5 当て馬くんは、間が悪くなりがち
その日キリは貧血のため、保健室で休んでいた。保健医に許可を取り、キリがベッドで寝ていると、保健医は少し席を外すと言って保健室から出ていってしまった。
しんと静かになる部屋の中で、ゆっくり休めそうだとキリが思っていたら、保健室のドアが開いた。入ってきたのは、なんとカレンとユーリだった。
体調不良のカレンを支えたユーリは、キリの眠るベッドのカーテンで仕切られた隣にあるベッドに彼女を寝かせようとした。すると、バランスを崩したため、ユーリはベッドの上でカレンを押し倒したような体勢になった。
ユーリとカレンの間に気恥ずかしい空気が流れる。
そんな2人の空気を、カーテン越しにキリは感じてかなり気まずくなる。キリは、全身全霊を使って、自分のなけなしのオーラを消す。
すると、また保健室の扉が開いた。
「カレン、体調が悪いって……」
声からキリが察するに、アルベリックだった。アルベリックは、ベッドの上で抱き合う(ように見える)2人の姿をみて固まった後、……失礼、と短く言うとすぐに保健室から去っていってしまった。
キリは、ベッドの上で口元を押さえる。
「(ああ…ああ…お可哀想……!)」
アルベリックの代わりというような涙が、キリの目に少しだけ滲む。可哀想とは思うものの、それと同じくらいに可愛いと思うキリは、興奮を必死に抑えるために、口元を手で強く抑える。今、自分が存在していたことが隣の2人にバレたら気まずいどころの騒ぎではない。
「(…こんなシーン、『海辺の恋』にもあったわ…!)」
原作ファンであるキリが感動する。意図せず抱き合ってしまったジョンソンとヒロインを見たトーマスが、2人を置いて去ってしまう。トーマスに心が揺れていたヒロインは誤解を解こうと彼を追いかけようとするが、そんな彼女をジョンソンが止める。そして、彼女に言うのである。お前の心は後でいい、今お前を引き止めないと、永遠に失ってしまう気がするから、と。
「(…まあ、隣にいるヒロインは追いかけようとすらしてないけど…)」
キリは、み、見られちゃったわね…、と恥ずかしそうにユーリに話すカレンの声を聞きながらそんなことを思う。
体勢を戻したユーリは、そうだな、と特に気にした様子もなく返す。キリはそんなユーリに、ずいぶん余裕がありますねえ、と心の中で野次を飛ばした。
2人に気づかれないように、キリは高等テクニックを使って保健室から脱出した。
その後普通に授業を受けて、次の休み時間、キリは教室を移動するために廊下を歩いていた。その時、男子クラスの前を通った時、アルベリックの姿が見えた。
あんな光景を目撃してしまった後だということで、いつもは友人に囲まれている彼が、一人で椅子に座って暗い表情で考え込んでいた。
キリは男子クラスの前で足を止めると、心臓を押さえた。気の毒すぎる。可哀想すぎる。でもだからこそ、可愛すぎる…!
「おい」
男子クラスから、ユーリがやってきてキリに声をかけた。キリは目を丸くしてユーリを見上げると、軽く会釈をした。心配そうな顔をしたユーリが、君、と口を開いた。
「…お前、保健室で寝てたんだってな。大丈夫か?」
「えっ」
なぜバレている。キリは気まずさに固まる。ユーリは、保健医がお前を探していたから、と続ける。ユーリの言葉に、キリははっとした。
「どうしよう、保険医に黙って出てきてしまったわ…。もう大丈夫って言いに行かないと…」
キリは、ありがとうございます、とユーリに言うと、保健室へと足を向けようとした。すると、ユーリがおい、と呼び止めた。
「俺もついていく」
「え?でも、」
「いいから。少し前まで倒れていたやつを、1人で歩かせられない」
行くぞ、とユーリがキリを急かす。キリは困惑しつつも、ユーリと一緒に保健室に向かうことにした。
2人で歩いていたら、途中でユーリが、ん?と呟いた。
「…お前もしかして、俺とカレンが保健室に来た時にいたのか?」
ユーリがじっとキリを見つめる。キリは、げっ、と思ったものの、嘘をついても仕方がない気がしたので、潔く、はい、と頷いた。
「あなたたちが不慮の事故で抱き合ってしまい、それを見たアルベリックが悲壮感漂う様子で保健室から出ていったところもバッチリ」
「…不慮の事故だとわかっているなら別にいい」
「よくありません。アルベリックは誤解していますよ。…いや、あなたからしたら、これでアルベリックより更に優位に立てたのだから、誤解されたままのほうがいいのか…」
「……前から思っていたんだが、お前は最初から最後まで何を言っているんだ?」
怪訝な顔をするユーリを置いて、キリは目を輝かせる。
「似たようなシーンが『海辺の恋』にもあったから、私興奮しました…!あのシーン、トーマスが一番好きな私は、もうヒロイン!ジョンソンなんか気にせずトーマスを追いかけて…!って思ってしまいました」
そう言って、キリははっとする。原作が好き過ぎる余り早口で語りすぎてしまったことを、しかも王子にそんなことをしてしまったことを反省して、キリはすぐに口をつぐんだ。
するとキリは、ユーリの顔が驚きの余り目を丸くして固まっているのに気がついた。キリは、そんなユーリに首をかしげる。
「……どうかしましたか?」
「……君、ジョンソンが好きだって昔言っていなかったか?」
「はい、昔は。でも大人になってだんだんつまらないとばかり思っていたトーマスのよさがわかってきたんです。温和で優しくて…、結婚するならああいう人が一番ですよね」
まあ、物語の登場人物ですけど、とキリが言ったとき、わなわなと震えるユーリの拳が見えた。キリは、眉をひそめて怒った顔でキリを見つめるユーリに、えっ、と声をもらして後ずさる。
ユーリは非常に怒った様子でキリに詰め寄った。
「俺は…、俺は君がジョンソンのことが好きだっていうから…!なんで今更トーマスだって言うんだ!!」
「…あ、あの、私がジョンソンではなくてトーマスが好きであることで、何か不都合なことでもあるんでしょうか…?」
キリは更に後ずさり、ユーリと距離を取る。眉をひそめるユーリは、何かをいいたそうに口を何度か開けたあと、口を固く結んだ。
「…ない」
明らかに何かありそうなユーリに、キリは、自分が彼に何かしただろうかと思考を巡らせる。しかし、何も浮かばない。
そろそろ保健室の付近まで来ていたことに気がついたキリは、あっ、もう大丈夫です、ありがとうございました!とこの場から逃げるために早口でユーリに告げた。
キリは、ユーリから更に離れた後、彼の方を振り向いた。
「わざわざついてきてくださってありがとうございました。派手で怖くなったと思っていましたけど、昔と変わらず優しいところもあったんですね」
キリは、そうユーリに微笑むと、保健室に向かった。固まるユーリを残して歩きながら、何やら怒らせていたようだから褒めてみたけれど、少し、いやかなり失礼な褒め方だったかもしれない、とキリは少し後悔した。