魔王編・開幕
東京I.S.E.K.A.I.転生専門学院・埼玉校舎の夕刻。
仄暗い廊下に射し込む朝陽が、床をまぶしく照らしている。数々のVRミッションをこなしてきた火星車ハルトは、いつものように教官室からの呼び出しを受け、急ぎ足で実習室へと向かっていた。
「今日の呼び出しは一体何のミッションだろうな……」
少し気を抜いていたハルトは、曲がり角で危うく人影とぶつかりそうになる。慌てて足を止めると、陽気な声が響いた。
「わわっ、ハルトくん、危ないってば!」
顔を上げると、そこには長住みひろが立っていた。赤茶色のセミロングが軽く揺れ、いつも以上に生き生きとした笑みを浮かべている。
ゲームやアニメに目がない“元気印のオタク女子”であり、VRミッションでは槍を手に華麗に戦う姿が印象的である。今は手にスマホを握りしめ、すでに今日の呼び出しが新ミッションであることを察しているようだった。
「私、もうワクワクが止まらないんだけど! だって、すごいミッションが来るって噂だよ?」
ハルトが苦笑しながら「お前はいつも元気だな」と返すと、みひろはうんうんと大きく頷く。
「当然でしょ! 異世界VRミッションには全力で飛び込まないと損じゃん!」
そんなみひろの勢いに、一つ離れた場所から静かな声がかぶさった。
「二人とも騒ぎすぎよ。廊下ではもう少し落ち着きなさいな」
涼やかな瞳で軽くたしなめたのは藤原美玲。黒髪ロングを上品にまとめ、手にはタブレットを持っている。名家出身の才女であり、クールな論理派だ。
彼女は転送ミッションの進行をこなしながら、いつもチームの司令塔のような立ち回りをする。ここでも飽きもせず連絡内容をチェックしつつ、仲間たちの様子を把握しているようだった。
「先生からの通知によれば、内容は“魔王編”とか。聞き慣れない単語が出てるわね」
そう呟く美玲に対して、「魔王って……ほんとベタな響きだな」とハルトは思わず笑ってしまう。すると、廊下の先からさらに二人の仲間の姿が現れた。
銀髪ショートが印象的な御船月奈。いつも静かでミステリアスな雰囲気を漂わせているが、VRの戦闘では瞬間移動を駆使し、相手を翻弄するスピードタイプだ。彼女は落ち着いた表情のまま合流すると、ハルトたちに視線を向けた。
「今回は大きな事件になりそうね。ちょっと不気味な予感がする」
最後に追いかけるようにやってきたのは、大柄な体格で頼れる戦士タイプの野牛宗冬。ゴツい大剣を持ち味としており、パーティーのタンク役を担うことが多い。小走りで駆けてきた彼は、少し息を切らせながらも、豪快な声を上げる。
「悪い、遅れた! 呼び出しあるなら予め連絡くれよな!」
「宗冬こそ先にチェックしておいてよ。まあ間に合ったからいいけど」
ハルトたち五人は、VRミッション実習室の扉の前にそろう。期待と少しの緊張が入り混じった空気が漂う中、ハルトが扉を開いた。
実習室の中には、鬼塚冴子教官が待ち構えていた。硬質な雰囲気をまとい、腕を組んでこちらを見る教官の表情には、いつになく厳しさがある。
彼女は生徒たちを見回し、一息ついてから静かに口を開いた。
「よく来たわね。さっそく本題に入るけど……今回のVRミッションは“魔王編”という特別プロジェクト。あなたたちには、この世界を乱す“魔王”を探り出し、もし必要ならば戦争を終わらせるところまでやってもらいます」
そう言って鬼塚教官が手元の端末を操作すると、壁のディスプレイに“魔王編——ブリーフィング”というタイトルが表示された。
