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Ⅴ 秘密は墓まで持っていくべし


 朝比奈は白藤と別れた後、特に寄り道をすることもなく西側の渡廊下を通って図工室へ来た。四人一組の大きな机と、特徴的な背もたれのない椅子。作品棚が教室の端にある。飾られている作品たちは一部壊れ、埃をかぶっているが、音楽室と同じように人が日常使いしている形跡がある。


 教室の後ろにある掲示板には技法もへったくれもない稚拙な水彩画が飾られている。人や車、花束などテーマは定まっていないようだ。画用紙いっぱいに描かれた光なんてものもある。触れた指先に埃が張り付いてくる。まるで姑のように指でなぞって吹く。


 掃除用具を収納したロッカーの横で厚化粧が目立つ女性がいた。絵を見上げて、薄ら笑いを浮かべている。彼女は中山なかやま静香しずか、5人目の被害者だ。


「こんにちは」

「外は暗いわ。こんばんは、の間違いじゃなくて?」

「現実世界は夕方でしょうから、こちらの方がよろしいかと思いまして」

「クソ真面目ね」


窓の外は夜の帳がおりている。朝から晩まで四六時中夜闇の世界であるこの空間に、夜も何もないが。劣化し崩れた蛍光灯の少しの明かりしかないけれど、女の表情を見るには十分だった。スリムというにも限度がある。彼女の頬はこけ、身体は痩せすぎていた。組んだ腕を解いて、朝比奈に向き直る。


「悪いことは言わないわ。早く帰りなさい」

「帰れたら苦労しないんですよ」

「それはそうね。でも本当に逃げたほうがいい。ここは何かがおかしい。あなた、死ぬわよ」


帰る手立てもない、不可思議な場所。科学の世にありえない現象。


「結構。こういったところには慣れています」

「? どういう意味?」


 眉をしかめ、朝比奈をにらむようにして佇む。余裕綽々な彼に怖気がする。この異空間よりもはるかに恐ろしい何かが、彼の中にはある。中山は冷や汗を浮かべた。


「一つお尋ねしたいのですが、かまいませんか?」

「何かしら。何でも聞いてちょうだい」

「では」


 朝比奈の手が再び掲示板に触れる。人の絵。車の絵。花束の絵。光の絵。テーマはそれぞれ、自由画だと思っていた。しかし、それは間違いだった。





「あなたには、人殺しの経験がありますね?」

「ッ!」





 それらはとある道路の、とある自動車が、とある人を撥ね殺した、とある事件の経緯を描いたものだった。横断歩道を渡る人間に猛スピードで走る車が近づく。その人間の視界に見えた、思わず目をつぶって腕で覆い隠したくなるまぶしい光。時間にルーズという言葉を知らぬ車が急いだ結果は、その場面に立ち会った人間の予想した通りだった。後日その交差点に手向けられた花束は、水彩絵具のような色をしていた。


「なん、で、それを」

「俺の特技でね」


 何かイベントごとでは場を盛り上げるためにいい働きをする能力がある。無機有機問わず記憶を覗くことができるという、警察が喉から手どころか全身出て中身と外身が入れ替わってしまうくらい、欲しがるだろう異能。そして、彼はいわゆるサイコメトリーだが、巷でうわさされるものとは少し違う。これは能力者に断片的な記憶など見せない。能力者が好きな時間を、好きな場面を自由に決められるのだ。言わば検索ボックスのようなものだ。


 最初に部屋に入ったとき、朝比奈は壁の絵に触れた。埃をかぶっていたが、絵の記憶はしっかり彼に届いた。中山に話しかけたのは、この確認をするためだった。


 彼は白藤同様戦いなれていた。世界中に存在する異能、その超常的な力で魑魅魍魎を祓う特殊な職を手に付け、生きてきた。それは祓い屋と名乗るもの。


朝比奈もその一人であった。


(引退した身ではあるけれども、ね)


 突然の問いに衝撃を受け固まっていた中山だったが、自分たちがこの閉ざされた世界にいることを思い出して安堵した。追ってくる者は誰もいない。自らの罪を知る少年は今、目の前にいる。筋肉量からわかるように襲い掛かって敵うような相手ではないが、この世界にいる限り、自分が断罪されることはない。どうにか策を弄して、少年を始末すべきだ。中山の意思は容易に決まった。


「なぜバレたのか知らないけど、知ってしまったのならあなたを生きては返せないわね」

「あなたに俺が殺せるとでも?」

「ふふ。あの子だって殺したんだもの。あなたなんてわけないわ」

「そうですか」


 ある日、中山は少年を車で撥ねた。連日つけ狙い、殺害するタイミングを見計らっていたのだ。すべては少年が彼女の犯罪行為を見てしまったから。少年の家に侵入した、父親のストーカーの行為を見てしまったから。冷蔵庫の下に入っていったゴキブリを何が何でも殺してしまいたい執着と似たものが、彼女の中に渦巻いた。


「ですが、あなたには不可能ですよ」


 微笑みも何もない真顔で、自分よりも背の低い女を見下ろす。目を見開き、血走らせている。今にもつかみかかってきそうなモーションが滑稽だ。最初に浮かべていた薄ら笑いはすでに消え、目の前の獲物を捕らえんとする獣のようだった。



「だって、あなたはすでに死んでいるんですから」



 朝比奈の指が女の額に当たる。そこから流れ込む濁流のような記憶は......彼女の今際の際のことだった。



「イヤアァァァァァァァァァ!!」



 女は死をやっと自覚したのか、生きてもいないのに顔を青ざめさせ、消えていった。その残り香を見つめながら、朝比奈は誰もいない教室でポツリとこぼす。


「いやぁ、あのうわさ、本当だったんだ」


『赤い車に乗った女が少年の霊に呪い殺された』。本当に人生、何があるかわかったものじゃない。


 このうわさの出どころもいったいどこなのか。この事件の捜査中に聞きつけたうわさだったが、いやはや、本当に恐ろしい。人の口には戸は立てられないものだ。



***


「さて、と」


 ドタドタと2階から足音が聞こえるのは気のせいではないだろう。何か暴れているならば早急に対処すべきだ。この学校には白藤や中山のほかに4人もの被害者がいるのだから。確認すべく、階段を静かに駆け上がる。右手東側には更衣室があり、左手西側にはトイレと体育館へ続く渡廊下がある。なぜか無音になったせいで、どちらから音が聞こえていたのか判別できない。


(体育館、か? ......いや、どっちもいるな)


更衣室の中に何かがいる。あの付喪神か、はたまた別の怪異か。被害者という可能性もある。朝比奈は迷った末に、躊躇せず勢いよく扉を引いた。


「え」

「お」


 そこには間抜けな顔をした少年と、少年にコブラクラッチをキメられる中年の男性がいた。少年は男性の背後から脇の下に腕を通し、後頭部を固定して、もう片方の腕で彼の手首を掴んでいる。おかげで男の首が絞められ、窒息しそうだ。


「萩野じゃん」

「朝比奈、お前なんでこんなところに」

「生きてたのか」

「勝手に殺すんじゃねぇ!」


 吠える4人目の被害者、萩野火織はぎのかおと、今にも彼に殺されそうな2人目の被害者、沢田誠吾さわだせいごだった。





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