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Ⅵ バカと変人は相棒で


 ニュースで萩野の名前が流れるよりも先に彼の部活の部員に連絡をもらっていた。警察が現場からいなくなるのを待っていたら、少し時間が経ってしまったが、朝比奈は彼を探した。チームメイトらの証言から一般人が誘拐を働いたわけでないことは百も承知していた。萩野が誘拐された公園――――けやき公園へ足を運ぶ。


 証言に従い、彼が消える直前まで座っていたというベンチを調べる。しかしそれらしい証拠は何もなかった。一応アイスも買ってベンチでかじってみたり、友人らの座っていた位置にもついてみたりしたが、何もわからなかった。


(......クソが)


 アイスの棒をくわえたまま腕をベンチの背に預け、足を投げ出して空を仰ぐ。何一つ手掛かりが見つからない。打つ手なしの手詰まりときた。もどかしい。苛立たしい感情をどうにか鎮め、パキリと棒を噛んで折る。


「君はここで何をしているんだい?」


 いつのまにか朝比奈の目の前にコートを着た無精ひげの男が立っていた。垢だらけで汚らしい。立派な人物の爪の垢を煎じて外道に飲ませるのは好きだが、残念ながら性根の腐った垢まみれの人間と会話するのは好きではない。


「話しかけないでほしいね」

「そんなことをいうものじゃあない。バチが当たってしまうよ」

「あなたに心配をされるなんて反吐が出る」

「ご挨拶だね。親切な人に何てこと言うんだい?」

「親切? ハッ 笑わせる。そんな虚ろな目で、後ろ手に何やら鈍器を隠し持っている人間が何を言ってるんです?」


 言葉とは反対に、朝比奈の表情は笑っておらず、いつも通りの”無”だ。ただその目は小汚い男と違って警戒の色を宿していた。その男を視界に入れた瞬間からわかっていた。この男がどれほど危険な人間かということを。生気を失ったその相貌に現れた醜悪さは、化粧をしようと隠せそうもないほどに汚らわしい。


「そうかい、少年」

「......」

「それならば、向こうで死ぬといい。彼らと一緒に」


 男の精神は尋常でなかった。追い求める野望に手をかけたのだ。完成が近い。こんなところで、何もかもに恵まれた少年なんぞに潰されるわけにはいかなかった。


手を振りかざし、念じる。夢への希望で、絶望を塗り替えるように。永遠の幸福を手にするために。


「言ったろう? バチが当たる、と」


 男の虚ろな目に似合いの気色悪さをたたえた笑みで、崩れ落ちる朝比奈を見下ろした。オレンジ色のカーブミラーが2人を映し、異空間への扉を開く。


視界が暗転する直前、朝比奈の口端が小さく吊り上がった。



***


 萩野の部活はバレー部だ。朝比奈もバレー部に所属しているが、ポジションも違っていれば通う学校も違う。なんなら性格も違う。しかし2人は良きライバルだった。どこか馬が合うのだろう。試合でも合宿でも、2人は両校の部員に認知されるほど仲が良かった。親友というヤツである。


「ぐ、が、」

「「あ」」


 男性――――沢田さわだ誠吾せいごが、首を押さえながら床へ崩れ落ちる。唇がやや青い。完全な窒息状態だった。


「呼吸ない! 萩野、胸骨圧迫!」

「お、おう!」


 叫ぶように声を荒げた朝比奈に気圧され、倒れた男の横へ駆け寄る。彼の鳩尾を押さないよう、だいたい指1本ほど間を置いて、一定のリズムで心臓を押し続ける。保険の授業程度の知識でも意外とどうにかなるものだ。そう呑気に考えていた萩野だったが、徐々に腕が疲れてくる。


「萩野、代わる」

「オッシャ!......え、代わってくれるんじゃねぇの? 何その構え」

「代わるって言ってるでしょ」


 朝比奈と交代するつもりで彼を見上げて愕然とする。成人した男性の心肺蘇生なら、手は両方を重ねるのが普通だ。1人目が疲れて圧迫の質が落ちてきたところに、両手を重ねた状態で待機していた2人目と1秒もかけずに交代する必要がある。心肺蘇生は時間が命だからだ。しかし交代の意思を見せた朝比奈はどうであろう。片手を沢田の胸に置こうとしている。小児相手なら許されたが彼は大の大人であるというのに。


 萩野は朝比奈に自分と同じように手を重ねろ、と何度も言い聞かせるが、言うことを聞いてくれない。だんだん腹が立ってきて、役に立ちそうにない彼を放って何とか蘇生を試みる。だがさすがの萩野も疲れがピークに達しそうだ。三途の川を渡りかけている男は意識を持ち直す気配すらない。焦り、動揺。萩野の脳内はそれらで埋め尽くさていた。見かねた朝比奈は再度声をかける。


「退いて、萩野」

「......信じていいんだな?」

「あたりまえだろ」


 信頼という形のないもので沢田の命を奪ってしまうかもしれない。襲われ、殺されかけたとはいえ、やりかえして殺してしまうなんて、過剰防衛もいいところだ。緊張で荒くなっていた手を離す。


