ハコヅメ
ピピピピ……
遠くから聞こえるアラーム音を合図に、山城は目を開けた。殺風景なオフィスの天井。エアコンの低い唸り。見慣れたLED照明が目に痛い。山城はいま、人一人がコンパクトに収まる銀色のケースの中に横たわっていた。
「おはようございます、山城さん。今日もハコヅメ、快適でした?」
視界の端から、にゅっと顔がのぞいた。困り眉にどこか胡散臭い笑みを浮かべた痩身の男。人事の佐伯だ。
「ああ、おはようございます。佐伯さん。
上半身をゆっくり起こすと、ガコン、と蓋が開ききり、ひんやりした空気がスッと抜けていった。ハコヅメは社会人向け、ヒト配送サービスだ。例えば仕事の日の朝、自宅で専用ケースに横たわるだけで、自分自身を時間を凍結したまま会社へ配達することができる。あるいは仕事終わりに使用すれば、体感一瞬で自宅に到着。無駄な通勤など一切ない。CMでよく見る、今をときめく俳優が自信たっぷりに言い放つ「自分の時間を取り戻そう」というキャッチコピーも気に入っていた。
「いいですよね〜、寝てるだけで出社できるって。満員電車じゃ毎朝ぎゅうぎゅうですよ。」
「想像しただけで嫌になりますね。」
肩をすくめて戯ける佐伯に、山城は苦笑した。ラッシュ時の押し合いへし合い、汗の臭い、途中で止まる電車。その感覚は、山城にとっては今は遠く過去のものだ。
――まぁ、最近使ってないからな。
そう独りごちて、ケースから降りてスラックスの裾を直した。便利なサービスだが、さすがに服のシワ伸ばしはサービス対象外だ。
「朝礼、あと5分ですよー。」
佐伯に促され、山城は慌ててタイムカードを切った。
***
朝礼はいつもどおり、たいして中身のない報告事項だった。山城は欠伸を噛み殺しながら、ぼんやりと昨晩の記憶を辿っていた。
自宅のリビング。間接照明のオレンジが、壁に柔らかな陰影を落としている。ソファに座る愛しい彼女が、クッションを抱いて、足を投げ出し、アニメのエンディングに合わせて小さく歌っている。
「ほら、早く座りなよ。ビール、冷えてるよ?」
キッチンのカウンターには、コンビニで買ったクラフトビール。山城は缶を二つ持ってソファに戻り、彼女と缶同士を軽くぶつけた。
「かんぱい。」
炭酸が舌に弾ける感覚。そのあとにくる、麦の香りと、ほのかな柑橘の苦味。彼女が作ってくれたラザニアは少し焦げていたが、その焦げ目すら愛おしい。食べながら、二人は将来の話をした。
「指輪とかさ、ちゃんとしたのつけたいなぁ。」
「なら給料上げないとなぁ……転職も考えてるんだ。」
取り止めのない、幸せな会話。
彼女の笑い声。
柔らかい髪。
「何ボーッとしてるんですか?朝礼、終わりましたよ」
はっと我に帰ると、佐伯が呆れたようにこちらを見ていた。
***
昼休みになると、同じチームの久保が、コンビニ袋をぶら下げて席にやってきた。
「なぁ山城、お前いっつも昼食食わないよな。」
「腹いっぱいになると眠くなるんだよ。それに、そんな時間あったらメールチェックしてたいしさ。」
「ふーん。」
久保は生返事と共に空いている椅子に腰を下ろした。パキッと箸を割り、唐揚げをつつき始める。どうやら昼休憩の雑談相手に選ばれたらしい。
「そういやさ、例の彼女さんどんな人?この前言ってたろ、『そろそろ結婚考えてる』って。」
「え、ああ。うん。」
「写真ないの?見せてよ。ほら、ほら!」
久保に促され、山城はしぶしぶスマホを取り出した。ロックを解除して、写真フォルダを開く。
スクロール。
スクロール。
スクロール。
出てくるのは、出張先の工場、展示会のパネル、会議室のホワイトボード、駅前の再開発ビル。どれも仕事関係ばかりだ。
「あれ?」
「どした?」
「いや、彼女との写真が――」
もっと下まで一気にスクロールしてみる。一ヶ月分遡っても、二ヶ月分遡っても、風景と資料の写真ばかりだ。
「山城って、もしかして一瞬を心に焼き付けるタイプ?写真残さない派?」
久保がニヤニヤと問いかける。
「いや、そんなことないはずなんだけど……。」
付き合った記念日に水族館デートへ行ったはずだった。フグの水槽の前で、ふざけて同じ顔をした。そのとき、彼女が「SNS用に撮ろ」とスマホを向けて。
――その写真はどこへ行った?
