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Ⅲ 拒否権のない使命


 見てる。こっちを見てる。ナニカが刺すように見てくる。あの鏡だろうか。いや、もっと大きな、そして数も一つなんてものじゃない。全身が粟立つ。背中に何か虫でもいるのではないかというくらいゾワゾワして大変気持ちが悪い。


 目が覚めた白藤は慌てることなく現状把握につとめた。怪我も体調不良もなく健康そのもの。現在位置は真っ暗な小屋のような場所。見覚えは一切ない。十中八九あの男が何かしたのだろう。身体は拘束されておらず、自由に動ける。白藤は苛立たし気に立ち上がってあたりを見渡す。物も何もない空間に見えていたが、一つ扉があり、白い板がかけられていた。よくある『○○の部屋』というドアプレートかと思い、情報収集を開始した彼女は嬉々としてそれに近寄った。今はコンタクトをしているからいいが、本来彼女は目が悪いのだ。



『ミッションを遂行せよ』



板にはそう記載されていた。どこぞのスパイ映画でもあるまいし。白藤の怒りのボルテージが上がった。


「なにがミッションだ! こっちはスパイ修行に来たわけじゃねぇーっての!」


 板に取り付けられたフック掛けにぶら下がった白い封筒を手に取る。当然、角のほうは穴が開いているわけだが、あの男にはセンスがないのだろうとどうでもいいことを考えて、開封する。中から出てきたのは少し厚めのカードが2枚。それと説明書きが一つ。


『あなたは世界の救世主。みながあなたを愛しています。感謝してください』


 意味不明な文章と上から目線な物言いに白藤の頬がヒクヒクと痙攣する。彼女は自己中心的で高慢な驕り高ぶった者が大嫌いなのだ。猫を除いて。


『同封されている2つのミッションをこなしてください。幸運を』


 ミッションをこなした後のことは何も書かれていない。それは良いほうにも悪いほうにも転がる可能性があるというわけで。しかしこの狭い部屋にいつまでいても仕方がないのも事実で。


 白藤は今年いっぱい分の大きなため息をついて、ドアノブに手をかけた。




***


 外に出ると、そこは学校だった。桐ノ谷ではない、どこか別の小学校。木造建築の古く傷んだ校舎で、歩けば床が軋んで、底が抜けてしまいそうだ。


 ミッションカードには番号が振られており、順番にこなさなければならないらしい。2番目のカードは真っ黒で何も見えなかった。


 最初のミッションは『図書室に行き、少女の望みをかなえよ』。少女とは誰か。まったく情報のないところでむやみに動きたくない。しかしさっさと帰りたいので、とりあえず白藤は校内図を探すことにした。


 校内図というのはたいてい玄関口にあるものだとあたりをつけて、1階に降りる。階段もかなり劣化しており、本当に底が抜けたりしたら大怪我ものだ。内心かなりドキドキしながら地図のところへ到着する。


校舎は南舎と北舎に別れ、南が2階建て、北が3階建て。各階の東西端に階段がある。

南舎は東から順に見ると下記の通り。

南舎1階には1,2年生の教室と図工室、トイレ。

南舎2階には3年生の教室、更衣室、そして体育館へ続く渡廊下。


北舎は西から順に。

北舎1階は多目的室、校長室、ギャラリー、職員室、少し距離を置いて給食室。

北舎2階は家庭科室、多目的室、4年生の教室、理科室。最西端に体育館へ続く渡廊下。

北舎3階は音楽室、5,6年生の教室、図書室。


なお、北舎と南舎は東側1階の渡廊下でも繋がっている。


 現在位置は南舎1階の最西端。ミッションで指定された図書室は正反対のところに位置している。目的地へ行くためには一度2階へあがり、渡廊下を通って北舎に入ったら3階へのぼる。そして東へ一直線に歩いたら目の前である。


(えー 遠いんだけど。もうちょっと近場がよかった)


面倒だがせっせと階段をあがる。久しぶりに小学生気分に戻って楽しくやろう。そう言い聞かせて。




 北舎は南舎より少しぼろかった。年季が入った壁や床から少々カビ臭さを感じ、転ばないように細心の注意を払って図書室を目指す。


 3階にのぼり、耳を澄ますとかすかに音が聞こえてきた。どうやらすぐ正面の音楽室から聞こえているらしい。他所と違って木造でなく、壁やドアには防音性があるようだ。それでもやはり音は漏れてしまっている。かなり劣化しているのだから当たり前だが。


