Ⅱ 捜査開始
桐ノ谷学園・中庭
「はぁ......」
ここに悩める女子中学生がひとり。一本の木を囲むように配置された円形のベンチに座り、頭を抱え込んでいました。名前を白藤水といい、腰まで綺麗に伸ばした長髪がうつむいている彼女を某井戸の女性を思わせましたが、彼女は気づいておりません。当然、チラチラと不審そうに彼女を見る周囲の目にも気づいていません。彼女の髪はホワイトカラーに染められているため、まったくあの女性には見えないのですが。
***
「寒い」
季節は11月に入ったばかりで、日中はまだ暖かい。しかし白藤は冷え性なためブレザーの下に厚手のカーディガンを着用していた。それでもまだ寒いと言うのだから重症である。左手に自販機で買ったあたたか~いココア、右手にスマホ。膝に通学カバン。現代っ子の構図の出来上がりだ。
6限目の現代文の授業のせいで潰れてしまった捜査を再開する。外でする理由は特にないのだが、校舎内でするのは他人にスマホを覗かれるのが嫌なのと、うるさいクラスメイトたちの声を聞きたくないのとで、問答無用で却下だった。『家に帰れば?』と思われた方もいるかもしれないが、白藤は寮暮らしだ。一度寮に戻って帰寮したことをICカード型の学生証で申請するのは楽だが、その後出かけようとすれば外出届をわざわざ出さなければならない。行き先、連絡先、戻ってくる時間、エトセトラエトセトラ。これが非常に面倒だった。そのため寮生は普通、放課後は外へ遊びに行って門限の22時までには帰ってくる。塾や部活で遅くなる生徒はその旨を半年もつ届け出でだしておく。毎度出さなくとも半年間は有効なのだから便利なものである。
(あと、あったかいところに戻ったら二度と出られる気がしない)
白藤は被害者が行方不明になった場所を訪れる気でいた。すべて都内、そしてその一か所は桐ノ谷学園からそう遠くない。事件を捜査する中でこんな機会はめったにない。せっかくだからとノリノリだった。
被害者は全部で5人。
スレでもあった最初の被害者、神崎恵未。小学3年生。おとなしいが自分の主張はしっかりできる子で、絵を描くのが大好きな女の子。通学路にある工場の塀を『秘密基地』と呼んだ。帰り道、途中までは友達数名といっしょにいたところを確認されている。夕方帰ってこない娘を心配した父親が捜索願を出す。
2人目は中年の男性、沢田誠吾。やる気に満ち溢れるサラリーマン。大きなプロジェクトを抱えており、連日寝不足が続いていた。会社に最後まで残っていたようで、彼の失踪時刻は不明。翌日のプレゼンまで現れず、連絡もつかなかったため通報。
3人目はニュースで監視カメラの映像が報道された少女、三隅華菜。中学3年生。明るい性格で友達も多い。放課後は友人らとカラオケやゲーセンへくりだしていた。桐ノ谷駅でトイレへ立ち、以後戻らなかった。友人らは彼氏のところだろうと決めつけ、それぞれ帰宅。娘が帰らないことを疑問に思う母親だったが、夜中に帰宅するのはいつものことだと思い、放置。翌日、朝になっても帰らない娘を心配して警察へ通報。
4人目は少年、萩野火織。中学3年生。部活大好きな元気スポーツマンで、部活に熱中して学校の警備員に追い立てられるようにして帰路につく。友人らとコンビニへ寄ったのち、公園でアイスを食べているときに失踪。友人らは目の前で消えたと訴えている。その場で通報。
5人目は昨夜報道された女性、中山静香。ケバケバしい化粧が目立つ。合コンの帰りに失踪。一緒にいた男性は勝手に帰ったと思い、腹を立て帰宅。翌日合コンメンバーの女性陣から彼女の行方を問う連絡があり、事件が判明。そして通報。
被害者のうち2人は白藤の同級生だ。2人とも桐ノ谷学園中等部に通っているわけではないが、同い年の子が何か摩訶不思議な事件に巻き込まれているというのはひどく不快だった。
白藤は捜査をすべく、一番近い桐ノ谷駅へ行くことにした。
***
そこは3人目の被害者、三隅華菜がいなくなった場所だ。どこにもおかしなところはない。
桐ノ谷駅の裏手には灰色の壁で覆われた建物がある。少し劣化しており、剝げているところも見受けられるが、まだまだ現役の壁だ。工事をする必要はない。白藤はその壁を端から端まで見てやろうと考え、歩き出した。どうせ警察がくまなく調べつくしているだろうから彼女のこの鑑識じみた行動はほとんど意味がない。ただし、ごくまれに神様は彼女の味方をする。
「プリクラ?」
白藤の小さな手のひらに収まるほどの写真を入れた透明なフォトキーホルダーが、カーブミラーのすぐ下に落ちていた。やたらめったら目を巨大にしたり肌を雪のように白くさせたり、もはやエイリアンと言いたくなる容姿だが、身の安全のため口をつぐむことにした。我が身は誰だってかわいいものだ。
(この制服、どこかで......? ッ! 三隅さんの学校!)