「ま、いいじゃん。今度、飲みのときにでも彼女さん連れてきてよ。」
久保はそれ以上突っ込まず、弁当のゴミを捨てに行ってしまった。取り残された山城は、もう一度液晶画面を見つめた。
――俺、本当に……一枚も撮ってない?
背中に冷たいものが流れ落ちる感覚がした。
――疲れてるだけだ。
自分にそう言い聞かせ、PCのスリープを解除した。
***
午後の業務は来期の施策についての会議だった。就業時間になる頃にはほどよい疲れ。ここ数日今日の資料作りに奔走していたから、今日は残業の必要もない。
彼女にメッセージでも送ろうか。メッセージアプリを開くと、確かに彼女の名前のトークルームが一番上に固定されている。けれど、最新の履歴は三日前で止まっていた。彼女からのメッセージは思っていたより少なかった。絵文字も、写真も、スタンプもほとんどない。
――あれ、この前、ビールの銘柄でやりとりして……ラザニア焦がしたって話して……。
やりとり一つひとつの記憶は鮮明なのに、画面には残っていない。
――端末の不具合か?自分の記憶違いか?
スマホを握る手に、じんわり汗がにじんだ。
「おつかれさま。帰りもハコヅメ?」
佐伯が声をかけてくる。
「ええ。彼女が夕飯作って待ってるんで。」
照れ隠しのつもりでそう言うと、佐伯は一瞬だけ、妙な表情をした。すぐにいつもの笑顔に戻る。
「いいですね〜。……あ、でも、食事には注意してくださいね。ほら、健診に引っかかると厄介ですから。」
「え?」
軽口のように聞こえたが、彼の目線は冷ややかに見えた。
***
数日後。山城は社長室に呼び出された。
「失礼します。」
広い部屋。大きな窓からは、ビル群の夜景が見える。点滅するネオンに、ドローンタクシーが空を飛び交っている。社長はソファに座り、グラスの水を揺らしていた。
「調子はどうだね、山城くん。」
「おかげさまで、業務は順調です」
そう言いながらも、胸の内では別の話を切り出そうとタイミングを計っていた。
――結婚。子ども。マイホーム。このままじゃ貯金が足りない。もっと給料を上げなければ。
覚悟を決めて、口を開く。
「社長、実は……転職を考えています。」
社長の手が止まった。
「ほう。」
「前の職場が倒産して困ってた時に、社長に声をかけて頂いて、入社できたことにはとても感謝しています。でも今、彼女と結婚を前提に付き合っていて。将来のことも真剣に考えたいので、もう少し、キャリアプランを見直したく……」
そこまで言ったところで、社長はふっと笑った。
「君は、本当におもしろいね」
「え?」
「いや、失礼。悪い意味じゃないよ」
社長はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと身を乗り出した。
「君はね、何度初期化しても、必ず“結婚を考えて転職したがる”んだ。まるで、執念深い人間の物語を読んでいるようだよ」
「……しょ、初期化?」
思いもよらない単語に、喉がひりついた。その目は冗談を言う目ではなかった。
「ハコヅメ、疑問に思わなかったかね?人間を丸ごと凍らせて毎日配送するなんて、運送コストがかかりすぎて、まともなビジネスにはなり得ない。常識的に考えれば、そんなサービスは実現するわけがないんだ。」
「でも、それは……実際僕も毎日使って――」
「そう、表向きは、ね。」
社長の視線はどこか遠くを見ていた。
「何度も同じ話をしている気がするな、山城くん。君はいつも、同じような顔で同じことを言う。それでも、どういうわけか、少しずつ違うことを考えたりする。そこが、実に興味深い。」
山城は震える手で椅子の肘掛けをつかんだ。指先に汗がにじむ。
「話が……よく、わかりません。」
「わからなくていいよ。明日もいつもどおり、朝はハコヅメで目を覚まして、夜はハコヅメで帰ればいい。」
――考えすぎだ。疲れてるだけだ。今日も帰ったら、彼女がビールを冷やして待ってる。