 白藤は音源と思われる音楽室の扉に近づく。怖くて手が震えているが、敵ならば姿を確認しなければならない。図書室へ行って袋のネズミになんてなったらおしまいだ。重たい扉を少し開けて、ほんの小さな隙間を作る。遠くにあった音が大きくなった。


(あ、この曲)


 凛々しく荘厳で厳しさがありありと押し出されている。緊迫感を思わせる曲調が白藤自身の現状を謳っているようで、いっそう身体が引き締まる。しかしどこか情熱的なものが感じられ、彼女の琴線に触れるものがあったのだろう。白藤は『嫌いじゃない』と、素直になれない感想をもった。


 彼女が覗いた隙間からは演奏しているのが誰なのかわからなかったが、楽器はかろうじて見ることができた。弦楽器だった。ヴァイオリンのような肩にのせるものではなく、地面において足で固定するタイプのものだ。そこまでわかったはいいが、残念ながら彼女に音楽の知識はなかった。


(これ、あれだ。えー、なんだっけ。春じゃなくて、春以外の四季のどれか)


 曲はクライマックスを迎えていた。ひとつひとつの音が心地いい。ずっと聞いていたいと思えるほどに、その音楽は耳に響いた。ゆっくりと弦によって締めくくられ、後に残る余韻が音楽室に満ちた。白藤もそれに合わせて目を閉じる。それは1秒だか10秒だか経っていたかもしれない。少なくとも彼女にはかなり長く感じられた。


「白藤、だよね? 入ってきなよ」

「!?」


演奏者――朝比奈にはバレていた。





「な、なんでバレてんの?」


 扉の隙間は小さいはずで、なおかつ2人の間には距離がある。だというのに、朝比奈がなぜ彼女だと分かったのか、そもそも人がいることに気が付いたのか、白藤には皆目見当もつかなかった。そして朝比奈がここにいることに驚いた。


「カバンのキーホルダー、見えてたから」

「え」


慌てて下を見ると、確かに彼女の通学カバンについていたそれがいい具合に隙間に挟まっていた。


「ッ~~~!!」


失態だった。物音を立てないようにとカバンを膝の上にのせていたのが仇となったのだ。白藤はみるみるうちに顔を赤く染めてうつむいた。今日の6限目、スマホをしまう彼女の手元でも見ていたのだろう。タッセルが品よくぶらさがっている。


「それに、途中で防音扉が開いたら誰だってわかるよ」


 さらに追い打ちをかけられ、彼女は耳まで赤くして顔を上げなくなってしまっていた。朝比奈はさすがにかわいそうになって、実は白藤からは見えない、彼の前にある鏡でバッチリ彼女の姿を確認していたという事実は心の内にしまっておくことにした。


 白藤は朝比奈と1年生のときからクラスメイトだが、ほとんど話したことはなかった。男女どちらからも人気が高く、たいそう好かれていた彼は、教室の隅でひっそり過ごしたいと願っている彼女にとって関わりあいたくない存在だった。そして気さくな人気者に人が集まるたびに、白藤は苦手意識を高めていった。


「なんでこんなわけわからないところに来たの」

「来たくて来たわけじゃないし」

「ふーん?」


ぶっきらぼうに答えても、たいして気にしていないような返事が返ってくる。白藤はキツい言い方をしてしまう自分を恥じた。


朝比奈はファイルや楽譜が詰まった棚を漁っていた手を止め、白藤を振り返る。


「あのさ白藤。もしよかったらなんだけど」


若干躊躇いがあるのか、何なのか。長い指の先をいじりながらぼそぼそと発した。


「さっきの演奏の、感想、聞かせてくれない?」

「うぇ」

「......」


自分の口から出たとは思えないほどおかしな、そうカエルを見たときのような声に慌てて口に手をやる白藤だったが、おかげで2人の間に沈黙が流れる。怒らせてしまったかもしれないと不安になって、冷や汗が止まらなくなる。


「そ、そういう意味じゃなくてだな! ほ、ほら! 急に言うからびっくりしてだ! え、えーと、ま、まあまあいいんじゃないか。ずっと聞いてたいなー、なんて思ったし。正直音楽はよくわからないけど!」

「......」

「......」

「......」

「なんか言えよ!」


居た堪れなくなって、困惑する。本当に怒っていたらどうしよう。学年の人気者に嫌われればどんな凄惨な嫌がらせやイジメが待っているか。考えただけでも寒気がする。帰れるかもわからないのに、これからの学校生活が心配だった。



