九話『七色紡ぎの天腕』
眼前には、一体の魔龍が聳え立つ。
名を、氷嵐龍。
俺たちのセカイを崩壊させた、憎い存在。
それが、目の前で俺を直視する────。
外気は酷く冷えていた。
城は破壊され、吹雪を遮るものはなく。
ただ、吹雪に世界が白く染められる。
そんな中に、俺は独りで立つ。
「クソドラゴン、お前ってさ。本当に空気が読めねぇ……よな」
無理矢理右腕の力を解放した反動による激痛に耐える。
否。耐えている訳ではない、ただ無理矢理に生かされているだけ。
その真髄は一つ。
それは紛れもなく、シュバルティナの呪いを俺が略奪したということ─────。
俺は彼女が─んだ後、一礼すると同時に。
彼女の力と、記憶と、意志と、彼女の魂に刻まれた呪いのカスを略奪したのだ。
彼女の魔力が絶え、意味をなしていなかったはずの呪いが俺に受け継がれ、俺の魔力を生贄とすることで再稼働する。
つまるところ、俺は最期の最期まで……。
イイヤツになんかはなれなかった。
最期のこの戦いも、彼女の力を奪わなければ成立しなかったのだから。
それに、とても辛い。
被害者ぶるかもしれないが。
……彼女を記憶を略奪した時に、彼女が俺と過ごしたその一瞬を。
鮮明に色濃く記憶していて、そこに対する彼女の感情も。
彼女が感じていたあらゆる感情を。
全て、俺は理解してしまったのだ。
それは、ひどく辛い。
彼女は本当に……俺の事を、愛してくれていたと。
再確認出来てしまい、そしてそんな彼女に何もしてやれなかった自分を重ね合わせて。腹が立ったのだ。
でも。今は、そんな言い訳は叶わない。
ただ。彼女の仇を取るだけだ。
右腕を、ぶらりと脱力させる。
─────深層解明。
彼女の呪いを辿って、彼女の呪いを理解。
彼女の呪いを理解して、脳内に概念化。
彼女の呪いを概念化することによる、抽出。
─────。
吸えば肺が凍り付きそうなほど痛い外気を吸い込んだ。
正視すれば、眼光を失う程白い世界を仰いだ。
手足を動かせば、氷そのものになってしまう錯覚を感じた。
再び。大きく息を吸い込む。
「ああ、ドラゴン。テメェはさ……なんで、こんな所に来やがった」
そのせいで彼女が死んだのだ。と、憎悪の眼を眼前に叩きつける。
だが、それは届かない。
ドラゴンに、自我はない。
それ故に、意味は通じない。
ならば、それでもいい。
それならば、わけもわからずにコロせる。
『ガ……ガァァァァァァァァァ!!!!!』
俺の敵意を察知したのか、龍は叫ぶ。
そして。そのまま、一直線に、本能的に、コイツは吹き飛んできた。
頭を突き出して、俺に一直線に突っ込んできたのだ。
ならば、それでもいい。
ならば、それでもいい。
本能のままに、死ねばいい。
憎悪が増幅し、増幅した憎悪は世界を壊す。
己の人間性などはとうに放棄して、ただ目の前をコロすことだけに専念する。
彼女の仇。それを今ここで、討つ。
右腕を、ゆらりと肩の高さに上げた。
「お前は理解していない─────。
お前が本能を棄てて、理性をとっていれば。
今この瞬間、今この時間は起きえなかったというのにも関わらず」
静かに笑う。
世界を見て、自暴自棄にも諦観し笑う。
目の前には、豪速に龍が迫ってきていた。
だから、こそ。
「お前は理解していない─────。
死にたくても死ねない、生きたくても生きれない。
その二つの感情の交錯に。そして、また一つ。
俺らと、お前では見ている世界が違う……ソノコトに」
眼前に龍は迫ってきた。
視界は赤く染まったと錯覚する。視界は黒く染まると錯覚する。
その刹那。氷嵐龍は予想以上の速度で、ヒイラギシノヤを蹂躙し。殺した─────。
痛い。右腕の骨が折れたのか。
いや、体全身の骨が折れたのか……激痛に苛まれれた。
そして、そのまま、俺は死んだ。
─────否。現実否定。
その世界線は、間違っている。
俺は死なない。
俺は生きていている。でも、でも、でも。
「百聞は一見に如かず、尚。百見は一験に如かず。
さぁ、存分に理解するがいい。世界に訂正されることさえも忘れられた、その矛盾を。奇跡を。嵐よ舞え、命は死して凍結し、消滅あらんことを─────」
泣き喚きながらも、叫ぶ。
「お前は、永遠の”死”に縛り付けられながら、凍るがいい─────! この、クソドラゴン……がぁっ!!!!!!!」
俺は死なない。だけど、オマエは死ぬ。
その刹那にも満たない永遠、その一瞬。
略奪と委託の力を発動。
俺は彼女から略奪した”凍結された死”という概念を抽出し、迫ってくる龍の頭に触れて委託した。─────死という永遠に晒されながら、永遠に消滅することができない。
死という概念さえも凍結させる呪いの力。
彼女を何年も苦しませたその呪いの力を。
存分に、理解するといい。
抜け殻となって、動けない、死んでいる、だというのに─────。
この世界から消滅することの出来ない苦痛を。