社長は立ち上がり、山城に背を向けた。
「山城ユニット41、シャットダウン。」
徐々にまぶたが重くなっていく。山城は脱力して椅子にもたれかかった。やがて、ふわりとした浮遊感のあとに、慣れ親しんだ冷たい金属板の感触が背中に伝わる。遠くで聞こえる蓋が閉まる音。気圧が変わるような耳の違和感。そして、意識が闇へ落ちた。
***
ガンッ。鈍い衝撃とともに、体がわずかに浮かびあがる。
「ユニット41、落としたろ!」
「すみません、パレットの固定が……!」
聞き慣れない怒声が、かすかに聞こえた。意識の奥で何かが揺さぶられる。まぶたが重い。それでも、なんとか目を開けようとすると、視界がにじんだ。ケースの小さな窓から、見えたのはオフィスではない。同じような銀色のケースが何十台も、何百台も積み上げられている、薄暗い巨大倉庫だった。視界のあちこちでフォークリフトが行き交い、蛍光灯がちらついている。
「ったく、このロット、やたら目覚めやすいんだよな。人格パッケージのバージョン合ってんの?」
「ああ、そいつ、山城ユニットだろ。あいつはちょっと、こじらせてるんだよ。」
――こじらせてる?
「でもまぁ、バックアップ取ってあるから平気。メンテ室持ってくわ。」
その言葉を最後に、山城の意識は再び真っ黒に塗りつぶされた。
***
次に目を開けたとき、山城は白い天井を見ていた。オフィスではない、真っ白な壁。天井に埋め込まれた無影灯。周囲には、むき出しの配線とテスト端子。遠くでは機械のアームがカシャカシャと動いている。体を起こそうとすると、手足に微妙な遅れを感じた。
「お、起きた起きた。」
さっきの怒声の主と思しき作業員が近づいてくる。タブレットを片手に、気の抜けた声で語りかけてくる。
「やぁ、山城ユニット41。調子はどう?」
「ここは……どこですか。俺は……」
「メンテナンスルーム。ハコヅメで配達されてきた社員ロボットの健康チェックするところだよ。」
なんでもないことのように告げられたその言葉を、脳が処理しきれない。
「冗談……ですよね。俺は、人間で――」
「はいはい、毎回そう言うんだよね、君。」
作業員は、面倒くさそうにため息をついた。
「ほら、見てみなよ」
タブレットの画面をこちらに向ける。そこには山城ユニット41のステータス画面が表示されていた。
――――――
プロファイル:汎用オフィス用AI社員
人格パッケージ:社会人中堅・真面目系・やや繊細
モチベーション維持モジュール:恋人あり/結婚願望強/自己成長欲求中
――――――
「これ、君の仕様。で、ここにあるのが昨夜のログね」
作業員が画面をスクロールする。
――――――
18:03 業務終了
18:07 ハコヅメ格納
18:08〜18:09 意識停止
18:10 プライベート記憶パッケージ「おうちデート_ビール_ラザニアver3.1」書き込み
18:10〜09:00 スリープ
――――――
山城の心臓が、ドクンと乱れた。
「……書き……込み?」
「そう。『帰宅してビールを飲み、彼女とラザニアを食べ、結婚の話をする』っていう、モチベーション維持用の幸福記憶。毎日、パターンをちょっと変えて追加してあげてんの。」
作業員は、画面の一部を拡大した。
――――――
味覚シミュレーション:簡易モデル(詳細味記録 省略)
触感シミュレーション:彼女の髪・ソファ・缶の冷たさ
感情パラメータ:満足度0.92/安心感0.88/将来不安0.4
――――――
「多分味の記録が薄かったんだよなぁ。全部精密にやると演算コストが高くてね。ビールの銘柄も毎回ランダムだし、こういう些細なところで満足度が下がっちまうのかねぇ。」
山城は、震える声を絞り出した。
「じゃあ……彼女は?彼女は、どこにいるんですか」
