Ⅶ たとえ未来が不穏であったとしても
「!? ンーーー ッ!!」
口と鼻を同時に塞がれ、6年3組の教室へ引きずり込まれる。引きずられるというよりサッと引っ張られたという感じだったが。白藤は半ばひせり上げるように喉を酷使した。もし彼女が歌い手だったら、今後が心配だったことだろう。
「落ち着いて、白藤。俺だよ。朝比奈」
「!」
低く穏やかな声が耳元でささやいて離れていく。今、彼女は朝比奈に後ろから抱き込まれる形で散乱した机と机の間に座り込んでいた。ぱっと手を退けて朝比奈は彼女を解放する。謝る朝比奈の膝から急いで降りて振り返ると、彼の他にもう2人いた。ニカッと笑う青年と、気まずそうに汗を流す中年の男。
「よっ」
「......誰?」
「それを今から紹介するんでしょうがぁ!」
朝比奈と同じくらいの短髪を赤く染めた少年が、小声になっていない小声で憤慨する。なかなかに騒がしい人物だ。白藤は嫌いなクラスメイトを思い出してゲンナリする。似たような人種だったら絶対に関わりあいたくない。顔にそう書いてあった。
「俺、欅中学3年、萩野火織! よろしくな!」
「へー」
重苦しく、暗いこの世界を照らす太陽のように輝く笑顔を見せる。傷だらけで、顔や手に青あざを作っているが、屈強なメンタルの持ち主であるのだろう。痛そうなそぶりは見せなかった。差し出される手に、不思議と嫌悪感は沸かなかった。朝比奈の知り合いっぽい、というのが大きかったからか、白藤はその手を取って立ち上がる。そして得体のしれない怪物の存在を懸念してすぐに態勢を小さく身構えた。
萩野が今回の事件の4人目の被害者という事実を思い出して、納得する。しかし犯人はなぜ恵未を含む5人もの人間を拉致したのかがわからない。彼らはそれぞれ年齢も性格も職業も違う。共通点は何だろうか。萩野は、ボケッと考え事をして、手を握ったまま反応の薄い白藤に困った。
「......それだけ?」
「だけ」
「ウソ?」
「ホント」
半眼で見上げてくる彼女に困惑は加速した。朝比奈にも白藤にも出会い頭から混乱させられ、すでに彼は疲れ果てていた。沢田は心の内で彼に”困さん”という不名誉極まりないあだ名をつけた。真の苦労人は朝比奈ではない。彼だった。
「朝比奈! この子どうしたらいいよ!? お手上げなんだけど!」
「ハハ ドンマイ」
「裏切者ォ!」
足元に広げた紙にご執心の朝比奈に、萩野の決死の叫びは届かなかった。
その紙は、彼らがこの教室に入ったときに見つけたものだ。身体を隠すために積み重なった机のそばにかがんだ際、朝比奈の目の前に落ちていたのを発見した。内容は、『秘密基地』について。
それは鏡の中にある別世界。誰にも邪魔されることのない、希望に満ちた永遠の幸福。第一の被害者、神崎恵未が家族に言った『秘密基地』と同じものであるとすれば。その鏡が、あのカーブミラーであるとすれば――――。
そこまで考えて、困ったように見てくる3人に気づいた朝比奈は紙を折りたたんでポケットへしまう。
「ごめんね、白藤。ちょっとヤバい怪物がいたもんで」
「怪物ね」
白藤が感じたプレッシャーは彼らの言う怪物によるものだろう。今はその重苦しさから解放され、奴の姿が見えない。
「私はなんで見つからなかったの?」
「背、ちっちゃいからじゃね?」
「ぶっ殺すぞ」
「ゲ」
萩野は顔を青くして、下から感じる圧に怯える。彼女にその話は禁句なのだ。『言わなきゃいいのに』と内心思いながら、脱線した話は朝比奈によって軌道修正される。
「まあ萩野の処遇はともかく」
「ひでぇ!」
「みんな次のミッションは?」
彼に促され、皆それぞれミッションカードを出す。被害者の彼らも、後から自分で乗り込んだような2人と同様にミッションカードを受け取っていたのだ。
「私は体育館。晩餐がどうたらこうたらって」
「え、お、俺も!」
「私も、そうだよ」
3人とも1つ目のミッションは別であったが、2つ目は同じものだった。その一致に、釈然としない奇妙さが際立つ。3人は互いを見あって、眉をひそめる。
「やっぱりね。そんな気はしてた」
「どゆこと?」
朝比奈の言葉に萩野は疑問を呈す。白藤もよくわからないようで、首を傾げた。
「俺、萩野に会う前に体育館から妙な気配感じてさ。ちょっと違和感あるって程度だったんだけど」
