お嬢様との模擬戦
「これからシミュレータ室に案内します。全員、私についてきてください」
鬼塚冴子先生の冷静な声が教室に響き渡る。授業が始まって間もないが、生徒たちはざわつき始めた。異世界シミュレータの初体験となる実習がついに始まるのだ。
ハルトは隣の席で目を輝かせるみひろの顔をちらりと見て、胸中でため息をついた。
(異世界シミュレータか……やっぱり現実感がないよな。でも、実際にどんなものか確かめないと、何とも言えないか)
みひろは興奮した声で語りかけてくる。
「ねえ、ハルト君! 初回の実習で何が出てくると思う? 魔物? それとも騎士団との戦闘とか!?わたし薙刀習ってたんだけど、通用するかな~」
「さあな……まあ、何でもいいけど」
ハルトの気のない返事にも構わず、みひろは楽しそうに予想を続けていた。
一行が案内されたのは、廊下の奥にある重厚な扉。その向こうに広がるのは、まるで近未来の研究施設のような光景だった。個室型のシミュレータブースが整然と並び、各ブースにはレーザーを利用した映像投影装置と球状トレッドミルの床が備え付けられている。さらに、壁際には黒と銀のラインが目立つサイバースーツが整然と掛けられていた。
「ここがシミュレータ室。異世界の環境をリアルに再現するための高度な設備が揃っている。まずはサイバースーツに着替えてください。実習で体感する重さや衝撃を再現する重要な装備です」
鬼塚の説明に、クラスの一同は感嘆の声を漏らす。ハルトも、思わず目を見開いた。
(これが……シミュレータ? VRゲームの延長線だと思ってたけど、随分と本格的じゃないか)
「最初は簡単な模擬戦闘を行ってもいます。ここでは実践的な訓練を積むことが重要ですからね。コロッセウムを再現したフィールドで、一対一の勝負。2本先取のルールだ。自分の武器と戦術を選び、それを最大限に活かして戦ってください」
鬼塚の指示でサイバースーツに着替えた生徒たちは、それぞれの個室に案内された。ブースに足を踏み入れた瞬間、ハルトの視界が一変する。まるで現実そのもののようなローマ風の闘技場——コロッセウムのフィールドが目の前に広がっていた。
「これが……異世界シミュレータの力か……!」
最初の試合は、みひろの出番だった。彼女が手にしているのは、十文字槍。彼女の小柄な体格からは想像もつかない長大な武器だったが、その扱いは驚くほどに手慣れていた。
対戦相手が大振りの剣で攻め込むと、みひろは軽やかなステップで間合いを外し、槍の先端で鋭い直突きを放つ。さらに、繰り突きや横なぎを織り交ぜながら華麗な連携で相手を翻弄した。そして最後は、投げ込み突きで一撃必殺。相手の肩越しに槍を突き出し、クリーンヒットを決めて勝利を収めた。
「よっしゃー! 勝利ー! どう、見てた? ハルト君!」
観客席で見守るクラスメイトに向かってみひろが笑顔で手を振る。ハルトは小さく手を振り返しながら、呆れたように肩をすくめた。
(あいつ、本当に強いな……薙刀の経験者って言ってたけど、槍でも通じるんだな)
次に登場した月奈は、細身の刺突剣、レイピアを手にしていた。相手との間合いをじっくりと測り、開始の合図と同時に疾風のような一閃。相手が反応する間もなく喉元ギリギリで突きを止め、圧倒的な勝利を収めた。
鬼塚がそれを見て補足する。
「刺突剣は、軽装での決闘において最適化された武器です。フランスやスペインで多く用いられ、サーベルや長剣よりも優れた点がいくつかあります。例えば、突きの速度と精度、さらに軽量さから生まれる柔軟性だ。これが15世紀以降、決闘における剣術の洗練を導いた一因でもありますね」
生徒たちが感心する中、月奈は淡々とフィールドを降りる。その冷静な態度が、さらに彼女の凄みを際立たせていた。
「次は……私が行きます。対戦相手は……火星車ハルト君でいいかしら?」
藤原美玲がすっと手を挙げて、冷たい笑みを浮かべる。
「俺かよ……まあ、いいけど」
「先生、彼の実力を測るのに適任だと思いますが、いかがでしょう?」
鬼塚は少し考えた後、頷いた。
「——許可します。」
フィールドに立つ美玲は、長剣と小型の盾を構え、隙のない佇まいを見せる。その黒髪が風になびき、凛とした美しさを漂わせている。
「特待生だからと言って、私が容赦すると思わないで」
その挑発に、ハルトは苦笑した。
「そりゃどうも。まあ、手加減するつもりもないけどな」
「武器は何を選ぶの?まさかそれもまだ決まっていないんじゃないでしょうね?