 朝比奈が手をかざした直後、沢田の身体が少しはねた。そして彼は自分の大腿を軽い調子で叩く。子供をあやす手と似ていたが早さが違った。それは萩野が行っていた胸骨圧迫のリズム。萩野は口を開け、呆けた顔で彼の手元を眺めた。


「お前の手......」


彼がしていることに理解が及ばず、萩野はただただその作業を見守るしかなかった。


「......AEDかよ」

「そこなんだ」

「え、おっさん生きてる」

「うん」

「何、したんだ?」

「AEDの代わり」

「振り出しじゃん! 結局そうなんじゃん!」


 うめき声をあげて、男が目を覚ます。朝比奈はただのAED代替機ではなかった。役割を終えたリズムを刻む手を沢田の頭に置き、思いっきり掴む。禿げたらどうするつもりなのか。本人曰く、少々手荒な治療をしたまで、とのことだ。


「おっさん、もう妙なことすんなよ」

「......すみません」


何かに操られていたのだろう。沢田に萩野を襲った記憶はなかった。



***


 沢田の体調チェックと萩野の体力回復を兼ねて、3人は更衣室の前の廊下にて休憩することにした。更衣室にいては、何かが襲ってきたときに袋のネズミとなるのは目に見えている。


「ねえ萩野。困ったことが起きたんだけど、内容聞きたい?」

「あん? どうせどうでもいいことだろ? いいよ、んなモン」

「そう」


 静かに目を伏せて、無表情なくせに心底困ったという雰囲気を出してうつむく。そしてその場にしゃがむという突飛な行動。まさに宇宙人。


(部員に面白い変人だと思われてるなんて夢にも思ってなさそう)


 ぼんやりぼんやり朝比奈を眺めて、だんだん目が据わっていく。萩野の様子に気づいていない朝比奈は準備運動を念入りにする。呆れて深いため息をつく。そんな萩野も『果てしなくどうしようもないバカ』と陰で呼ばれていることを本人だけが知らない。


「じゃあ俺は行きますけど、沢田さんはどうしますか?」

「私も行くよ」

「それならちょっと走りますが大丈夫そうですか?」

「ああ」

「え、俺は?」

「え?」

「え?」


 一人取り残されて、会話の内容が頭に入ってこない。『来るの?』と言いたげな朝比奈に萩野は困惑した。彼に会ってから困惑続きでそろそろ頭皮を覆う草原が絶滅しやしないか心配で肺が押しつぶされそうだ。クラウチングスタートの姿勢を取っていた朝比奈はため息をついて、萩野の背後を指さす。『ため息をつきたいのはこっちだ』と少々ムカついたが、仕方なしに首を回した。






「ホンッッッットにお前って奴はァァァ! ガチのバケモンいるじゃん! 早く言えよォォォ! ヤ、ヤバ、ヤバイィィィ!」

「だから聞きたいかって聞いたんじゃん」

「聞かなくても言えよ! 腹黒!」

「失敬な。俺ほど善良な人間、そうそういないよ」

「お前ほど腹黒くて性質の悪い人間なんていないの間違いだろ!」


 萩野が背を向けていた西側の渡廊下から、禍々しい瘴気をまとった何かが、廊下の幅いっぱいに広がる化け物が馬鹿みたいな速さで駆けてきやがった。肩越しに振り返って見えたその怪物のおどろおどろしさと言ったらない。汚泥やゴミの塊のような奴で、汚らしいものを撒き散らし、中心についた巨大な口がダラダラと涎を垂らしている。


 それにしてもこんな野郎がモテるなんて世の中は不条理である。焦りと嫉妬と怒りがないまぜになったひどい顔で萩野は走った。ハゲだのなんだの考えている萩野に言われる筋合いのないことだ。途中『廊下は走りません』というポスターに『廊下は走れねぇよぉぉぉ!』とツッコミを入れながら全速力で駆けた。


「そりゃ廊下が走れるわけないよね」

「うっせぇぇぇ! お前は二度と口を開くんじゃねぇぇぇ!」

「おい、萩野君とやら。ひどいぞ」

「おっさんも黙ってろ!」


 走って走って、南舎1階に下り、東側の渡廊下を通って北舎へ移動する。迫りくる黒いデカブツが速度を上げたのを見て3人も足を速める。


「先行って」

「おい、朝比奈君! 君も、」

「おっさん、行くぜ!」

「あ、おい!」


 絆という見えないもので繋がる信頼関係を、今度は信じきることにした。声をかけることもなく、目を合わせることもなく、前を信じて走る。足を動かして、背中を預ける。


「任せなっての」


 2人が先に行ったことを確認すると、朝比奈は階段の上から4段目に足をつけて前のめりになる。勢いをつけ、逆立ちして踊場に伸ばした両手をつき、異能を発現する。


 朝比奈の能力は記憶を覗くだけではなかった。異能によって捉えられるその”感覚”ともいえるものを自在に使いこなす、まさに異才。


 肘を曲げて跳躍する。腕をバネ代わりにしたのだ。踊り場がボコボコとマグマのごとく溶けていく。この罠はあの黒いデカブツに大した効果はないだろうが、まあ期待はしておく価値はある。もし奴の頭が弱ければ引っかかってくれるやもしれない。