紺色のブレザーに真っ赤なリボン、ブレザーと同色のプリーツスカート。間違いなく三隅華菜の学校の制服である。ホームページに記載されている写真とプリクラを見比べて確信する。なぜすぐに気づいたかというと、以前、白藤は進学先を桐ノ谷とで迷ったことがあったためだ。灰色のブレザーに紺色ネクタイと黒いタイトスカートの桐ノ谷とはまったく違った可愛さがあって、どちらにしようか散々悩んだ。結局桐ノ谷のタイトスカートとプリーツスカートを選べる制度に負けたのだが。
2つの制服を見比べて、その可愛さに悶えていた白藤だったが、正面のオレンジが妙に気になって顔を上げる。
(あれ、なんでこんなところにカーブミラー?)
白藤の右手にはどこかの会社の壁、左手は駅。そしてそこは一本道。自動車がカーブすることはないはずで、路地も何もないのだから人や自転車が曲がることもない。ならばなぜ、ここにカーブミラーが設置されているのか。今まで違和感なくそこに鎮座していた物体が急に気持ち悪く感じる。そして白藤は周りの監視カメラの位置を確認するが、それらの向きはバラバラ。白藤のいるカーブミラーの前を凝視するものは一つもない。それはつまり。
(死角! ここだ。事件現場はこのカーブミラーの前の、この道!)
そうとわかるやいなや、すぐにしゃがんで道を確認する。傷や落とし物、ごみ。拾える情報はすべて拾う。もちろん壁も下からなめるように観察する。絶対に何一つ見落としてはならない。
「君、何をしているんだい?」
「!?」
突然背後から声をかけられて肩が大きく跳ねる。そういえばここは駅の裏手で、それなりに人通りがあるのだ。壁に向かってコソコソする少女など、怪しさ満点に決まっている。
「いいえ! ちょ、ちょっと靴紐がほどけたものですから」
「ああ、そうだったのか。悪いね」
立ち上がっても、白藤の身長は154センチ。推定170センチほどの目の前の男性は少し威圧感がある。ニコニコと愛想笑いを浮かべ、視線を男性の顔に移して驚愕する。その双眸は黒い闇をたたえ、表情という表情が抜け落ちている。まるですべての感情が消えてしまったかのように。ゾッとするほどの生気のなさが気味悪くて、鳥肌が立つ。
(っ! 何このオッサン......朝比奈のほうがまだかわいげある無表情だよ)
普通に日常生活を謳歌している人間の目ではない。白藤は男を危険人物と断定し、即座に臨戦態勢を取る。経験上、この不気味な男がマトモであるはずがないと判断した。
11月に入ったばかりの、まだ日中は暖かい季節に、分厚い冬用コートを身に着けた男。無精ひげの処理もせず、ヨレヨレの汚い服や靴。ともすればハエがたかっていそうな汚れ具合だが、男の壊れた精神状態では何も感じていなかった。ただ目の前の少女が煩わしく、邪魔だった。
「面倒だな、君も」
やけに目につくオレンジ色が禍々しい何かに見えて、焦りが募る。本来あるべき鏡がぎょろぎょろと忙しなく動く巨大な眼に変貌し、一人の少女を捉えると、笑みを浮かべたようにその眼を細めた。
男が彼女に手を振りかざした直後、白藤の視界は暗転した。