「そうだな……。こいつを使わせてもらうとするよ」
ハルトは飾り気のないサーベルを指定し、それはシミュレータ上に再現された。
「ふん……」
と、鼻を鳴らす美玲。経験者にとって、美玲の装備とサーベル一本とではやや美玲側に分があるからだ。
(と、藤原は思っているだろう……でも、片手剣にはそれなりの使い方がある)
剣道のように正対はせず、サーベルを前に出して半身に構えるハルト。それを見た美玲もハルトがなにか齧っている——と気が付いた。
「VRゲームかなにか、やってたのかしらね?」
「さて、どうだろう」
「——始め!!」
試合開始の合図と同時に、美玲が盾を前に間合いを詰める。ハルトはその動きを見て、慎重に後退する。
(カウンター狙いか……下手に突っ込むと、逆にやられるな)
ハルトはフェイントを交えながら牽制するが、美玲の動きは冷静そのもの。下手にサーベルで盾を叩けば、その瞬間にカウンターが飛んできておしまいだろう。
しかし美玲の持つ長剣はハルトの持つサーベルよりやや長いが、盾を前に出している以上、先手の攻撃権はハルトにあった。
やがて、美玲が一瞬の隙をついて踏み込んだ。
(今だ……!)
ハルトは平突きで頭部を狙う——フェイントである。
美玲は盾で頭部への突きを防いでしまうと、一瞬だが視界がふさがることを理解していた。瞬間の判断で美玲はハルトの突きをスウェーで避け、その場で鋭い反撃を放とうとする。しかし、とっさのスウェーによって足が止まってしまっていた。
ハルトはそれを見越し、突きを足払いに変化させた。美玲の足が一瞬浮き、バランスを崩す。
「っ……!」
ハルトが美玲に一本を取った瞬間、クラスメイトたちの歓声が上がる中、みひろの反応はひときわ大きかった。
「やったじゃん、ハルト君! すごいよ!」
みひろは目を輝かせながら立ち上がり、大きく手を振った。その声は教室全体に響き渡り、歓声の中でもひときわ目立つ。
「まさかお嬢様から一本取るなんて、やるじゃない! これは完全に予想外の展開だよね!」
彼女の口調には心底驚いた様子が含まれていたが、それ以上に嬉しさが滲み出ている。まるで自分のことのように誇らしげな笑顔を見せる。
「長住さん、うるさいですよ! おとなしくしてください!」
鬼塚先生の注意が飛ぶが、みひろは全然気にしていない。ハルトの方を向き直り、両手で丸を作りながらウィンクする。
「ハルト君、さすが『特待生』だね!」
その軽口にハルトは苦笑を浮かべる。まだ試合は続いているし、勝てる自信など全くない。それでも、みひろの無邪気な応援が少しだけ心を軽くしてくれる気がした。
「おい、まだ終わってないんだから、あんまり騒ぐなよ……」
ハルトがそう言うと、みひろは頬を膨らませながらも、悪戯っぽく笑って小さくガッツポーズを送った。
「わかってるって! でも、ほんと、かっこよかったからさ!」
その純粋な反応に、ハルトの緊張が少しだけ和らいだ。試合はまだ続くけれど、みひろの期待に応えたいという気持ちが、彼の中に小さな火を灯していた。
「見事ね。VRの剣闘ゲームではプラチナ帯上位ってところかしら? でも、それが通じるのは一度きりよ」
「お前もブレアリのプレイヤーだったか」