「フハッ ハハッ アハハハハハハハッ!」



 だんまりを決め込んでいた朝比奈が、突然大きな声で笑い出した。大爆笑だ。無表情以外の表情を見たことがない白藤にとって初めて見る彼の笑顔に、本気で気がふれたのかもしれないと内心嵐状態だ。


「な、何?」

「いやーごめんごめん。白藤って結構落ち着いてる雰囲気あったから。こんなポンコツ発言するんだーって意外に思っただけだよ」


 一瞬で無表情に戻った朝比奈が奇妙で仕方がないが、それでもぱあっと周りに花を飛ばして、喜んでいるのがわかる。無表情のくせに。


 高嶺の花と呼ばれて遠巻きにされている白藤だ。朝比奈がこう思うのも無理はない。しかし白藤は癪に障ったようで朝比奈に嚙みついて吠える。


「失礼な。私は私だよ。偏見押し付けないで」

「押し付けてるつもりはなかった。そういう意味で言ったんじゃないだ。気を悪くしたならごめん。でも白藤もお互い様だと思うけど」

「は?」


 何について言っているのかわからないが、なんとなくきまりが悪くなってそっぽを向く。彼女は気づいていないが、さっき朝比奈を嫌なクラスメイトたちと同類だとくくったのだ。イジメの可能性など、彼の性格を鑑みれば絶対にあり得ないことだとわかるのに。朝比奈はそれを口にはしなかった。


「この曲はね、ヴィヴァルディの四季・冬。俺が2番目に好きな曲」

「冬......楽器は? えーと、コントラ? ん?」

「チェロね」

「楽器、できるんだな」


 手入れの行き届いたチェロを撫でながら朝比奈の視線が鏡へ移る。その大きな姿見はかなり精巧な装飾が施されており、ヨーロッパのあたりにおいてあるほうが納得させられる。ふと鏡の中心を見ると、自分と自分よりはるかに高い朝比奈と、白いワンピースを着た少女が笑みを浮かべているのに気がついた。


「うわ」

「うーん 冷静だなぁ」


 最低限の動作と言葉によるリアクションしか取らない白藤に呑気な声をあげる。鏡の中の少女はにこにことかわいらしい笑顔を振りまいて、白藤は眼中にない様子だった。


【お兄ちゃん、ありがとう! 久しぶりに音楽を聞いたわ。とっても楽しかった】

「それはよかった。じゃあそろそろ俺もお暇するよ」

【うん!】


 鏡から手を出して小さく手を振る。朝比奈も振り返して、呆然と突っ立っている白藤の腕を引いて音楽室の外へ出る。


「白藤、ミッション終わった?」

「いや、まだだけど」

「そっか。俺もまだ一つもやってないから急がないと」

「音楽室のは?」

「あれはあの子に請われただけ」


 おとなしそうな少女だった。しかしそれはあくまで外見からの予想であり、白藤が内面を窺い知ることはできなかった。もし知ることができていたら、彼女は真っ青になって音楽室を飛び出したことだろう。あの少女が人を喰っていることに気づけたのなら。


 朝比奈は少女が人喰いだとは思っていなかったが、それなりに危険なものだと認知していた。この異様な空間へ来て、最初のミッションの目的地である図工室へ行こうとはじめの部屋の扉を開けたとき、彼女はいた。笑うでもなく、感情の抜け落ちたその不気味な顔に警鐘が鳴った。間違いなく強い”怪異”だと認識した。そして『音楽を聞かせてほしい』という彼女の願いを聞き入れて、チェロを演奏した。そこへ何も知らない白藤が入ってきたものだから、テキトーな理由をつけてさっさと退散したというわけだ。彼女の気が変わらぬうちに。白藤に危害が及ばぬように。


 人畜無害に見えても意外とわからないものだ。少女はヨーロッパのとある教会から運ばれた鏡の付喪神で、現地の者曰く、人喰い鏡である。しかしそうとは知らず、ある収集家が日本へ持ち込んでしまった。朝比奈は怪異を祓うことについても優秀な人材だ。しかしその彼も、あの少女は危険だと判断した。


 彼は白藤を不安にさせないよう、明るい雰囲気を保つ。ミッションの目的地を確認しあって、正反対にあることを笑う。笑顔があるうちはまだ余裕がある証拠。あの付喪神を何とかしなければ白藤が襲われるかもしれない。その可能性に目をつぶることはできなかったが、彼にはどうすることもできず、ただ彼女の無事を祈る。



「ま、お互い頑張ろう」

「うん」


 

そうして白藤は図書室へ、朝比奈は図工室へ歩を進めた。




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