ魔法を扱う事が出来るだけで上位の成績を取れる社会なんだ。その中で、君は自身が極めている『歌』という分野の魔法の技術を手に入れた。今後歌魔法が広まろうと、君を越える者はそうそう現れはしないだろう。君の歌声は今後――ずっと認められていく事になる訳だ」
私の好きなものが……愛し続けてきたものが、認められていく。
そんな未来を想像すれば、心は大きく踊り、同時に――大きな感動が胸を満たしました。
「グレン様……ありがとうございます」
「いいや。俺は俺の為に動いたに過ぎない」
「研究の成果の為、ですか」
「最初は確かにそれもあったと言えるだろう。ただ……君と過ごす時間があまりに楽しくて、途中からは変わってしまったが」
私が首を傾げれば、グレン様が笑みを深めます。
それから向かい合って座っていた席を立ち、彼は私の隣に座り直しました。
そして……私の髪を掬い上げて囁く。
「君に好かれたいという下心だよ」
「し……っ、え……!?」
「クローイ」
彼の言葉に驚き、困惑していると、グレン様が私の名を呼びます。
グレン様の耳は僅かに赤くなっていました。
「俺と婚約してくれないか」
何故、とか、こんな自分が、とか。
私の頭を、そんな考えが過って放心してしまいます。
「クローイ」
けれど私の気持ちが落ち着くのを待つつもりはないとでもいうようにグレン様は再び私の名前を呼びました。
美しく整った彼の顔がすぐ近くにあります。
その瞳は――私だけを見ていました。
「よ……よろこんで」
結局、混乱しっぱなしだった私は、嬉しいという気持ちに素直に従う事しか出来ず。
そんな私の返事を聞いたグレン様は満足そうに笑みを深めると――私へ口づけをしました。
そして触れ合っていた唇が離れた後――
「俺はどこかの愚かな男と違って、君を手放す事はない。覚悟してくれよ」
耳元で低く、囁かれたのでした。
***
余談にはなりますが、その後、アイヴィー様は私に冤罪を着せた罪がきっかけで家ごと潰れてしまっただとか。
ブレンダンの家は侯爵家なのでアイヴィー様と同じ運命は辿らなかったようですが……社交界では笑い者となり、エサリッジ侯爵家の信頼も失墜、見かねた侯爵夫妻はブレンダンを廃嫡し――貴族としての彼の人生はどん底へ叩き落とされたとか。
一方の私はというと。
その後円満な交際の後グレンの家へと嫁ぎ……幸せな生活を送っています。
お休みの日には二人で庭園でお茶をし、私が歌を歌い、それにグレンが静かに耳を傾ける。
本当に、幸せな毎日です。
ただ……時折困ってしまう事があります。
私と顔を合わせる度、惜しみなく愛を囁くグレンの甘い言葉が、私を簡単に翻弄させるのです。
彼の愛の言葉に慣れる事はなく、すぐに早くなる鼓動を抱えながら、私は思うのでした。
――このままだと、いつか幸福で死んでしまいそうだわ。
と。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