次の試合が始まった瞬間、美玲の動きが変わった。最初の一本を取られたことで、彼女の瞳に明らかに火をつけてしまっている。
「さあ、次はこちらの番よ」
美玲の声は冷静だが、どこか鋭く響く。小型の盾を左腕に構え、長剣を右手で軽やかに操りながら、一歩ずつ間合いを詰めていく。その動きはまるで隙がない。
(くっ、これ以上間合いを詰められたら不利だ……)
ハルトは内心で焦りながらも、サーベルを巧みに操り、ヒットアンドアウェイを試みる。片手半身のスタンスの長いリーチを活かして間合いギリギリで攻撃を仕掛け、すぐに引く戦法だ。
しかし、美玲はそれを完璧に見切っていた。
「その戦法はもう通用しないわ」
彼女はハルトの足斬りを盾で軽く受け流すと、すかさず鋭いカウンターを繰り出した。長剣が風を切る音を立てながらハルトのサーベルにぶつかる。金属同士がぶつかる鋭い音が響き、ハルトは後方に跳びながら防御に徹した。
「避けるばかりでは勝てないわよ?」
美玲は言葉でハルトの集中を揺さぶりながらも、連続して攻め続けた。盾を前に出し、長剣で鋭く突く、あるいは横薙ぎに振るう。彼女の攻撃は重厚でありながら、同時に無駄がなく、的確だ。
(まずい、このままじゃ押される……!)
ハルトは焦りを隠しきれない。彼が再び突きからのコンビネーションを放とうとした瞬間、美玲は予想外の動きを見せた。
「甘い!」
盾を思い切り前に突き出し、ハルトの突きを弾き返すと同時に、長剣を下段から上段へ鋭く斬り上げた。その一撃がハルトの防御を貫き、胴体に命中する。
「一本!」
鬼塚の声が響き渡る。観戦していたクラスメイトたちからは驚きと歓声が交じった声が上がる。
「さすが美玲さん、完璧なカウンターだ!」
「特待生相手にここまで圧倒するなんて……」
ハルトは拳を握りしめながら体勢を立て直す。
(ダメだ、このままじゃ完全にやられる……)
しかし、美玲はそのまま畳みかけるように攻め立てた。間合いを詰め、ハルトが逃げ場を見つける暇も与えない。ハルトはなんとか間合いを保とうと後退し続けるが、美玲の動きはまるで追い風を受けた鳥のように滑らかだった。
「もう逃がさないわ」
美玲がそう言い放つと同時にスタンスをスイッチしながら前進し、長剣でハルトのサーベルを押し下げる。その瞬間、彼女の盾が鋭く突き出された。シールドバッシュ。
「これで終わりよ!」
盾がハルトの胸に命中し、再び鬼塚の声が響いた。
「一本それまで、藤原さんの勝利です」
試合終了の合図とともに、クラスメイトたちは拍手と歓声を送り、美玲の圧倒的な実力を称賛した。
「まさに圧巻って感じだな」
「特待生でも、美玲さんには敵わないか……」
「私も美玲ちゃんと勝負したいな~!」
ハルトは肩で息をしながら、頭を下げた。
「……完全にやられたよ」
美玲は剣を下ろし、盾を持つ手で軽く髪を整えた。
「実戦だったら最初の一本目で私の負けだったわ。……少しだけ見直したわ」
彼女の言葉には、ほんの少しだけ柔らかな響きが混じっていた。ハルトはその微妙な変化を感じ取り、苦笑いを浮かべた。
(やっぱり、この学校は油断できないな……)
心の中でそう呟きながら、ハルトは気持ちを新たにするのだった。