……この七色紡ぎの天腕から、紡がれる苦痛で凍結されろ。
『ギャ……ァ?』
「─────」
その刹那を超えて。
世界は、静寂に回帰すると同時に、今まで降り注いでいた吹雪の嵐は唐突に消えて。
陽光に照らされた紺碧に染まる蒼天は姿を現した。
眼前にいる龍はすでに停止している。
あくまでそれは見かけだけで、魂という器の中では動き回っているかもしれないが。
それは俺には、あまりにも関係のない話だった。
とりあえず、理解する。
遂に、長い長い─────冬が終わったのだ、と。
◇◇◇
「ガ─────ァ、ゲホォッ!!!?」
安堵して、その場で跪いた。
咳と同時に、死の感覚を抱く。
いつもなら、もう何度も死んでしまってるであろうにも拘らず。
今回は、死ぬことなんてなかった。
何故だろうか。
そりゃ分からない。
だけど、ただ視界が歪曲していくのを感じた。
「……くそ、限界だな。こりゃあ」
自然に血反吐を吐く。
目の前に、己が吐いた血液で血だまりが出来た。
かなりの量だ。死んでしまうかもしれない。
いや、死なない方がおかしいだろう。
だから、いっそ。ここで楽になって、死んでしまおうか……。そう、悪心がよぎる。
「もう! シノヤ、そんな言い訳しないの! 私の分まで生きるって、決めたんでしょ……⁉」
「は─────、……あ、ああ。……はは、そうだな」
その時、ふと声が聞こえた。
俯いていた顔を上げて、声の聞こえた方を見上げた。
すれば、数メートル先に一人の姫が立っている姿が映り込む。
美しく、儚く、切なく、煌びやかな、その白髪の少女が。
立っていた。
健気に、立っていた。
……はは、なんだこの奇跡は。
「いやぁ、シノヤ? 春が来たのかな、綺麗だよね!」
「─────ああ、冬が終わって春が来たんだろうな」
彼女を見て、笑う。
彼女はただ、無邪気に吹雪が消えた世界を見渡していた。
陽光に照らされて、綺麗に輝く世界を見ていた。
「桜とかもねー、見てみたかったなぁ~」
「なぁ、シュバルティナ。お前はさ、見に行かないのか? 桜をさ」
「……だって、私。死んでしまったもの」
「じゃあ、お前はなんで……今、俺の目の前に立ってるんだよ?」
声が震える。
ああ、今日はとっても暖かい。
だというのに、なんなんだこの気持ちは。
「なんで、だろうね……? 多分、シノヤのその力があまりにも正確すぎて。私のまだ残っていた余力すらも略奪していて、それがただここに映し出されているだけなんじゃあないか?」
「はは、なんだよそれ─────」
「”奇跡”だよ、シノヤ! 私もなんでか分からないけど、貴方と共に春が見れて。とっっても幸せ!」
永遠に感じる。
彼女のその無邪気で屈託のない笑顔。
それは雪のように輝きを放っていた。
……ホントに、なんなんだよ。この奇跡ってやつは。
「まるで夢みたいだな、シュバルティナ」
「うん、そうだね……ホントに、奇跡だわ!」
「─────」
世界っていうのは、本当に未来が分からない。
こんな光景を、どれほど望んだか……ホントに、分からない。
「……私ね、正直死んじゃう時、怖かったの。死ぬって、どんな感覚なんだろうって。死にたくない、もう少しシノヤと一緒にいたいってね。─────昔の、死ぬのが救済だなんて言っていた自分が信じられないぐらい」
「シュバルティナ……」
「でも、ね? シノヤが私の仇をとるって、頑張ってくれたのをシノヤの心の中で見ていたし。私……もうそれで、嬉しくて、爆発しちゃいそうなほどドキドキしたわ。もう私、死んでるっていうのに」
─────もう、何も言えない。
彼女に対して、申し訳なさがあまりにも勝ってしまう。
俺は彼女に対して、何もしてやれなかったのだから。
「むう。シノヤ……そんな事考えちゃダメだよ? シノヤは私に、沢山の事を教えてくれたもの。貴方のその命懸けで、私の仇討ちをしてくれたのも、全部覚えてる。私は、信じていて良かったなって、本気で思った」
「─────?」
どうやら、考えは見透かされているようだった。
だからか彼女は頬を膨らませて、そんな事を言ってくる。
「シノヤを信用して、本当に良かったなって……。だって、ね。シノヤのドラゴンと戦う姿を見ていたら。自分が今まで生きていて、ずっとそれはムダだと思ってたけど。……無駄なんかじゃあなかったんだなって、思えたの」
……その言葉は、美しく。切なく。儚く。
「なんだよ、それさ」
「シノヤはね、とっても優しくてイイヒトだよ? だから、そんな風にくじけないで。貴方は人のために動ける人よ! そんな人、この世界を探してもあまりいないんだから!」
「─────そんな訳、あるかよ……シュバルティナ……」
「ううん、そんなことある。貴方は、とっても優しい」
……俺は、彼女を助けられなかったというのに。