「アイツ、本当に馬鹿だ。いや阿呆か。アメーバ、よくてミジンコだな」


溶ける床につられてマグマに飛び込んでいく黒いデカブツを呆れた目で見つめた。ちょっと疲れが出ていた気がしないでもない。


 実は何も起きていないのに、勝手に自滅する物体を見下ろして、ため息を一つ。彼が見せた幻は、デカブツにとっての現実で。誘導された奴は、バケモノの手の内ということに気づかず。ゆっくり、静かに消えていく。そのバケモノは、踵を返して階段を駆け上がった。


(あのデカブツの後ろに、マジの怪物がいたんだけど......どこへ行った?)





一方、萩野たちは。


「おい、萩野君!」

「何だよ、おっさん!」

「上が崩れてる! なんかスローモーションで見える!」

「早よ言えや! どいつもこいつも!」


 3階から降ってくる瓦礫に警戒する。頭上で腕をクロスさせ、頭を守る。劣化が激しいこの建物の限界がついに来た。中を新しく入れ替えるくらいなら校舎から建て直したらよいものを。この空間の主にはそんな考えはなかったのだろう。


「行くぜ、おっさん!」

「どうやって!?」

「走る! 走って走って走りまくる! 落ちてくる石より速くな! 上に気ぃつけやがれ!」

「原始人か、君は!?」


 沢田の前を走り、彼に降りかかるガラクタを薙ぎ払う。バレー選手にとって大事な腕や手指が紫色に染まっているが、朝比奈が信じてくれたのだ。その責務を果たすために腕を伸ばす。痛みに顔をしかめさせる。何があっても沢田を死なせぬよう。


(女子じゃない奴! それもおっさんを守るなんて! 後で何か奢れよ、あのバカ!)





 朝比奈は2段飛ばしで駆け上がり、萩野らに追いつく。さすがは運動部。疲れをちっとも見せていない。それどころかバレー部で鍛えられた凄まじい跳躍力で萩野の背中に飛び掛かる。


「ちょっと! せっかく俺が時間稼ぎしてやったのに、何道草食ってんの!?」

「うるせぇわ! 俺だって逃げてたの! このおっさんを守ってたの! 一生懸命頑張ってたの!」

「喧しいわ! 俺の犠牲をなめんなよ! 返せや!」

「キャラ、ブレッブレだぞお前! つーか、俺の信頼はちゃんとつなげてくれたのね! ありがとう!」

「どういたしまして! 一回死ね!」

「ヤダ殺されるぅ!」


 階段を駆け上がりながら激しく言い合う2人の醜い争いが続く。だんだん声がヒートアップして校舎内に響いていたが、まったく気にしていない。


「そこの教室入るぞ! 2人とも!」

「「指図すんなや!」」


 口答えはしているが、先導していたはずの萩野も、こういった怪奇現象に明るいはずの朝比奈も、なぜか沢田に導かれている。そして3人は6年3組の教室へと飛び込んだ。







朝比奈さんがカーブミラーに気づいたのは汚い男が現れたときです。


小ネタ

手荒な治療を終えた後のこと......


萩野「おっさん、何とか助かってよかったぜ。サンキュ、朝比奈」

朝比奈「いや、これくらいいいよ。今度焼肉奢ってくれるって萩野の

    財布が言ってたし」

萩野「言わねーよ!? え? 言わないよね?」

朝比奈「ヒドイ! 私を弄んだのね!」

萩野「喧しいわ! お前、自分の胃袋なめてんのか? ブラックホール

   を超越する怪物を腹に飼ってんだぞ? 男子高校生のなけなしの

   財産を奪う気なのか? 賊かテメェ!」

朝比奈「しょうがないなぁ。この件は水に流してあげるよ」

萩野「なんか狙われそう」

朝比奈「安心してよ。萩野の貧相な財布なんて狙わないから」

萩野「こんにゃろぉ!」

朝比奈「それよりさ」

萩野「あん?」

朝比奈「お疲れ。腕疲れたろ?」

萩野「お前の無茶ぶりのせいでな」

朝比奈「うん。だから労わってあげてんじゃん」

萩野「......お前の労わるって人の患部を強く撫でることなわけ?」

朝比奈「何言ってんの? これは沢田さんの頭の油がついたから、

    萩野のジャージの袖で拭ってるだけだよ」

萩野「ブッ殺ス!!」



白藤「何がひどいって、これをおっさんの前でやってることだよね」

沢田「シクシク。気にしてるのに......」



※この小ネタ空間はギャグに走った結果の産物です。

 彼らは白藤と合流していません。

※沢田さんは回復して直後に全力疾走という激しい運動をしていますが、

 読者の皆様は絶対にしないでください。彼はたまたま身体が屈強で、

 たまたま命の危機にあって、たまたま走らざるを得なかっただけです。

 本来なら再び心臓が止まってもおかしくないです。 

 皆様は絶対安静をお守りください。




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