画面には、高層ビルが並ぶ都心の風景に加え、魔族や魔物とおぼしき生物の姿が重なって映し出されている。道路に結界が張られ、警察車両や自衛隊が応戦している様子。どうやら転送先は現代日本にかなり近い世界観らしい。
「数か月前から“魔王”を名乗る存在が出現し、そこに住む魔族・魔物を凶暴化させているそうよ。これが原因で人類社会は混乱、軍も出動するほどの大戦争が起こりかけている。あなたたちの任務は、『魔王』の生態を徹底的に調査し、戦争を終結へ導くこと」
鬼塚教官の声は淡々としているが、その背筋には張り詰めた空気が伺える。
みひろが思わず息を呑む中、宗冬は腕を組んで、真顔で画面を見つめていた。
「いよいよ本格的な戦闘だな……どんな相手なんだろう? 魔王なんて名乗るくらいだし、かなり手ごわいはず」
「でも、私たちもずいぶんいろんなVRミッションを乗り越えてきたし、きっとやり遂げられるわ」
美玲が落ち着いた声で、みひろや月奈を励ます。
「現代日本の街に魔物がいる……ちょっと想像できない光景だけど」
ハルトは苦笑混じりにつぶやきながらも、興味をそそられている。
「準備ができたらVR装置に入って。大規模な転送になるから、しっかり確認を」
鬼塚教官が指示すると、生徒たちはそれぞれVRシミュレータのブースへ移動し始める。
「いやぁ、なんか久しぶりにワクワクするなー」
みひろが軽くジャンプするようにブースに入ると、宗冬は「俺は不安もあるけどな」と、微妙な笑みで続く。
美玲はタブレットをしまい、制服の袖をきちっと整えてからブースへ入った。月奈は相変わらず無言のまま、淡々と操作パネルを確認している。
最後にハルトがブースの扉を閉じると、青白い起動音が周囲を満たしていく。頭部装置が装着され、仄暗い視界の中でデータが流れ始める。
呼吸を整え、ハルトは心の中で決意を固めた。
(『魔王』……このVRミッションで、また新しい局面が見えるのか……)
装置が完全に起動し、転送が始まる。遠くで鬼塚教官の声が響いた気がした。
「——VR実習開始。頑張りなさい!」
視界が白んでいき、身体が宙に溶け込むような感覚。その一瞬の浮遊感を過ぎると——。
〇
「……ここは?」
ハルトが目を開けると、仲間たちが同様に転送を完了していた。視線をぐるりと巡らせれば、ビルやマンションが並び、コンビニが見え、道路には自衛隊の車両。横断歩道や信号、すべてまるで現実の日本そのものだ。
「うわあ、本当に日本とそっくり。……でも、あそこにドラゴンっぽいのが飛んでる!」
みひろが指差す先、ビル群の上空に魔物が旋回している。パトカーのサイレンが響き、結界らしい魔法陣が浮かぶ。現実とファンタジーが混ざり合った光景に、思わず胸が高鳴る。
「魔族や魔物が都市を襲撃してるんだな。ここで戦争が起きてるなら、まずは情報収集が最優先か」
宗冬が大剣に手をやりつつ、警戒の目を走らせる。
「ミッションは『魔王を調査し、必要なら討伐して世界を救え』……盛り上がってきたじゃない」
美玲はあくまでクールな口調ながら、その瞳には熱が宿る。
「ここはVRミッションの世界。でも、都市機能や住民の動きがリアルだね。自衛隊や政府も動いてるって言ってたし、まずは現状把握しよう」
ハルトが仲間たちに提案すると、月奈が静かに頷く。
「行こう。街を巡りながら、情報を集めてみましょう」
こうして、五人は“魔王”という名の脅威に挑むため、もう一つの東京を歩き出すのだった。
次々と爆音のような叫び声が遠くで響き、ビル群の向こうには不穏な闇が広がる。果たして“魔王”の正体は何か。彼らを待ち受ける激しい戦いと、誰も予想しない陰謀の気配が、彼方で蠢いている——。




