3 当て馬くんは、努力しても負けがち
校内に盛大に張り出されたテスト結果を、キリは嫌々見上げる。こんなものを喜んでみるのはごく一部の成績上位層のみで、キリはその層の人間ではない。ごくごく中庸(か少しそれ以下)の位置に属するキリにとっては、テスト後のこの催しは苦々しい気持ちにしかならない。
キリは、ささっと自分の順位を確認すると(今回はほとんど真ん中だった)、そそくさとその場から去ろうと歩き出した。すると、結果を眺めるユーリとカレン、そして、アルベリックの姿が見えた。カレンは、すごい…と感嘆のため息を漏らす。彼女の視線の先には、1位のところにあるユーリの名前の文字である。
「普段そんなに勉強していないのに、なぜいつも1位なの?」
カレンが不思議そうに尋ねる。ユーリは、ふん、と得意げに鼻を鳴らすと腕を組んだ。
「俺レベルになると、勉強なんかしなくてもできてしまうんだ」
そう言ってのけるユーリを、えーなにそれ!と笑いながらカレンが見つめる。彼らの後ろで、そんな会話を笑顔で聞くアルベリック。ちなみに、彼の順位は万年2位である。2位でも十分にすごいのに、カレンの恋敵であるユーリに負けていることから、彼から悲壮感を勝手にキリは感じ取ってしまう。
アルベリックが常に努力をしている姿をみてきたキリにとってしたら、ユーリの発言は癪に障る。
「(あの、努力もせずに1位になってしまうところも、なんだかジョンソンみたいだな…)」
キリは『浜辺の恋』の話を思い出しながら溜息をつく。
幼い頃は、万能で天才なジョンソンにときめいたりしたけれど、大人になった今は、ひたむきに努力をするトーマスタイプの人間のほうが惹かれる。
カレンは天才型のユーリを魅力的に感じているらしく、ひたすらユーリのことを褒めている。アルベリックはなんとか笑顔を保ってその輪の中に居続けている。
キリはそんな彼らの横を通り過ぎながら、次は勝てるといいですね、とアルベリックに心のなかでエールを送る。
放課後のカフェテリアにて、キリはマリアと一緒にテストの見返しをしていた。こんなところ間違えていたんだ…という箇所が何個もあり、キリは静かに反省した。
ふと、盛り上がるテーブルに気が付き顔を上げると、カレンと女友達数人が話しているのが見えた。耳を傾けると、どうやらユーリとのことを友人が執拗に聞いており、それについてカレンが恥ずかしそうに困惑する姿が見えた。
「ユーリ様だけじゃなくて、アルベリックもあなたのこと好きみたいよね」
楽しそうにそんな話題を友人の1人が出す。するとカレンは頬を赤くして目を丸くした。
「ええっ、うそ、そんなことないでしょう?」
まるで初めて聞くかのような反応をする彼女に、キリはずっこけそうになる。
「(気が付かないことある?幼なじみだから近くにいすぎて相手の気持ちが見えていないパターン?でもあんなに迫られてもわからないことある??)」
「羨ましいわ、あんな素敵なお二人に好かれて…」
「ほんとよねえ…」
友人たちが楽しそうにカレンに話しかける。カレンは頬を染めながら眉をこまったように下げる。
「やめてよ、もう。私なんてこんなに普通なのに、あの2人から好かれるわけないじゃない…!」
頬を染めて困惑するカレンに、再びキリはずっこけそうになる。侯爵家のご令嬢という身分だけでもう普通ではないのに、整った容姿、すらっとした体型、そして、優しい友人たちに恵まれるような素敵な性格、学校での上位の成績。そんな彼女のどこが普通だというのか。
キリの思っていることを察したらしい、同じくカレンたちの話を聞いていたマリアと目が合った。マリアは、何も言わず、うんうん、と頷いた。
「そういうものよ。みんな自分は普通だって思うのよ、物語のヒロインってやつは」
「だとしても自覚がなさすぎるわ。私が普通の定義というものを教えて差し上げたいわ、私という生身を使って」
キリの言葉にマリアは笑った後、普通の定義も難しいけれどね、と真面目に返す。そんなマリアに、それもそうね、とキリは同じく真面目に返した。
「私からしたら、ユーリ様と幼なじみっていう点でもうあなたは到底普通とは思えないわね」
「何を言っているの?遊んでいたのは十年前の話で、それ以降ほとんど接してないわ」
「まあ、あなたとあの方が親しくするのは想像つかないけれど…」
マリアが言葉を止めた。彼女の視線の先には、カフェテリアに入った途端に注目を集めるユーリの姿だった。華やかな雰囲気と見た目に、周りの生徒達は否応なしに注意を引かれる。キリは彼から視線を外してマリアに戻すと、ね、と返した。マリアはそんなキリに小さく笑った。
「でも、昔は好きだったんじゃない?ユーリ様のこと」
「昔…昔はそうね」
キリは素直に認める。幼いころから見た目が美しく、さらには大人しくて素直で、自分と話があったユーリのことを、幼いキリは好きだった。しかしもちろん、身分の差はわきまえていた。好きになりはしても、それ以上を夢見ることすらせず、好きだと思うただそれだけだった。キリの一番好きな本を別れ際に彼に渡したことが、精一杯の告白だった。もちろん、それに彼と結ばれようという意図などない。
ユーリとの昔の記憶を思い出そうとして、キリはやめた。あのころのユーリはもういないし、いたところでどうとなるわけでもないからだ。それがなんとなく嫌で未練たらしくて、キリは思い出すことすら放棄した。
素直なキリに、あら、とマリアは声をもらす。
「随分素直ね」
「だって本当だもの。それに、昔はあんな感じじゃなくて、もっとかわいかったのよ」
「かわいかった?」
「どうしてああなってしまったのやら…」
キリがまたユーリの方を見ると、今度はユーリと目が合った。そのことにキリは驚くけれど、軽く会釈をして、すぐに視線をマリアに戻した。
なんとなく気まずい気持ちを抱えながらふと、入学したてのころのことを思い出す。1人で廊下を歩いていたキリに、ユーリが久し振りと話しかけてきたのだ。たくさんの生徒に囲まれて、かつ、昔の面影がなく、威圧的な雰囲気のあった彼に恐れをなしたキリは、挨拶もそこそこに、素早く彼の前から逃げてしまった。それ以来ずっと彼とは疎遠である。
「(逃げたのは悪かっただろうか…。でもまあ、彼もその後私に近寄る素振りはないし、気にしてもないだろう)」
キリはそう自分の中で完結させると、マリアとテストの見直しを再開した。