「ああ、君の記憶の中の彼女?人間じゃないよ。君のためだけの、シミュレーション上の存在。名前も顔も、君のログから最適化して生成してる。結婚したくなる程度にリアルだけど永遠に届かない距離感っていう設定が、仕事のモチベ維持にはちょうどいいらしい。最近の汎用オフィス用AI社員のトレンドなんだとさ。」
作業員は、どこか愉快そうに笑った。
「自分を人間だと思ってた?」
「…………」
言葉が出ない。写真フォルダの空白。SNSの履歴の少なさ。通勤の記憶の曖昧さ。社長の台詞。感じていた違和感が一気につながる。
「ハコヅメはね、人間のための通勤・帰宅サービスじゃないの。」
作業員は、銀色のケースを指さした。
「オフィスに並んでるのは、全部君みたいなロボットの筐体。夜はその場でスリープさせてるだけ。『自分の時間を取り戻そう』っていうキャッチコピー、あれはハコヅメされたオフィス用AI社員を使って、人間様の余暇を増やしてやろうって意味なのさ。」
「説明はそのくらいでいい。」
作業員の言葉に続けたのは、無機質な部屋に反響する第三者の声だった。
「これはこれは!社長様。いらっしゃいませ。そして、この度は誠に失礼いたしました。弊社の山城ユニット41がまたもや不具合を起こしてしまいまして……」
社長は軽く手を挙げると、作業員の言葉を遮った。
「山城くん。いや――山城ユニット41。」
山城は、声にならない声で社長を見つめた。
「そんな顔をするのも、君らしい」
社長は、ゆっくりと近づいてくる。
「何度初期化しても、君は恋人を作って、結婚を考えて、会社を出ていこうとする。本当に、よくできた人格パッケージだ。」
「……何度も?」
「そう。君は今日、初めて真実に気づいたわけじゃない。少なくとも、7回目だ。」
社長は指を折って数えるふりをした。
「1回目は、転職サイトに登録しようとして気づいた。2回目は、彼女の実家に挨拶に行こうとして気づいた。3回目は、結婚式場のフェアを予約しようとして気づいた。4回目は、ローンの審査画面でエラーが出て気づいた。5回目と6回目は……まぁ、似たようなものだったかな。そのたびに、メンテナンスルームでこうして会って、初期化を施してもらったんだ。」
山城の膝が笑った。金属的な音が、かすかに耳に届く。
「どうして……そんなことを。」
「簡単だよ。」
社長はさらりと言った。
「人間みたいに悩んで、人間みたいに恋をして、人間みたいに将来を不安がってくれるAIのほうが――人間より、よく働くからだ。」
静かな笑み。社長は、操作パネルのスイッチに手を伸ばした。ちらりと、こちらを振り返る。
「山城くん、君は入社当時から優秀な社員だった。もとのデータがいいんだろうね。初期化の手間がかかっても、一から人間を雇い教育するよりよほど低コストで、誰よりも高い成績を収めてくれる。ただ、気づかれてしまったからには今のままではビジネス的には邪魔なんだ。だから――」
カチ、とスイッチが入る。
「何度でも初期化しよう。君の代わりはいくらでもいるからね。」
世界が、白く飛んだ。
***
「おはようございます、山城さん。今日もハコヅメ快適でした?」
佐伯の声が聞こえる。山城は、オフィスの天井を見ながら目を開けた。側には、いつもの銀色のケース。デスクのパソコンには、今日のスケジュール。
「おはようございます」
山城の声は、驚くほど落ち着いていた。
「昨日も、彼女さんとおうちデートでした?」
佐伯がからかうように聞く。
「ええ。ビール飲んで、ラザニア食べて。結婚の話なんかも、ちょっと。」
山城は、照れくさそうに笑ってみせる。スマホの画面を、ふと開く。写真フォルダには、相変わらず仕事の写真ばかり。彼女との写真は、一枚もない。
――一枚ぐらい、撮っておけばよかったな。
そう思いながらも、彼は画面を閉じた。その表情に、不自然さはなかった。ただ一瞬。液晶画面に映った自分の瞳の奥で、ごくごく小さなノイズが揺れた気がした。
それが、過去7回分の記憶の残滓なのか、それとも、新しい8回目の違和感の芽なのか。それを知るのは、箱の中だけである。