先ほど萩野らを襲っていた黒いデカブツよりももっと強烈な。背中側に隠れていた怪物よりもさらに過激な。そんな何か。しかし、姿を隠すのが非常にうまい。それが体育館から感じられた。
彼はポケットからミッションカードを取り出して、訝し気な様子の3人の前に提示する。そこに書かれた文言を見て、3人は顔色を変えた。
『体育館へ行き、彼らの晩餐を手伝え』
やはり彼にも同じものが。何か得体のしれないものが蠢いていることを知るには十分だった。それが何であるのかまではわからないが、少なくとも気持ちのいいものではないようだ。
「俺たちは泳がされているのかもしれないね」
被害者を一か所に集めてしたいことがあるのだろう。例えば、処刑、だとか。晩餐というのはそういう意味ではないか、と朝比奈は考えている。気色の悪い話だ。
「体育館、か」
ぽつりとつぶやくのは誰であったか。誰もが同じ気持ちであったから、誰だっていい。ただ、助けられないことを悔いている。全ての被害者を回収するのは不可能だった。5人のうち、行方不明者はあと1人。恵未、沢田、萩野は発見し、中山はすでに死亡している。そして、残る1人を助けるどころか、これから全員が死ぬかもしれないこの状況。この空間から出るにはミッションをこなすほかないが、それでは共倒れは必至。彼らはやりきれない思いで、しかし、行くしかなかった。
「丸腰はさすがに危険じゃない?」
「ごもっとも」
サファリパークに素っ裸で駆け込むようなものだ。そんな地獄への片道切符は欲しくない。想像した白藤と萩野は青い顔で身震いする。沢田も身体を硬直させ、唇を噛む。
彼らの怯えた様子を見て、朝比奈はフッと笑う。やはり彼らのように考えなしに突っ走るべきではない。朝比奈という司令塔は指示を出す。
「じゃ、武器調達といこうか」
その言葉を皮切りに、4人は立ち上がった。
***
北舎2階西側、家庭科室。建物が劣化しようと、中身は新しいものでそろえられているこの学校に、錆びていない武器がないわけがなかった。小学校という道理も道徳も育ちきっていない幼子が通う場所にある最も危険な武器がある場所だ。そう、その武器とは、包丁だ。それなら給食室にもあるだろうが、残念ながらそこへ行く近道の階段は崩れてしまった。向かう体育館へ一番近い武器調達の場所はここしかなかった。
白藤は家庭科室の奥にある食器棚の下の引き出しから、鈍く重みのあるそれを取り出す。ぼろ雑巾のようなあの男に財力はほとんどなかったのだろう。一丁しか入っていなかった。
「包丁が一つ。誰が持つ?」
「それは朝比奈に持たせておけばいいぜ」
「ライターは?」
「それは萩野に」
「役割決まってるんだ」
朝比奈は刃物の、萩野は火の扱いがうまいらしい。バレー部の合宿でカレーを作ったことがあるようで、その際、朝比奈は見事な包丁さばきを見せたという。みじん切りもお手の物。切ったはずが全部繋がってました、なんてくだらない芸を披露した萩野と違って最高に良いパフォーマンスだった。しかしその朝比奈もこと火の扱いにおいてはウマシカだった。危うく人様の学校を燃やすところだったのだ。その点は萩野が上手だった。飯盒で炊いた白米は柔らかく光輝いていた。バーベキューでも、萩野のグリルの肉は格別であった。うまい具合に火加減を調節し、他班にも頼まれたくらいだ。死んだ表情筋を総動員して飯にありつく朝比奈がいたことは、また別の話。
「お前ら、実はバカだろ?」
「「コイツと一緒にするな」」
お互いを指さしあう2人に呆れ、白藤は沢田にまな板を渡す。武器にも防具にもなる優れものだ。攻撃こそ最大の防御などと考えているであろう2人には通じないだろうが。
「さぁて、行きますか」
「体育館の晩餐かー 俺も何か食いてー」
「違ぇよ。バカか? ああ、バカだったな、バカども」
馬鹿げたミッションのためではない。憂さ晴らしでもない。その先の――――。
フッと笑って、三者同様に渡り廊下を睨む。前へ進むのだ。この荒れた世界から抜け出すために。被害者の彼らに手を伸ばすために。家へ帰って美味い飯を腹いっぱい食うために。
「「「あの糞野郎をブッ飛ばしに!」」」
「3人とも、私のことを忘れてやしないか?」
「「「あ」」」
......被害者を守るために。