AIは未来を補完してくれる
作者の判断ではr指定する内容ではありませんが、性的描写、残酷な描写に敏感であり苦手な方にはおすすめ出来ません。
嫌な予感がする。
そう感じて、男子高校生は曲がり角に向けてスマートフォンのカメラを向けた。右下の『未来補完マーク』に指を伸ばして、離した。画面の中央でロードマークがぐるりぐるりと回るのを見てじっと待った。やがて映像となった液晶の奥は動き出し、歩いているような縦揺れを続けて角を曲がる、その先にはゴミ袋をつついて荒らしているカラスが映っていた。男子高校生は迂回した。
AIが未来を補完できるようになり、人々は恐れることに従順になった。反対にいえば安心を早く買うことができるようになった。何か勘づけばすぐに未来補完を行い、先を見ることで選択肢を広げたり狭めたりした。無論、未来補完は賛否が別れ、人間の求める正解を正確に提示する訳でもなく、あくまでも統計の中から予想をするだけであり、何の確証もなく、抜本的に何も残らない。
先述の例でいえば、男子高校生の見つめた角の曲がった先の人間から見れば、カラスなんていないのだ。しかし厄介なことに、いるかもしれないと捉えてしまうことになる。
「ひとつの問題点として、未来補完の製作者が予言を当ててしまった事が挙げられる」
「なにさ、教鞭を取り出して、白衣なんて着込んで。コスプレにでもハマったの?」
「いいかユカリ、僕の話は話半分に聞くんじゃない。百聞は一見にしかず、百回聞いて真に受けるんだ」
「ユウちゃん、一回見たほうが早いよ」
「見れないからいってるんだ」
二人は幼なじみ、ユカリの家とユウキの家は団地の隣同士で、共に親の帰りが遅く、同時期に越してきた縁で部屋を行き来するようになった。本日はユウキの部屋に二人、二人は中学校の卒業式を控えている十五歳だ。
「この未来補完、的中率はいかがだと思う?」
「んえー、さんじゅっぱーくらい?」ユカリは首を傾げながらいった。「ちべて」冬に食べるアイスクリームは格別だ。さらけ出したあぐらに落ちた。
「残念なことに、いちぱーもないんだ」目のやり場に困ったユウキはカーテンから顔を覗かせると、結論を袖で拭った。「見てみろ、やってるよ」
ユカリも下から覗き込んで、結露が邪魔で、ユウキの白衣の裾で拭った。目の先には主婦が公園で遊ぶ子供を屈んで動画に収めているようだった。すると途端に録画視点が上昇し、後転でもするかのように仰向けに転んでしまった。
「子供の姿でも未来補完したんだろ。人間の成長は尊いと言うのに、どうして待てないものかね」
「あ、ニュースで見たよそれ。子供の未来に絶望してこんなの私の子じゃないって殺しちゃったやつ」
「物騒な言葉を使うな。あれだろ、成長したら髭生やして太ったニートになってたってやつ。当たってるわけないし、そうなりそうなら手を貸してやればいいのにな。まるで自分の未来を見たかのように手を下すなんて馬鹿げてる」
「あ、もうこんな時間」
「嘘……そうか。僕にしてやれることはないか?」
「んーん、大丈夫。またね」
「ああ」
賑わいたった部屋は窓に溜まった雫が落ちる音が聞こえるほど凪いだ。ユウキはこれからの時間が堪らなく嫌いだった。ユカリの部屋と彼の部屋は薄い壁を隔てて隣であった。彼女が帰ってから十分ほど経つと、耳を澄ますところドアの開閉音が聞こえた。隣の部屋だった。床を闊歩する音が響いて胸を揺らす。段々と音が近づいてきて、否定する甲高い声が聞こえる。恐らくベッドは隔てた壁に隣同士で、枕元には小さな穴が空いていた。ユウキは穴を覗いたことがあるも、何かが見えるほど大きな穴ではなかった。しかし壁の向こうで行われていることはよく理解できた。性的暴行だ、ユカリの喘ぎ声から察せざるをえなかった。