シュバルティナ……に愛を誓っただけで、何も出来なかったというのに─────。彼女は、俺の気持ちを高揚させてくる。
「あ」
その時。
……見えていた彼女の姿が、粉のように消え始めていった。
シュバルティナはどこか悲しそうな顔をする。
それはもう、本当に、辛い。
「あーあ。もう、時間がないみたい。シノヤが奪った私の余生は、もう終わりらしい」
「シュバ……ル、ティナ……。俺、俺……! 君を、何も救う事が出来なかった……‼ 俺はもう、一人じゃ、やってけねぇよ……‼ だから、シュバルティナ! 消えないでくれ……お願い、だ……」
「はは、嬉しいな。そう言ってくれると。私は、貴方と共に生きていたんだなって実感出来る」
─────頬からは、静かに冷たいものが伝わってきた。
だが、そんなのはどうでもいいんだ。
本当に、本当に。─────ただ、願う。
シュバルティナがいなくならいでくれと。
でもそれは、俺の身を逸脱した傲慢すぎる願い事だ。
「ねぇシノヤ……? 私、もう死ぬのなんて怖くないわ。だって、貴方がきっと……私の代わりに生きてくれるんだもの。なんたって、シノヤはイイ人なんだからね?」
「な、なぁ……シュバルティナ。俺の命を、生命力を……お前に託すからさ。お前が生きてくれよ……そのほうが、俺が生きるより。ずっとマシだ。俺には罪があるのに生き残って、何も罪がないお前が消えるなんて……不公平だろ」
「─────そんなことないよ、それがこの世界というものだし? ……それにさ」
彼女は再び見せる。
その、屈託のない、完璧なまでの笑顔を。
登り始める陽光に照らされながら。
彼女にとって始めて見るであろう朝日というものに照らされながら。
「私さ、シノヤの事を愛してるから─────!」
だから、君の余生を奪うことは出来ない。
彼女は、そう告白してきた。
心が揺らぐ。今にも消えてしまいそうなほど、泣きたくなる。
なんだよそれ。なんでこんな時に、改めて……。
でも、ここで泣くのはいけないだろ。
彼女は今にも死んでしまうかもしれないのだから。
いいや、消えてしまうかもしれないのだから。
最期の最期に、俺は何かを送るべきだろう。
「……ははは、なんだよ、そりゃ」
だから、俺も彼女に対しニッコリと笑い返した。
そして、彼女に。
本心を、彼女と出会って始めて感じたその感情を。
告げる。
「─────俺も……本当に愛してるよ、シュバルティナ!!!!!」
あさましく、ダサく、泣き叫びながら。
俺は彼女に、その怒号で、気持ちを伝えた。
ありがとうシュバルティナ。
君のおかげで、俺も救われた……よ。
その声が、この城の下に続くアルシュダイストの街に響き渡ったであろうと同時に。
彼女は、笑顔のまま、その美しい姿のまま。
雪の姫は、その名の通り……本当に、雪が溶けてゆくかのようにまばゆく、美しく、光の粒子となって。消えていった。
思い残した事なんて、沢山ある。
やりたい事なんて、ありあまっている。
彼女に伝えたい事も、まだいっぱいあった。
「本当に、愛してるよ……シュバルティナ」
でも、今はただ。彼女の姿を想起して、思い出す事しかできない。
ありがとう、シュバルティナ。君と出会えたおかげで、俺も少し変われた気がするよ。心の中で、混濁する意識を整理しながら、そう告げた。
雪の姫の白昼夢。
それは、遂に最終幕を閉じる。
これは永遠の様な神速の記憶。
それを、俺はもう忘れる事はない。
俺は立ち上がって、静かに歩き出した。
俺もまた始めよう。彼女の代わりに、彼女が見れなかった人生を送ろう。
それが、俺の……せめてもの、出来る事だと。
俺が、そう思ったから。
……気が付けば、陽光は登りきっていて。
外は明るく、晴天の空が光り輝いていた。
キラキラと、見たこともない程に、それは、星のように。
その景色は、あまりにも綺麗で。幻想的で。
その景色は、あまり記憶にない。
だけど。
─────果てしなく美しい夢だったのを、俺は覚えている。
これにて雪の姫の白昼夢。完結です!
急ぎ足で書いたので、ダイジェストみたいになってしまいましたが……楽しんで読んでいただけたならば、幸いです。面白いと感じた方は、是非僕の書く別作品もご覧下さい。
この小説の一番上にある平行世界線シリーズの方から、一覧を確認できます。
回収出来てない伏線も多すぎるので自分に暇ができた時に、この作品をシノヤ視点メインで書き直したり出来たらいいなーと思っています。
主な謎
・シュバルティナが何故『氷の魔女』と呼ばれているのか。
・アーロバイトの真の目的とは一体なんだったのか。
・自爆覚悟で右腕の力を使ったシノヤが、何故生き残れたのか。
いつか別ルート的なストーリーと含めて、その謎に迫ってゆこうと思います。取り敢えず、始まりの物語はここで完結です。改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。