「愛情ってのは難しいよな、僕の父親はいつも働きに出てるし、母は学校に行ってる間に帰ってきて三食分を冷蔵庫に詰めてくれてるけど、会うのは休みの日くらい。でも寝てるから、どこかに出かけるってのもない。だけど時間が合う時は食事を共にして会話もする、プレゼントもくれるんだ。だから愛を与えてくれているんだと思う、ていうかこれが愛じゃなかったら、僕は何を貰ってるのかよく分からない」
「へー、私もわかんないや」
「ふむ」ユウキがそれとなく尋ねても、ユカリは空返事でまともに向き合う素振りはない。いつもの事だ、しかし慣れない、耐えられなくなる。「ユカリは愛ってなんだと思う?」
「ユウちゃんと同じ」
「さっきわかんないっていっただろ」
「バレたか。うーん、でもわかんないよ、ユウちゃんの貰ってるものが愛だとしたら、私は半分くらい貰ってるかな」
「ちなみに、何を貰ってるんだ」
「ご飯は作ってくれないけど、お金は置いてってくれるし。会話もまあ、なくはないし、プレゼントはくれないけど心は満たされてるよ」
「ほんとに?」
「ほんとー」
胡散臭い返事にユウキは顔を顰めた。棚から勝手に本を手に取って、なにこれ難しーい、とすぐに棚に戻す姿を見て、落ち着かない様子であった。
「何か悩み事はないか、例えば喧嘩しちゃったとかさ」口から言葉を吐き捨てた。「なかったらいいんだけど」
「ないけど、喧嘩なんてしたかな。もう高校生になるんだし」
「そうだよな、どう、家族と仲はいい?」どうにかして、探り探り、彼女の心のうちを知りたい気持ちが出てしまった。
「ユウちゃんは仲良くないの?」
「仲良いかな、別に悪くもないと思うけど」
「ねえ、ユウちゃんこそ悩んでることあるんじゃないの?」
冷や汗を隠そうとしている間に、ユカリの鼻がくっつきそうなほど近づいてきていた。改めて見ると綺麗な目鼻立ちだった。目にくまができていて、目尻が下がっているように見えた。ユウキには寂しそうに見えた。
「ないならいいんだ、ないなら」
心の蓋が閉じた音がした。ユカリは帰宅して、またいつもの時間を過ごす時が来た。頭を抱えても雑音が消えなくて、吐き気を催してトイレに駆け込んだ。通りすがり、机の上に置かれた紙幣が風に揺られた。吐き終えて冷蔵庫から水を取り出した。中は空っぽだった。
目に見えるもの全てが羨ましくて、なるべく手に取らないようにしてきた。ユウキはスマートフォンを取りだして未来補完に指を伸ばした。画面に映っているのは枕元の小さな穴である。またも吐き気を催しそうな目眩にだまくらかされて、焦点が合うように映像が動き始めた。
何も起こらなければ良かった。穴は瞬く間に大きく広がっていき、壁の向こうでは、ユカリが裸体を晒していた。その隣に父親が血を流して倒れ込んでいて、それを見下すかのようにユウキが血にまみれた刃物を手にしていた。
「……どうやって入ったの」
「そんなのどうでもいいだろ」
「ねえ、パパ死んじゃったよ?」
ユカリはまだ暖かい肌をぺちぺちと叩いてみせた。
「未来補完だから、現実じゃないから」
「現実なんだけど」
「あんなの信じるなっていっただろ」
「見えてないのそっちじゃん……ねえ返してよ! ……私の愛返してよ!」
「この期に及んでそいつの味方するのか、それ愛じゃないよ、暴力だよ?」
「愛なんて知らないクセに騙るな! 私の愛なんだよ!」
見えないものは見えないままでよいのだ。見ようとして道理を外れるならば、目を背ける方がよっぽどよい。未来補完が現実になりませぬよう。